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遠い自然ー北極圏野生生物保護区

アメリカ・ノースウエスト自然探訪2005年02月号掲載 | 文・写真/小杉礼一郎

“The Last Frontier”──アラスカの最北辺に豊かな生命を育む原始のままの自然が広がっている。
この時期オーロラが揺らめき、地吹雪が吹きすさんでいる極寒のこの地が世界の注目を集めつつあるという。

チュガッチ山脈
▲毎年、春と秋に大きな群れをなして移動するカリブーの群れ
チュガッチ山脈
▲北極圏の冬。アンワーの南方にあるホワイト・マウンテンで2004年1月の正午に撮影


ANWR(Arctic National Wildlife Refuge)

カリブー(トナカイ)、ジャコウ牛、ルシープ、ムース、オオカミ、グリズリー・ベア(灰色熊)、白熊、白フクロウなど、極地の生きもの達が生まれ、棲む場所。そして何千年とその動物達と生き、糧としてきたネイティブの人々の暮らし……。

Arctic National Wildlife Refuge(北極圏野生生物保護区)、通称アンワー (ANWR)はアラスカの北東端にあり、カナダと北極海に接している。そのほとんどが北極圏という1,900万エーカーの野生生物のサンクチュアリである。

ブルックス山脈とその北斜面の無辺のツンドラ地帯、原始のままの川と谷、極北の森林の中で、有史以前の北極圏の生態系がそのまま残っている。そして、このような自然をこれからの時代の子供達、さらにその子供達へと手渡すべく1903年にセオドア・ルーズベルト大統領によって野生生物保護区制度(National Wildlife Refuge System)が施行された。1960年、連邦政府はアラスカの890万エーカーの土地をアンワーとして制定する。1980年には将来予想される開発の波から守ろうと当時のジミー・カーター大統領が保護区を現在の1,900万エーカーへと拡大した。

チュガッチ山脈
▲プルックス山脈の地を這うパイプライン。北極海プルドーベイの油田からアラスカ南岸の不凍港バルディーズを結ぶ1,287キロの油送管で、原油は8日半かけてこのパイプの中を流れていく
チュガッチ山脈
▲氷河期時代の残存動物の一種、ジャコウ牛。ただし、アラスカのジャコウ牛は開拓民の食肉用に乱獲され、1850年に絶滅した。現在、北極圏に棲息するジャコウ牛は戦前にグリーンランドから移入されたもの
チュガッチ山脈
▲ツンドラの紅葉。ダルトン・ハイウェイよりアンワーのノース・スロープ(ブルックス山脈の北斜面)を望む


遠い自然と2人の日本人

アメリカ本土のほとんどの人々にとって、アンワーは行ったことも見たこともない「遠い自然」である。一方、意外かもしれないが、日本でこの地域について知識と関心を持っている人は少なくない。それにはアラスカに生きた2人の日本人の存在が関わっている。

ひとりは明治元年に宮城県で生まれ、アラスカに渡った安田恭輔(フランク安田)。彼は厳冬期に暗闇の北極海から氷の上を歩いてアラスカの最北端バローに入り、そのままエスキモーの社会に融け込んでいく。やがて疫病と食料不足から滅亡の危機に瀕したエスキモーの一族を率いてブルックス山脈を越え、ユーコン川のほとりに新しい定住地(ビーバー村)を作った。彼が現在のアンワーにある山谷を駆け巡った足取りと彼の成し遂げた偉業は、新田次郎による『アラスカ物語』で忠実に再現されている。この30年前に出版された小説が数十回の再版を重ねていることが、人々の共感を何よりも表しているだろう。

数年前、隊長がポートランドの紀伊國屋書店で求めた第44刷『アラスカ物語』のカバーには、デナリ国立公園をバックに湖で水を飲むムースの写真が使われている。この美しいショットを撮ったのが、アラスカに生きたもうひとりの日本人、動物写真家兼エッセイストの星野道夫()である。彼のエッセイから引用させてもらおう。今回の記事のタイトル「遠い自然」はここから戴いた。

「ぼくは“遠い自然”ということをずっと考えてきた。(中略)私たちが日々関わる身近な自然の大切さと共に、なかなか見ることの出来ない、きっと一生行くことが出来ない遠い自然の大切さを思うのだ。そこにまだ残っているというだけで心を豊かにさせる、私たちの想像力と関係がある意識の中の内なる自然である」(『ノーザンライツ』新潮社)。

星野道夫の残したたくさんの写真、野生の動物達や植物、極北の風景はどれも素晴らしい。彼のエッセイ、その透徹したアラスカの自然の描写と温かい筆致は、今でもたくさんの読者の心をアラスカの自然に惹きつけている。彼が書き留めた言葉は多くの人に何度も読まれ、写真はいつまでも見る人の視線を捉えて離さない。その星野氏は「アンワーはぼくの一番大好きな場所です」と述懐している。

開発vs自然保護?古い構図と新しい側面

皆さんがこの記事を読む頃には、米議会内外でこのアンワーの海岸での石油採掘を認めるか否かの熱い議論が行われているはずだ。採掘の推進派は「アメリカのこれからの資源戦略に不可欠で、かつ油田開発は地元に雇用の機会を創る」と言う。一方、「開発は原生自然の生態系を乱し動物達の生存を脅かす」と反対派。 

原油の値段は中東情勢の緊張から最近は1バレル$40~$50の最高値圏内にある。ガソリン価格はこの1~2年で大幅に値上がりした。米エネルギー省の試算では、アンワーからの石油採掘で原油価格は1バレル当たり50¢値下がりする。これはガソリン1ガロン当たりでは1¢に相当するという。

一方、2004年3月のギャロップの世論調査では、米国民の55%はアンワーの石油採掘に反対だそうだ。「ガロン1¢のことで最後の自然を壊さなくてもいいだろう」というわけである。しかし、早ければ2005年の4月にも連邦政府の許可が下り、アンワーの開発は動き出す見通しである。
 
開発か自然保護か? 古い構図のこの議論が繰り返されながら30年が過ぎた。その間に地球温暖化と石油の消費による炭酸ガスとの因果関係が明らかにされ、昨年、アメリカを除く先進国の間で温暖化防止協定(京都議定書)が結ばれた。

「温暖化から目をそらし、資源の大量消費文化を続けるのかどうか?」
地元の原住民、全アラスカ州民はもとより、隣国カナダの人々、石油業界、自然保護団体、温暖化を懸念する世界中の人々が今、アンワーを通してアメリカを見つめている。

■注釈
星野道夫(1952~1996年)千葉県生まれ。アラスカ大学に留学し、野生生物学を専攻。以後アラスカの野生動物、風土、人々などを写真とエッセイで残す。
■参考資料
・アラスカ物語(著者:新田次郎/出版:新潮社) ・ノーザンライツ(著者:星野道夫/出版:新潮社)

Information

【スポット】
■アンワーへのアプローチ

アンワーに通ずる道はない。唯一ダルトン・ハイウェイがアンワーの西端をかすめている。アンワーを訪れるには小型飛行機で米最北のネイティブ(グッチン族)の村アークティック・ビレッジへ行き、そこからのツアーに参加するのが一般的。あるいは小型チャーター機で空から訪れることも可能。また、域内のユーコン川支流の谷をカヤックで下る旅もある(詳しくは下記で紹介するウェブサイト参照)。

■Dalton Highway
フェアバンクスの北より北極海まで続く500マイル(約800キロ)の未舗装道路。アラスカのパイプラインに並行して走っている。秋にはツンドラが地平線までワイン・カラーに染まり、その美しさはこの世のものとは思えない。ウェブサイトではドライブの準備、注意事項、道路情報、天候などを掲載。電話での問い合わせは1-800-437-7021。
ウェブサイト:http://aurora.ak.blm.gov/dalton

【ウェブサイト】
■Arctic National Wildlife Refuge(ANWR)

内務省野生生物局(Fish and Wildlife Service)のサイト。歴史、人々、動植物、Q&Aなど、アンワーのことを詳しく、そしてわかり易く解説してある。
スクリーンの向こうから、北極圏野生生物保護区を守っている人達の熱い思いが伝わってくる。
ウェブサイト:http://arctic.fws.gov

■ANWR
アンワーに携わり、見守っていこうという民間団体のサイト。アンワーの背景、現行の問題などをいろいろな角度から紹介している。
ウェブサイト:www.anwr.org

Reiichiro Kosugi

1954年、富山県生まれ。学生時代から世界中の山に登り、1977年には日本山岳協会K2登山隊に参加。商社勤務を経て1988年よりオレゴン州在住。アメリカ北西部の自然を紹介する「エコ・キャラバン」を主宰。北米の国立公園や自然公園を中心とするエコ・ツアーや、トレイル・ウォーク、キャンプを基本とするネイチャー・ツアーを提唱している。

エコ・キャラバン写真サイト:http://c2c-1.rocketbeach.com/ ̄photocaravan