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デスバレー再訪(後編)

アメリカ・ノースウエスト自然探訪
2011年08月号掲載 | 文・写真/小杉礼一郎

この谷の原始景観の中でいちばん人気のバッド・ウォーター
海抜下86メートルの広い谷に立ち、足元の塩原に目を落とすと 
小さな塩の結晶にこの星の悠久の時間が見えてくる

海が先か岩が先か

「知っている」ということと「本当に知っている」ということは全く違う、ということを隊長が「ほんの少し知った」のは、40年ほども前のアフガニスタンの夏だった。まだ10代の「隊員」だった隊長(?)は、パミール高原の麓へ向かうトラックの荷台で揺られていた。※1、2

強い日差しと土ぼこり、ガタガタの悪路。お尻が痛い。積荷は岩だった。最悪の乗り心地に、見渡す限り岩と砂のこの荒野で、なんでわざわざ岩を運ぶのだろう?と考えるゆとりはなかった。その若造は岩塩という言葉は知っていて、外国ではそれを砕いて食塩として使っている、という知識はあった。が、それは頭の中だけのこと。丸1日中その上に座り、触り、時につかみながら、それが何であったかを教えられたのは、乗ってきたトラックを見送ってからだった。

また、こんなことも考えていた。「海の水が塩っ辛いのは岩塩が溶けたからか、それとも海水が干上がったから岩塩ができたのか」。その答えがわかったのは、ずっと後になってから。それは、教えられたり外から得たりしたものではなかった。もっと言うとデスバレーに来て初めて自分の中で腑に落ちた。1万3,000平方キロのデスバレーの中で、1ミリに満たない塩の結晶をじっと見ているうちに、地球が生まれてから今までの(46億年という)時間が初めてわかった瞬間だった。その感動は実に大きくて、その直後「そうかぁ。そうだったのかぁ」と大声で独り言を言いながら隊長はずんずん歩いていった。もし周りで見ていた人がいたら、この男は頭がおかしくなったかと思っただろう(周りに人はいなかった)。

要するに時間は長さではないし、塩辛い海水も岩塩も生物も無機物も、融通無碍※3なのである。物質が、ある形を成した一瞬が海であり岩なのだということがわかった。それくらいのことは頭では知っていたが、その時初めて心の底からわかった。海水と岩塩の答えは、そのほんの小さな小さなオマケだった。※4

きょうびの子供なら「地球が誕生したのは?」と聞けば「46億年前」とパッと答えられる子も多いだろう。が、そのことをどれだけ本当に知っているだろう。むきだしの地球のすっぴんの姿に触れる機会が私達にはどれだけあるだろうか。

塩原バッド・ウォーターの歩き方

デスバレーへ来るほとんどの人が、この国立公園いちばんの観光スポット、バッド・ウォーターを訪れる。人々は一様に駐車場から数分くらい歩いたところで写真を撮って引き返していく。が、その辺りまでは踏み固められており、ただの薄汚れたコンクリートの広場のようでどうということはない。バッド・ウォーターの亀甲模様はその先に広がっている。せっかちに引き返さず、せめてあと5分ほど先へ歩いてみよう。バッド・ウォーターは広大に見えるが、この塩原の幅は約8キロ。もちろん歩いて横断できる。迷うことはない。そして日中は日陰も全くない。帽子、サングラス、水などの日射対策をして歩こう。

もうひとつの塩原、デビルズ・ゴルフ・コースは、バッド・ウォーターの北端にある。まるでさざ波が立った海面が一瞬にして固まったような、なんとも不思議な景色だ。眺めているだけでなく、実際に足を踏み入れてみよう。足回りは丈夫なハイキング・シューズをお勧めする。サンダルで入ればたちどころにけがをするだろう。靴のすり傷を気にせずに足を運べるので、履きつぶしの古い靴であればさらに良い。バランスを崩した時に手のひらを傷つけないよう、手袋(軍手)をしておくと安心だ。

食卓から見える世界

日々私達が口にするもの、つまり食べるものはすべて生命体、あるいは生命体からできたもの(=有機物)である。しかしその中で、ふたつだけ無機物がある。水と塩だ。

昨今の日本では、食生活が随分豊かになり、俗に言うグルメも増えた。かつては塩と言えば食塩(塩化ナトリウム)だけだったのが、最近では海塩、さらに○○の塩、天然塩、自然塩、○○岩塩など、スーパーの調味料コーナーには何十種類もの塩が並んでいて、選ぶのに迷うくらいだ。
世界中どこへ行っても家庭やレストランの食卓には塩が置かれている。見慣れた当たり前の光景だ。だが食事の時にちょっとだけ思いをめぐらしてみよう。目の前にある食卓の塩はどこから来てどこへ行くのだろう? 地球、生物、自分を回る塩の旅。無機物こそが永遠の命を持ち、宇宙を旅し、形を変え有限の命を持った(生き)物として、ほんの瞬間の仮の姿となっている……そう見えてこないだろうか。

え、そう見えない? あなた、頭が固くなっていますよ。塩と一緒に自然探訪の旅に出なさい。デスバレーへ行きなさい。1粒の塩から46億歳の地球の姿が見えてきます。

(デスバレー再訪 前中後編 了)

※1 「岐阜大学アフガニスタン学術調査隊」と、もっともらしい隊の名だが、ようはヒンドゥークシュヒマラヤの未踏峰を目指す登山隊。学術調査という名であれば寄付が集まった。東西冷戦はあったものの、あくまで冷戦でテロもなくアフガンはのどかだった。旧き良き時代だ。

※2 デスバレーの局所地形はアフガニスタン(中央アジア)の景色にきわめてよく似ている。米海兵隊のアフガンの土地・地形を模した実戦訓練場が、デスバレーの南に広がるモハベ砂漠(Mojave desert)の中にある。

※3 融通無碍(ゆうづうむげ):一定の考えにとらわれず、どんな事態にも対応できること。

※4 岩塩は、地球の地殻変動の中で海が陸地に封じ込められ、気候により水分が蒸発した結果、塩分が濃縮・結晶化してできる。米西部によくあるソルト・レイク、モノ・レイクなどの塩湖はその過程のもの。主に大陸の地表近くにあり、地層を成すことも多い。長い地球の歴史では、逆に陸地の幾度もの隆起と沈降が繰り返され、岩塩層の部分がまた海となって塩分が水に溶ける。あるいは気候の変化により降雨の水が流れ込み、湖となり海へ流出する。地球時計を早回しするなら、生物や人類が発生するはるか前から、地球の表面で海と大陸が絶えず流れ動き、変化を繰り返してきた。海の塩と陸の塩は固体と液体に姿を変え、行ったり来たりして

デス・バレー アーティスツ・ドライブ Artist's Drive
インタープリティブ・トレイル、ゴールデン・キャニオン
▲デビルズ・ゴルフ・コース。悪魔のゴルフ場とは絶妙のネーミングだ。立ち入り禁止ではない。むしろ、歩けるものなら歩いてみてという場所。この針の山のような塩原が実際どんな硬さなのか足の裏で感じてみよう
デス・バレー バッド・ウォーター
▲神はディテールに宿る。塩はさまざまな結晶の形をとってデスバレーのあちこちに見られる。このふたつの写真はゴールデン・キャニオンのトレイルで撮影
デス・バレー アシュフォードの金鉱跡
デス・バレー アシュフォードの金鉱跡
▲ダンテズ・ビューからバッド・ウォーターの標高差は実に1,755メートル。ペットボトルもこの通り
デス・バレー 州道178号線
▲デスバレー一帯のすべての水はバッド・ウォーターに集まる。この塩原の地下数センチのところに水が溜まっている
デス・バレー ソルト・クリークのセルフガイデッド・トレイル
▲ダンテズ・ビューから俯瞰し、望遠レンズで見たバッド・ウォーター。小さく見える点が人
デス・バレー ソルト・クリークのセルフガイデッド・トレイル
デス・バレー ソルト・クリークのセルフガイデッド・トレイル▲デスバレーの局所地形は格好の地学のテキストだ。広大な景色から極小の景色へ入っていくと、自分が巨人になったようで実に面白い。スリット・キャニオンができている。まれに降る雨が刻んだ地球への造形だ


Reiichiro Kosugi
1954年、富山県生まれ。学生時代から世界中の山に登り、1977年には日本山岳協会K2登山隊に参加。商社勤務を経て1988年よりオレゴン州在住。アメリカ北西部の自然を紹介する「エコ・キャラバン」を主宰。北米の国立公園や自然公園を中心とするエコ・ツアーや、トレイル・ウォーク、キャンプを基本とするネイチャー・ツアーを提唱している。