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セコイア&キングス・キャニオン国立公園にて(2)

アメリカ・ノースウエスト自然探訪
2012年03月号掲載 | 文・写真/小杉礼一郎

この公園の高みを、ほぼ天空を通っている
ジョン・ミューア・トレイルは、その天嶮に試され
相応しい体と心を持つ者のみ歩くことができる

シェラネバダ山脈東側を通るルート395号線から マウント・ホイットニーを眺める
▲シェラネバダ山脈東側を通るルート395号線から、アメリカ本土の最高峰マウント・ホイットニー14,494フィートを盟主とする4,000メートル級の山々を眺める。空気は鮮烈、景色は壮観のひと言

ジョン・ミューア・トレイル

前回セコイア&キングス・キャニオン国立公園は聖俗ふたつの顔を持つと述べた。今回はその“聖”の面について書きたい。
もし手元にカリフォルニア州の25セント硬貨があるなら、ちょっと裏を見てほしい。ここに描かれている人物がこのコラムで何度か登場したジョン・ミューア(John Muir 1838-1914)※1、アメリカの国立公園の父、自然保護の父と称されるナチュラリストである。彼はヨセミテの谷に住み、長年にわたってシェラネバダ山脈を放浪し思索と詩作にふけった。没後、その偉業を称え四半世紀の歳月と人々の労力を掛けて造られたトレイルがジョン・ミューア・トレイルである。
このトレイルは、アメリカのみならずヨーロッパを始めとする世界中のバック・パッカーあこがれのトレイルとなっている。その北端はヨセミテ渓谷に始まるが、そのハイライトは米本土最高峰のウィットニー山頂に至る、南半分のセコイア&キングス・キャニオン国立公園内にある。
    
ジョン・ミューアに魅せられ、シェラネバダに魅せられ、このジョン・ミューア・ トレイルに魅せられたひとりの日本人がいる。日本のジョン・ミューアこと加藤則芳氏だ。氏は1994年にジョン・ミューア・トレイルの踏破を試み敗退する。捲土重来、翌1995年に日本人で初めて全コース340キロの踏破を果たし、その記録はNHK BS放送でドキュメンタリー番組として放送された。

ジョン・ミューア・トレイル。ヨセミテ国立公園のトゥオルミミドウ付近
▲ジョン・ミューア・トレイル。ヨセミテ国立公園のトゥオルミミドウ付近
カリフォルニア州の25セント硬貨
▲カリフォルニア州の25セント硬貨には、ヨセミテ渓谷(ハーフ・ドーム)とジョン・ミューア、カリフォルニア・コンドルがデザインされている
ヨセミテのハイ・カントリー
▲シェラネバダ主稜線、ヨセミテのハイ・カントリーの景色
セコイア国立公園の東側
▲セコイア国立公園の東側からシェラネバダ山脈の西面を眺める


加藤則芳さんのこと

何からどう書いていいものか、実は隊長は途方に暮れている。が、ともあれ年を追って述べていこう。
1995年にジョン・ミューア・トレイルを踏破した加藤さんは、その経験を1999年7月に『ジョン・ミューア・トレイルを行くーバックパッキング340キロ』という力作にまとめる。同年にその本を読み、隊長は初めて加藤さんの偉業を知った。2005年に、氏はジョン・ミューア・トレイルの10倍以上の距離(3,500キロ!)があるアパラチアン・トレイル※2を約半年がかりで全踏破。その間にも、日本国内各地の山々に出掛け、アメリカにも何度も足を運んだ。ジョン・ミューア・トレイル、ロッキー・マウンテン国立公園、カナダのバンクーバー島、オリンピック国立公園などを精力的に歩き回り、その経験を雑誌や著書で発表し、日本各地で講演した。
2010年7月、隊長は氏とシアトルで出会う。そのことはCaravan#98「ロングトレイルのこと」に書いた (www.youmaga.com/odekake/eco/2010_10.php)。つい最近知ったのだが、実は隊長と会う1カ月前(2010年6月)に加藤さんは自分が難病のASL※3に侵されつつあることを医師から知らされていた。2011年3月に東日本大震災があり、加藤さんはブログに「わたしも動きたい。でも体調問題があり、できない……できる時に、できうることをするつもりでいます」と、のちに読み返すと暗示的な言葉を述べている。カヌーイストの野田知佑さんとの対談を契機に2011年4月、加藤さんは病気のことをブログでも公表した。少し長くなるが加藤さんの言葉を引用する。「(医師の)宣告は、ある意味、死へのプロセスを提示されたことでもありました。……今、すでに杖なしには歩けず、やがて近々車椅子生活になるかと思います。……喋る筋肉、食べる筋肉、呼吸する筋肉は……いずれこれらの筋肉もなくなり、やがて終焉を迎えます。受け入れたくない気持ちは、未だにあります。が、ぼくは、死へのわかりやすいプロセスを提示されたことで、残された人生設計を描きやすくなったと捉え、すでに覚悟を決め、死をも含め受け入れています。これから、できることをできうる限り続けていくつもりです」。症状は医師も本人も驚くほど進行が早いようだ。ブログの入力は人差し指となり、口述となり、2011年7月7日の書き込みを最後として、後は夫人のブログに引き継がれている。(Information参照)

加藤さんの著書『ジョン・ミューア・トレイルを行くーバックパッキング340キロ』
▲加藤さんの著書『ジョン・ミューア・トレイルを行くーバックパッキング340キロ』1999年7月20日発刊
加藤則芳氏(右)と隊長。シアトル・タコマ国際空港にて
▲加藤則芳氏(右)と隊長。シアトル・タコマ国際空港にて、2010年7月のスナップ
仲間に背負われてハイキングのトレーニング
仲間に背負われてハイキングのトレーニング
「加藤さんを山に連れて行きたい! 加藤さんをもう一度ジョン・ミューア・トレイルへ!」。仲間に背負われてハイキングのトレーニング、2011年6月、丹沢にて


ふたつの自然を歩く大先輩 

しかしその時期、失われゆくものと引き換えのように加藤さんの本が相次いで世に出る。大著『メインの森をめざしてーアパラチアン・トレイル3500キロを歩く』は、震災のあおりもあったが2011年7月、出版にこぎつけた。単なる紀行記でなく、日米の自然を存分に見てきた加藤さんの現代社会、文明(特にアメリカと日本)への厳しく暖かい述懐の書である。更に同月、『ロングトレイルという冒険ー歩く旅こそぼくの人生』というエッセイ集が出版された。それについて、加藤さんはこう述べている。
「ぼくの自然への想い、理念、自然観などがふんだんに盛り込まれたエッセイ集です。……本書は自然を歩くぼくの原点ともなる本であり、『メインの森をめざして』は、その実践の極みとも言える本です。その2冊がほぼ同時に上梓されることになり、ちょっと運命的なものを感じています」。
2011年12月に、隊長は東京で加藤さんをよく知るFさんと会い、そのころの氏の様子を聞いた。「首から下は動かないが話はできるので、車椅子で全国を飛び回って講演しているようです」。夫人のブログを見ると、この2月にも東京で1時間半の講演を行なったようだ。
昨年の大震災後の記事、Caravan#106(特別編)「イマジネーションを育てる」(www.youmaga.com/odekake/eco/2011_05.php)に隊長はこういうことを書いた。
「自然にはふたつある。外の自然と内なる自然だ。……もうひとつの内なる自然は、……つまり自分の体だ。命も心もその総体と言える。投薬や手術などで人間がコントロールできることもあるが、できない部分もある。……そして人は、いつか自然にかえる。だから、生きていくうえで折りに触れ、ふたつの自然を通い合わせること、つまり自分の内なる自然と外の自然をシンクロナイズさせる機会があるとしたら幸運だと思う」。
その時は、加藤さんの病のことは何も知らなかった。今でも人の心の深いところはうかがい知れないものだろうと思う。だが、加藤さんは今、生の充実感を感じる瞬間ごとにとても幸せなのではないだろうか。
隊長の大先輩は今、前だけを見てふたつの自然をとことん歩き続けている。
身が引き締まる気がする。

キングス・キャニオン国立公園の西側、ジャイアント・セコイアの林
▲キングス・キャニオン国立公園の西側、ジャイアント・セコイアの林
ウィットニー・ポータルへ登る林道▲シェラネバダ主脈の山容。麓の町ローンパインから登山基地のウィットニー・ポータルへ登る林道から望む
ヨセミテ・バレー▲ヨセミテ・バレーから東側(シェラネバダの主稜線)を望む。シェラネバダの山々は花崗岩の塊


※1 ジョン・ミューア:アメリカの国立公園の父と言われ、ヨセミテのみならずグランド・キャニオン、レニア山の国立公園化にも尽力。一方で環境保護団体「シエラ・クラブ」を作り、自然保護思想の源流をなした。彼の生涯の一面だけを見ると「放浪作家」と言っても良い。アメリカの自然神が人間達に話をつけるために降りてきたような、キリストみたいな人である。フランクリン・ルーズベルトとミューアは、1903年にヨセミテの自然を共に歩き、ルーズベルトはミューアの自然保護思想に深い感銘と啓示を受けた。今日アメリカの西海岸には彼の名を冠した「Muir Hutt(レニア山国立公園の山小屋)」「John Muir Wilderness(シェラネバダ)」「Muir Woods National Monument(カリフォルニア)」などの地名が多い。

※2 アパラチアン・トレイル:米東部から南東に走るアパラチアン山脈をたどる全長3,500キロのトレイル。通過する州は、北のメイン州から南部のジョージア州までの東部14州。

※3 ALS(=Amyotrophic Lateral Sclerosis)筋萎縮性側索硬化症:四肢、ついで全身の筋肉が萎縮し次第に機能が失われていく原因不明の神経系の難病。進行が早く、有効な治療法は確立されていない。ルー・ゲーリッグ病とも呼ばれる。

Information

ジョン・ミューア・トレイル
北はヨセミテ国立公園から、南は米本土の最高峰マウント・ホイットニーまで340キロのシェラネバダ山脈の稜線をたどる、世界的に有名なシーニック・トレイル。
John Muir Trail
www.nps.gov/yose/planyourvisit/jmt.htm

加藤則芳
1949年埼玉県生まれ、バックパッカー、作家。日本国内外の自然を歩き、国立公園、自然公園、自然保護に関しての執筆を精力的に行っている。日本におけるジョン・ミューア研究/紹介の第一人者であり、アメリカのロング・トレイル・トレッキング実践紹介の草分け的存在。『ジョン・ミューア・トレイルを行く』(JTB紀行文学大賞)は、現地を訪れる日本人バックパッカーのバイブルとなっている。著書多数。
加藤氏のブログ「バックパッカー歳時記」
www.j-trek.jp/kato
後を引き継いで夫人が運営するブログ
http://jmt-apt-2011.seesaa.net/

(2012年3月)

Reiichiro Kosugi
1954年、富山県生まれ。学生時代から世界中の山に登り、1977年には日本山岳協会K2登山隊に参加。商社勤務を経て1988年よりオレゴン州在住。アメリカ北西部の自然を紹介する「エコ・キャラバン」を主宰。北米の国立公園や自然公園を中心とするエコ・ツアーや、トレイル・ウォーク、キャンプを基本とするネイチャー・ツアーを提唱している。