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北極圏の道ダルトン・ハイウェイ

アメリカ・ノースウエスト自然探訪
2013年12月号掲載 | 文・写真/小杉礼一郎

アメリカで北極圏を経て、北極海まで至る道は一本しかない。
全長700キロの悪路ダルトン・ハイウェイである。
それはワイルドな世界だ。道も、心の揺さぶられ方も

インサイド・パセージ
▲ダルトン・ハイウェイはアラスカ・パイプラインの建設、保守、点検、資材輸送のため1977年に作られた道

地上最低の「酷道」ダルトン・ハイウェイ

この道は普通の道ではない。過酷なドライブルートである。アラスカ・パイプライン(次ページ参照)の作業道で、1995年に一般開放された。ハイウェイゆえ、信号はない。舗装もガードレールも街路灯もガススタンドもホテルもレストランもほとんどない。ルートの大部分が北極圏にあり、通年霧や雪で視界が妨げられる、夏は陽が沈まず冬は陽が出ない。米国史上最寒のマイナス62℃はここで記録された。道は、1年のうち8カ月は雪に覆われ(=凍結)、短い夏は乾けば土と石のほこりがたち、雨の時はぬかるむ。タイヤが石を踏み抜いてパンクすることがしょっちゅうある。雪崩、洪水、山火事は年中行事で、道路工事、通行止めが頻繁にある。携帯電話もGPSも使えない。車の故障、ガス欠、スタック、パンク、脱輪…、一瞬にして、ぼう漠たる地の果てで途方にくれることが起こる。
 
道は前半、タイガ地帯を延々と北上し、ユーコン河を渡り北極圏に入る。やがてブルックス山脈に入り最高地点かつ難所のアティガン峠(1463メートル)を越える。前後急な山道が続く。山脈から先は、ぼう漠としたノーススロープのツンドラの原野が北極海まで続く。全長700キロの間、南から順に黒熊、灰色熊、白熊も出没する。ツンドラでは夏は蚊の大群が迎えてくれる。

極北の大自然劇場

この「地球上最悪の道」を訪れる人が年々増えている。人々は何に引かれるのか?
 
朝夕夜と美しく高く大きい空は巨大スクリーンだ。その下、見える限り360度の地平線まですべてが舞台だ。出し物は過去一万年以上不変。春、極北は一面の銀世界、かっ歩するジャコウ牛やカリブーの群れ、おびただしい渡り鳥。夏、地平線までツンドラを覆う花々。秋、一瞬の大地の紅葉はこの世の最上のそれだ。極寒の冬、満天の星とオーロラの供宴。
 
地平線から現れ、地平線に消えていく銀色のパイプライン。ここまで登場人物は0。すべて静寂の中で劇は進む。やがて地の果てに現れてくる大油田地帯とそこで働く人々。これは現実ではなく、別の世界のように思えてくる。延々と来た悪路は現実世界から私たちを連れ出す演出なのだと。

そして「ミチィオ…」と

トウヒの木々の間に絞り出すような声でボブは低く叫び、そして続けた「I still miss him」。彼が感情をあらわにするのを2日目にして初めて見た。ボブはミチィオとのことを話す。
 
「晩年の2、3年間にアラスカと米北西部のあちこちを一緒に旅した」。「ポートランドのパウエルズブックスも、シトカのオールドハーバーブックスにも、ジュノーのオブザベイトリーブックスへもよく行った。ミチィオは本屋が大好きだった」。氷河の上で夏にオーロラを見たエピソードなど話は止まらない。星野が逝って17年、ボブの悲しみは続いている。あるいは2人の魂は今も通じ合っているようだ。
 
このインサイド・パセージの旅で星野道夫のエッセイに登場する場所を訪れ、作中人物とも会うことができた。隊長はまるで星野道夫自身とも会ったような気がしている。

隊長のアドバイス

ダルトン・ハイウェイの旅行適期は6、7、8の3カ月。成功のための要素は、計画45% 準備45%、運5%、現場の判断4%、運転1%くらいと考えていい。一番に、堅実な旅程を立てること。道は未舗装路でレンタカーは不可。ジープなどを借りる手はあるかもしれないが自家用車で行くのが現実的だ。つまり、前段としてアラスカ・ハイウェイを通るかフェリーを使うことになる。
 
準備は「情報収集」と「携行品」。情報は、最低限ダルトン・ハイウェイのルールと、最新の道路状況と直前の天気予報をチェックしておく(左記参照)。携行品は、標準タイヤ2本、水、食糧、ジャンパー・ケーブル、けん引ロープ、チェーン2組以上、補修工具、非常時(吹雪など)のキャンプ用品と防寒具。
 
油田のセキュリティ上、一般車の通行は北極海の手前のデッドホースまで。油田地帯と海岸へは現地ツアーの車で行く。これは24時間前までの申し込みなので、早めに申し込むこと。
 
運転の注意は、状況に応じ常にスピードをコントロールすることに尽きる。後ろに別の車につかれたら早めに道を譲る。対向車にはできるだけ右によけスピードを落とす(フロントガラスを守るため)。 

地球のてっぺんなう

世界には危険な道がたくさんある。だがそれらは資金や労力に限りがあったり、治安の問題だったりして、「やむなく危険と隣り合わせ」という道だ。ダルトン・ハイウェイはそうではない。ボトムラインの安全は整備されている。「それでもなおこの道は危険」なのだ。それは地球本来の自然がこの地を支配しているからにほかならない。訪れた人には、ノーススロープに一人立つ時の寄る辺なさが、わかるだろう。「大自然の前に人間は小さい」という陳腐な言葉に初めて素直にうなずける(隊長は「○○の大自然」という言葉の安売りが嫌いだ。アラスカを見ていると、西部の自然は「中自然」だと思う)。
 
ブルックス山脈を越えると、異次元の世界へ足を踏み入れるような高揚した気持ちになる。
 
すでに車はガタガタの泥だらけ、体はほこりまみれでヘトヘトだが、この世のものとは思えぬ、息をも忘れてしまう景色がノーススロープに入ってから広がる。最果て、地の果て、この世の果てまで来てしまったと思う。
 
ダルトン・ハイウェイは「一度行ってみたい」と多くの人が思うが、行ける人はわずかだ。この地の果てまでの遠さがその人の熱意と価値観を試す。それでもアラスカに次いで北西部にいる私達が一番近く、行き易いところにいる。旅の達人は「自然が好きならアラスカは最後に行け」と言う。隊長もそう思う。

 

星野道夫をオマージュしたトーテムポール
▲もうこの世の実感の伴わない、ぼう漠とした北極圏の景色の中に、原油をくみ上げる油井の建物が幾つも建っている。プルドーベイの油田地帯
グレイシャーベイ国立公園に一番近いB&Bのあるじ、ヤン
▲ブルックス山脈を越すと、もう木は一本も生えていない。早春の草を食むカリブーの群れ。ダルトン・ハイウェイの最大の難所、アティガン峠
リトル・ノルウェイ・フェスティバル
▲雪解けのユーコン川を渡る。「この前流れてきた大きな氷にね、カリブーの親子が乗ってたんだよ」と川辺に常駐するレンジャーの談
ジュノー 古本屋オブザベイトリーブックス(Observatory Books)のあるじ、デイィ(Dee)
▲晴れれば土ぼこりがもうもうとたち、雨が降ればドロドロにぬかるむ悪路が延々と続く。地吹雪の時には手前の標識で路肩の見当をつける


墓守りボブ・サム。クリンギット族の語り部かつリーダーとして長く伝わってきた神話を伝承
▲プルドーベイ、まだ氷結している北極海をバックに。このまま北へ向かえば、北極点まで歩いて行ける(はず) 
アラスカ 息子に釣りを教えている父
▲未舗装道を砂利と土埃を巻き上げ、トレーラーが頻繁に行き交う。ダルトン・ハイウェイは北極圏の産業道路だ

Information

ダルトン・ハイウェイ
ダルトン・ハイウェイのあらまし、自然、野生生物のことと、ハイウェイを行く際の諸注意が述べられている。コールドフットに、このルート上唯一のビジターセンターである北極圏ビジターセンターがある。BLM(連邦土地管理局)のサイト
www.metrovancouver.org

■アラスカ・パイプライン
北極海の油田地帯プルドーベイからアラスカ湾バルディーズまで、アラスカを南北に1280㎞縦貫し、石油を送るパイプライン。1977年完成。パイプラインを保守管理しているアリエスカ社のサイト
www.alyeska-pipe.com

■プルドーベイ
ダルトン・ハイウェイの北の終点、北極海沿岸の大油田地帯。アラスカ州政府観光局のサイト
www.travelalaska.com

(2013年12月)

Reiichiro Kosugi
54年、富山県生まれ。学生時代から世界中の山に登り、77年には日本山岳協会K2登山隊に参加。商社勤務を経て88年よりオレゴン州在住。アメリカ北西部の自然を紹介する「エコ・キャラバン」を主宰。国立公園や自然公園のエコ・ツアーや、トレイル・ウォーク、キャンプを基本とするネイチャー・ツアーを提唱する。