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「世界遺産」高邁な理想、低俗な現実(後編)

アメリカ・ノースウエスト自然探訪
2014年07月号掲載 / 文・写真/小杉礼一郎

隠し世界遺産なるものがアメリカにはある。
それもまた現実を見据えた賢いやり方だと思う。
各地の自然とそこを訪れるさまざまな人々の
ふるまいを数多く見てくるとそう思う

ペインテッドヒルズ
▲4色に塗り分けられたペインテッドヒルズ。不思議な光景が広がっている。数年前、山の斜面に人の足跡がつけられてしまった

隊長の懸念

火山が噴火しようが、山火事が起きようが、ピューマがシカを襲おうが、自然だけを見れば、美もなければ醜もない。善も悪もない。それらを感ずるのは人が自然に関わるときである。
 
ネガティブな話題を書くのは気が重いが、以下は隊長の体験である。
 
グレイシャー国立公園のピクニックテーブルで、ランチのときにリスが出てきた。サンドイッチのハムをポンと投げた大学教授。レニア山でトレイルの外に素晴らしいお花畑が広がっている。中へズンズン入り、写真を撮ったカメラが趣味の医者。ニューベリー火山の黒曜石の溶岩台地で、溶岩を石で叩き割って見た厳格な家庭で育った学生。イエローストーンで、トレイルの木道から源泉に下りて記念写真を撮った団体客(とても危ない)。ギンコー化石の森で、化石のカケラを記念に持ち去ろうとした学生(止めた)。日本の郊外の道で、車の窓からたばこの箱も、たばこそのものもポンポン捨てた弁護士。
 
枚挙する例には事欠かない。それを注意する間もなくやってしまう、良識があるはずの人たちの話である。その悪気のなさには途方に暮れてしまう。規則以前、マナー以前の問題だろうか。どこの自然であれ、世界遺産で有名になることへの隊長の一番の懸念はそうしたことである。

世界遺産と米国の姿勢

アメリカの国立公園の始まりは、マナーのレベルどころでない。盗伐、盗掘、盗猟から国民の財産(自然)を守るためにイエローストーンに陸軍が駐屯した。初期のデナリでは食肉用に公園内のドールシープが狩猟され密売されていた。アリゾナの化石の森が国立公園に指定されたのは商業用に大方の珪化木が持ち出された後だった。また、60年代にイエローストーンで観光客へのサービスで園内のクマを餌付けしたのは公園局自身でもある。
 
国立公園の運営を含むアメリカの自然政策は、各時代ごと、各地ごとに、規制、保全、資源開発、観光、地域経済、と対面する課題に暗中模索してきた。国立公園局には二律背反の使命"To present & preserve"がある。つまり、自然を人々に供することと、自然を人々から守ることである。過去から学び、将来を見通し、現実の最善な解を彼らはいつも探っている。
 
世界自然遺産との関係には時代の政権にも左右されてきた深くて長い紆余曲折がある。今の考え方を要約するとこうなるだろう。
 
「アメリカの多様で広大な自然を全く世界遺産登録しないわけにはいかない。すでに登録された幾つかの国立公園は完全に観光地となっている場所があるが、地元経済もあり、それらは仕方がない。観光客は一定の人気スポットにうまく集中させ、オーバーユースに配慮しながら、環境が損なわれないように一般に供する。具体的には駐車場を減らし、一般車の乗り入れを制限してシャトルを導入する。食事や宿泊施設などの園内の収容可能人員を増やさない、あるいは減らす。デリケートな自然には立ち入り制限をする。世界遺産になると国外からの観光客が増えるので新たな申請はしない(アメリカ本土では95年の登録が最後)。National Park、National MonunentはNationのためであってWorldのためではない。アメリカの自然はアメリカが守っていく」。

日本人・ドイツ人

アメリカにおける日本人と世界遺産の関係を読み解く格好の補助線となるのは、旅の求道者として他の追随を許さないドイツ人だろう。アリが砂糖と人工甘味料を感じ分けるように、ドイツの老若男女は「本当に価値のあるもの」を求めてアメリカの自然を訪れている。
 
有名、売れ筋の(=観光業界が売り易い)世界遺産に引かれる日本人は、ドイツ人のような「旅行者」でなく人工甘味料に群がる「観光客」である。
 
ヨセミテではヨセミテへ(1時間)行ったというアリバイ作りのためだけに、サンフランシスコから往復12時間もバスに乗る。イエローストーンではオールドフェイスフル間欠泉を囲むスタジアムに座り、吹き上がりを見たら移動する。グランドキャニオンでは、厳重なフェンスがある展望台にバスが着き、写真を撮ったら移動する。グレイシャーベイではワイルドライフを素通りし、氷河の末端(しかも離れている)で崩落を見たら移動する。
 
まるでブロイラーの給餌のような「旅?観光?」だ。鶏が先か、卵が先か。知名度の低い、アプローチの長い、集客が大変な世界遺産へは、旅行社も旅行者も訪れることを諦めている。
 
若者は若者らしく、年配者は年配者のやり方で本物を求めて歩くドイツ人の旅を見ていると、世界遺産だけに留まらず日本人の生き方や社会の価値観のことまで考えてしまう。

 

セントラルオレゴンのニューベリー火山国定公園にある黒曜石の溶岩台地
▲セントラルオレゴンのニューベリー火山国定公園にある黒曜石の溶岩台地にて。溶岩(=黒曜石)の断面
ブライスキャニオン
▲ブライスキャニオンは世界遺産でなくグランドキャニオンほど観光地化していないが、その美しさに日本からの来訪者が増えつつある
ホー・ペインテッドヒルズ
▲ペインテッドヒルズに常駐のレンジャーを置く予算が公園局にはない。無人の園内を「立入禁止」のサイン一つが守っている
アリゾナの化石の森国立公園では来園者の化石の持出しを厳しく取り締まっている
▲アリゾナの化石の森国立公園では来園者の化石の持出しを厳しく取り締まっている。違反者にはチケットが切られる。275ドルの罰金


イエローストーン
▲12年のメモリアルウィークエンドのイエローストーンにて。カナダから大型バスで何台もの団体客が訪れていた
寒帯からタイガ、ツンドラと垂直分布するデナリ
▲寒帯からタイガ、ツンドラと垂直分布するデナリの植生は「北の動物王国」。手前にドールシープの群れがいる

Information

『ノースウエストで世界遺産を語る』
北西部にある世界遺産と“隠し世界遺産”の紹介記事。04年7月号ノースウエスト自然探訪 Caravan#25
www.youmaga.com/odekake/eco/2004_7.php

■ペインテッドヒル(Painted Hill)
ポートランドの南東約200マイルのジョン・デイ化石国定公園内にあるシュールな原始景観
www.nps.gov/joda

■デナリ国立公園(Denali National Park)
アラスカの国立公園。ユネスコは世界遺産申請してほしいだろうが、公園局はそれを避けたいと考えている
www.nps.gov/dena
■イエローストーン国立公園(Yellow stone National Park)
世界初(1872年)の国立公園にして全米初(1987年)の世界自然遺産登録。熱水現象、野生の楽園が見られる
www.nps.gov/yell

(2014年7月)

Reiichiro Kosugi
54年、富山県生まれ。学生時代から世界中の山に登り、77年には日本山岳協会K2登山隊に参加。商社勤務を経て88年よりオレゴン州在住。アメリカ北西部の自然を紹介する「エコ・キャラバン」を主宰。国立公園や自然公園のエコ・ツアーや、トレイル・ウォーク、キャンプを基本とするネイチャー・ツアーを提唱する。