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ケン・グリフィー・ジュニア選手とシアトル・マリナーズ

※このページは、シアトル・マリナーズに在籍したケン・グリフィー・ジュニア選手の活躍ついて、在籍当時に作成・掲載された記事を基に再構成したものです。
 

ケン・グリフィーJr.の復帰に沸くマリナーズ・ファン(2009年)

  
 90年代のマリナーズの顔とも言えるケン・グリフィーJr.が、ついにマリナーズへの復帰を決めた。開幕すれば、ファンは久々に見る背番号「24」の背中に懐かしさを覚え、当時の思い出を重ね合わせるだろう。彼が昨季101敗を喫したチームにどんな影響を与えるのか。彼の存在には、あらゆる面で注目していきたい。
(取材・文/丹羽政善)※本文中のデータは2009年3月10日現在のものです。
 
  
 

スーパー・スターの帰還

開幕まであとわずかだが、今年の注目はなんと言ってもケン・グリフィーJr.の復帰だ。ただ、もう9年も離れていたので、今シアトルに住んでいる日本人の中には、グリフィーがマリナーズでプレーしていた時のことを知らない人もいるのではないか。そんな人は、2月の終わりに彼がマリナーズと契約した時の熱狂振りを少し冷めた目で見つめていたかもしれない。しかし、彼がマリナーズのユニホームを着て活躍していたことを知る人にとっては、待望の復帰。彼の契約が発表されたその日だけで、1万6,000枚のチケットが売れたそうである。
彼がマリナーズでプレーしたのは、1989年から1999年までの11シーズン。19歳でメジャー・デビューを果たすと、瞬く間にスーパー・スターに。走ることができて、打撃も非凡。さらに守備も優れた好選手に対して、「走攻守、3拍子そろった」という表現を使うが、彼の場合それにパワーも加わり、レッズに移籍してからけがさえしなければ、ベーブ・ルースとハンク・アーロンの本塁打記録を破っただろうと、今でも言われている。

ケン・グリフィーJr.に期待すること

度重なるけがにより、そんな記録の更新は難しくなったが、彼のシアトルにおける存在感は、いまだに色あせることがない。2年前、交流戦でレッズのメンバーとしてシアトルに戻ってきた時は、3試合全部の試合が売り切れ。やはり、かつてマリナーズで活躍したアレックス・ロドリゲスがセイフコ球場に登場すると、いつもすさまじいブーイングが聞こえるが、グリフィーに対しては、打席に立つ度にスタンディング・オベーションが送られた。
さて、そのグリフィーに、もう戦力としての高い期待はかけられないかもしれない。彼も会見で、「40本塁打は無理」などと話していたが、マリナーズとしては、それ以外のことに期待をかけているよう。
例えば昨年、マリナーズはクラブ・ハウスに問題があった。2月に入っても地元紙は、元チームメイトの言葉を引用しながら、「イチローと多くのチームメイトの間には、考え方の違いがあった」などと報じたが、グリフィーには、その溝を埋める役割が期待されているのだ。入団交渉の時にも、そんなやり取りがあったようで、グリフィーはそれを承知のうえで、再び24番のユニホームに袖を通すことを決断したようだ。
グリフィーがクラブ・ハウスの問題に、どうアプローチするのかはわからないが、かつてこんなことがあったそう。オークランド遠征の前に、休養日が1日あった。するとグリフィーは、有名なぺブル・ビーチ・ゴルフ・コースにチームメイト全員を招待して、親睦コンペを開いたという。それを教えてくれたのは、元チームメイトで、現在はマリナーズの解説を務めるマイク・ブラワーズ。「彼は、そういうことができる選手なんだよ」と話していた。

球場に足を運ぶ価値あるシーズン

ファンの中には、「衰えたグリフィーを見たくない」という人もいるようだ。確かに、全盛期を知るファンは、イメージとのギャップを感じるかもしれない。しかしグリフィーは、「それ以外にもできることがある」と、自分の役割を会見で口にして、ある意味、裏方に徹することをほのめかした。
ファンが、そんなグリフィーを望んでいるかどうかはわからないが、おそらく最後になるであろう1年を、マリナーズの選手としてプレーする。それだけでも、ファンは球場に足を運ぶ価値があるのではないか。彼がフィールド上で、どんなプレーを見せ、クラブ・ハウスでは、どんなリーダーシップを発揮するのか。ファンの注目は尽きない。

今月の注目

フランクリン・グティエレス外野手 Franklin Gutierrez 背番号21

©Seattle Mariners

昨年12月、マリナーズは、ニューヨーク・メッツとグリーブランド・インディアンズの3チームで計12人の大型トレードを行ったが、その時、いちばんのターゲットとしてマリナーズがインディアンズから獲得したのがフランクリン・グティエレス。打撃に関しては発展途上だが、守備に関しては、リーグでもトップ・クラスとの評判。彼がセンターに定着できれば、マリナーズが目指す守備野球の柱となり得る。彼の成長は、マリナーズ再建の要でもある。

丹羽政善
『スポーツ・ヤァ!』や日本経済新聞、MAJOR.JP、ESPN.COMなどに寄稿するスポーツ・ライター。
Mariners Updateの執筆は2000年3月より。

 

■2010年5月20日号

奇跡を起こした指名打者ケン・グリフィー・ジュニア。デトロイト・ブルー・ジェイスとの試合2日目

取材・文/金丸千尋

この日はデイゲームなのにも関わらず、観客動員数は20,452人と多かった。対戦相手は、カナダのトロント・ブルージェイズということで、開幕式ではカナダとアメリカの国歌が歌われた。このふたつの国歌が聞けるのはこのトロントと戦う時しか歌われないので、まれなことである。試合開始直後は曇っていた空に光が差し込み、気持ちよくゲームスタート。今日のマリナーズ、#38ジェイソン・ヴァーガスが良いピッチングを見せ、調子の良い滑り出し。だが、さすがシアトルの天候。途中で雨が降り出した。

そんな中、迎えた3回裏、イチローの送りバントのお陰で、マウンド2、3塁という1点リードのチャンス。続く#9ショーン・フィギンズがヒットを放つ。フィギンズはアウトだったが、3塁がホームに戻り、1点リード。

試合は1-0で迎えた5回表、ホームランを打たれ逆転を許してしまう…。この回は何としても、ここで食い止めたいマリナーズ。息の合ったダブルプレーを見せ、1点差で留まった。なんとしても、取り戻したいマリナーズ、5回裏、マウンド1、2塁の場面で、#16ジョシュ・ウィルソンがイチローを真似て、送りバントを狙うが、決まらずアウトになってしまった。これが功を奏したたのか、1、3塁で1点を返すチャンスを逃す。さらに、7回表に、1点追加され、とうとうさらに差を広げてしまった。

ここで、マリナーズはピッチャーを交代。#54カネコア・テシェイラへ託す。7、8回と敵チームの攻撃で危ない面もあったが、ナイスな守備でこれ以上得点を入れさせなかった。

そして、8回の裏、事件は起こった。イチローが盗塁したのだが、際どい判定でアウトになり、普段ほとんどキレたことのないあのドン・ワカマツ監督がキレて退場になってしまった。この退場で選手が闘志を燃やしたのか、最終回に奇跡が起きる!誰もが、1-3で今日も負けると思っていただろう。しかし、#5マイク・スウィーニー、#4ホセ・ロペスのヒット、そして、相手ピッチャーのフォアボールでノーアウト満塁に。次にヒットを打てば、同点か、サヨナラ勝ちだ。そして、ラッキーなことに、またフォアボール。マリナーズが1点取り戻した、

続く#26ジョシュ・バードのヒットで、また1点追加。ここで、#16ウィルソンに変わり、指名打者#24ケン.グリフィー・ジュニアの登場。今季の打率が低いので、私は不安だったのだが、なんとライト側にナイスヒットを放ち、逆転した。

選手達はグリフィーの所へ走って行き、大喜び!
4-3、感動の勝利で勝利を飾った。

残念ながらワカマツ監督は退場になったので駆けつけられなかったが、さぞ喜んでいるだろうと思いながら、私はセイフコ球場を去った。

 

金丸千尋

2006年に渡米。グリーンリバー・コミュニティー・カレッジを卒業後、現在はOPTとして某日本食レストランで働きながら「YOUマガ」編集部でもインターンとして活動中。日本帰国後はマスコミ関係への就職を希望している22歳乙女座O型。大好物はグミ全般

 

ジュニア引退(2010年)

  
 5月に入って事件続発のマリナーズ。オフェンスの不振が大きな要因となって8連敗を喫するなど、チーム状態は弱いチームのそれを象徴する。彼らは今後、本来あるべき姿……開幕前に予想された強いマリナーズに戻ることができるのか……?※本文中のデータは2010年6月15日現在のものです。 
  
 

「半端じゃなかった」存在感

ちょうど今号発刊から1カ月ほど前のことになるが、6月2日、ケン・グリフィーJr.が、突然引退を発表した。
フランチャイズを支えた選手。2000年にシンシナティ・レッズにトレードされたが、今セイフコ球場が建っているのも、チームそのものがシアトルにあるのも、彼のおかげと言って大げさではない。イチローの言葉を借りるなら、存在感は「半端じゃなかった」。
その存在感がシアトルという街、マリナーズというチームにもたらした影響力は、イチローとて及ぶものではなく、今後もその功績はシアトルのスポーツ・シーンで別格の輝きを放ち続けるだろう。

それは、試合後に告げられた

あの日、クラブハウスに入ると、確かに彼はいなかった。いつもは地元記者らを相手に雑談に興じている時間だったが、不在が珍しいかと言えば、必ずしもそうではなく、そういうことは度々あった。よってその時点では、誰も疑わなかったのではないか。ただ、イチローは、「ガレージ(選手駐車場)に着いた時、(いつもなら)ジュニアの車が必ずありますが、なかったんで……」と話しており、球場入りした時点で異変に気付いた選手もいたかもしれない。
試合後、何人かの選手に聞けば、試合前の練習に出る際、すでにクラブハウス内には噂が駆け巡っていたそうだ。ドン・ワカマツ監督が正式に選手へそれを告げたのは、ストレッチのために彼らが外野の芝生に集まった時。イチローもその時に知ったと話している。
その後、ワカマツ監督はまだ1塁側のダグアウト前にいた記者らの前に来ると、全員がいることを確認してから、「今日、グリフィーが引退した」と告げたわけだが、監督が選手らに話している時点で、グリフィーがその場にいないことにはメディアも気付いており、何かあるな、という雰囲気。考えられたのは家庭的な事情で一時的にフロリダに帰った、などというものだったが、すでに引退という可能性を口にする記者もあった。

主のいないロッカー

イチローは、あまりにも唐突な引退に、「整理が難しかった」と話したものの、来るべき時が来たか、という空気もまた、どこかにあったように思う。
グリフィーは、5月中頃からスタメン出場することがめっきり減った。出場してもかつての面影はない。チーム状態が悪化し、若手を起用するようにもなると、彼の出場機会はますます限られていたのだから。
その日の試合は、延長10回にイチローのサヨナラヒットで勝ったが、試合後のクラブハウスにはどこか沈んだ空気が漂っていたことを記憶する。グリフィーについて語る選手の口も重かった。寂し気、という言葉のほうが適切か。
試合前、グリフィーのロッカーにはユニホームなどがかかっていたが、試合後にはもう、すっかり片付けられており、前を通るたびに、選手もメディアも足を止めた。古くからグリフィーを取材している記者などは、どこか感傷的な思いで主のいないロッカーを見つめていたに違いない。
今年2月―キャンプの取材初日、マリナーズのクラブハウスのドアを開けると、目の前にグリフィーがいた。彼は、白い歯を見せて手を差し出した。握手をしたのはその時が初めてではなかったが、それが最後になった。

今月の注目

ダグ・フィスター投手 Doug Fister 背番号58

©Seattle Mariners

6月に入ってから故障者リストに入ってしまったが、開幕してからいちばん安定した先発投手だった。203センチの長身から投げ下ろす球がコーナーに決まる。ストレートは90マイル(約144キロ)前後だが、投げ下ろす角度と制球力で先発ローテーションの座を勝ち取った。登板過多だけが気になる。

丹羽政善
1967年愛知県生まれ。立教大学経済学部卒業。出版社に勤務ののち渡米。インディアナ州立大学スポーツマーケティング学部卒業。シアトルに居を構え、MLB、NBA、ゴルフなど、現地のスポーツを精力的に取材、コラムや翻訳記事の配信を行う。日本のメディアでは、『サンケイスポーツ』『日本経済新聞』などを中心に活動。海外メディアではかつて、「ESPN.COM」などに寄稿している。著書に『メジャーの投球術』(祥伝社)、『MLBイングリッシュ~メジャーリーグを英語のまま楽しむ!』(ジャパンタイムス、4月発売)がある。在米生活は今年で15年目を迎える。