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アメリカ・シアトルMBA留学日記

日本生まれの日本育ち、留学まで海外生活なしの超ドメスティック人間が、MBA留学でアメリカ・シアトルへ。これまでとまったく異なるシアトルでの留学生活の中、日々思うことを気ままに書き綴るエッセイ。

第1回 アメリカでのビジネススクール(MBA)留学と英語力

こんにちは、「たま」です。これから「アメリカMBA留学」というテーマ(本当はこういう、いかにもといった感じは好きではないのですが……)で、まぁ気楽に書いていこうと思います。MBAとは、たまに「マヌケ・バカ・アホ」の略として読んだり、「Married But Available(結婚してるけど体は空いてます)」の略として言ったりすることもあるようですが、元々はMaster of Business Administrationの略で、ビジネス専攻の大学院(ビジネススクール)のプログラムを修了するともらえる修士号のことです。

そもそも僕が留学することになったのは、典型的日本人らしく(?)、留学すれば英語も少しはできるようになるかなぁ、と単純に思ったのがきっかけでした。しかし、ビジネススクールはあくまでビジネスの勉強を(英語で)する場所であり、入学審査では英語の試験の結果や、英語でのエッセイ提出に加え、インタビューも課されます。なので、それなりには英語ができないと入れません。普段日本でまったく英語を使う機会もなければ、英会話学校に行く余裕もなかった僕は、このインタビューを乗り切るために、休日に近所の外人が集まる喫茶店に行って外人と会話の練習をしたり、部屋で想定問答を考えながら夜中にひとりで練習をしたりと、苦労したものです。

そのかいあってか、幸いいくつかの学校から合格通知をもらい、最終的にはここシアトルにあるワシントン大学のビジネススクールに来ることになりました。しかし、ハッキリ言って僕のように日本で生まれ育った純粋ドメ人間だと、合格をもらえたからと言っても、その程度の英語力では全然十分とは限りません。授業は基本的に、毎回膨大な量の予習をこなした上で参加することが前提として進んでいきますし、授業や課題をこなすためには、英語でディスカッションしたりプレゼンテーションをしたり、といったことが求められます。アメリカ人のクラスメートの発言はほとんど何を言っているのかわからず、そうしているうちに議論がどんどん先に進み、だんだんわかる割合が増えてきたとしても、せっかくいい内容の講義や議論をパーフェクトに理解することができないという、もどかしい思いをすることになります。

また、こちらの授業は、日本の大学の授業のように教授からの一方通行の授業でなく、教授の質問に学生が答えたり、学生の質問や意見に教授が答えたりといった、双方向型の授業が行われます。ケース・スタディーでは、学生がもっぱら意見を出し合って議論をし、教授は議論の流れをコントロールするのが中心なので(もちろん最後のまとめなどはありますが)、議論についていけないと、それだけ学べるものが少なくなります。また、こちらの授業では、教授や教材の解説では触れられていない自分の知識や分析を披露したり、学生みんなの理解が深まるような洞察力ある質問をしたり、教授の解説やクラスメートのもっともそうな意見に対して違った観点からチャレンジするような質問をしたりすることが評価されるようですので、そうしたことをするしないで、自分に対する評価が変わってきます。

MBAのプログラムに限らず、アメリカの学生生活ではチームで課題をこなすことが多いので、こうしたチーム・ディスカッションに参加していけないと、辛い思いをすることになります。せっかくビジネススクールに来るのであれば、なるべく英語力を上げてから来た方が良いというのが実感です。とはいえ、普通に日本で過ごしてきた人にとっては、留学準備にあまり時間を費やすのももったいないし、ずっと日本にいて英語ができるようになるのもなかなか大変でしょう。僕も、英語では苦労していますが、その分違った努力をすることである程度カバーしている部分もあります。

僕の場合は、アメリカに来たからと言って英語力がすぐに上がることはないとわかっていたので、とにかく英語で話をすることに慣れることから始めました。学校の飲み会や課外活動には極力参加して、なるべくいろいろなクラスメートと話をし、彼らの人となりを知るようにしました。おかげで英語で話をすることが苦痛でなくなり、クラスやチームでのディスカッションにも参加できるようになりました。また、チームでディスカッションをするような時には、ミーティングの前に自分の考えや分析を予めメモにしてまとめてメンバーに回しておくことで、ミーティングの場で英語で細かい説明をしなくても、自分の考えを理解してもらうこともできます。相手の言うことが聴けることが前提とはいえ、たとえ英語が上手く話せなくても、積極的に自分の思うことを伝えてコミュニケーションを取ろうとする姿勢を持ったり、聴く価値のある、中身がある話をしたりすることがより重要な気がします。

自分もそうですが、MBAのプログラムはすでに職務経験を積んでいる学生が多いので、いろいろな業界や職種、地域から人が集まって来ています。大学時代の専攻もビジネス関連だけでなく、アート、文学、自然科学、医学など非常に多様です。こうしたクラスメートの過去の経験、知識やスキル、あるいは文化や人生経験の違いから来るさまざまな考え方や価値観、人生観などを学ぶことで、自分の視野を広げることができます。また、通常の授業以外にも、企業のプロジェクトを請け負ったり、さまざまなイベントを企画したり、あるいは学生同士でビジネス・アイデアを発展させて会社を興してみたり、などといった面白い課外活動も、やろうと思えばいくらでも機会はあり、自分から新しく始めることも可能です。そういう意味でも、ビジネススクールでは、単に授業を聴いて理解するだけでなく、学生同士から学び、英語で積極的にコミュニケーションを取っていくことが大切だと感じます。

ビジネススクールでの出来事などについては、またこれからおいおい書いていくことにします。

 

第2回 ポジティブ・シンキング

アメリカに来て驚いたことのひとつに、アメリカ人のポジティブ・シンキングさというか、何でも物事を楽しむ姿勢といったものがある。昨年の9月、いよいよMBAプログラムのオリエンテーションが始まる頃、日本人の同級生と話していると、「勉強大変そうだよなぁ……」と不安な話を聞くことが多く、最初は「そんなこと今さら考えたってしょうがないのに」と思っていた自分も、そういう話を聞いているとなんとなく不安な気持ちを感じてしまったりしたものだ。

ところが、初めて会ったアメリカ人同級生に同じように話し掛けると、「わくわくするね。ホント楽しみだよ」なんて答えが返ってくる。「でも、勉強大変そうだよね」などと振ってみても、「そうだね。でも、今まで知らなかったことを学ぶためにここに来たわけだからね。やっぱり楽しみだよ」という話になってしまう。

このことは、僕にとってはちょっとしたカルチャー・ショックだった。確かに、僕も勉強したいことややりたいことがあってビジネス・スクールに来たので、楽しみに思う気持ちもあったのだけれど、どうも日本語で日本人同士で会話すると、そういうポジティブな会話になかなかならない。「勉強楽しみだなー」なんて言うと、なんとなく恥ずかしくなるので、「大変だよなー」という会話に落ち着いてしまったりするのだ。もっともこれは、英語力の問題もある。「アメリカ人の英語にちゃんとついていけるんだろうか?」とか、「こんな分厚い英語のテキスト読み切れるんだろうか?」といった不安な気持ちが先に立つのかもしれない。

ポジティブなアメリカ人の同級生を相手に英語で会話をしていると、そうだよなーと自分も不安な気持ちが和らぎ、やる気も高まってくる。「楽しい」という気持ちを素直に口にすることから来るパワーというものは、なかなかあなどれないものだ。これは、自分の仕事について話をする場合についても言える。クラスメートとビジネス・スクールに来る前の仕事の話をする時、意外とみんな「楽しかった」「大好きだったよ」なんて言葉を普通に使うので驚いた。僕が日本にいた時には、「仕事というものは大変なものだ」という観念を周りのみんなが持っていて、仕事で大変だったり、嫌な思いをしたりしても、「当たり前だ、仕事なんだから我慢しろ」という雰囲気があった。夜の飲み屋は、そういうサラリーマンの仕事の愚痴がまさに渦を巻いているという感じ。自分の仕事を「楽しい」とポジティブに語る人というのは、なかなかお目にかかれなかった。典型的日本人の自分は最初、アメリカ人が言うポジティブな言葉を、ホントかぁ?と思ったりしたものだ。

学校のネットワーキング・イベントなどに参加してみても、みんな自分の仕事について実に楽しそうに語る。そもそも、日本語で「今の仕事はなかなか大変で」などと言われると、あまりポジティブに聞こえないが、英語で「今の仕事はなかなかchallengingだよ」と言われると、ポジティブに聞こえてしまう。こういうふうに仕事をポジティブに捉えて楽しくやっている人達とそうでない人達とでは、クリエイティブなアイデアを生み出すといった点で、結構な差が生じるのではないかという気がしてならない。

例えば、アメリカでベンチャー企業の起業家に会うと、みんな自信とポジティブ・シンキングのオーラを体から発しているように見える。常に前向きに話をしているので、こちらまで元気付けられるものだ。ビジネス・スクールでは、こういう人達が学校に講演に来てくれるほか、企業訪問をして会う機会も多い。まぁ、ベンチャー企業を始めるのに、失敗したらどうしようなんて起業家自身がいつも考えているようでは、とても成功までたどり着けないし、人も付いてこないだろう。

アメリカに留学してからというもの、仕事のようなプレッシャーの少ない生活を過ごしているせいもあるが、自分も日本にいた時に比べて、かなりポジティブ・シンキングでいられるようになった。根拠などなくても、何でもやればできるだろうと思うと、不思議なもので、そのうち大概のことはなんとかなってしまうものだ。こちらに来てから、せっかくなら英語を使ってアメリカで一度ぐらい働いてみたいなぁと思いつつ、いろんな人と会って話をしていたら、ついに先日、うちでインターンとして働かないかという誘いをもらうところまできた。ここの会社で働くかどうかまだわからないが、つい半年前の英語を話さなかった自分を思えば、ずいぶん進歩したものだ。でも、やればできると思わなければ、きっとこの話はなかっただろう。そう考えると、ポジティブ・シンキングでいることはやはり大切である。

 

第3回 MBAプログラムで体験した中国研修

冬学期の期末試験が無事終わり、もう春休み。自分は学校の授業で中国研修旅行に参加し、北京・西安・上海・杭州に2週間ほど行って来た。中国にはすでに2回行ったことがあったが、団体で、しかもアメリカ人と一緒に旅行するというのは、自分にとって初めての経験である。今回は、その中でアメリカ人に対して感じたことをいくつか書いてみたいと思う(もっとも、サンプルに偏りがあるので、すべてのアメリカ人に当てはまるわけではないと思うが)。

  1. アメリカ人はとにかく体力がある
    これは人にもよるのかもしれないが、みんな毎日のように朝から夜までアクティブに過ごしていた。日中は企業訪問などをしていたため、観光などをする時間がそれほどなかったせいか、フリータイムも必ずどこかに出掛け、夜も食後も毎晩バーに飲みに繰り出したり、買い物に出たり(シアトルよりも比較的夜遅くまで店が開いている)。何日間かの旅行だったら話は別だが、さすがに2週間も毎日彼らに付き合っていると疲れてしょうがない。自分は、ときどき別行動して体力をセーブしていた。
  2. アメリカ人も何気に買い物好き
    普段はあまり買い物好きには見えないが、旅行中はよく買い物をする。ショッピング・センター、マーケットに行っては買い、土産売りに声を掛けられては買い、といった調子である。ブランド・ショッピング好きな日本人とは少し違うかもしれないが、それにしても、アメリカ人がこんなに買い物好きとは、今まで思いもしなかった。まあ、中国の物価が安いとか、アメリカ人にとっては珍しいものが売られている、という心理も働いているかもしれない。
  3. アメリカ人も写真は撮る
    旅先でカメラをぶら下げているのは日本人、というイメージが一時期あった気がするが、実はアメリカ人も写真を撮る撮る。とにかく、あっちに行っては写真を撮り、こっちに行っては写真を撮り、という感じ。でもまさか、訪問先の企業のロビーでまで、記念写真を撮ろうと言い出すとは思わなかった(毎回そんなことをしていた訳ではありません。念のため)。
  4. アメリカ人は辛いもの好きが多い
    シアトルでアジア系の料理の店に行くとなんとなく想像はつくが、アメリカ人はやはり(?)辛いもの好きが多いようだ。北京や上海にいるのに、なぜか四川料理の店に行きたがり、やたらとスパイシーな料理を注文したがる。点心などを食べていると、そんなに使うか?というほど、ラー油をガンガン使う。まぁ、嗜好は人それぞれには違いないが、繊細な味わいはわかりにくそうだ。

こんなことだけ書いていると、一体何をしに中国まで行ったのかと思われるかもしれないので、少しまじめな話もしよう。アメリカにいると、自由主義経済が当たり前でもっともな仕組みのように思われがちだが、中国のような国に行っていろいろ人と話をしていると、実はそうではないと実感する。アメリカのビジネス・スクールの授業では、アメリカなど、高度に発達した市場での競争を前提とした授業が多いが、世界がすべて一緒ではないし、そう簡単にアメリカ型の市場・ルールに変わっていくこともない。

中国はWTO加盟もあり、改革が進んでいるはいえ、ビジネスにおける政府の関わりは未だ強い。そのため、中国市場で成功するにはまず、ガバメント・リレーションズが重要であると言われる。また、合理的な判断よりも人間関係を重視する文化があるため、いいモノ・サービスを提供するよりも、中国人との人間関係を築くことが必要とされる。そのうえ、昔から法による統治ではなく、人による統治がなされてきたという歴史がある国なので、ルールや法律の整備は未だ不十分で、たとえ整備できたとしても、広大な国の中、全国津々浦々まで中央政府の目が行き届く訳ではない。

もちろん、中国は今後さらに市場経済化が進んでいくと思われるが、アメリカのように移民が新大陸を開拓しながら形成した国と違い、長い歴史と文化を抱えた国が経済の仕組みを変えることは簡単ではないだろう。アメリカの自由主義は、効率やイノベーションの創造といった点では優れたシステムであり、アメリカのMBAで学ぶそうした手法は、なるほど合理的だと感じることも多い。しかし、それがほかの国(中国、あるいは日本など)でもすべて通用するかというと必ずしもそうではないことを改めて実感させられた研修旅行であった。

なお、MBAのプログラムでは今後、世界各地域の事情を踏まえ、どうビジネスを行うか、ということを考える授業があるという。

 

第4回 学業と就職活動の両立

ビジネススクールというのはビジネスについて学ぶ場所だと思っていたが、実際来てみると、勉強もさることながら、就職活動が相当の割合を占めるようである。

授業が始まった秋学期の頃は、まだ最初の学期ということもあってか、みんな授業にきちんと出ていた。課題がチーム単位で出されることが多いため、チーム・ミーティングも頻繁に行われていた。しかし、年が明けてから就職活動が本格化し出すと、クラスの中でもポツポツと欠席が目立つようになり、チーム・ミーティングの回数もだんだん減ってきた。今学期になってからは、みんな集まる時間がないせいか(要領を覚えたせいか?)、あまりミーティングをやらずにメールのやり取りだけで終わらせてしまうことも多い。せっかく同じチームになっても集まる機会が減っているのは若干寂しい気もするが、みんな面接などで忙しいので、ある意味仕方ないかなとも思う。

日本も似たようなものだが、アメリカでの就職活動というのは、なかなか手間も時間も掛かるものである。授業の開始早々、自分が何をやりたいのか考えて、志望の職種、業界、会社などを絞り、レジュメやカバー・レターを準備する。その一方で、学校で行われる会社のセミナーに参加したり、ネットワーキング・イベントに出て企業の人とのネットワークを広げたり、希望の会社に出願書類を送ったり、といったことを徐々に進めていく必要がある。そして、年が明けてからは面接の練習などもしないといけない。学校のキャリア・センターで求人を見つけ、これに応募して書類選考を通過すると、面接に何度も呼ばれ、受かればオファーをもらえることになる。

ある程度有名な企業のインターンシップを獲得しようと思うと、同じ学校内だけでなく、全米のビジネススクールの学生と競争しなくてはならない。地元シアトルの企業に絞ったとしても、クラスメートとの競争だけで厳しい。特に、留学生の場合は英語のハンデもあるため、学校の授業の準備にも時間と労力を要することに加え、アメリカに永住権のない留学生を採用する企業が減っているため、就職先も限定されることになる。そしてもちろん、留学生に門戸を開いている企業でも、アメリカ人学生や他の留学生との競争になる。学校に来ている求人募集や企業のウェブサイトにただ応募するだけでは、面接に呼ばれる可能性は高くない。

このため、アメリカ人学生もしていることだが、ネットワーキングの機会には積極的に参加して、企業や業界についての情報収集などをしながら、興味のある企業の人を見つけ、自分を積極的にアピールし、その後もメールや電話などでフォローする必要がある。また、たとえ自分の興味のある企業が公式に求人を行っていない場合でも、こういうところでコネを作って頼み続けると、インターンとして受け入れてもらえる場合もあるのだ。一つひとつのネットワーキングは仮に役に立たなかったとしても、短い時間でいかに自分を売り込むかを考えて会話をするので、それ自体が面接の練習になるし、初対面の人とでも円滑に会話をすることはアメリカで生活する上で必要な技術だ。そういう意味でもネットワーキングを続けることは重要である。

アメリカに来たばかりだと、ネットワーキングの重要性やアメリカ文化への理解が乏しいため、ただでさえ学校が忙しい時に時間を作って参加して、その割には企業の人ともうまく会話が続かなかったりすると、「忙しいのに何のためにこんなことをしているのか」と空しく思えることもある。だが、ますます競争が厳しくなっているアメリカで仕事を見つけるためには、結局こういうところでの人間関係がものを言うようだ。卒業生などいろいろな企業の人と話をしてみても、いい就職先を見つけたかったら、ネットワーキングなどの就職活動をきちんとやれと、みんなが口を揃える。

こんなことを書くと、ビジネススクールでは勉強そっちのけで就職活動ばかりしているように思われるかもしれないので、少し補足しておく。周りのクラスメートを見ていると、確かに授業にいなかったりチーム・ミーティングに来なかったりといったことがあるのだが、他方で、授業ではそれなりに発言もしているし、試験を受ければそれなりの点をとっているようなので、勉強をしていない訳ではない(元々、一定以上の能力の持ち主が集まっているということもある)。また、スポーツ大会や飲み会などのイベントに積極的に参加する人も多い。やはり、就職活動も、学業も、遊びも、要領よく両立してこそ“できるビジネス・パーソン”ということなのだろうか?

 

第5回 ノース・カスケードの休日

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食事を取った湖畔の風景

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橋を渡れずに引き返す。残念!

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辺り一面、雪で覆われていたレイニー・パス

シアトルはいいところだけど雨が多いのがねぇ……なんていう話を聞いていたが、実際来てみると、今年は特別なのか晴れの日がかなり多い! おかげで毎日いい気分で過ごしていける。ただ、あまり天気がいいと、ついつい外を出歩きたくなるので、勉強にはあまり良い環境ではない。おまけに日が長いので、暗くなってから勉強を始めると、どうしても寝るのが遅くなってしまうという悩みがある(笑)。

自分が通うワシントン大学の南側や、近くにあるガス・ワークス・パークなどで、ユニオン湖の景色を眺めながら日向ぼっこしたり、自転車で走り回ったり、昼寝をしたりしていると、まるで避暑地にいるかのようで、シアトルに来て良かったなぁと思う瞬間のひとつである。これで勉強さえなければなぁとも思う(勉強も実は結構おもしろいのだが)。

前にも書いたかもしれないが、この学校の1年目は授業が週5日ある。授業の予習やインターン探しなどをしていると、休日に遊べる時間はあまりない。ただ、春学期の後半になると、必修科目がなくなって選択科目だけになり、授業も週4日になるので、遊びや課外活動に充てられる時間も増えてくる。2週間ほど前、試験が終わって3連休になったのを機に、ノース・カスケード国立公園までドライブ&ハイキングに出掛けた。当日は朝早く起きて車で出発。I-5をバーリントンで降りて、森林の青葉がさわやかな川沿いを進む、3時間強のドライブ。青空の下、緑は若々しく、静かな湖などもあり、心が洗われるかのような感覚を覚える。以前行ったことのある、ヨーロッパ・アルプスを思い出す光景だ。一緒に行った友人も感激していた。こういう場所に来てみると、やっぱりもっと出掛けないとな~、という気分になる。そもそも自分がシアトルの大学を選んだ大きな理由のひとつとして、「アウトドアを満喫できる」ということがあった。それなのに、これまでそれほど出掛けておらず、これじゃぁシアトルに来なくてもそんなに変わらなかったかも、と思っていたところだったので、なおさらそう感じたのかもしれない。

朝食が軽かったせいか腹も減ってきたので、湖畔のトレイル起点に着いたところで、早めの昼食を取る。パンにハムを挟んでサンドイッチにしたり、果物を食べたり、と非常にシンプルな食事だが、景色のいい場所での食事は何を食べてもうまい。小腹を満たしていざ出発。森の中を歩いていると、まさに“森林浴”という言葉がぴったり。ところが、肝心のハイキングの方はというと、30分ほど歩いたところで橋が流されており、さらに目の前の標識を読むと、この先20分ほど行ったところにある橋が昨年流されてしまっていてその先は行けないよ、という内容が……。うぅ、残念。

車まで戻ってみたものの、まだ時間もあるということで、とりあえず国道20号線を上ってドライブ。次第に雪をかぶった山も見えるようになり、ますますアルプスさながらの風景。レイニー・パスまで着くと、道の両側はまだ雪が残っていて、とてもハイキングするという感じではなかった。ここからさらにワシントン・パスまで行けるが、少し時間が掛かりそうだったのと景色も雪ばかりで単調だったので引き返すことにした。

途中、展望台のような景色のいい場所で休憩し、さてどうするかなーと思いながらガイド・ブックを読んでいると、どうやら露天温泉があるらしいことを発見! そういえば日本を出てから温泉入ってないよなー、久しぶりに入りたいなー、ということで友人とも意見が一致した。途中から道路の舗装がなくなって、山道を車でゴトゴトと走りながらも、期待に胸が膨らむ。が、どんなに探しても温泉への入り口が見つからない。仕方なく、辺りを少しうろうろと散策してから帰ることになった。

そんな訳で、全然予定通りにはならなかったハイキング&ドライブ。でも、自然を満喫し、リフレッシュできた1日だった。来月から夏休みだし、これからの季節、ノースウエストの自然を満喫するのが非常に楽しみである。

 

最終回 ビジネススクールの1年目を振り返って

早いもので昨年留学してからもう1年が経とうとしている。あまり大したことを学んでいないような気がする一方で、実にいろいろなことを学んだような気もする。

ビジネススクールの1年目というのは、まず、企業経営に関わる上で知っておくべき基礎科目を学ぶ。ビジネススクールは大学院ではあるものの、学部時代の専攻や職業経験もさまざまな学生が集まるので、最初はどの科目も学部レベルの基礎から始まる。このためか、どうしても広く浅い学習になりがちで、大学院ということから期待されるほど深い知識を得た気がしない科目も多い。

とはいえ、これまで日本で過ごしてきた自分にとっては、すべてが非常に体系的かつ合理的であり、わかりやすい。驚いたのは、これだけの膨大な企業経営に関する知識・手法の一つひとつが、論理的に整理された形で教えられることについてである。日本企業でそのまま働いていれば、オン・ザ・ジョブ・トレーニングで、これだけの知識をこれだけの短期間に習得する機会が果たしてあったかどうか……。もちろん、現場で学ぶ知識が無駄だと言う訳ではないが。他方、米国では全米各地でこうしたビジネス教育が行われ、社会に共通の知識として普及している。

しかも、こうした知識は、単なる机上の空論ではなく、実際に企業の実務でも活用されているのである。また、米国に来る前は、ステレオタイプな米国式経営と日本式経営を対比させ、日本的経営を礼賛する論調も見かけた。しかし、米国のビジネススクールでは、日本の経営に見られるチームワークや長期雇用、金銭以外のモチベーションの重要性なども教えているし、米国の優れた企業もまた、日本式経営の優れたやり方を取り入れている。自分は米国賞賛主義者では決してないが、日本企業も米国の優れたやり方をもっと学んでいかないと、日米の格差はどんどん開いていくのではないか、とも思われる。

ビジネススクールにいると、授業で学んだ知識を企業とのプロジェクトで活かす機会にも恵まれる。時に学校の授業に飽きてしまうことがあっても、米国ビジネスの現場での経験、刺激も得ることができ、これは非常にためになった。自分の場合、とある企業のマーケティング・プランの立案や、さらに別の会社の新事業立ち上げのビジネスプラン作成にも携わることができた。

この留学で、自分自身の視野は格段に広がったと思う。日本では旅行以外で外国人と知り合う機会はほとんどなかったが、ここでは中国、韓国、台湾など、日本から近くてもあまり馴染みのなかった地域の人達から、南米、東欧など、これまで本当に縁のなかった地域の人達とまで交流することができた。また逆説的だが、英語でいろいろな人と交流できるようになるにつれ、英語だけでは十分交流できない世界がまだまだたくさんあることもわかったので、2年目は仕事や学校の合間に英語以外の言語の習得にもチャレンジしたいと思っている。

そんな訳で、全然予定通りにはならなかったハイキング&ドライブ。でも、自然を満喫し、リフレッシュできた1日だった。来月から夏休みだし、これからの季節、ノースウエストの自然を満喫するのが非常に楽しみである。

学校に限らず、シアトルでの生活で学ぶこともある。同級生の家の湖畔の別荘でパーティーをしたり、気軽にカヌーや釣り、ハイキングなどを楽しんだり。湖でボートを楽しむ人達を見ていると、こういう生き方もあるんだなぁということをしみじみ感じる。会社で働く人や同級生を見ていても、概して仕事を楽しそうに語る人が多い。まぁ、アメリカ人は何でもポジティブに物事を言う人が多いが、こういう姿勢やライフスタイルは、これからも参考にしていければなぁと思うのである。

こうして書いていると、この1年、素晴らしいことばかりのようにも見えるが、必ずしもそればかりでもない。周りの学生はビジネスの実務経験がそれほど長くない(2、3年程度、5、6年程度が多い)せいか、自分のように実務経験を積んでから行くと、議論をしていても深みがなく、おもしろくないと思うことも多い。また、英語力で自分の考えをうまく表現できない自分に嫌気が差したり、アメリカ人中心で自分がマイノリティーであると感じざるを得ない環境や、ほとんどアメリカの実例ばかりが扱われる授業に不満を感じたり、といったこともある。これは、うちの大学に限らず、アメリカの大学であれば多かれ少なかれある現象かもしれない。ただ、学校の外を見れば、いろんな機会が転がっているし、こうした環境をいかに克服するか模索することで、学べたことも多い気がする。

「留学日記」は今回で終わりにしたいと思いますが、私の留学生活はこれから2年目に突入し、まだまだ続きます。ワシントン大学のことなど、何か知りたいことでもあれば、メールでもいただければと思います。これまでお読みいただいた皆様、どうもありがとうございました。