シアトルの生活情報&おすすめ観光情報

いじり放題USA


「つよく・あかるく・たくましく」をモットーに生きる 凹まぬジャパニーズが、アメリカをいじる暴挙に出た! 2年前に終了したゆうマガ人気連載「みるちゃんみるみる」のおかあちゃんこと、いじりめぐみさんの愉快・痛快エッセイ。

目次

第1回 「肥満USA」

「うわー久しぶり!」
「誰、あんた?」
(10年ぶりの友人、赤の他人に変貌)
 
「この写真の方、どなた?」
「わたし」
「え!!」
(来客、凍りつく)
「出されたものは残さず食べろ」との死んだばあちゃんの教えを忠実に守り、大盛り天国アメリカでもひたすらたいらげ続けて早9年。わたしは、肥えた。おおいに肥えた。
 
だから「アメリカ前」と「アメリカ後」のわたしったら、同一人物とは思えない。あまりの変貌ぶりに、死んだばあちゃんも「残せー! もう食うなあ!」と草葉の陰から叫んでいるだろう。しかし、もともと負けん気が強いわたし。
 
「これぞアメリカン、食ってみやがれ!」と、どーんと挑戦的に突き出される大盛り料理は、ぺろりとたいらげずにはいられない。アメリカ人夫が降参した肉の塊や、ケーキの山を制覇した時の達成感は何事にも代え難い。ウエイトレスのたまげた顔を見るのもまた楽し。しかし、アメリカ人に勝つ喜びと引き替えに失った……、いや、いただいたのが脂肪である。気が付けば、その量、じつに30ポンド!
 
「なぜおまえはそこまで野放しに太り続けてしまったのか」
 
日本在住の皆さまは、「アメリカ後」のわたしの姿に目を丸くするけれど、当のわたしにゃ「ヤバイほどでぶ」との危機感がない。でぶ大国アメリカでは、日本のように「13号」を境に人種差別される心配もない。でかい服はいくらでも手に入る。その上この国では、国民半数以上がでぶ宣告を受けている。でぶはメジャーなのだ。わたしは、アメリカで「メジャーでぶー」を果たした数少ないアジア人のひとりなのだ。これは、表彰ものであろう。
 
そして、わたしの「危機感なきでぶ化」を支えてくれたのが、周りの「見事なでぶ」の皆さまだ。「見事なでぶ」の皆さんは、セイフコ・フィールドや、キー・アリーナに出没するのがお好き。のしのしとアイルをやって来て「え? うそでしょ? ここ座るの? そいつは無茶だ!」との近隣観客の心配をよそに、どでかいお尻を標準サイズのシートに押し込むので有名である。
 
「どうなるんだろう……」。目を丸くして見つめる観客の視線の先では、どでかいお尻がシート両脇の肘掛けにつっかかりながらも強引に押し込まれていく。するとあら、不思議。ぶよぶよの脂肪は肘掛けに一瞬つっかかりながらもぶにゅーっとバーバパパのように形を変え、肘掛けを突破し末広がりに隣席を侵食してシートに収まっていくのだ。
 
肘掛けが腰骨に食い込んでいて見ているだけで痛そうだが、当の「見事なでぶ」さんは境界線をはみでた迷惑な自分の尻などしりませーんと、ガーリックフライにケチャップをべちゃべちゃかけて幸せそう。こういう見事な方々がわんさかいらっしゃるので「わたしはまだまだ安心だ」と気を許してしまうのだ。 ここ数年の「ローカーボ・ダイエット」(炭水化物を抑えるダイエット)ブームで、でぶ絶滅か!と危ぶまれもした。肉や魚食べ放題、高脂肪どーんとOK!というこの夢のようなダイエットで、アメリカ中のでぶが面白いほど減量に成功したのだ。しかし、絶滅は逃れた。やせたでぶはいい気になってご法度のパスタやパンやビールに手を出し、異常なリバウンド効果を発揮。今まで以上の「見事なでぶ」に成長していったのだ。
 
「あー、でぶにも疲れたなあ」
「やせちゃおうかなあ」
 
最近弱気になることが多いわたし。しかし、せっかく手にした「アメリカ・メジャーでぶー」の栄光。みすみすギブアップするのももったいない。もうしばらくは、現役でぶでがんばろう。
 
(2005年9月)

第2回 「シアトルっ子とサングラス」

江戸っ子として生まれ、浜っ子として育ち、どうやらシアトルっ子として老いていく運命のこのわたし。ならば第3の故郷シアトルのことをもっと知っておかなくっちゃねと、ここ数年ずいぶんとシアトルネタを仕入れ、教養を身につけている。
 
「シアトルってー、雨地獄ってイメージでしょー、だけど年間降水量はマイアミより少ないのよー」とか「520ブリッジは世界一長いフローティング・ブリッジなのよー」とか、若いニイチャンをつかまえてはうんちくを自慢し、ナンパしまくってまいりました(成功率ゼロ)。
 
わたしの仕入れたネタによると、「シアトルっ子」とは、高学歴(全米一大卒が多い!)で、カフェイン中毒。映画と読書が大好きで、オタクもいっぱい。だけど、アウトドアもどんとこいー!っの、文武両道のおりこうさん。老人ホームに入試があったら、こんなの相手じゃ、わたしは何年も浪人だ!と、シアトルでの老後を憂えているのだが、老後のライバルの行動でひとつ気になることがある。それは、彼らがサングラスを大量に買い込んでいるということ(これまた全米一!)。
 
ファッション下手のくせになぜ? サングラスは投資になるのか? シアトルっ子の目は虚弱体質でサングラスが必需品なのか? それともシアトルっ子はすでにボケて忘れんぼうになっていて、サングラスをなくしまくっているのか??
ここ数年、謎だったシアトルっ子とサングラスの妙な仲。だが先日、その謎が暴かれたのであった。
 
「ママ、でかいの出た」
 
あるよく晴れた夏の昼下がり、3歳の娘が便所で叫んだ。大きい方は自己処理禁止。出したら動くな!と娘には教えてある。自己処理初心者の手や尻に付着したブツが壁やタオル、廊下などにこすりつけられ、我が家は汚物の御殿と化したことがあるからだ。以来、わたしは毎日娘の尻を拭いている。方法は、便器に腰掛けた娘の頭をわたしの股ぐらで押さえ付け、娘の体の上に覆いかぶさりながら拭いてやるというもの。これだと娘は降参し、じたばたできず、お尻も全開ですっきりきれにいになるのだ。
 
わたしは「流しながら拭く」といったハイレベルな技も身につけた。「出た!」ら、すぐ「ジャー」。便器に顔が異常接近しながらの作業も、これだと臭いが気にならない。そして1回の「ジャー」で、すべての過去を水に流す。出戻り、2度流しはご法度だ。このMyこだわり必殺技もちょちょいのちょいでこなせるようになっていたその日、事件は起きた。
 
「ジャー」
 
水流発生と共に、いつものように降参して尻を預けた娘の体に覆いかぶさった瞬間に! なんと! わたしの胸元に引っ掛けてあったサングラスが、便器にまっさかさまにダイブしていったのだ!
  
「チャポーン」
「うわあああああ!!!」
 
水の早流し技が災いし、手を突っ込む暇もなくサングラスはキュルルルル、グガガガガと便器の中に吸い込まれていってしまったのだ。呆然と便器の前で立ちつくすわたし。わたしのサングラスは、短かった一生を娘のウンコと共に終えたのであった。
 
「なるほど。そういうことだったのか」
 
大好きだったサングラスとの突然の別れに悲しみながらも、やっとわたしの謎が解けた。水に囲まれたシアトル。シアトルのサングラスは、こうした水没事故でお亡くなりになっているのだ。シアトルの海底、湖底、下水処理場が、サングラスの墓場なのだ。
 
「シアトルっ子がなんでサングラスを大量購入するか知ってるー?」
 
胸元に新しいサングラスをちらつかせて、今度はこれでナンパしてみよう。
 
(2005年10月)

第3回 「サンクスギビングのバカ」

「キエー!」
アメリカ中の農家で七面鳥の皆様が大量虐殺される季節がやってきた。
 
「キエー!」
それはまた、シートベルトにくくられて荒れ狂う子供達が大量発生し、北へ南へ人民大移動する季節でもある。
 
そう、もうすぐサンクスギビング。アメリカ中で人々は親族の皆様と1羽の七面鳥を頂くために空路、陸路、はるばるお出かけしちゃうのだ。
「キエー! キエー!」
 
今年は大人もたまらず悲鳴を上げている。なんてたってガソリンがバカ高い。お出かけするには今までの倍近くのお金がかかる。なのに、ああ、それなのに、アメリカ人は近所のスーパーで叩き売り状態の廉価な七面鳥には目もくれず、大枚はたいて故郷の七面鳥めがけてまっしぐら。たかが木曜日が休みになるだけのホリデーなのに。ただひたすら食べまくるだけのホリデーなのに。「おまえらバカか?」と、毎年思う。
 
サンクスギビング「バカ」大量発生の元凶は、じいさんばあさんにある。全米の年老いた親達は、ホリデー・シーズンが近づいた今、腹筋、背筋、ジャンピング・ジャックスもできちゃう元気な体をなかったことにして、もうろくじいさんばあさんを演じるのに大ハッスル。
 
「ゴホン、ゴホン。もう老いぼれだから今年が最後かも知れないのー」の名演技で、巣立っていった子供達の召喚に忙しい。子供達はそれぞれの家庭で七面鳥をたいらげる計画があるというのに「だってわたしもうすぐ死ぬのよ」攻撃を前にNOと言える策もなく、へこへこ旅支度を始める。飛行場を埋め尽くし、ハイウエイを渋滞させる「バカ」はこうして生まれるのだ。
 
我が家の「老いぼれ」も立派な役者。「あんたのお父さんはね、もう長くないのよ」と、ばあさんは「じいさんもうすぐ死亡説」をでっちあげ、「ってことでサンクスギビングはカリフォルニアで開催決定!」と毎年地元開催を宣言する。
「わかったよ、ママ」
 
笑顔で答えるうちのバカ。
「もう10年もこれだぞバカ!」 「だってもう死んじゃうんですから」。ばあさんの演技に毎年だまされ続けるバカバカバカ!
 
じいさんは、いたって健康だ。ヨットを乗り回し、いつ会っても真っ黒に日焼けしている。
「死ぬんじゃなかったの?」 「はあ?」
耳だけは遠いけど。
 
去年の旅はひどかった。ばあさんの七面鳥ごときのために飛行機代を払うのはバカらしいと、家族4人は陸から七面鳥を目指した。朝4時半に寝ている子供達をそのままカーシートに押し込んで野を越え山を越えひたすらI-5を南下。
「もう降ろせー」 「お尻が痛いー」 「おしっこもらすぞー」 「ぎえええええええええ」
 
泣き叫ぶ子供達をだましだまし膀胱破裂寸前、ガス欠ぎりぎりまで休憩をせず、地獄の監禁旅行14時間。精神的にも肉体的にもヘロヘロになってバタンキュー体勢のわたし達を待っていたのは、薄っぺらいエアマットレス……。そこで4人で雑魚寝して、ばあさんの塩っ辛い七面鳥にインスタントのグレービーをかけてテーブルを囲み、そしてまた泣き叫ぶ子供をカーシートに押し込み14時間の旅……。
 
移民の皆様が新天地アメリカでの初めての収穫を感謝したことから始まった「感謝」するホリデーは、今や財政的精神的苦痛を被り、人間の限界に挑むサバイバル・ホリデーになっている。各地で天災が続き、ガソリンも不足している今年のホリデー・シーズンは「七面鳥は我慢してチャリティーに寄付します」宣言をしてみたが、今年もやっぱりじいさんはもうすぐ死んでしまうらしい。
 
「わかったよ、ママ」
今年も我が家は、サンクスギビング「バカ」に名乗りを挙げた。いつになったら「バカ」を卒業できるのか……。あーあ、シアトルで七面鳥が食べたいよー!
 
(2005年11月)

第4回 「説教テレマーケター」

「お宅の車の窓ガラス、格安で直しますよ」
「割れてないってば!」
「クレジットカードの事前承認がされました」
「勝手にするな!」
「アリゾナの旅が当たりました!」
「なんで応募もしてないのに当たるんだ!」
 
今日もひっきりなしにかかってくるおせっかいな電話。電話の主はテレマーケター。朝、だらだらごろごろしていたい時。昼、ゆっくり便所にこもっていたい時。夜、乱闘する娘達のレフリーをしながら夕飯の準備をしている大忙しの時。そういう「誰にも邪魔をされたくないモーメント」に奴らはリンリンと攻めて来る。
 
若かったころは、「なんだかわかんないけど当選だあ!」とうきゃうきゃアリゾナへの旅のプランを立てたこともある。しかし、事前に3時間のレクチャーを受けろだの、ゴルフクラブを買えだのの押し売り攻撃をお見舞いされた。立派な中年になった今、そんな嘘くさい話なんぞには動じない。わたしは、テレマーケターに容赦はしない。
 
「『まぐむ』はいるか」なんて人の名前を発音もできない不勉強な電話の主には「わたしの名前はめぐみちゃんでーす」と笑顔でガチャン。「奥様、こんばんは、お元気ですか?」と自分の正体を明かさずにだらだらしゃべる奴には無言でガチャン。「ハーイ、僕デービット。あなたのローンは高過ぎるんじゃないかなあ?」の能天気な録音電話には、「ふざけんなー」と怒鳴ってガチャン。毎日こうしてテレマーケターを一蹴している。
 
しかし、先日ツワモノに出くわしてしまった。
 
リンリンリン……。電話は日曜日の昼下がり、「TVでフットボールを見ながらビールを飲む」といったアメリカ中年の至極のひと時を堪能していた最中にかかってきた。「おめでとうございます!Mデパートのギフト券$200が当たりました!」
 
電話の主は、嬉しそうにそう言った。「そんなもんいらない」。しかし中年主婦はいつものようにテキパキとガチャン。「いいとこだったのに」とぶつくさ言いながらTVの前に戻りビールをひと口。するとまた電話がなった。「なんで電話を切った?」「は?」「ギフト券をやるっていってるのになんだその態度は!」「へ?」。信じられない展開。さっきのテレマーケターがまた電話をかけてきたのだ。「電話のマナーがなってない!」。こっちが状況が飲み込めずひるんでいる間に奴は説教親父になって声を荒げている。
 
「ちょっと待ったー!」。頭の中でゴングが鳴った。ビールを置いて受話器を握り直しシャウトの準備! 「日曜日の昼間に無断で見も知らぬ(聞きも知らぬ?)人の家に電話をしてくるおまえのマナーこそなんなんだ! わたしには拒否する権利がある! ギフト券なんかいらないって言ってるだろ! おまえのせいでフットボールに集中できないだろ! うおおおおおお!」。ご丁寧に通常の20倍も会話をして電話を切った。
 
テレマーケターが反撃してくるなんて! このわたしに説教をするなんて! 頭がカッカして落ち着かない。……そして同時に奴の素性が気になってきた。
 
「英語がなまってたぞ。ガイジンか?」「電話切られて逆ギレしてたらテレマーケターなんて務まらぬ。新米か?」「今日が初仕事で『お父さんがんばってね』『ああ、世界一のテレマーケターになるぞ!』なんて家族にいって元気に出勤してきたのかも」
 
くやしい! ちょこっと罪悪感が胸をくすぐる。「また電話してくるかな?」「そしたらちょっとあやまってやるか」「つらい仕事だけどがんばれよ!ってねぎらってやるか」
 
しかし以後、奴からの電話はない。今頃奴もテレマーケター業界でもまれ、ガチャン攻撃をなんとも思わぬいっぱしのテレマーケターに成り上がったのだろうか?

説教テレマーケターよ! もう1回かかってこい! 今度はギフト券もらってやってもいいぞ。それより、もっといいもの当ててくれ! ハワイはどうだ? 待ってるぞ!
 
(2005年12月)

第5回 「アメリカのお正月を救え!」

新年明けましておめでとう!
 
……とアメリカで叫んでみても、何がめでたいのかわからぬアメリカーンなお正月。毎年「正月は日本で過ごしたい!」と思うのだが、なかなか思い通りにならず、今年も異国アメリカで地味なお正月を過ごしている。
 
日本にいたら除夜の鐘は、不眠不休で繰り広げられる祝いの宴の開始のゴング。老いも若きも深夜にそばを平らげ、それも油っこい天ぷらも付けちゃったりして気合が入っている。胃もたれしながら朝を迎えても、おせちだ! お雑煮だ! 酒だ!と松の内は連日大宴会。街も人々もお正月モードで浮かれて大騒ぎ……。ああ、懐かしや日本のお正月!
 
ここアメリカでは、盛り上がるのは大みそかだけだ。カウントダウンして、パーンパーンと花火を上げて(アメリカ人は季節かまわずめでたい時は花火なんだな)、そこいらの人にキスをしてシャンパン飲んでおしまい。お正月本番の元日の1日なんて「ああ、これでホリデー・シーズンも終わりだなあ」と感慨にふけりながらホリデー疲れした体をいたわり、ラクチンなことだけして翌日からの平常営業に備える日。ごはんだって「サンクスギビングはターキーだったし、クリスマスはロースト・ビーフだったし、今日はピザでさっぱりね」なんてテイタラク(「ピザでさっぱり」がアメリカでぶ天国の象徴ですな)。
 
アメリカのお正月は限りなく地味なのである。なんてったってアメリカには年賀状というものがない。クリスマスとお正月をくっつけてカードを書く。そのニュアンスは「メリー・クリスマス!! あ、それからおまけにハッピー・ニューイヤー!」。お正月はクリスマスのおまけにしか過ぎないのだ。アメリカのお正月は単独イベントとして商品化される魅力に欠けているのだ。
 
しかし、この「おまけ」としてであれ存在を認められていた間は、お正月も幸せだった。時代は変わり、今やアメリカの人々は、お正月の存在をも黙殺するようになってきているのだ。
 
今回のホリデー・シーズンでその兆候は明確になった。家に転がっているホリデー・カードを見て見ると良い。「メリー・クリスマス!! おまけにハッピー・ニューイヤー!」ものは影を潜め「ハッピー・ホリデーズ!」のひと言ものがメジャーになっているのに気が付くはずだ。
 
年々激しくなっているクリスマス・バッシング。「クリスマスは宗教イベントのくせにでしゃばり過ぎだ!」とキリスト教信者ではない皆さんがお怒りになり、公共の場で「クリスマス」は、もはや禁句のような扱いを受けている。ショッピング・センターのクリスマス・ツリーは「ホリデー・ツリー」と呼ばれ、クリスマス・プレゼントは「ホリデー・ギフト」。サンタクロースも嫌われ者になりつつある。そんなもんだから、やたらめったら「メリー・クリスマス」と言えなくなり、お正月をおまけに付けてくれていたクリスマス・カードの立場がなくなってしまった。そしてどんな宗教の人にも受け入れられる「ホリデー・カード」の時代が到来してしまったのだ。
 
「ハッピー・ホリデーズ!」
 
そこにもはやお正月の存在はない。お正月は「ホリデーズ」の「ズ」のひとつに格下げだ。1年の始まりで宗教を超えて、みんなが祝える万能のお正月が! クリスマスのおまけどころか年末のその他大勢の祝い事に吸収合併されてしまったのだ! これは由々しき問題である!
 
「アメリカにお正月なんていらない!」論が繰り広げられ、お正月のホリデー・ステータスまで取り下げられたりしたら困る! 日本人たるもの、元日はゆっくり朝から酒を飲み、どんちゃか騒ぎたいじゃないの。本当のところは二日酔い、いや三日酔いを考慮して三が日はお休みいただきたいのを我慢してあげてるんだから。
 
がんばれ、アメリカのお正月! 年末のホリデー軍団に負けるなよ!
 
(2006年1月)

第6回 「リモデル効果」

その男は、力んでいた。
 
「僕は……、僕は……」
 
さっきからその続きが出て来ない。わたしに恋の告白でもしたいのか? いや、そいつは気持ちが悪い。なんてたってその男、くされ縁の我が夫。
 
「『僕』がどーした!」 「なんだよパパー!」
 
いつも恐妻&狂サル娘1号2号に押されて存在感のない男。その男が突然立ち上がり、何かを言わんとしていた。
 
老朽化が進むおんぼろ我が家の今後について家族会議を開いていた時のことである。
 
「ここは、どーんとリモデルしちゃおう!」
 
「でっかい日本のお風呂を作ろうよ!」
 
「天井から打たせ湯がドバーッなんてどう?」
 
風呂好きギャル達の建設的な意見を遮ってまで気弱な男が主張したいことっていったい? 3人の女達に睨みつけられながら男の口から出た言葉は……
 
「僕は…、僕は…タチションベンキが欲しいです!」
 
日頃から「便座を上げっぱなしにするな!」と女達に怒鳴られている我が家の唯一の白組君。彼はそれが苦痛でならないと言う。かといって女達に「便座を下げっぱなしにするな!」と言う勇気もない。この状況を打破せねば男の股間……いや、沽券に関わる!と心ひそかに打開策を練っていた。それがタチションベンキ導入案……。
 
「男ひとりのために不経済だ!」「パパも座っておしっこしなさい!」「いっそ女になれ!」
 
ギャル達はとっても理にかなった反対意見を述べてみたが、一家の主はどーしてもタチションベンキが欲しいとだだをこねる。日頃何も欲しがらない男がそこまで言うのなら……。心優しい我ら赤組は、「じゃあそっちはそっちでご勝手に」と決裁し、我が家はタチションベンキ&家族風呂付きリモデルを決行することになった。
 
アメリカでは家をリフォームすることを「リモデル」と言い、「今リモデル中なのよ」と話せば「ご愁傷様です」とねぎらってもらえちゃうほどの、つらい試練とされている。
 
「予定の2倍はお金も時間も掛かるわよ」
 
「キレるわよ」 「新しい家を買え!」
 
リモデル経験者達は皆リモデルから足を洗うことを薦める。皆がそこまで嫌うリモデルって何ものじゃ? 怖いもの見たさでわたしは、リモデル被験者となった。
 
友は正しかった。我が家のリモデルは金は食うわ時間は食うわ壁を壊してみたら虫が食ってるわ工事中に泥棒が入るわ水道が爆発して床上浸水するわの、とんでもない一大事になってしまった。しかし、いつもなら小心者の我が家の主、この一大事にびくともしない。彼の心の中にはいつも純白のタチションベンキが光輝いていたからだ。「Myタチションベンキのためなら」と何があってもへらへらと薄ら笑いを浮かべていた。
 
そしていよいよその日がやってきた。
 
「おお」。電気屋、水道屋、大工にガス屋、それまで真面目に家の中で働いていた男達は仕事を放棄すると大きな段ボールを囲んで大騒ぎ。タチションベンキ様が登場したのである。
 
「やっぱ一家に一台だよなあ」。皆うらやましそうにつるつるの便器を触っている。
 
「高さはこれでいいかなあ」 「飛び散らないようにもうちょっと下のほうがいいんじゃないか」
 
男達は自分の放尿姿をイメージしながら真剣に意見し合っていた。

かくておんぼろ我が家は、立派に生まれ変わった。アメリカ人が作ったお風呂は追い焚き機能が故障しまくるシロモノだが、ドイツ製のタチションベンキは、我が家のメイン・アトラクションとしてお客さんにウケている。「おまえの奥さんは理解があって素晴らしい!」とタチションベンキを買ってもらえない男達に褒められて奥様の株も上昇中。
 
「リモデルってそれほど悪くないかも」。“良くできた”奥様は思うのであった。
 
(2006年2月)

第7回 「怒る元祖 チョコレート売りまくり女」

「おじさん、これ買って!」
 
少女は雪降る冬の夜、凍えそうになりながらスーパーマーケットの店頭でチョコレートを売っていた。足元には段ボール箱いっぱいのチョコレート。これを売り切らないとおうちに帰れない。手はかじかみ膀胱はパンパン。ああ、そう言えば小腹もすいた。しかしホスト・マザーが車の中から睨みをきかしているので逃げられぬ……。
 
勉学にいそしむためにやってきたアメリカで、なぜ毎晩チョコレートを売らねばならぬ? それは学校の命令であった。いたいけない少女(=20数年前のわたし)は、ハイスクールで「チョコレートを売って金稼げ」と言われ、その命令に忠実に従う品行方正な留学生だった。それも「一番多く売ったやつがウインター・カーニバルのクイーン&キングになれる!」というものだから、ホスト・マザーは「おまえをクイーンにしてやるよ!」と余計なお世話で気合いっぱい。わたしは、夜な夜な各地のスーパーマーケットの前に立たされ「おじさんチョコレート買って」と媚を売るはめとなった。
 
「もっと汚い格好で行け!」 「涙のひと粒ふた粒流してみろ!」。ホスト・マザーの厳しい演技指導が実を結び、わたしはチョコレート売りまくり女の頂点を極めた。そしてキングは……、学年一どんくさい男。まともなヤツだったらチョコレートの行商なんかに精を出さないよな……。
 
こうして史上最“ブー”のキングとクイーンは、馬子にも衣装のドレスとタキシードを着込み、ウインター・カーニバルの前座で皆にあざけ笑われながら見世物ワルツを踊らされたのだった。「こんなのいじめじゃないか!」 「なんのためにあんな辛い思いをしたんだ!」 「わたしの稼ぎは何に使われるんだ!」 「アメリカの学校ってなんなんだ!」。どんくさ男の足を踏み付けながら、わたしはアメリカの学校教育への不満を爆発させていた。
 
チョコレート売りまくり女は母となり、子供達もアメリカの学校にお世話になるはめとなった。そして案の定、子供はクッキーを売ったりえんぴつを売ったりして学校に貢がされている。そしてまた母も……。
 
春先になると、どこの学校もオークションを開催する。これは、タダで寄付してもらった品々を売りさばき、その利益を学校がガッポリいただくというもの。毎年父兄の中からオークションの親分が任命され、下々の父兄は親分の命令に従い学校に貢ぎ物をしなくてはならない。
 
娘の学校の親分は、各家庭の財布の中身を恐ろしいほど把握している。「最近別荘買ったそうね、ちょっとお貸し!」 「お宅のおじさん、ボート持ってるわよね、クルーズをおし!」 「何もないあなたもベビーシッターくらいできるでしょ」ってな感じで迫ってくる。そして父兄は親分に身包みはがされたあげく、「もっとよそからいい物もらってこい!」と「物乞い」にも任命されてしまったりもする。わたしは「そいつは勘弁!」と英語がわからぬふりをして逃げていたのだが、大きな体が災いし、白羽の矢がぐさりと刺さってしまった。日本人コミュニティー専門に「なんかちょうだい」とお伺いをたてて来いという。
 
同胞の物乞い部隊がアラスカ・クルーズなんぞをせしめて大いばりな中、わたしの成績は非常に悪い。日本じゃ学校に貢ぎものなんかしないもんね。「なんで、あんたんちの子の学校に?」と相手に言われれば「そりゃ、そーっすよね。あんなくそガキ」とこっちもあっさり引いちゃうし。だから親分様に「なんかもらってくるまで帰ってくるな!」とお尻を叩かれる。「ちきしょう。チョコレート売りなら負けないのに……」。元祖チョコレート売りまくり女は、過去の栄光を懐かしみながら今日もまた飛び込み営業へ。だけど、だけど、なんなんだアメリカの学校は!!!! 金ばっかり巻き上げやがって!!!! 元祖チョコレート売りまくり女の怒り再爆発!の今日このごろである。
 
(2006年3月)

第8回 「お子様ランチUSA」

「ひるめしやあ」
世にも恐ろしい光景に出合いたかったら、「うらめし」よりも「ひるめし」やあ。それもお子様方の「ひるめし」は相当恐ろしい。なんてったってアメリカのお子様方のランチボックスには、世にも不気味なお食事が詰め込まれているのである。
 
毎月1回、わたしは娘の学校の「ひるめし」ボランティアに出向き、カフェテリアで幼稚園児から8年生までのお子様方が食べる姿を見守る。「ふらふらするなあ!」 「座って食べろ!」とゲキを飛ばしながら、お子様方がもぐもぐむしゃむしゃ体内に押し込んでいく不気味な「ひるめし」を観察している。
 
「わたし甘党なのよ」って二重あごでにんまり微笑む少女モニカは、いつも弁当箱に腹たまりデザート系をぎゅーっと詰め込んで持って来る。今日は、チョコレート・ケーキ。指をべたべたなめながら、口の周りをチョコレートだらけにして、うれしそうにケーキのイッキ食いをしている。肥満への道をまっしぐらなひるめし。恐ろしやあ。
 
マットは、「毎日同じものを食べないと調子が狂う」らしい。幼稚園のころから3年生になった今の今まで、いつ見てもピーナツバター&マヨネーズのサンドイッチを食べている。いつもうまそうに食べているから家でまねして作ってみたが、調子が狂う前に気が狂いそうなシロモノだった。
 
お嬢様のエミリーは、豪邸にお住まいで、毎日パパのポルシェでご通学。我が家の娘達のホリデーいっちょうらよりも素敵なお洋服を、毎日お召しになってやって来る。そんなハイソな彼女の召し上がるものは、フレンチ? ステーキ?とわくわく彼女のバービーちゃんのランチボックスを覗くと……、お目見えするのは、ラーメン。彼女は、いつも某「Sポロ一番しょうゆ味」をひと袋、ランチボックスに入れて持って来るのだ。
 
「袋麺? 家来が来て調理してくれるわけ?」
カセットコンロと鍋とネギとチャーシューを持った家来の列が行進して来るのをお待ちしてみたが、彼女の元に来客はない。「どーすんの?  家来呼び付ける??」。エミリーちゃんの挙動を優しく見守るひるめしのおばさん。すると、エミリーちゃんは、袋をびりっと破いてそのまま麺にがぶり(!)と食らいついた。ええええー? 「煮ないの?」 「腹こわすぞ!」と、ひるめしのおばさんはびっくり。しかしエミリーちゃんは、「バリバリ。大丈夫よ。バリバリ。毎日これだもの」。ものすごい音を立てながら固い麺を噛み砕き、胃袋に押し込んでいく。
 
ああ……、辺りを見渡すと、どいつもこいつもへんちくりんなものを食べている。レインボー・カラーの巨大なクッキーを、真っ赤なソーダで流し込む子。ピーナツバターのビンごと持って来てスプーンでほじくって食べる子。マシュマロにチョコレート・ソースを掛けて主食にする子。
 
「野菜はどこじゃあ!」
呆れてひるめしおばさんが吠えると、「おばちゃん、ぼく野菜いっぱい食べるよ」と少年が微笑んだ。彼は、ビニール袋に大量のナマのさやえんどうを持参し、それをボリボリ豆中毒者のようにかじっている。野菜を食べるのはえらいけど、なにも豆だけをひたすら食べなくても……。少年よ、さやえんどうは体によろしい。ナマで食べれば、カルシウムもカロチンもビタミンCも栄養価を損なわずに体内に吸収される。だがな、さやえんどうは、さっと茹でるともっとうまいんだぞ。筋も取ったら歯にひっかからなくていいぞー。
 
アメリカのお子様ランチタイムは、ゲテもの食いコンテストか? 親は何考えてるんだ? うちの娘の「魚肉ソーセージと食パン」といった手抜き弁当が愛情弁当に見えてくるほど、アメリカのお母ちゃん達は怠慢張っていらっしゃる。エミリーに、3分間煮込んだラーメンを食べさせてあげたいものだ。エミリーよ、Sポロ一番は、スープがうまいんだぞー。味噌味もいけるぞー。家来に作ってもらえよ!
 
(2006年4月)

第9回 「シラミ小僧USA」

「ぶちゅー」
今宵もわたしはマヨネーズで頭をもむ。それが最近の我が家のトレンドだ。
 
「お宅のお子さんシラミ小僧くさいです」。そう学校から呼び出しをくらって以来、我が家の生活は尋常ではない。我が家の匿名希望M子さんの学年では、今年に入りシラミ小僧が大量発生中だ。次々とブロンドのお坊ちゃま達が坊主頭になっていき、シラミの繁殖力を物語っていた。そして最近アジア人S子ちゃんもシラミ小僧になり、S子ちゃんと仲良しのM子もシラミ小僧の疑惑をかけられてしまったのだ。
 
人生もうすぐ40年。わたしはシラミなんぞと縁のない清い世界で生きてきた。「どんな不衛生な暮らしをしていたらシラミなんぞがわくのかねえ」とブロンド坊主頭のご父兄を冷ややかな目で見ていたが、まさか我が子がシラミ小僧になるなんて! 「ど、どれがシラミ?」とシラミ疑惑言い出しっぺの用務員のおばさんに問うと、おばさんはM子の頭を掻きむしり「これが卵のぬけ殻くさい」と白いものを指差す。おばさんは「こういう白いゴマみたいのが卵で、こいつを放っておくと大変なことになる」と言う。「とにかく家に帰って白いものを全部取って来い。家族全員だ。さもないと学校に来させないぞ」と脅しも掛けてきた。「これってフケじゃないのかなあ」。わが子をシラミ小僧と認めたくない母は納得がいかぬが、M子が停学になって家でうだうだされるのは面倒くさい。さっそく家に帰ってシラミ撃退法を家族みんなで実施することにした。
 
「ぶちゅー」
そして頭にマヨネーズをひねり出し、もみもみするのが我が家の習慣となったのである。マヨネーズ頭でシャワーキャップをかぶり2時間じっと我慢の子。こうするとシラミが窒息死するらしい。オリーブオイルもかぶってみたが、オイルはべタべタの抜けが悪くていただけない。味噌や納豆ならいただけそうだが高くつくのでまだ試していない。用務員のおばさんがくれた『シラミ撃退法』なる小冊子によると、家では毎日2回、シラミ小僧の頭髪を「スペシャルシラミ撃退くし」ですかなくてはならない。それも髪の毛を床屋さんみたいにピンでブロック分けして、ひとすきするたびにティッシュで拭き取らなくてはならない。家族みんなの枕や布団、シーツも毎日熱湯で洗わねばならない。ぬいぐるみ、座布団、じゅうたんなんかも毎日掃除機をかけて家を清潔に保たなくてはならない……。うおおおおおおおお!
 
母はキレそうだ。おおざっぱで手先が不器用でひっちらかった家でくつろぐのが大好きなわたしに毎日掃除に洗濯だと? 毎日太い指で髪の毛をちまちまいじっていろだと? そんなの拷問だ。人格を無視した横暴だ。そんなことしてきれい好きにでもなったらどうしてくれる! 几帳面になんかなったら人間失格だ。
 
シラミ小僧のレッテルを貼られたM子ではあるが、彼女の頭を走り回るシラミには、まだご対面していない。「うそつきー! いないじゃないか!」と母は娘の無実を訴え、掃除洗濯を放棄し、ぐーたらママに戻ろうかとも思う。しかし、学校はシラミ小僧撲滅に向けさらなる強化プランを導入してきた。毎週ナースが来てお子様の頭をいじくり回し、シラミ小僧の摘発にやっきなのだ。 
M子の頭に本物のシラミの卵があるのなら、今何もしないでいると2週間後には卵がかえって頭の上でシラミの大運動会が開催されるらしい。うーん、見てみたい。しかしここまで厳戒態勢な中、再びM子にシラミ小僧疑惑が浮上でもしたら、わたしはご父兄の皆さまに吊し上げられてしまう。「シラミ小僧は親が悪い」というのがご父兄一同のご意見のようである。
 
シラミよ、いるなら堂々と顔を出せ! いないのならそう言いに来い! ひっちらかったおうちでくつろぐぐーたらママ復帰を夢見ながら、今宵もわたしはマヨネーズをもみもみもみ……。
 
(2006年5月)

第10回 「合法移民もつらいよ」

「指紋押捺にいらっしゃい」
わたしのアメリカ上陸10周年を記念して、移民局からそんなお便りが届いた。10年前に発行されたグリーンカードの更新だ。どんな所だか行ってはみたいが、お便りには「某月某日午前8時に来い」と勝手なことが書いてある。こちらの都合も聞かずに何だ! そんな早朝にお出掛けできるわけがないだろ! 「某月某日」の前夜には、タダ酒が飲めるパーティーがずっと前から予定されているのだ! 「いやーん、時間変えてよ!」と電話をしたいが、番号が書いていない。相手は天下のアメリカ政府。すっぽかしたら不法移民の仲間入りをさせられそう。「今晩はシラフでいよう」。そう誓って、わたしは移民局出頭前夜のパーティーに臨んだのであった。そして、翌朝……。
 
リンリンリン!! 耳元でけたたましく目覚ましが鳴り、飛び起きた。「リサは? マイケルは?」。さっきまで一緒にワインを酌み交わしていた仲間がいない。……やっぱり。「タダ」の誘惑に勝てなかったわたしは、どうやら記憶がなくなるまで深酒をし、倒れたようである。着の身着のまま&頭がガガガガガンと痛い。しかし、移民局は朝の8時にわたしのおいでを待っている。「行かねば!」。わたしは飛び起きると、顔も洗わず、髪もとかさず、車に飛び乗りハンドルを握った。
 
二日酔い運転で向かう移民局は遠かった。いざ入場!と駐車場に向かうと、ゲートが通せんぼをする。そして、おじさんが「$5。現金でね」と手を出してくる。わたしは宵越しの銭など持たぬ主義。そんな大金持っていない。「ちょっと待ったあ!」。わたしはタイムをいただき、ぐちゃぐちゃの車内にたい積された品々をかきあさった。悪臭漂う靴下、ミイラ化したみかんや枝豆……あった! キティちゃんのお財布が! 娘が物を大事にしない子で良かった。母は、娘のおこづかいを使い込み、無事入場とあいなった。だけど、こんなへんぴな所の駐車場が有料? 現金のみ?「アメリカにいたくてたまらないガイジン達は、お上には文句は言うまい」と、ぼったくっているとしか思えない!
 
ぶりぶり言いながらセキュリティーをくぐり抜け、待合室に出向くと、そこはその他大勢の8時のお約束の皆様で溢れかえっていた。「8時だヨ!全員集合」と、やみくもにガイジンを大集合させたって感じ。気持ちが悪い。横になりたい。しかし、そんなスペースなどない。しかたなく、中国人とインド人の間の空席目掛けて突進し、意味不明の外国語をBGMにじっと目を閉じ、石になっていた。1時間が経ち……、2時間が経ち……、3時間……うおおおおお! 石は怒った! 何が8時のお約束だ! 指紋を採るのにどうして時間掛かるんだ! 石が活火山に変身し、爆発寸前のその時、「めぐみちゃーん」。やっとわたしの番が来た。
 
まず係のおばちゃんは、10年前のわたしの写真と本日の私を見比べ、その変貌ぶりに感動していた。30ポンド太った挙げ句に二日酔いですものね。そりゃ見違えるのもしょうがない。さて、本日のメイン・イベントの指紋押捺。それは、コンピューターで10本の指をみっちりぐりぐりするハイテクなものであった。ここまでやられちゃ悪いことはできない……と、心を改めおうちに帰ろうとすると、おばちゃんは「はい、次は写真ね」と言う。「え? うそー。お便りには指紋押捺としか書いてなかったじゃん!」。何度も言うが、今日のわたしは二日酔い。目はお岩さんのように腫れ、顔はむくみ、そのうえすっぴん。が、おばちゃんは容赦なくパチリを強行……。
 
こうして、世にも恐ろしいグリーンカードができ上がってしまった。気持ち悪かったから思いっきり猫背だったもんで、いつもよりも立派な二重あごのおまけ付き……。今後10年、毎回入国審査で笑われそう。しばらく、アメリカ国内にに引きこもって恥をしのぐか。かわいい写真に張り替えちゃおうか。合法移民もつらい! 最近のアメリカである。
 
(2006年6月)

第11回 「4ウェイ・ストップのおバカ」

♪母は来まし~た。今日~も来た~。この交差点に今日も来た~♪
 
母がブルンブルンとエンジンふかせてやって来るのはご近所の交差点。信号がなく、一時停止の「STOP」サインが行く手を阻む“4ウェイ・ストップ”である。母は、娘達を学校へ連れて行くためにそこを毎日通らねばならぬ。しかし、母はこの交差点が大嫌い。母はこの交差点にやって来るたびに大声で叫ぶのであった。「とっとと信号付けやがれえ!」。
4ウェイ・ストップ。それは、四つ角の各方面からやって来たお車の皆さんが一時停止し、先着順に各方面に散って行く交差点。同着の時は、右側の車が優先だ。ルールは至ってシンプル。しかし、この四つ角をクリアするのが至難の技なのである。なんてったって、この近所の4ウェイ・ストップは各方面2車線装備。つまり混雑時には、8台の車がいっぺんに右往左往する仕組みになっている。「先着順&同着右優先」の法則にのっとって進めば、問題なく車がはけていくはずである。しかし、交差点にはおバカがいっぱい。おかげでとんでもない修羅場になってしまうのだ。
 
「あっちが行って、こっちが行ったら、ハイ、わたしの番!」と、指差し確認までしていざ出発!とアクセルをふかそうとすると、順番を守らず発進してくるおバカ! 「あんたの番よー! 早く行けー! 行くんだジープ!」と声援を送ってもただボーっとひたすら待ち続けるおバカ! あっちとこっちで同時に発進し、中央でごっつんこしそうになりながらも、譲ろうとせずにいがみ合っているおバカ! 交差点内の皆様の了解も得ずに勝手に自分の順番を譲り、規律を乱すおバカ! 「はい、ちょっとすいませんよ」と、どこからともなく現れて、のっそりのっそり交差点横断に挑んでくれちゃう歩行者のおバカ! 4ウェイ・ストップのおバカは後を絶たない。
 
4ウェイ・ストップは、交差点で出くわした皆さんの良心とチームワークに頼りっきりのシステムである。かけっこだって、順番を付けるのに審判が目を光らせ、ビデオ判定もするご時勢である。せめて電光掲示板でも設置して、「1等あっち、2等そっち、3等こっち……」と、おバカ削減のために順番を教えて欲しいもんだ。もしくは、せめてひとりぐらい、生身の人間をあてがって欲しい。そういえば、どっかの町の交差点で踊りながら交通整理をするお巡りさんがいたよなあ。信号のある交差点で交通整理なんて無意味! 信号のないこの魔の4ウェイ・ストップこそ、彼の晴れ舞台にふさわしい。お巡りさ~ん、踊って! 仕切って! おバカを退治して! じゃなかったら“みどりのおばさん”を輸入しようか……。
 
こうして、魔の交差点改善策に知恵を絞っていたら、先日もっととんでもない交差点に出くわしてしまった。なんと、そこは6ウェイ・ストップ! それも急な坂のてっぺんにある! 上り坂一時停止という世にも恐ろしい状態で、あっち、こっち、そっち、その向こう、そのまた向こうの車の出方を気にしなくてはならないのだ。そのうえ、坂の下には学校があるもんだから、お子様がうじゃうじゃ道を遮ってくれる。ああ、先着順も右優先もなんもあったものではない。交差点内の車は皆が「リーリーリー」と盗塁を狙うイチローのように、ちょろちょろラインをはみ出し、隙を見て「今だー」と突進して行く。もはやそこは無法地帯であった。わたしは、坂の下にずり落ちそうになりながら、一時停止をするのがやっとこさ。本当は左斜め向こうに渡りたかったのだが、盗塁は苦手ときたもんだ。一番簡単な右折をし、行きたくもない道を進んで行ったのであった。ああ、バカバカ!
 
母は、4ウェイも6ウェイ・ストップも大嫌い。赤信号に並ぶ車の長蛇の列のおしりに付くほうがホッとする。しかし、また明日も、母は子供達のために魔の交差点にやって来るのであった。「とっとと信号付けやがれー!」と叫びながら……。
 
(2006年7月)

第12回 「ポットラックの恐怖」

夏だ! ビールがうまい!
 
「さあ、パーティーだ!」と盛り上がっている時に、「じゃあ、ポットラックで集合ね」。こうこられると、憂鬱な気分になるのってわたしだけ?
 
ポットラック。それは、みんなで料理や飲み物を持ち寄って集まる宴。わたしは、このポットラックが怖い。なんてったってポットラックはギャンブルだ。大当たりだと、和洋折衷うまいもんがたらふく食べられる超グルメなひと時になる。はずした日には、ひもじい思いをして野垂れ死にそうになる。大食漢のわたしに空腹に耐える根性などない。わたしは、この“ハズレ”遭遇が怖くてたまらないのである。
 
「今夜は夫に子供を預けて、女だけでパーティーよ!」のポットラックに出掛けた時のこと。主催者のブロンド女は、家を見せびらかすことだけに命を懸け、誰が何を持って来るかなど知らんぷり。そしてテーブルの上に並んだのは、サラダのつもりのレタスの盛り合わせ、デザートのつもりのM&Mチョコレートのてんこ盛り、何のつもりかわからないパイナップルの缶詰……。「誰かがうまいもん持って来るだろうから、わたしは手を抜いたわ」系のオンパレード。唯一の腹たまり系は、わたしの持参したおいなりさん40個であった。そしてそのおいなりさんは、あっという間になくなった。「腹が減ってるなら、ちゃんとメシ持って来い!」。もう少しでテーブルをひっくり返してしまいそうな、見事にハズレの夜であった。 
 
大食漢の気持ちのわからぬメンツのポットラックもまた地獄である。肉、米、パスタといったわたしの好物があるにはあっても、小皿にちょろりとだけ。「こんなもん3秒で完食しちゃうじゃないか!」と、これまたテーブルをひっくり返したくなる。
 
子供達の学校のポットラックでは、わたしのような空腹に耐えられぬ「ポットラック怖い病」の幹事がいるようで、「ラストネームがABCDEFで始まる人は肉」「GHIJKは前菜系」……と、はっきりと命令がくだされる。「これなら食いっぱぐれることはあるまい!」と、ウキウキお出掛けしたら……肉がない! 肉の係のAdams家もBrown家もいるのになぜ? 「おまえら、何持って来た?」と問うと、「サラダ」と笑顔で答える。「突然改名でもしたのか! インチキ野郎!」と、ここでもキレたわたし。このように信頼できぬ連中とのポットラックには夢も希望もない。お腹が減ると激情するわたしのようなメンツが揃っていたら、とんだ修羅場になるってもんだ。気を付けよう、食えぬポットラックと大食漢!
ハズレの多いポットラックであるが、日本人の皆さんはポットラック優等生である。奥様方がここぞとばかりに気合を入れて、うまいもんを作ってくれる。時々出没する困ったちゃんは、持ち寄りの1品を宴会主催者への手土産と勘違いする人。「次は何が食べられるか」と、みんなが牙をむいて待っているところに、「これ、日本で買って来たお味噌。ご家族でどうぞ」なんて持って来る人。ポットラックの1品は、すぐにみんなで分かち合えなくてはならない。宴会主催者の明日のメシなど知ったこっちゃない。味噌にスプーンを添えて出されても困る。ポットラックに味噌はいかんのよ、とにかく味噌は。
 
ポットラック成功のためには、食い意地の張った仕切り屋が不可欠である。我が家では、「デザートやサラダなど女々しいものはご法度」「腹たまり系をお相撲さん10人分持って来るべし」といった掟が遵守されている。おかげで我が家のポットラックは、みんなが動けなくなるまで暴飲暴食できる大食漢の天国となっている。
この週末も、夫の同僚のポットラックに呼ばれている。当たりか、ハズレか……。うらめしや~、メシはあるのかないのぉか~、わたしはまたまたキレるのか~、恐怖のポットラック。
この夏、恐ろしくも大盛況中である。
 
(2006年8月)

第13回「ひと夏の思い出」

皆さま、ご愁傷さまです。短かったシアトルの夏がお亡くなりになりました。お外でジュージューBBQよ、さようなら。飲んでも飲んでも明るかった夜よ、さようなら。そして雨よ、闇よ、こんにちは……。来年の夏まで気を落とさずにやっていけるだろうかと、とってもブルーなわたし。
 
1年近く雨地獄に耐えたご褒美にちょろりとやって来る、シアトルのはかない夏……。「紫外線がなんだ!」「皮膚ガンで死ねたら本望だ!」。その短い夏を全身全霊で享受しようと、シアトルっ子は太陽光線をガンガン浴びながらアウトドアに転がっていた。ハイウェイは、真っ昼間から仮病・早退で遊びに行く連中で渋滞。みんなが愛した陽気なシアトルの夏。シアトルっ子は、今は亡きサマー2006の思い出を語り合い、なぐさめ合って喪に服しているところである。
 
わが家の一番の夏の思い出は、連日連夜の乱痴気パーティーでもなく(やりまくったけど)、素敵なバカンスでもなく(行ってないし)、眉毛剃り落とし事件でもなく(早く生えろ!)、なんと意外や子供のサマー・キャンプである。
 
……というと思い出すのが、若いころに見たアメリカ映画「リトル・ダーリング」。親元を離れ、ひとつ屋根の下、見知らぬお子さま方が共同生活をするというもの。おませな子がいらぬ知識(下ネタね)をひけらかしたり、キャンプ・スタッフに惚れちゃったりなんだりのひと夏のアバンチュール。そんなサマー・キャンプを、わが娘が初体験したのである。
シアトル近郊の島での、4泊5日の乗馬キャンプ。ウキウキわくわくの娘と裏腹に、サマー・キャンプでテイタムやクリスティー(昔のアイドルね)がやるだのやらないだので盛り上がっている映画のストーリーが頭をよぎり、心配でたまらない母。何事も経験か? 経験しないほうがいいこともあるだろう! 母は悩んだが、キャンプ出発の朝は来てしまった。
 
集合場所は、シアトル市内のさびれた港。緊張するお母さまを出迎えたのは「僕、チキンナゲット。集合はあっちだよ!」と案内する若いニイチャン。「あっち」に行くと、「わたし、パンプキン。ここで荷物チェックするわよ」とのネエチャン。「クッキーモンスター」「バービー」「シュリンプ」「バブルガム」……キャンプのスタッフはみんな、おバカなニックネームで呼び合い、本名を名乗らない。そして「パンプキン」は、「銃は持ってる?」「ドラッグは?」「アルコールは?」「今なら許してあげるから全部出しなさい!」と娘を脅す。小学4年生のうぶな娘はビビりまくっていた。そして緊張する親子の前に現れたのは、使い古した遊覧船のようなおんぼろ船。そこに100人超のお子さまがギューギューに押し込まれると、チキンナゲットやシュリンプと共に海のかなたへ消えていってしまった。本当に島に向かっているのか? これは「北」行きの船で、子供達は白昼堂々と拉致されていったのでは? 携帯電話持参も許されず、いかがわしいニイチャンネエチャンに連れられて行ってしまった子供達。父兄の皆さんは、不安にかられ放心状態。まあ、数分後には、「ま、いいか」と港を後にしたけどね。
 
そして5日後、港にへなちょこ遊覧船が子供達を乗せて帰って来た。本当に島で馬に乗っていたのか? おませなガキに洗脳されていやしないか? 宇宙人に拉致されて、魂を乗っ取られて、娘のツラの皮を被った宇宙人スパイが帰って来たのでは? ……空白の4泊5日は妄想が妄想を呼び、娘が赤の他人に思えてならないのであった。
 
夏が終わり、宇宙人かもしれない娘は新学年の準備に忙しい。母は、宇宙人の化けの皮をはがしてやろうと「娘」の監視体制を強化し、宇宙人狩りに全力を尽くしている。いろんな体験をしちゃう夏。そんなこんなで思い出いっぱいの、今は亡きサマー2006。全く惜しい方を亡くしてしまったものである。合掌……。
 
(2006年9月)

第14回 「『化け』のススメ」

「今年は、脳みそ割ってみようか?」
「心臓にぐさっとナイフ刺そうよ」
「手をもぎ取って大出血は?」
娘達との会話もはずむ秋晴れの昼下がり。わが家では、着々とXデーに向けての準備が進められている。Xデー。その日、街はオレンジ色に染まる。そして、スーパーマンがちゃりんこで走り、ドラキュラがカフェでコーヒーをすすり、恐竜や熊や猿や忍者がお弁当をぶら下げて学校へ行く……。奇怪な物体が街を埋め尽くし、人間が消え去るXデー。そう、それはハロウイーン! もうすぐあの感動と興奮の大イベントがやって来るのだ。
 
アメリカ人は、「赤」に興奮する闘牛のように、ハロウイーンのシンボル、オレンジ色のカボチャを目にすると「早く化けたい病」に取りつかれる。本来はお子様の病であったのだが、最近は大の大人によく見受けられ、ハロウイーン・ショップは「握手するともげる手」や「イボだらけの顔」の試着に忙しい大人達でいっぱいだ。アメリカナイズされたわたしの体もまた、「早く化けたい病」に取りつかれ、カボチャを見るたびに興奮が止まらない。
 
わたしがハロウイーンの虜になったのには理由がある。その昔、行きつけのスーパーに「愛想の悪いヤローだ」といつも嫌っていたレジ係がいた。この男がハロウイーン当日、「本日の目玉商品」のトイレットペーパーを体中に巻き、ミイラになって黙々と働いていたのだ。わたしは感動した! 「ハロウイーンって、自分の殻を破る勇気がもらえる素晴らしい日なのだ! トイレットペーパー巻きになっているヤローは本当はいいヤツに違いない」と。以来、ミイラと恋に……は落ちなかったが、彼を見習い、ハロウイーンにはきちんと化けて出るようになったのだ。
 
わたしのデビュー作は、「変な日本人」。ハイスクールのパーティーへ、つんつるてんのゆかたに下駄、顔は真っ白にドーランを塗って参加した。いかにも新人くさいテレのある化け方であった。日本で女子大生をしていたころにはだいぶ成長し、堂々とつるっぱげヅラにちょびひげ、ステテコ姿で「酔っ払い親父」を演じることができた。ハロウイーンが認知されていない時代のお話なので、地下鉄丸の内線の車内で視線が股間に冷たく突き刺さってきたことを懐かしく思い出す。夜なべをして何十個もの紫色の風船をひもにつなぎ、それを体にぐるぐる巻いて「ぶどう」になったこともある。海苔を体に巻き付けて「海苔巻き」になっていたアメリカ人に対抗して、黄色の布をかぶって「茶巾寿司」になったこともあったが、あれは誰にも理解されない、さむーい芸であった。結び目がしょう油の染み込んだ「かんぴょう」でなかったことが敗因かもしれない。去年は、「ちんぴらヒッピー」。アフロ・ヘアに松田勇作みたいなサングラスをかけ、60年代のヒッピー・ファッションを着込み、娘の幼稚園に乗り込んだ。そしたら、「おじさん、怖い」と子供が泣いた。「おじさんじゃない。おばさんだ」と教えてあげたらもっと泣かれた。
 
わたしは、きっと老後には「あの年は、『娼婦』、その次は『関取』だったっけねえ」と、何十年にも及ぶハロウイーンでの自分のおちゃらけ姿を思い出しては笑って暮らす、陽気なバアさんになれるだろう。みんなも明るい老後のためにわたしと一緒に化け者になろう! 「恥ずかしい」という感情をかなぐり捨て、おバカの王道を極めよう! 勇気がなかったら、口紅をちょっとはみ出して塗ってみるだけでもOK。ぐりぐりぐりぐり、オバQのようなタラコ唇にして街を歩いたら「おもしろい日本人」って褒められること間違いなし! 「あなたって本当はいい人だったのね」とお友達も増えるはず!
 
ハロウイーン当日、化け者日本人がうじゃうじゃ出没することを楽しみに、今年もわたしは化けて出るぞー。
 
(2006年10月)

第15回 「バスケおたくの願い」

わたしはでかい。
ずーっとでかい。
 
身長170センチでランドセルを背負う、和田アキ子もびっくり!のジャイアントなお子様をしていたこともある。「このままいったら成人式には2メートル50センチくらいになってしまうのでは……」と、いたいけな少女だったわたしは、自分がドリフのステージで巨大着ぐるみ人形“ジャンボマックス”と共演し、みんなに笑われる姿を想像しては心を痛めていた。「ジャンボマックスとタメを張りたくなんかない」「成長を促す行為は一切慎もう」。中学入学を機に、わたしはそう決心すると、暗い部屋でしこしこ編み物をする手芸部入部を決意した。「みんな猫背で、とっても体に悪そうでよろしい」「レース編みのできる『でかいけれど器量のいいお嬢さま』になろう」と、もくろんでいたのだ。
 
しかし、神はわたしを見放した。新入生にして全校一の大女の座を手に入れた、わたしの容姿にほれ込んだ連中がいたのであった。その一群は、わたしをつけ回しては、「おまえはバスケをするために生まれてきたんだ!」「その巨体を無駄にするな! バスケ部に入部しろ!」と脅すのであった。強面のバスケ部のオネエサマ方のラブ・コールをお断りする勇気もなく、わたしは入学時の意に反して毎日放課後、茶色いボールと戯れる日々を送るはめになった。
 
これがわたしのバスケットボール人生の始まりである。中学・高校・大学とバスケ部所属。大女の道を極めた熱血バスケひと筋の青春(恐れていた身長はジャンボマックス化は食い止められ、マッハ文朱止まり。ホッ……)。だから、なので、やっぱり、わたしは今でもバスケが大好きだ。
 
シアトルに引っ越しが決まった時、わたしは興奮した。「NBAの試合が地元で見られる!」と。キーアリーナにも通い詰め、ジャンボマックスのような選手達が茶色いボールをどんどこやるのを目の前で見ることが、わたしの第2の青春となった。わたしは熱烈なシアトル・スーパーソニックスのファンになったのである。
 
11月はNBA開幕の月。待ちに待ったシーズン開始に、胸は高鳴りまくっているのだが、今年は同時に胸が痛い。それは、我がソニックスの将来が危ぶまれているからである。
 
シアトル・メジャー・スポーツ3兄弟の長男(67年生まれ)として、次男のシーホークス(76年生まれ)、三男のマリナーズ(77年生まれ)と共に、シアトル・スポーツ・シーンを賑やかしてきたソニックス。長男ソニックスは、わずか12歳にしてNBAチャンピオンという名声を得た。しかし、それからというものからっきし。ここ数年はプレーオフにも行けない有り様だ。次男のシーホークスがスーパーボウルに出場し株を上げているのに、なんともみじめな長男(三男が最近イケていないのだけが心の支え)。そんな幸薄い長男にさらなる不幸が……。数年前にコーヒー長者に買収されて(「ス」の付く会社ね)もてあそばれた挙げ句に、つい最近、長男はオクラホマの実業家に売っぱらわれてしまったのである! 今シーズンを最後に、ソニックスはオクラホマに養子に取られ、オクラホマ・スーパーソニックスになってしまうかもしれないのだ!
 
生誕40周年のめでたい年が、人生の分かれ道になってしまったソニックス。シアトルのバスケおたく達は彼の将来が心配でならないのである。バスケなんてどうでもいい? 3兄弟が2兄弟になってもいい? いいや、だめだめ。だんごも3兄弟がよろしいように、このシアトルもスポーツ3兄弟がいて初めて文明都市として栄えることができるのです! 長男を養子に取られるなんてシアトルの恥だ! みなさん断固、養子縁組を拒否しよう! わたしは、走るジャンボマックスをいつまでも目の前で見たいんだ! わたしの第2の青春を奪わないでおくれ! Seattle Supersonics Forever!!!!!
 
(2006年11月)

第16回 「里帰りUSA」

「おまえらは、いつ帰って来るんだ!」
 
また、ばあさん(義母)からの脅し電話が鳴り響く季節がやって来た。ホリデーのたびに家族を強制召還し、皆の自由を奪うのが趣味のばあさん。滞在中、個人行動は許されない。「サンタと写真撮影付き食べ放題ディナーを予約したぞ」「毎晩、モノポリーとビンゴで盛り上がるからな」。今年も人の趣味嗜好を無視したイベントのオンパレード攻撃で、わたし達を迎え撃つ。
 
1年の“刑”は、年末の里帰りにあり。これを乗り越えれば、めでたい正月がやって来るのだが、年々拷問が増す極刑服役シーズンを目の前にして、わたしはとても憂鬱である。「こんなばばあに誰がした!」。吠えるわたしに、「僕達でしょ」と夫は力なく言う。そうだ、おまえが悪いんだ!ばあさんのできの悪い息子達のおかげで、極刑が執行されるようになったのだ!
 
夫は4人兄弟の長男。「長男たるもの、青い目のブロンドと結婚して一家の血統を守るべし」と唱えていたばあさんは、黒髪の巨漢ジャパニーズを嫁に迎えるのを思いっ切り拒んだ。「人種差別は許さん!」「世界は一家、人類は皆兄弟だ!」と、世界平和のために嫁に来てやった善意の塊のわたしを完全無視。この14年、召還のたびに「ハロー」のひと言以外は口も交わさぬ犬猿の仲である。懲りないばあさんは、「次男たるもの、青い目のブロンドと……」と、夢を次男に託した。しかし、次男はフィリピン系アメリカ人とできちゃった結婚。ばあさんは、「どいつもこいつも、混血ばかり生みやがって!」と大暴れ。そして、アジア人の嫁達を黙殺し、すべての夢を三男に託したのである(娘がひとりいるが、女はどーでもいいらしい)。
 
「何でもいいから、青い目のブロンドを連れて来い!」。三男坊は、ばあさんに逆らうことなどできない肝っ玉の小さい男。ばあさんのお望み通り、青い目のブロンドと結婚。ばあさんのお望み通り、“一家の血統を守る”青い目でブロンドの孫を登場させてくれた。
 
これで、ばあさんは万々歳、いつ死んでも悔いのないはずだったのに。“できの悪い”長男次男も許し、アジアの嫁とも仲良くして穏やかな老後を過ごせば良いものを、ばあさん、みたび大爆発! ばあさんの言うなりに生きてきた三男坊に、女を見る目などありゃしない。三男坊は、ばあさんの生き写しのような、強引で気の強い女に引っ掛かってしまったのである。ばあさん一家の血統を守るために生まれてきたはずのお子様は、男兄弟のない嫁さん一家の血統を守る大事なお子様でもあったのである。嫁さんは、この子に自分の苗字を受け継がせ、おまけに三男坊にまで改姓を迫った。三男坊は嫁さん家族に養子に取られたようなもの。三男坊にまで裏切られたばあさんは、「どいつもこいつも、このろくでなしがあ!」と、火の玉のように熱く激しく怒りを爆発させているのである。
 
長年虐待を受け続けてきた長男の嫁としては、「ざまあみろ」のおもしろい状態であった。しかし、このまま黙って老いていくようなタマではないのが、このばあさん。「北」の国の誰かさんのような暴君として息子達家族を自分の支配下に置き、「誰が一番えらいか覚えておけ!」と、嫁達に自分の権力を誇示し、威圧することを生きがいにするようになってしまったのだ。
 
そういうわけで、里帰りは拷問である。娘達に、「今年はサンタさんがシアトルに来るので、家から出られません」と電話させたが、「出張料金払ってあるから、こっちに来い」とのお返事が……。
 
皆さん、さようなら。わたしは今年もまた、ばあさんに一挙手一投足を監視され、酒も自由に飲めないホリデー監獄へ行って参ります。無事に生きて帰れたら、また来年お会いしましょう。皆さんは、うまいもん飲んで食べて、すてきなホリデー・シーズンを過ごしてね。
Happy Holidays!
 
(2006年12月)

第17回 「妊婦USA」

あけましておめでとうございます!……だと? ふん、何もめでたくないわい!と、わたしは今年もご機嫌ななめでお正月を迎えている。だって、サンクスギビングを皮切りに始まった、パーティー尽くしのホリデー・シーズンが、新年を迎えたとたんにお開きになってしまうのだ。何十本ものシャンパンを空け、牛だの七面鳥だのに食らいつき、極楽極楽と酔っ払っていられた日々とお別れしなくてはならないのだ。ああ、なんて悲しいのでしょうお正月って……。宴の後に残るのは、ぶよぶよの体だけ。ぶよぶよ脂肪をつまみながら、わたしは思う。「あのころは良かったなあ」と。「あのころ」とは妊婦のころ。食べ放題、太り放題の楽しかった日々のことである。
 
アメリカは妊婦天国である。「妊婦様がご機嫌を損ねると胎児のためによろしくない」と、妊婦様のわがままは、なんでもまかり通るようになっている。「ビッグマックな気分」とつぶやけば、夜中であろうが、だんなはハンバーガー屋にすっとんでいって、妊婦様のご要望にお応えする。それがアメリカだ。
 
しかし、祖国日本の妊婦事情はよろしくない。特に病院関係のみなさまが優しくない。わたしは妊娠7カ月まで日本で妊婦をしていたことがあるが、「あんたはでぶだから、出産まで5キロ以上太るなよ」と、妊娠早々に宣告され、検診のたびに「減量しろ!」と怒られていた。わたしは、検診前には下剤を飲み、朝から何も食べず、計量前の「あしたのジョー」のようにふらふらしながら病院に向かい、体重計にのっていた。そんな劣等生妊婦を、アメリカは温かく迎え入れてくれたのだ。「ストレスをためるほうがよろしくない。なんでも好きなものを食べなさい」と、医者は優しく微笑んだ。「わたし、でぶ?」と問うと、「君は理想の体型だよ」とのお答えが! 「君はちょっと鉄分が足りないねえ、今夜はステーキをがんがんお食べなさい」とも! わたしは日米での天と地ほどの扱いの違いにボー然とした。「もう日本人などやめちまおう。アメリカ万歳!」。ステーキにがっつきながら、そう思ったものである。
 
アメリカでの妊婦生活は楽しかった。病院の待合室で出会う妊婦達は、みな大らかなでぶばかり。「アイスクリームをハーフ・ガロンも一気食いしちゃったわ」「妊娠6カ月で、もう50パウンドも太ったわ」と、けらけら語ってくれた。「もっと太ってタメを張らなくては」。わたしは過食に励んだ。毎日、欲望のままに食べまくった。そして努力のかいあり、アメリカ妊婦もびっくり!の百貫でぶ妊婦に成り上がったのであった。このまま一生妊婦でいたい!と思うほど、満たされた日々を過ごしていた。
 
あれからちょうど、この1月で10年になる。「あのころは良かったなあ」。「あのころ」は確かに良かったのだ。しかし、問題は「あの後」だ。でぶ妊婦の仲間達は、出産後しっかりジムに通い減量し、別人のようにスリムになっていった。なのに、わたしは妊婦時代の女王様のような食生活から足を洗うことができず、10年経った今も、妊娠中と同じ体型をキープしている。「しまった、やられた」。アメリカ人達にだまされた気がしてならないのである。
 
このホリデー・シーズンで、いちだんと肥えてしまったこの体。いっそのこと、ぶよぶよをリサイクルしてまた妊婦になるか! いや、もう酒をやめる勇気などない。10年も人生を共にしてきたぶよぶよだが、そろそろどうにかしなければ! 新年とは、別れの時。新たな出発の時である。きっぱり別れを告げてやろう。ぶよぶよ脂肪よ、おまえとはお別れだ! 出て行ってくれ!え? 手切れ金? そんな金などありゃしない。え? 体で払え? 走って来いだと? 冗談じゃない。しかたない、もうちょっと間借りさせてやることにするか。今年もわたしは、ぶよぶよぶよ……。
 
(2007年1月)

第18回 「ウインター・ショック」

「いらっしゃーい。寒いけど、どーぞー」
 
出迎えてくれたのは、着ぐるみのクマと子パンダ。……と思ったら、いつもはスリムなAさんがタイツにトレパン、その上にスキー・パンツを履き、上半身は「重ね着の限界までチャレンジしました!」という厚着の上に極め付きの“どてら”を着込んで立っていた。頭には、すっぽりスキー帽。子供はずっぽりデストロイヤー・マスク(ご存じ?)をかぶっているもんだから、子パンダに見えたのだ。遊びに行ったAさん宅、中は真っ暗。そして冷凍庫のような冷え具合。停電真っただ中の真冬の昼下がり、わたし達は暖炉の前でおしくらまんじゅうをしながら、ひと時を過ごしたのであった……。
 
この冬、着ぐるみクマやパンダが大量出没したノースウエスト。豊かな緑が自慢の土地柄が災いし、嵐の中で暴れ狂った大木の皆さん。彼らが荒れ狂った挙げ句、嵐に負け、力尽き、死の淵で電線を巻き添えにしてくれちゃったもんだから、シアトル近郊にお住まいのわたし達は、思いっ切り停電の日々を過ごしたのでありました。
 
耐えるのには慣れているシアトルっ子。毎年、暗くてジメジメの冬を生き抜いてきている。根性はある。しかし、この冬は大雨、大雪、大嵐! まるで「おまえらの根性、鍛え直してやる!」と、お天道様にヤキを入れられているような冬であった。まるで、わたし達が根性試しテレビ番組「サバイバル」のキャストに選ばれていて、誰かがどこかでどっきりカメラのごとく、その様子を撮影しているのでは?と疑うような、アンビリーバブルな試練の日々であった。
 
わたし達は耐えた。真っ暗な、凍てつく寒さの家の中で耐えた。お風呂に入らない記録を更新しながら耐えた。トイレも流さない記録を更新しながら耐えた(うちはポンプ式)。インターネットを使わない記録も更新しながら耐えた。時代の寵児であったハイテク道具は、停電と共に無用の長物と化し、永遠のアイドル、マッチとろうそくが「おらおら、オレは燃えてるぜー!」と、熱く活躍し、皆の心と生活を支えたのであった。
 
オンライン・ゲーム中毒の我が家の亭主は、マウスを握り締め、真っ暗な中、これまた真っ暗で無能な「箱」(コンピュータね)を見つめ、禁断症状と戦っていた。停電は、コンピューターおたくがまっとうな人間に復帰するショック療法としては最適かもしれない……。と、ほくそ笑みながら「天の裁きじゃ!」と妻が申すと、亭主も「そういうあなただって、天の裁きに遭ってるじゃないですか」と言い返す。亭主は冷蔵庫を指さしながら続けた。「中のもの、みんな腐ってますよ」
 
……嵐でご臨終になったのは、大木の皆さんだけではなかったのだ。巻き添えに遭った電線の、またさらなる巻き添えに遭い、わたしの大事な冷蔵庫も、ただのデカい無能な「箱」になってしまったのである。
 
「そ、そんな!」。ファッションになどお金を掛けないわたしの唯一の道楽、食道楽を支えていたわたしの冷蔵庫。そこにはいつもパンパンに、ぐちゃぐちゃに、100人を満腹にできるくらいの食材が詰まっていた(マジで)。
 
「こ、こんなに寒いんだから、腐らないだろう」
 
「もう5日も経ってるからダメですよ」
 
亭主はルンルンのご様子で、わたしのお宝をゴミ箱に放り投げていく。特売で買いだめしたステーキ肉が! ウナギが! カニクリーム・コロッケがあぁぁ! ちょっと待った! 今食べてやる! ああ、しかし、電子レンジは動かない! 食べる術がない! ……そして、わたしの全財産はゴミとなっていった。空っぽの冷蔵庫を前に途方にくれるわたし。
 
「またイチから出直すか……」
 
これからはもう、100人分も買わないようにしよう。取っておかないで、とっとと食べよう。冷蔵庫おたくにも、良いショック療法と相成りました。
 
ああ、なんて冬だったこと。早く春になれ!
 
(2007年2月)

第19回 「息子参上」

「やっぱり男の子はいいものよ」
 
今日もまた義理の母からいやがらせ電話が掛かってくる。「長男の嫁なのだから、跡取り息子を産め!」と義母はいまだにわたしに迫る。
 
わたしはもう40を超えたというのに。男勝りのおてんば娘がふたりもいるというのに。義母のできの悪い息子の面倒を一生見なくてはならないというのに! かなわぬ夢と希望を胸に、義母はいやがらせ電話に余念がない。
 
そりゃ、わたしだってブラッド・ピットのような息子が欲しいさ。そんでもってマザコンにして、お婿になんか行かせず大事に育ててみたいさ。しかし、わたしにはもはや1年も禁酒生活を続ける根性などない。それに頑張ったところで、ちんちん付きが生まれてくる保証もない。またオトコオンナが生まれてきたら……。考えるだけで子宮が萎える。だからもうわたしは産まない。絶対に産まない。だけど息子も欲しい!ということで、このたび念願の長男を養子に取ったのである。
 
生後3カ月の我が息子。愛くるしいったらありゃしない。もう自分で外に出ておしっこもうんちもするお利口さん。去勢済みだからどこの馬の骨だかわからぬ女をはらませる心配も無用。一緒に歩けば、ご通行の皆さまがなでなでしたくなる愛嬌のある我が息子。名前は、「いじり じょー」。「じょーじょー」と呼ばれ、溺愛されている。
 
息子に出合ったのは、とある夕暮れ時のことであった。娘達とふらりと立ち寄ったホームレスのわんわんにゃんにゃんセンターで、わたし達は、「フランク」という名前の子犬にひと目ぼれ。「この子なら我が家の息子にふさわしい!」と、その日のうちに養子縁組を実行したのである。ジャーマン・シェパードと何かとの雑種らしい我が息子。生まれも育ちもどこの「犬の骨」ともわからぬホームレスの子犬「フランク」は、「じょーじょー」として生まれ変わり、我が家のお坊ちゃまとして大事に育てられることになったのである。お散歩途中に出合う高そうなわんわん連中にひけを取らぬよう、ド派手なダウン・ベストやセーターを着ておしゃれをし、「まあかわいい子犬。種類はなあに?」と聞かれれば、「由緒正しいジャーマン・シェパードとゴールデン・レトリーバーのハーフよ」とウソをつき、「わん」ランク上のわんわんの振りをして暮らしている。
 
じょーじょーは、よく食べよく遊びよく眠る、健康優良犬である。よく食べるから、よくダウンロードもする。初めて犬を家族に持ったわたしは、ピックアップ業務の悪臭と感触と頻度に辟易しながらも、ビニール袋を片手に勇敢に業務を遂行している。
 
その日もわたしは、「あーあ、またか」と鼻をつまんでピックアップ体勢に入っていた。すると息子は何を血迷ったか、「おれのものにさわるなあ!」とわたしをブロックし、「ほか便」を前足で大事そうに抱え、ぺろぺろと、むしゃむしゃと、食べ出した! おええええ……。そして満足すると、わたしに近付いてきてキャイーンと甘えようとする。ひえええ、近寄るな! 汚い! このバカ犬めが! わたしは狼狽した。
 
「ほか便」を「ほか弁」と勘違いしている我が息子。息子よ、「ほか弁」は、のりご飯の上に鮭なんかがのってる安くておいしい人間さまのお弁当だ。「ほか便」は、臭くてばっちい排泄物だ。食べ物ではない。もう2度と口にするな! 違いのわかる犬になれ! ……と言っても、言葉もわからぬ我が息子。今日もまた「ほか便」をぺろぺろ、柱をがりがり、タオルをびりびり大忙し。
 
「早く人間らしくなれ!」と願って育ててきたが、相変わらずサルのような娘達と、「待望のお坊ちゃま!」と皆の期待を一身に浴びながらも野蛮な趣味をお持ちのお犬さまの息子を抱え、母は頭が痛い。跡取り息子はやっぱり人間のオスのほうがいいのでは……。ビニール袋を片手にスタンバりながら、悩ましい春である。
 
(2007年3月)

第20回 「お花見USA」

シアトルの街にも桜が咲き乱れる、美しい季節がやって来た。
 
美しい。……けれど、もの足りない。だって、せっかく桜並木があったって、そこにビニール・マットを敷いてどんちゃかお花見をしている人がいないじゃないの! 日本であれば桜の木の下スペースの地価は急騰し、ちょっとお尻を割り込ませてもらうために、焼き鳥だのコップ酒だの、わいろをばらまかねばならない状況であろう。しかし、アメリカの桜の木の下はひっそりと静まり返っている。そこにドラマはない。酔っぱらいもいない。ああ、なんともわびしい光景なのである。
 
わたしは花見が大好きだった。東京にいたころは、毎シーズン4、5宴お呼ばれしては、大暴れをしていた。お気に入りのスポットは四谷の土手。究極の花見芸「顔面シャワー」が編み出されたのもそこであった。女の先輩が一升瓶を持って桜の木に登り、彼女が「顔面シャワー」と叫んで注ぐ酒を、地面に正座したわたしは大きく口を開け受け入れるといった一発芸だ。明るいうちからどんちゃかやっているところに、「おねえちゃん達、ほどほどにねえ」と、ちゃりんこのおまわりさんがほほ笑みながら通り過ぎて行く。そんな平和なひと時がそこにはあった。が、アメリカの桜並木はむなし過ぎやしないか! アメリカのおまわりは厳し過ぎやしないか! 日本ではおちゃめな酔っ払いのわたしと先輩は、こっちじゃ立派な犯罪者として仲良く連行されてしまうのだ。花見に酒は付きものなのにアメリカは遅れている! 桜が咲くころになるたびに、わたしはそう吠え続けている。
 
日本は、アメリカ各地に桜の木を寄贈してきた。ワシントンDCのポトマック川沿いは、全米でも有名な桜の名所となっている。しかし、日本政府はとんでもない失敗をこいてしまったのである。肝心の桜の鑑賞方法を伝授し忘れたのだ。桜は「ステージ」である。そこは「パフォーマンス」の場なのである。そしてパフォーマンスには、酒が不可欠なのである! なのにそこのところをすっぽかしてきたおかげで、アメリカの桜の木の下は有効利用されずに今日に至ってしまったのだ。
 
月がきれいとあれば酒を飲み、雪が降れば露天風呂にまで酒を持ち込む日本人。風情のあるところには酒が登場するのが日本文化。「美しい国、日本」のスローガンを掲げる安倍政権は、今こそ真の美しい日本の姿を披露すべきなのである。今すぐ四谷、上野辺りのスーツ姿の酔っぱらいサラリーマン軍団を、ポトマック河畔に招集し、お花見ライブを決行して「花見酒」という素晴らしい日本の伝統芸をお見せするのだ! 「これぞ日本の国技、ちどりあしー」と、アメリカ人に手取り足とり、日本の伝統芸能を伝授しよう! 表情なく、黙々と働くことで有名だった日本人サラリーマンが、桜の下では陽気に裸踊りに興じる姿に、アメリカ国民は日本人の底力を知り、大いに感動し尊敬してくれるであろう。そこを突いて「ねえ、すごいでしょ、桜ってこうやって鑑賞するのよ。だから桜満開期間は特別に無礼講ってことで、花見酒を許可してね」と、花見酒の合法化を実現させて欲しい。
 
そんな在米邦人の切なる願いは聞いてもらえぬまま、今年も桜がどんどん散っていく……。ならば自力でやってやるぜ! わたしは最近血だらけになっている。公共の桜の木の下で花見ができぬのなら、我が家に桜並木を造るしかない!と、わたしは庭のブラックベリーと闘っているのだ。10年近く放っておいた我が家の庭は、ブラックベリーのジャングル。わたしは毎日ジャングルに突入し、とりゃーとりゃーと刀を振り回してブラックベリーをたたきのめしているのである。来年無事に花見は決行できるのか? 顔面シャワーは復活できるのか? いいや絶対やってやる! 中年女は今日も取りつかれたように血だらけになっている……。
 
(2007年4月)

第21回 「ディズニー・マジック」

何を血迷ったか、わたしは今、カリフォルニアのねずみの大国、ディズニーランドに来ている。それも、むちゃくちゃ混んでいる春の行楽シーズン。格安チケットだから、カリフォルニアに行くのに飛行機乗り継ぎ、6時間掛けてはるばるやって来た。ここ、ファミリー旅行の王道の地へ!
「こんなところにのこのこやって来るバカ親になるとは……」
 
現地飛行場の到着ターミナルで、わたしはすでにブルーになっていた。だって周りには、すでに魂をねずみの大国に吸い取られた愚か者達が勢ぞろい。家族総出でねずみの耳を付けた連中が、スーツケースを押しながらスキップして行く。ティンカーベルになりきったガキが、わたしにかぼちゃになれ!と魔法を掛ける。世界中からねずみの大国信者達が大集合なのだ。
 
ねずみ総本山にもうすぐお参りできる!と、鼻息荒くねずみの絵が描かれたバスに乗り込むだけで大興奮。「おまえ、前世は日本人か?」と疑いたくなるほど、バスを背に写真を撮るなど大騒ぎ。ああ、恥ずかしい。こんな連中と同じ行動を取ってる自分って……。わたしは自分の愚かさに情けなくなっていた。
憧れの地まであと少しのバスの中。乗客達は、やしの木が見えると「キャー」、お城が見えると「うおおおお」。運転手もサービス精神旺盛にねずみの大国の「ここだけの話」をいろいろしてくれるもんだから、乗客達のテンションは最高潮。満員御礼のバスの中は熱気でむんむん。
「おまえら、勝手にやってろ!」
わたしはクールに知らんぷりを決め込み、滞在中はのんびりホテルのプールサイドでビールを飲んでよう……ともくろんでいたが、そうは問屋が卸してくれなかった。
ねずみの大国直営の大国に隣接したホテルにチェックインをすると、「ねずみの大国ホテルにお泊りの方だけに、大国は朝7時からオープンします」というサービスがあるという。「そいつは行かなきゃもったいない」。それにねずみの大国パスは、何でも乗り放題。「そいつは乗りまくらなきゃ損そん」。そのうえ、世界中からやって来たねずみの大国信者達も早朝から気合が入っている。
 
結局、貧乏性&負けん気の強いわたしは、バカンス中だというのに毎朝6時起床。オープンと同時にねずみの大国に突撃だ。ねずみの大国なんぞは女々しい連中の行くところだ!となめてかかっていたわたしは大ばか野郎であった。ねずみの大国は、タフな連中だけが生き残れるド根性ランドなのである。早朝からひたすら歩き、人気の見世物の前ではじっと我慢の子になり並び、ジェットコースター系乗り物では絶叫、恐怖の限界を体験し、1日の終わりには身も心もぼろぼろになる……。一緒に旅していたひ弱なMは、幼い娘を抱きプリンセスに会うために2時間も並んでいたら発熱し、バカンス半ばでシアトルに帰ってしまった。そして日ごろ甘やかされている小僧達も、たかが数分ダンボでぐるぐる目を回すだけのために、炎天下ひからびながら並ばねばならず、体を張って「忍耐」を学んでいる。
飴とムチ。プリンセスとホラー(すんごく怖いのがアドベンチャーパークにあるよ!)。バカンスなんだかブート・キャンプなんだかわからない謎の大国。ねずみの大国滞在4日目にして、子供達は、宿題やお手伝いや掃除や洗濯なんてへのかっぱに思えてきたという。わたしも毎朝早起きをして弁当を作って学校の送り迎えをしていた日々が、なんとも楽ちんに思えるようになってきた。これぞ、ディズニー・マジックか。バスの中で一緒だったねずみ信者達もまたマジックを感じて帰って行くのであろうか。
 
あと2日。靴ずれにバンソウコウを貼り、ぱんぱんのふくらはぎをもみもみ、まあるいねずみのお耳帽子をかぶって突撃するぞ。
 
ねずみの大国。わたしも信者になってしまったかもしれない……。
 
(2007年5月)

第22回 「暴飲暴食クイーン伝」

「わたしー、彼氏とハワイに行くんだけどー、親にはあんたと行くことになってるからよろしく!」
花の女子大生ともおさらばの春、きゃぴきゃぴぶりぶりの友人達はるんるんと、「卒業旅行」という名の不純異性交遊の旅の準備に忙しく、脇やすね毛の脱毛に励んでいた。
 
彼氏いない歴22年のわたしとM子もまた卒業旅行の準備に忙しかった。脇もすね毛もぼーぼー。しかし胃を鍛えておかねば!と、食べ放題飲み放題のお店荒らしに励んでいた。「色気より食い気」などというレベルをはるかに超えた暴飲暴食を日課にしていた、女子大生のわたし達。3時のおやつは学食のカレー、のどが渇けば自販機のビール(大)を一気飲み。きゃぴきゃぴぶりぶり達がカフェ・バー(古~い!)でモスコミュールを彼氏とちゅーちゅーやってるころには、居酒屋で電卓をたたき、「今ならひとり1,500円だけど、もっといくか!」と、焼き鳥くわえてお銚子を転がしていた。
 
そんなわたし達にお似合いの卒業旅行。それは、暴飲暴食、食い倒れの旅。これしかない。
 
大学生活で培ったわたし達の唯一のスキルを、最後にとことん生かしてみたかった。社会人になって、理性でも芽生えてしまったらできなくなってしまう、バカくさいことを心おきなくやっておきたかった。
 
そしてわたしとM子は、数枚のパンツと胃薬と「青春18きっぷ」を手に電車に飛び乗った。とにかく北へ向かおう! おもいっきり駅弁を食べまくろう! 北海道まで行って寿司、カニ、ラーメン、ジンギスカンなんかをぶっ倒れるまで食べまくろう! それがわたし達乙女の夢であった。
 
♪上野発の始発電車降りた時には~(石川さゆり調でよろしく)、すでに6個の駅弁が「朝食」となって消化されていた。途中、通勤ラッシュに遭い、背広のおっさん達の熱き視線を浴びながら、駅弁をかっ込んでいたわたし達。電車を乗り継ぎ、夜行の船で雑魚寝し、臭ーくなりながら、あこがれの北海道へ上陸したわたし達。北海道はうまかった。朝からカニ・ラーメンをずるずる。ウニをちゅーちゅー。イクラをぷりぷり。ジンギスカンの食べ放題&ビールの飲み放題のサッポロビール園では、わたし達の「どんどん持って来い!」のペースにお店の人もびっくり。女子プロレスラー来店か!と、店中の注目を浴びたっけ。
 
わたし達は、はじけていた。Gパンのボタンもすでにはじけ飛んでいた。これぞ青春だ! もう人生に後悔なし! 爆食いペアは永遠に不滅だ! とふたりで涙して、わたし達は社会人としてそれぞれの道へ羽ばたいていった。
 
あれからもうすぐ20年。わたしは、シアトルで母となり、ゴムパン暮らしで暴飲暴食に磨きをかけ、30パウンドもでっかくなって健在だ。M子も、東京でひたすら仕事に追われる日々だが、「男より肉と酒」と、素敵な独身暮らしを決行中。離ればなれになりながらも、それぞれの縄張りで暴飲暴食クイーンとして君臨してきたわたし達。なかなかジョイント・ライブができず、ファンの皆さまをやきもきさせていたが、このたびシアトルでペア復活! M子がシアトルにやって来たのだ!
 
久々のジョイント・ライブはすさまじかった。3日分のつもりで用意したビールとワインが、ひと晩で底をついた。生ハム、チーズ、寿司、ステーキ……我が家の特上コースのごちそう群も、あっと言う間にM子とわたしの胃袋に吸い込まれた。
 
そうそう! こうでなくっちゃ! これがわたし達よね。大学のころから、ちっとも変わらない暴飲暴食ぶりに、わたし達は時の流れを忘れ、無邪気にワインをらっぱ飲みし、肉をほおばり合った。
 
M子襲来によって「宿開き」となったサマー2007。我が家は全世界の食い倒れ仲間の定宿として繁盛することであろう。暴飲暴食クイーンは、胃をわくわくさせて待っている。
 
(2007年6月)

第23回 「再会USA」

「めぐみ!」

「え? え? えええええ!!!!!!」
 
ちょっとやそっとのことじゃびっくりしないこのわたし。しかし、この時ばかりは度肝を抜かれ、腰くだけ状態に。これはまぼろし? お化け? プレイバックしていく記憶。ま、まさか、おまえはあの時の……!
 
あれは、1983年の夏。ニューハンプシャー州の田舎町の高校に、ふたりのアジア人留学生がやって来た。何の事件もニュースもないひなびた町の新聞社は、「こいつはビッグ・ニュースだ!」と暇つぶしに留学生ネタで大きな記事を書いてみた。「むちゃくちゃかわいい! フィリピンからやって来た黒髪の少女!」の見出しで登場したのは15歳のマリリン。小さくて華奢な体は小学生にしか見えず、「こんな小さな子がひとりではるばる海を越えてやって来るなんて……」と町の皆さまの憐れみを買い、かわいがられることになった。もうひとつの見出しは、「サムライ襲来! 日本からやんちゃな男の子がやって来た!」であった。短髪、長身。バスケットボールを抱えてほほ笑むその留学生は、立派な体をしているもんだから、「フットボールもやらないか?」とコーチからお誘いを受けもした。
 
しかし、その留学生は17歳のわたし。わたしには、今も昔もち○ちんなど付いていない! 「アイ アム ア ガール!」と、へたくそな英語で叫ぶのだが、「アジア人の女の子は、マリリンみたいに小さいはずだ」と相手にしてもらえない。勝手に性転換させられた情報が出回ってしまい、アメリカに来てまで「わたしはでかいが、正真正銘の女だ!」と宣伝して回らねばならなかった。そしてわたし達は、留学生XL&XSと呼ばれるでこぼこコンビとして、1年間共に学校へ通ったのである。
 
「おまえがいなけりゃ、わたしがアイドル留学生になれたのに!」
 
留学生XLは、小さくて人気者の留学生XSをねたましく思いながら食べまくる日々であった。食後のピザ、どんぶり盛りのアイスクリーム……気が付けば30パウンド増量し、もう男の子には間違えられないが、ムームーの似合うハワイアン・ママのような体型になっていた。どんどん太っていくわたしとは違い、いつまでもガリガリのマリリン。
 
「おまえも太れ!」とガンをつけると、実は彼女のホームステイ先は、節税対策に留学生を受け入れているだけのろくでもない一家だったようで、食事も満足に与えてもらえないというのだ。それでも我慢しなくちゃ、と頑張っていたマリリン。わたし達は手を取り泣きじゃくり、ピザを分け合いながら、「わたしがおまえを守ってやるぜ!」と、以来仲良く苦楽を共にしたのだった。
 
留学生活が終わり、各々の国へ帰って行く時には本当の妹と別れるように悲しかった。しかし、その後どういうわけか連絡が取れず、もう2度と会えないとあきらめていたのに。そのマリリンが、ディズニーランドの人込みの中、相変わらずの小さな体で一生懸命ジャンプしながら手を振っているのだ! うそのような23年ぶりの偶然の再会である。
 
フィリピンからサンディエゴに引っ越して来たというマリリン。「よくわかったね?」。「いやあ、でっかいアジア人がいるなあと思って見てたのよ。こんなにでかいのは、めぐみしかいないと思って。変わらないねえ」だと。「違うのよ。ちょっと前まではやせててね、ウエストだってあったのよ。アメリカよ! またアメリカにやられたのよ!」。必死のいいわけがディズニーランドの喧騒の中、むなしく響いていった……。
 
やせていたらマリリンは気付かなかったのだろうか。これからもわたしはアメリカン・デブーでいたほうが良いのだろうか。
 
この夏はちょっとやせたいです。
 
(2007年7月)

第24回 「帰省ブルース」

「やってられねーよー」 。 この夏も日本各地の酒場でシアトルから里帰り中の日本人(就学児持ち中年多し)が荒れているという。せっかく故郷に帰ったというのに。焼き鳥、ラーメン、なんでもおいしいグルメの国にいるというのに。彼女達はいったい何が不満なのか? 日本の夏か? そりゃ日本は暑い。日本列島はサウナ風呂状態にむわああ~っと暑い(北国はぬるめだけどね)。外に出れば、熱気が体にまとわりつきドバッシャーっと汗が噴き出す。3歩歩けば化粧がはげる。手を挙げて横断歩道を渡ってみれば脇の下のまあるい汗ジミがひときわ目立つ……。しかし、暑いくらいで「シアトル撫子」達は、グレやしない。そんなことでは「私達だって大汗こいてるのよ、我慢しなさいよ」とカリフォルニアから里帰り中の女達に笑われる。 「カリフォルニアの青いバカ系にとやかく言われたくないわ!」。ウエスト・コーストの北の外れで長くて暗い冬に耐え、雨でびちょびちょの毎日と闘うど根性シアトル撫子は、1年中ちゃらちゃらと青い空の下で暮らしているカリフォルニア族がねたましい。「もう雨地獄は嫌!」。そう言って南へ逃げていく敗北者達も多い中、シアトル撫子は耐えて耐えて生き抜いてきた勝利者である。青いバカと一緒にされるのだけはごめんである。この冬は特につらかった。嵐に停電。ろうそくの灯りで暖をとり「これを越えれば夏が来るさ!」と家族で励まし合ったものである。ああ、そこまで耐えてやっと手にした素晴らしいシアトルの夏。青いバカもうらやむさわやかで美しい夏。夜9時でも明るい! 夜にビキニで日光浴だ! ボートでパーティーだ! 太陽を浴びながらの晩酌だ! ……しかし、シアトルっ子達が夏の到来にエキサイトしているかたわらでシアトル撫子達は風呂敷を広げ日本行きの旅支度をしなくてはならなかったのだ。「なんのために長い冬を耐えた! シアトルの夏を見過ごすなんてシアトルに住んでる意味がないじゃないか!」と、一緒に耐えた仲間達にバカにされながら。
 
「今日もセイフコ・フィールドはさわやかな野球日和です!」。日本でマリナーズの衛星中継を見ながらシアトル撫子はぐっと拳を握りしめ壁をどつきたいのをがまんして「おっちゃん、大ジョッキもうひとつ!」と飲み続けるのである。
 
こうして暴れるシアトル撫子は、実はよくできたお母さまなのである。子供の日本語教育のために夏は日本に行かねば。体験入学もさせねば……と梅雨のころから日本上陸。せっかくシアトルの雨地獄に耐え、さわやかな夏がやって来た矢先にまたまた日本で雨地獄へと逆戻り……そういった苦労を買って出る勇敢なお母さまなのである。夜の9時にビキニ着てワシントン湖にボートを浮かべシャンパンのらっぱ飲みをしていたいのに、子供の日本語強化合宿のために愛するシアトルの夏を犠牲にした女神様なのだ。こういう立派なシアトル撫子の皆さんは、まず成田でレッド・カーペットのVIP待遇でお迎えいただき、苦労知らずのカリフォルニアの青いバカ系の皆さんと待遇を変えていただきたいものである。特別入国カウンターで冷えた麦茶とおしぼりでも用意して欲しいものである。そして安倍総理は、「立派な日本人をお育ていただくためのご来日、誠にありがとうございます」と苦労をねぎらうべきである。
 
さあ、もう8月。シアトルの夏も第3コーナーを回りゴールが見えてきてしまった! 日もどんどん短くなってくる! そして続々と日本からシアトル撫子達が帰って来るぞ! 「わたしのシアトルの夏はどこへ行ってしまったの!」と浦島太郎のようにぼー然とたたずむ日本女性を見掛けたら「ご苦労さまでした」とねぎらってあげましょう。
 
我が家も来年は体験入学。夜9時のビキニ晩酌、私は犠牲にできないだろうなあ……。
 
(2007年8月)

第25回「サル小僧のお入学」

「うううううう」。隣の男がうるさくて目が覚めた。明け方4時。汗だくになり、うなり続ける中年男。「うるさい! 睡眠不足はお肌に悪い! だまって悶えろ!」。わたしは蹴りを入れ夢の続きを見ようとした。しかし今度はベッドが揺れ、船酔いしそうで眠れない。「うううう、死にそうです」。「死ぬ!?……ああ、またか」。良くできた妻は昔の「ううう」体験を思い出していた。この中年男は前にもこうして「死にそうです」と弱音をあげ、救急車で運ばれて行ったことがある。
 
「ピーポーピーポーどいてください! 救急です!」とドラマのようにかっこよく運ばれて病院へお邪魔したものの「あ、こりゃ石よ。でぶに多いのよね」。と腎臓結石かなんだかの診断を受け、「石が出るまでぶらぶらしておけば」とのんきな入院をさせられたことがある。
 
「また石だろ。朝まで我慢しろ。そしたら病院へ連れて行ってやる」。そう言って、そんじゃま、夢の続きへ戻らせていただきますよ、と妻はいびきをかいて朝まで熟睡の予定を組んだが……思い出した! 朝っぱらから石ころでぶを病院へ連れて行ってる暇などないのだ! その朝には、我が家の次女、知る人ぞ知る「みるちゃんみるみる」の妹の「サル小僧」のお受験が控えていたのだ。
 
IQテストでトップ3パーセントに入っていないと受験もさせてくれないという難関校。しかし入ってしまえば伸び伸びとしていて成績表もない。金八先生みたいな人気者先生がいっぱいいて楽しく学べる素晴らしい学校。ねえちゃんがうまくもぐりこんでいるので、サル小僧にもぜひここでまっとうな人間に育って欲しかった。どう見てもおりこうに見えないちんぴら小僧。しかし好成績でIQテストを突破。あとはこの日の学校訪問でよそのお子様を殴ったり蹴ったりしなければ大丈夫なはずなのに……。「おまえなんかの石ころごときにつまづいてたまるか!」。妻は、飛び起きた。「行くぞ! 今すぐERへおまえをぶちこまねば」。そうして朝4時、わたしは悶えるでぶを車に押し込むと救急病院へ車を走らせ「石ころでぶ一丁よろしく」とERにチェックイン。そして「あとで引き取りに来まーす」とでぶを置き去りにすると、逃げるように家へ戻った。
 
サル小僧が睡眠不足で暴れたら元も子もない。平静を保ってお受験へ向かわねば、人生を棒に振ってしまう……。そしてなにごともなかったふりをして朝ご飯を食べ、お出掛けしようとしていると電話が鳴った。「石ころでぶを迎えに来てよ」とナースが言う。「ノー・サンキュー。わたし達にそんな暇はない」。「薬漬けでふらふらしてるから早く家で寝かせてあげなきゃよ」。「だめだめ。そのへんに転がしといて! あばよ!」と、電話に叫ぶとわたし達はお受験へと急いだ。
 
受験生は皆、パパ・ママ同伴でにぎにぎしく集合している。寝不足なわたし達にはどう見ても不利な戦況である。わたしは、校長をとっつかまえると、「うちの夫は今ERに置き去りにしてあるんですよ。こっちのほうが大切なので泣く泣くやって来ました」と、お涙ちょうだい攻撃に出た。「帰ったほうがいいんじゃないですか?」。校長は心配してくれたが、「そんなことより合格させろよ」と母は校長にがんをつけていた。
 
さあ、9月。サル小僧は、石ころ事件にもめげず無事に合格し、入学式を迎える。「ああ、どうにかここまでこぎつけた!」。母は感無量。「パパが病院でひとり苦しみ耐えたおかげなんですよ」。石ころ親父は恩着せがましくいばっている。「あなたのパパはあの時、石ころでイタイイタイだったのよねえ」。学校中に石ころ事件はバレていた。かわいそうに。サル小僧は「石ころでぶ」の娘として新天地で生きていかねばならないようだ。負けるなサル小僧! やせろ石ころでぶ! 今度はもう病院にも連れてかないぞ!
 
(2007年9月)

第26回「恐怖の健康診断」

「明日からダイエット」歴30年。わたしは、年季が入ったぐうたらでぶである。「やせたいけどー、つらいの嫌いー」と「明日から……」を言い続け、どんどん横に大きくなってきた。特にアメリカ上陸以後の成長ぶりには目を見張るものがあり、最近では医者にまで目を付けられている。わたしの見事な食いっぷり&飲みっぷりを誰かが密告しているようで(容疑者:うちのもうひとりのでぶ♂)「健康診断に来い!」とラブ・コールが掛かってくるようになってしまったのだ。
わたしは健康診断が嫌い。余計なお世話だから大嫌い。ちゃんと自分のことを「でぶ」と認識しているわたしに向かって、「250ポンドのでぶ」とか「悪玉コレステロール380のでぶ」とか「たんぱく尿のでぶ」とか、へりくつを並べてでぶを語ろうとするから大嫌い。でぶはでぶ。それで良いじゃないか! うだうだ言うな! ……そう思うのだ。
 
健康診断でいちばん大嫌いなのは、体重測定。わたしの病院では廊下のど真ん中、交通量のいちばん多い四つ角に体重計がどーんと置かれている。体重を測るなら、『あしたのジョー』のように絶食して、サウナに入って血も抜きたい。パンツ一丁になって、ちょっとでも身を軽くして測りたいのに、脱ごうとすると阻止される。その上、着ぶくれした体重を「めぐみちゃん250ポンドー」とか大声で独り言を言いやがる。プライバシーの侵害もはなはだしいのが健康診断の現場である。
 
なのでわたしは健康診断をボイコットして生きてきた。「仕事が入っちゃって」「娘1が病気で」「娘2がけがで」「また仕事で」「また娘1が……」とドタキャンにドタキャンを重ねて逃げてきた。しかし立派な中年の仲間入りをした今、敵もしつこい。我が家のスパイもわたしのスケジュールを密告しているようで「○月x日お暇よねぇ」と病院からご指名電話が掛かってくるほどの人気者になってしまった。逃げ場を失ったわたしは自首せざるを得なくなり、とうとう健康診断へ出向いて行った。
 
屈辱の着ぶくれ体重測定を経て個室の取り調べ室に入ると、裸にされ質問攻めに遭った。「セックスしてる?」「ひとりと?」「相手いろいろ?」「避妊は?」「子供堕したことある?」「ドラッグ好き?」「酒やる?」「アル中?」。な、なんだこれは! どう見たって品行方正なわたくしに何を抜かすか! 詰問から解放されたかと思うと、体をいじくり回され、血を抜かれ、注射を打たれ、股の中まで突っ付かれ、身も心もボロボロになっていた。
 
やっと拷問も終わったか……とパンツを履いて帰ろうとすると、どこからともなくおばちゃんが現れて、不気味なマシンの置かれた暗い部屋にわたしを連行。そして「はいそこにおっぱい置いて」と言う。これぞマンモグラフィー。通称「おっぱいつぶし機」である。忘れていたが、40を過ぎたわたしはこんな拷問も受けねばならないのだ。
 
板に挟まれ横にぺちゃーっとされ、斜めにぐにゅーっとされ、おっぱいの柔軟性をとことん追求するおっぱいいじめ。おっぱいはかわいそうなほどにつぶれていく。乳首から血が噴き出そうに痛くてたまらない。歯を食いしばっていじめに耐えていると、おばちゃんが「ちょっとお腹がじゃまよ。ひっこめて」だと。おおおおおおおぬし! わたしのおっぱいより腹が出ていると言うのかー。おまえが力抜けって言うから、お腹だって力抜いただけじゃないかぁ!!!
 
「はい。もう帰っていいよ」。スルメイカのような垂れ乳になって解放された時には、歩く気力もないほどに疲れ果てていた。いじりまくられた体中が痛くてたまらない。「健康診断なんかまともに受けてたら病気になるわ!」。来年からまた健康診断ボイコットを決意した昼下がりでありました。
 
(2007年10月)

第27回「ピンクのレオタード」

水曜日はジムナスティックスの日。我が家のサル娘が大喜びで出掛ける体操教室の日。そこにはオリンピックを目指すようなアスリートのオネエサマ達がいっぱいいる。ぱっつんぱっつんのレオタードを着て、バック転の連続技や大股広げての逆立ち歩き、鉄棒ぐるんぐるんなどをしては目を回している。
 
そしてその隅っこで「わたし達だって負けないわよー」と飛んだり跳ねたり、おいもごろごろ(横転)したりしているのがサル・チーム。やっとオムツが取れたような幼児達がいっちょまえにオネエサマ達のようなレオタードを着てご満悦。サル・チームは皆、お尻がもっこりしているのが特徴だ。レオタードの下にパンツを履いているからだ。そして飛んだり跳ねたり、おいもごろごろしているうちに、パンツが思いっきりはみ出てきて、ギャラリーの笑いをかうのであった。
 
サル・チームの親分である、キンダーガーテンに通うサル娘は「プリスクールの“はみパン”ギャルズとは一線を画したい」とノーパン宣言をした。レオタードは水着と同じようなものだし、そもそもパンツを履いてるほうがおかしい。親としてもノーパンを却下する理由もなく、サル娘は晴れてノーパンのオネエサンに格上げとなった。しかしこれが災いし、ノーパン初日に悲劇が起こったのである……。
 
ジムナスティックスのクラスは夜6時からなので、腹が減ってはおいもごろごろはできぬ、と家で早メシをかきこんでからクラスへ向かう。その晩は、お母様特製のミート・ソース・スパゲティでノーパン・デビューの腹ごしらえをして、車に乗り込んだ。うきうきわくわく、お尻も軽く、もうすぐ待望のジムに着くというところで、サル娘が「ママ、お腹がぴいひゃらら」と言う。「なに! 待て! こらえろ! ここでするな!」。わたし達は超ダッシュでジムのトイレへ駆け込んだ。セーフ! 「だから変なもん勝手に食べちゃだめって言ってるだろ!」。わたしは拾い食いが得意なピンクのレオタードを着たノーパン娘を戒めて、クラスへ連れて行った。
 
さあ、サルが行ったら今度は犬だ。忙し母さんは、この隙にお犬様のお散歩をしなくてはならない。ジムの周りをうろうろうろうろ歩くのだ。しかし、うろうろうろうろしていると激痛が……。なんとママもお腹がぴいひゃらら。トイレに行かねば! 急がないとやばいことになりそうだが、急ぐともっとやばい。股を引き締め、そろそろと車に戻って犬を押し込み、歯を食いしばってジムに戻ると、トイレにまっしぐら。セーフ! しかしぴいひゃらは相当深刻だ。
 
「もしや……ミート・ソース?」。そう言えばひき肉が古かった。炒めりゃどうにかなるかと思ったが、どうにもならずにぴいひゃらを招いてしまったようだ。
 
サル娘も拾い食いではなくミート・ソースにやられたのでは! 大丈夫だろうか? 心配してクラスをのぞくと、鉄棒にぶら下がるサルがいた。ここでの決め技は、両手両足で鉄棒にぶら下がり、ゆらゆら揺れるというもの。重たいお尻をやっとこさ持ち上げ、大股開いて両足をぶら下げると、あ! サルの股間に茶色いシミが……ぴいひゃらだ!「や、やめろー」「力むなー」。しかしサル娘は「大丈夫」とVサインを出して、大股ぶら下がりをやめない。真っ赤な顔をして力いっぱいぶら下がっている。何も知らない先生がサルのお尻を押す。むちむちお尻がぶらんぶらん。
 
「うわああああ」「力むなー!」「もうやめろー!」。日本語で叫ぶが、サルはあいかわらずVサインを送ってくるだけ。おパンツを履いていれば、こんな「ちびり」くらい吸収できたろうに。こんな日にノーパン・デビューなんかさせるんじゃなかった……。
 
以来サル娘は黒いレオタードを着てジムナスティックスに通っている。気を付けよう、古いひき肉とピンクのレオタード……。
 
(2007年11月)

第28回「やくざな母の育児論」

アメリカのご父兄は甘い。“怒鳴る。脅す。ひっぱたく”……といった、くそガキ調教の3原則を非難し、怒らぬしつけが子供の情操教育によろしいと信じている。ビシッと言えばいいのに。雷を落とせばいいのに。悪態をつきまくるお子様を前に、「ハニー、ごきげん斜めなのはわかったわー。あなたがハッピーになるためにはどうしたらいいかしら」なんぞと、たらたらうだうだおしゃべりをする。そして「ハニー」のご機嫌が直らないと、アメリカ人がしつけの必殺技として信じてやまない「123カウント」を始める。
 
「ハニー、ママが3つ数える間にいい子ちゃんにならないとおしおきよ」「い~~ち」「ハニー、おかしいわね。もう、1数えちゃったわよ、次は2よ、2。数えちゃうわよハニー。2の後は3が来ちゃうのよ。いいの?」「に~~~」「ハニー、次は3よ、ママが3を数えたらおしおきよ。怖いおじさんに連れて行かれるわよ。もうママにも会えないわよ、考え直すなら今よ。いくわよ」「さ~~~~……」
 
「バカかお前は!」。端で見ていて、こんなふぬけな親はぶっ飛ばしたくなる。このカウント・ダウンは、お子様のおしおき執行前に3秒の執行猶予を与えるというもの。3秒で更生されなければ実刑を下さなくてはならないのだ。しかし、こういう手ぬるい親には3つ数えたところでおしおきプランなどない。子供を置き去りにしていく勇気もない。子供だって親がふぬけなのをお見通し。だから、くそガキ・ハニーはくそったれ続け、親は永遠に終わりのないカウントをし続ける。
 
わたしは短気だ。ひっくりかえって泣き叫ぶお子様相手におしゃべりを楽しむ趣味はない。1、2、3だの数える暇もなければ執行猶予なんぞを与えてやる広い心も持たぬ。わたしは吠える。ドスの効いた日本語で思い切り。「てめえら、なんだその態度は!」「今すぐやめねえとピカチュー没収するぞ!」「それともてめえらブタバコ行くかあ!」。我が家のお子様達にはこれでOK。日本語はあまりお上手ではないお子様達だが「ブタバコ」「おまわり」「没収」などのボキャブラリ―には精通している。引っくり返って泣き叫んでいようが、髪の毛を引っ張り合って姉妹げんかをしていようが、日頃は温厚なお母様がブチンと切れてやくざジャパニーズを喋り始めると、ぴしっと姿勢を正す。
 
やつらは知っている。お母様の言うことにうそはない。「ブタバコ」に行くと言ったら、お母様は学校に遅刻してでもおまわりさんのところに直行する。オモチャを没収すると言ったら、どんなに高価なものだろうが2度とお目に掛かれない。
知り合いに「言うこと聞かないと黄色い救急車が迎えに来るよ」と親に脅され、びくびくして育ったというおバカがいるが、今時そんなうそを見抜けぬお子様などいない。「ああ、お迎えに来てもらおうじゃないの」と挑発してきたら、親は救急車を黄色く塗って連れてくるのか? そいつはちょっと金が掛かり過ぎる。その点、「悪いことをしたらブタバコ行きだあ!」にうそはない。社会の秩序を乱し、法規を順守できぬふとどき者は、牢屋に入って罰を受けるのだ。
 
「お、また怖ろしい日本人のお母さんのお出ましだよ」。わたしは近所の警察じゃ有名だ。正面玄関に車を横付けしては、「お前ら、いいコになるまで面倒見てもらえ!」と大声を張り上げている。すると子供達は涙と鼻水を大量放出し、「いい子になります。ブタバコはお許しください」と、すがりつく。「だったらあやまれ! いい子になると誓え!」。もう1発吠えれば「はい」と素直に更生を誓うのだ。
 
甘ちゃんだらけのアメリカでお子様をびしっと育てるには、心を鬼にして吠え続けなくてはならない。「てめえらブタバコぶちこむぞ!」。師走のシアトルご町内に今日もわたしの美声が響き渡る……。
 
(2007年12月)

第29回「お正月 in ジャパン」

「わたし達はアメリカ人なので日本語なんぞ勉強したくありません」と1年中暴れているハーフの娘達が突然、「わたし達はやっぱり日本人なので日本の文化を大切にしたいと思います」と、日本人復活宣言をするのがお正月前。クリスマスにさんざんアメリカの親族とサンタクロースからプレゼントをもらうと「よっしゃ次は現金だぜい!」と、日本の良い子の皆さんのまねをしてお年玉をせびろうと日本人の血を沸き立たせるのだ。
 
「バーカ! 日本語もろくにしゃべれないやつらはお年玉なんかもらえないんだよー」とせせら笑ってやると、我が家の会話は突然オール日本語になり、「やっぱりご飯と納豆が好きなわたし達って日本人よねえ」と納豆練り練り日本人に化けようとする。「お母様、やっぱり年末年始は日本で飲んだくれていたいでしょう」。「芸能人かくし芸大会は日本じゃないと見られませんよねえ」。やつらはお母様の嗜好を心得ていて、うまーくツボを押してくるものだから、今年は奮発して日本でお正月を過ごすことにした。
 
就学児童を抱えるお母様がゆっくり日本に帰れるのは、夏休みか冬休み。夏休みのほうが長期で帰れるが、暑い夏だと、ぶよぶよの体はぐじょぐじょ汗をたらすわ、「でぶでぶでぶ」と指をさされて笑われるわ、そのあと笑った連中をぶっとばしたりするのに無駄なエネルギーを消費させられるわ、蚊に刺されてかゆいわで、あんまり良いことがない。しかし冬休みはぶよぶよの体を隠すのはへのかっぱ。ぶよぶよのほうが暖かくてよろしい。それに国中が、飲んで食って飲んで食ってモードで、わたしの大きな胃袋は最高のおもてなしを受けさせてもらえる。
 
大晦日から正月三が日の間に日本人が消費するカロリーは、アメリカのホリデー・シーズンよりもいっちゃってるんじゃないかと思う。大晦日に「最後の晩餐!」と、ごちそうを食べまくって飲みまくったシメに、天ぷらそばの大盛りを食べる。そして胃がもたれたまま新年を迎え、朝から酒だ、おせちだ、鯛だ、雑煮だと、飲んで食って、飲んで食って……日本人の底力が発揮されるのがお正月であろう。飲めば飲むほどおめでたがられ、大酒飲みのわたしはとっても重宝されるので、酒宴のはしごをするのに忙しい。娘達ではないが「日本人で良かった……」としみじみ思うのがお正月だ。
 
日本に行くのは楽しみだが、最近の日本は訳のわからないことばかりで、生粋の日本人のわたしですらガイジンになった気がしてしまう。いちばん悩ましいのが、酒宴への移動だ。電車を乗りこなすことがまずできない。「切符を買うなんてださいのよ」と言われ、薄っぺらいカードを持たされる。みんながかっこよく「ピッピッ」とカードをかざして自動改札を出て行くから、まねをして出ようとすると「ぴーぽーぴーぽー」とサイレンが鳴り、とおせんぼをされてしまう。そして駅員さんが飛んで来て「これはスイカ専用です」なんてことを言うのだ。いつからスイカはそんなに偉くなったんだ! 同じ瓜科の「キュウリ」や「カボチャ」専用自動改札はないのか!と、貴重な意見を述べてやっても「早くどけ」と、どんくさい女として扱われて終わってしまう。まったく訳のわからない国になってしまった。みなさんも帰国の際は気を付けてね。
 
娘達は「今年はお年玉200円を目指すぞー!」「エイエイオー!」と熱くなっている。「円」と「ドル」の違いがわからない愚かな娘達。お母様がお年玉をピンはねしていることにも気付いていない。今年こそはまともな日本人になれよ!
 
さあ、2008年。思いっ切り飲んで騒いだら今年はがんがん働くぞ! 今年は本が2冊出ます。まずは角川文庫から『デカくて悪いか!』。日本ではもう売ってまーす。お子様からくすねたお年玉で買ってね! 今年もみなさんよろしくね。
 
(2008年1月)

第30回「日本お便所探訪」

日本への旅から戻り随分たつが、まだその余韻に浸っている。日本はいいな、おいしいな。食べまくっていたらまた太った。おやつ代わりに毎日食べていたラーメンが原因と思われる。だって街を歩けばうまそうなラーメン屋が至るところにあるんだもん。外国暮らしジャパニーズは、うまいもんの国日本に戻るとウエストがゆるみっぱなしになる(でしょ?)。ラーメン屋ののれんを見ただけでよだれが垂れ、ついついくぐってしまう。この時わたし達の頭に「体脂肪ぶよぶよ」とか「さっきメシ食ったばっか」とか、そーいうくだらないことは浮かんでこない。「チャーハンもいくか」。「ギョーザもいいな」。と太っ腹なのが外国暮らしジャパニーズの心意気である(よね?)。でぶで結構。わたしは今とっても幸せな、“みそとんこつ塩ラーメンチャーハンギョーザでぶ”である。
 
思いっ切り食べたら、また思いっ切り食べるために出すものを出しとかないとふんづまりになる。子連れの旅だったこともあり(すぐもらす)、わたし達は頻繁にジャパニーズお便所を訪れた。
 
大都会の便所はすごかった。外国暮らしジャパニーズには目を見張る世界であった。今時のデパートやホテルの便所には、どこに行ってもお尻洗浄機が付いているではないか! 日本人ってそんなにケツの穴にこだわる人種だったのか! アメリカのシンプルな便器に慣れているわたしのお尻には、ちょっとこっぱずかしい、こそばゆい体験であった。中には“あったか便座”なんかもあっちゃって、これはちょっと不気味であった。人の家ならまだしも公共のお便所よ。あの「もわ~ん」とあったかな便座は、なんか前客のお尻のぬくもりを感じているようでいただけない。「便座はしゃきっと冷たくなきゃいかん!」と便座に意見するわたしをよそに、うちの娘達は「あったかーい」と恍惚とした表情で便座にまたがり続けていたけどね。寒い冬は便座で暖を取るというのが大都会東京のトレンドなのだろうか?
 
「ママ、なにこれ?」。都会の便所には謎が多かった。娘が指差す先にはボタンがあった。それはトイレット・ペーパー脇の壁にひっ付いていた。押すと、さらさらと水の流れる音がする。ああ、これぞ人の目(この場合は耳だな)を気にする日本人ならではの、超無駄な発明「小さいほうの音消しボタン」である。日本人は個室に入ってまでも、よそさまに気を遣う気の毒な国民なのだ。「ピー」だの「シャー」だの音を立てるのは下品と思い込んでいるのだ。アメリカ人でそんなことを気にする女に出会ったことはない。みな個室に入ったら「ドバシャー」と豪快で解放的な、ナチュラルな音を女子トイレ中に響き渡らせている。それなのに日本の女性はまだ解放され切っていないのだ。それも女しかいない女便所で……。いつでもどこでも(野っ原でも)大解放なわたしには理解できない状況である。
 
「これ使ってやろう」。そう娘達が言うから、わたし達は順番に“ボタンを押しながらの用足し”を体験することにした。「さらさらさら」(ボタンの音)。「ちょろちょろちょろ」(本物の音)。5歳と10歳の娘達はふむふむと納得した様子。「はい、ママの番」。「さらさらさら」(ボタンの音)。「ドバシャー! ジャアージャアージャアージャアージャアージャアー……」(本物の音)。……ちっとも音消しになっていない。そのうえ何回も押さなきゃ用が足せない! 「ママには効かないねえ」。「ママは女じゃないんじゃないの?」。……娘達にバカにされた。このー、無能な音消しボタンめ! 壁にひっ付いていたいなら、もっと良い仕事しろ! 大女用に「ナイアガラの滝ノンストップ・ボタン」でも造れ!
 
外国暮らしジャパニーズには理解しがたい日本のお便所体験であった……。
 
(2008年2月)

第31回「春が来た」

目が覚めると……目が開かない。誰かがまぶたをのりでくっつけやがったか。「バカヤロー!」と拳を振り上げるが、至近距離に殴れる相手はいない。添い寝してくれる相手もなく、ひとりでいびきをかいていたはずのわたし。誰がこんなことを……ちきしょー! あいつだ! 「目やに」の犯行だ。昨日も目をかきむしりながら涙して眠りについたんだっけ。
 
ひっついたまぶたを指でぐいっとこじ開けると、バリバリと目やには崩壊していったが、大事なまつげちゃん数本も巻き添えにあってしまった。わたしのまつげはこうしてつるっぱげ化していく一方だ。しかし、目が開いたはいいが、同時にかゆみも起き出した。ぼりぼりぼりぼり目をかきまくる。かきむしり過ぎて真っ赤に充血し、目の周りのお肌まで擦り切れて血がにじんでいる。それでもかかずにいられない。
 
気が付けば、鼻に突っ込こんだタンポンも吸収量の限界を迎え、膨張しまくり息苦しい。抜けばだらだらだらと鼻水大放出。鼻の下界隈も鼻のかみ過ぎでひりひりするわ、真っ赤にただれるわ。ああ、目と鼻をもぎとり熱湯消毒したい! 「何が春は恋が芽生える季節だあ!」「春なんて来るんじゃねえ!」。この世のものとは思えない不気味な顔を持て余し、家中の鏡をぶちこわす……それが、うら若きころの花粉症に悩むわたしであった。
 
寒い冬が終わって、ぽかぽか陽気の春。桜が咲き乱れる、美しい日本の春。いつのころからか、わたしは春が大嫌いになった。だって春になるとわたしの巨体(巨顔)は花粉のおもちゃにされるのだ。病院の検査では「普通の人間の10倍以上の杉花粉アレルギー」「異常体質」と変態扱いされていた。なんで花粉なんぞという女々しいものに反応するんじゃ!と、自分の感度の良さを呪ったものである。「お杉さまー」とおばさん達がハートのお目めで追っ掛ける杉良太郎までも憎くてたまらなかったっけ。
 
あの恐ろしい日本の春から遠ざかること11年。杉だらけのシアトルではあるが、こっちのお杉さまはかわいいもんである。ちょろっと鼻水とくしゃみが出るが、日本に比べりゃへのかっぱ。本場日本の桜の下の、どんちゃかお花見は恋しいが、春の日本は拷問だ。なので花粉の飛び交う季節には、日本上陸を涙をのんで自粛してきた。なのにこの春、友人が結婚をするという。「もう嫁になど行かねーんだろうなあ」と皆が諦めていた友人の、40を目前にしての奇跡の大逆転、玉の輿結婚である。
 
「あんたも来るわよね」。シワ・シミ・タルミ……結婚式を控え、お肌の手入れのラスト・スパートに忙しい、年のいったもうすぐ花嫁は言う。「ここまで待ったんだから式は夏にしない?」「なに言ってんのー! 桜吹雪を浴びて嫁にいくのよー! 桜の木の下で文金高島田着て写真撮るのよー。それがわたしの夢だったのよー!」。そいつは知らなかった。どうやら晩婚女には花粉の呪いはかかっていないらしい。今年の花粉は通年の3倍以上……とニュースでやっていた。ということは、わたしは普通の人の30倍の花粉に呪われるってことじゃないか。
 
「あんた来るわよね」。「だけど花粉が……」。「でかい体で何、花粉なんかにびびってんのよ!」。「わかったよ、行くよ。だけど怒るなよ」。「はあ?」。お嫁になんて行けないと誰もが思っていた友人の晴れ舞台。シアトルからわざわざ行ってやろうじゃないの。行くからには準備も万端に。花粉完全シャットアウトのゴーグルと防塵・防毒マスク、鼻にはタンポン詰めて行っちゃうよ。そんな格好で友人代表スピーチしちゃうからな。「あんな友人がいたなんて……」って即刻離婚されたって知らないぞー。
 
花粉の飛び交う日本へいざ出陣! 友よ、待っておれ! 泣かせるスピーチしてやるからな!
 
(2008年3月)

第32回「お誕生会USA」

我が家の郵便箱に、高級感漂う封書が届いた。ずしりと重たい手応え。尋常ならぬ贅を尽くした見てくれにびっくり。しかも宛先はうちの小娘だ。「なんだなんだ」。家族で円陣を組んで謎のお便りを見守る。「この年で披露宴のご招待か?」「ブタ箱へのご招待状だろ」
 
どきどきわくわく開封してみると、中には絵本のような凝った作りのカードが入っている。「なにごとぞ」。息をのんでカードを開けると、クマが飛び出し「わたしの6歳のお誕生会に来てね、ボヨボヨヨーン」と、とぼけていた。無駄の嫌いなけちんぼ母さんはキレた。「たかが鼻たれおもらし児童のお誕生会に何すかしてんだー!」
 
全くアメリカのガキ共は、幼いころからお誕生会に気合を入れ過ぎである。お誕生会なんぞというものは、500円以内のプレゼントを持ち寄り、お母さんの焼いてくれたケーキに、お米屋さんから配達してもらったプラッシー。ハンカチ落としやゴム跳びで戯れ、ぺろぺろキャンディーでも手土産に持たしてもらえりゃ万々歳だったもんだ。しかし、21世紀のアメリカのガキ共のお誕生会は派手。テーマやエンターテインメントがなくてはいけないらしい。ゆえに、お子様お誕生会専門の出前ピエロやマジシャン、妖精、プリンセス、ゲテモノ使い、なんてふざけた商売が成り立っている。「へび使い1丁!」と電話をすれば、首に蛇を巻いたおっさんがお誕生会を盛り上げにやって来ちゃうのだ。「ポニー3丁!」と言えば、お馬さんがパカパカ3頭おうちへやって来ちゃうのだ。そんなものに慣れてしまったガキ共は、ケーキとプラッシーだけでは「こんなことでわざわざ呼ぶなよボケ!」と暴動を起こしかねない。あー、生意気。
 
赤ん坊のころからそんなことを続けていると、10歳にもなればネタが尽きてくる。「おらおら次は何して楽しませてくれるんだよー」と、招待客も挑発してくる。アメリカで酒やドラッグが早くから蔓延するのは、お誕生会のネタ切れが原因に違いない。親はネタ切れ&犯罪防止のために毎年愉快なお誕生会を企画立案しなくてはならない。あー、ばからし。
 
娘1の友人に、10歳にして「やりたいことはすべてやった」と言い放った女がいる。わが娘は、6歳から彼女のお誕生会の常連になっているが、彼女のお誕生会はすごかった。
 
6歳:レストラン貸切でクッキング・パーティー。7歳:ネイル・サロン貸切でネイル&ペディキュア・パーティー。8歳:ヘア・サロン貸切でヘア・メイク&ドレス・アップ・パーティー。9歳:自宅でオールナイト・ロックンロール・パーティー。10歳:ダウンタウン・シアトル、スパ&ショッピング・パーティー。そして11歳。やりまくり女が選んだお誕生会は……ハッピー・バースデー・イン・ニューヨーク! 学校をさぼって友人達をニューヨークへ連れて行くと言う。
「ママー、行ってもいい?」。「いいわけねーだろー! どこの親がそんなことを許すんじゃあ!」と怒鳴ったわたし。「だけどタダだよ」。「タダ?タダ?タダー!!……タダなら行ってこい」。と娘を行かせてしまった。
 
ああ、わたしの憧れのニューヨーク。もう10年も行ってないニューヨークに、小娘共は出掛けた。ロックフェラー・センターでスケートをし、自由の女神を拝み、ミュージカルを鑑賞し、リトル・イタリーでピザを食う……。あー、うらやまし過ぎ!
 
クマが飛び出て来た招待状の、6歳のお誕生会は、モロッコ・レストランを貸し切り、ベリー・ダンサーと踊って食べて飲んでの酒池肉林の夕べであった。わたしの40歳のお誕生会なんかよりもゴージャスな6歳のお誕生会……。ちきしょー、幼児にも負けたのかー。
 
もうすぐわたしの40何回目かの誕生日がやって来る。今年もまたひとり、シャンパンの一気飲みか……。いつの日か、わたしもガキ共みたいなゴージャスなお誕生会をしてみたいもんである。蛇使いとマジシャンとプリンセスと酔っ払いたーい。ボケる前に1回くらいやってくれよー。
 
(2008年4月)

第33回「泳ぐでぶ」

シアトルも、やっとぽかぽか陽気になってきた。雨地獄の終焉はむちゃくちゃうれしいが、薄着の季節はうれしくない。暖かくなる前にやせる予定だったのに、未だに二の腕はぶよぶよ。おなかはぶるんぶるん。でぶの薄着は見苦しい! やせよう!……ということで、わたしは泳ぎに行った。
 
普通の人なら、まずは走り始めるのだろうが、でぶは走る前に泳がなくてはいけない。それがでぶの鉄則である。でぶが突然「あしたのジョー」のように河原をシャドー・ボクシングしながら走ったりすると、河原で心臓発作を起こし、川に転がり落ちるからである。転がり落ちた時に溺死しないよう、でぶはまず、泳ぎをマスターしなくてはならない。特に水に囲まれたここシアトルでは、でぶは水難事故に注意が必要である。
 
「よっしゃ!」。そういうわけで、やせる気まんまんのでぶはプールに出掛けた。いざ「やせるぞ!」と泳ぎに掛かろうとすると、プール監視員のニイチャンが「ピーッ、そこのでぶ! スイム・キャップをかぶれ」と言う。「そんなものない」と言うと、貸してくれた。黒いゴムのスイム・キャップ。なんか嫌な予感がした。最後にスイム・キャップをかぶったのは、数年前のハロウィーンで、お相撲さんに化けた時だ。スイム・キャップにちょんまげを付けてお出掛けしたのだが、スイム・キャップが頭に食い込み、脳みそが爆発しそうにしめつけられ、しこを踏んでる場合ではなかったのを思い出した。
 
わたしの頭は異常にでかい。かぶりものは苦手である。そしてニイチャンが貸してくれたスイム・キャップも、案の定きつかった。きついのを我慢して泳いでみたが、頭にちょこんとかぶっていると、つるりんと脱げてしまう。脱げないように思いきり深くかぶると、悪夢再び! 脳みそが締め上げられ、悶えてしまう。我慢だ。我慢だ。やせるためだ……。しかし頭が痛くて泳いでなんかいられない。しかたなく泳ぐのをやめ、ジャグジーにつかってくつろぐことにした。極楽、極楽。だけどこれじゃやせられないじゃないか!
 
でかい頭なんかに、やせる邪魔をされてたまるか! と、わたしは特大スイム・キャップを購入し、数日後にまた泳ぎに出掛けた。特大スイム・キャップをかぶったでぶを妨害するものはなにもない。「さあ思いっきりやせてやるぞー!」と鯨のような水しぶきを上げ、ビート板にしがみつき、バタバタバタバタ近隣の皆さまにしぶきを掛けること45分。でぶは疲れた。このままいけばすっきりスリムなボディーに大変身! うししししっとシャワーを浴び、すっぽんぽんでロッカーにたどりついたら、あら大変。パンツがない。そういえば家から水着を着て、その上にトレパンを履いてきたのであった。トレパンの素材は、テロテロのナイロン。それも、シースルーに近い白。透ける。とっても透ける、あっちのほうの黒髪が……。後ろのほうも、お尻のほっぺたがテロテロナイロンに吸い付いて生々しい……。
 
スースーする股間を両手で隠し、スポーツ・クラブをダッシュで飛び出したわたし。恥ずかしくってもう行けないじゃないか! やせようとする度に不具合が起きる。わたしにやせてもらっちゃ困るやつでもいるのか! と憤っていると、出版社から連絡が。「次の本は『でぶで悪いか!』でいきましょう!」だと。
 
わたしは昨年『デカくて悪いか!』という本を出した。そして今は、次の本に必死に取り掛かっている。必死に取り掛かりながらもやせようと頑張っているわたしに「でぶ」と言うな、「でぶ」と!
 
「わたし今、一生懸命やせてますから。でぶじゃなくなりますから」。反抗する著者。「いいえ、大丈夫ですよ。でぶでいけます。でぶで」。自信満々な出版社。大丈夫って、なにが大丈夫なんだー!
 
くやしい。次の本の題名は『痩せちまってごめん!』にしてみせるぞ。
 
今日も特大スイム・キャップと特大パンツを手に、わたしはバタ足バタバタ水しぶき。6月発売の次作の題名に注目あれ……。
 
(2008年5月)

第34回「不良の唄」

「ママ、いつものかけて~」。通学途中の車の中で今日もサル娘がリクエスト。彼女の大好きなCDをかけてくれというのである。それは幼稚園入学時に保健体育の先生にもらったCDだ。生活&道徳教育を唄で楽しくたたき込もうという趣旨のもの。おお、これぞアメリカ! と感動する唄ばかりがつまったCDである。
 
「家族の唄」は、こんな感じ。♪家族ってものにはいろいろある~、ママしかいないおうち~、パパしかいないおうち~、そしてママがふたりのおうち~、パパがふたりのおうち~、なんだってありなのさ~♪ 
 
「同性の両親もあたりまえっ!」と、やんわり同性愛について歌っているのだ。同性愛者の婚姻を認める風潮に応え、社会の変化をうまくすりこんでおる……と納得のいく「家族の唄」。
 
そして「体の唄」は、こんな唄。♪誰にも言うなよって体を触ってくる大人がいたら大きな声でNOって言おう~、体はわたしのもの~、勝手に触るんじゃねえ~、お友達と手をつなぐのはいいけれど~、触らせちゃいけないところもあるんだよ~♪ 変質者にひっかからないよう教える唄だ。
 
うちのサル娘は、すでに4歳の健康診断で、医者から「水着で隠す所はプライベートな所。誰にも触らせちゃいけない」と教わっている。一緒にいたわたしのほうが面食らったが、アメリカ人の娘にはそんなことは当たり前。「触るんじゃね~、あっちいけ~」と大声で歌う。こんなダミ声で怒鳴られたら変質者も逃げていくだろう……。すばらしい効果が期待できる「体の唄」。
 
さあ、そして続くは、サル娘のいちばんのお気に入り、「不良の唄」! ♪ぴーひゃらぴーひゃら♪ この唄は、CDの中でも特別扱いで、長々と不気味な前奏付き。ゲゲゲの鬼太郎のテーマソングのような暗ーい音色でおどろおどろしく始まるのだ。しかしサル娘は広げた両手を頭と一緒に左右に振り振り、楽しいお遊戯が始まるかのように、今日もうきうき歌う準備万端である。さあ、始まるぞ。不良の唄のコーラスが! ♪……学校の駐車場で紙袋を手にハイになってる怖いにいちゃんがいる~、ほらーやってみろよって~、ドラッグを差し出すけど~、わたしはこう言うの~。NOドラッグ! NOドラッグ! そんなことわたしはしなくてもハッピーよ~……♪
 
「NOドラッグ(ちゃんちゃん)NOドラッグ(ちゃんちゃん)」と合いの手を入れて、楽しそうにサル娘は歌う。そして唄は続く。♪……学校の駐車場で不良がタバコを吹かしてお酒を飲んでる~、格好つけてるつもりだかなんだかしらないけど~、わたしはそんなことしなくても格好いいもんね~、アルコールもドラッグもあなたを破壊する恐ろしいものなのよ~、わたしはそんなものには手を染めないわ~(ちゃんちゃんちゃんちゃん……)♪
 
初めてこの唄を車の中で聴いた時、飲んでいたコーヒーが鼻から吹き出た。アメリカの幼稚園の駐車場というのは、そんなにデンジャラスな所だったのか? わたしは泣き叫ぶ幼児はよく見掛けるが、お酒を勧められたことはないぞ! 恐るべしアメリカ。日本の幼児達が、ドラえもん音頭なんかを無邪気に踊っている間に、アメリカの幼児達は酒やタバコや変質者撲滅の唄を歌って踊っているのだ。幼稚園でこんな唄を歌ってたら、1年生になったら不純異性交遊撲滅の唄とか避妊の唄とか歌っちゃうのだろうか。
 
「ママ、アルコールはあなたをだめにするのよ!」。CD効果もてきめんのサル娘が、わたしの晩酌のじゃまをする。「適度なアルコールは体に良いんだ!」。「赤ワインにはな、ポリフェノールちゅうもんがいっぱい入ってて、動脈硬化なんかも防いでだなあ……」。あああああ、酒がまずくなる。幼児なんかに説教されずに酒が飲みたい!斬新なアメリカ道徳教育に悩まされる不良母。酔っ払い天国、日本に帰りたいよー。
 
(2008年6月)

第35回「デブで悪いか!」

「いやあ、わたしデブだから」
 
「そんなことないわよ」
 
……と周りのアメリカ人に言われ続けて11年。ふと気が付くと、わたしはやつらよりもかっぷくのよろしい中年女になっていた。やつらは毎日ジムに通い汗を流し、11年前と変わらぬ体型をキープしながら、わたしのことを
「あなたはグッドシェイプよ~」
 
「やせたらかっこ悪いわよ~」
 
とおだて続けている。
 
しまった……やられた……。うそつきアメリカ人におだてられ、食べ飲み続けてきたわたしは、「裸の王様」ならぬ「霜降りの大女」になってしまった!……と気が付くのは祖国日本に里帰りをする時である。
 
まず飛行機を降り、成田で駆け込むトイレの鏡がおかしい。「な、なんだこのデブは!」と息をのむ。鏡の中の人物は妙に膨張したブーなのである。振り返り、どこのデブが映っているのかとデブ探しをするが、そこにデブの影はない。「わ、わたし?」どうやらアメリカの鏡もうそつきだったのである。
 
アメリカの鏡よ鏡よ鏡さんは、いつも「まだまだイケてるわよ~」と言ってくれていたのに……。
 
あ然としてトイレから出ると、そこには棒のように細っこい日本人がうようよとひしめき合っている。皆がわたしのおいしそうな霜降りボディーをもの珍しそうに眺めている。
「わたしは神戸の姉妹都市からやって来てはいるが牛ではない!」
 
そう言って追っ払わないと、炭火で焼かれて食われてしまいそう。そして、皆が意味不明な言葉でわたしを迎える。
 
「思いっきりメタボってるわね」
 
「やっぱりアメリカのメタボは違うわね」だと。思ったことをはっきり言わないのが日本人の美徳なんじゃなかったのか! デブにやさしいアメリカ人を見習え! と、ぶりぶり言いながら、赤の他人の皆さんの迫害から逃げ、信頼する出版社の、お品の良い女性編集者のところに避難すると、
 
「やっぱり次の本のタイトルは『デブで悪いか!』でいかせてください」
 
と自信満々に宣言する。
 
「売るためにはこれっくらいのタイトルではないと」と彼女は言うのだ。
 
「いじりさんがそんなに太ってるって意味じゃないですから」とも言った。
 
そうだ、そうだ。売るためだ。仕方がない。……『女性の品格』を率先して生きているようなお品の良い彼女が言うんだから、と編集者を信じ、承諾して数カ月が経ったころ、本の見本が届いた。
 
本の紹介には、「おまえはそれでも日本人か!」「猛獣妻デブ道一直線!」の文字が……。「……大食い・酒乱・暴君!」「……米国人も圧倒する大食い、大デブ!」……とも。思いっきり人のことデブ、デブ、デブ、デブ言ってるじゃないか! おまえの品格はどこへ行ったんだ!!!!!
 
「デブに磨きをかけるように」
 
「やせるなよ」
 
お品の良いはずの女性編集者がわたしを脅す。アメリカ人に「デブじゃないわよ~」と言われ続けてきたから安心して太れたのに、「デブ、デブ、デブ、デブ」って言われたら脂肪細胞もいじけて増殖できないだろうが!
 
日本は国をあげてメタボ撲滅に乗り出しているというのに、国に逆らってデブに磨きをかけねばならぬとは心が痛む。入国審査のおっさん! わたしの脂肪は「やらせ」だからね~。成田で「メタボ入国禁止」なんて追い返さないでよ。
 
お品の良い編集者に逆らえぬまま『デブで悪いか!』出版されました。サブタイトルは「爆笑!猛獣妻の国際結婚バトル」だってよ。誰が猛獣じゃあ! 口から火吹いて暴れろってかー!!
 
ここまでボロクソに言われても、わたし泣かないわ。本が売れればいいのよ。だからみなさん買ってね~。まわし読みは禁止よ~。どうぞよろしくね~。
 
(2008年7月)

第36回「大阪弁留学の夏」

「ちょっとすんませーん」
ボンレスハムのようなむちむち二の腕をぐいっと割りこみ、おでぶなおばちゃんがわたしの隣にカレーライスを持って陣取る。
小さなテーブルでは、すでに3名の皆さんが立ち食い中。思い切りぎゅーぎゅーしながら、サラリーマンがうどんをすすり、茶髪のネエチャンがイカ焼きを突っつき、いじりめぐみさんがタコ焼き&豚まん&牛スジ入りネギ焼きを召し上がる。見知らぬ者同士がテーブルを囲み、猛スピードで立ち食いを決行。次から次へと立ち食い愛好家が入れ替わり立ち替わり、立ち食いテーブルは大にぎわいである。
ここは、大阪梅田のデパ地下の一角。大阪人は立ち食いがお好き。きれいなオネエサンも人の目なんぞ気にせず、楊枝でシーシーしながら仁王立ちでたこ焼きを突っついている。そして青のりを前歯にちりばめたままデートに向かう姿はほほ笑ましい。素晴らしき大阪食文化! 大阪大好き! 
東京に生まれ、浜っ子として育ったわたしだが、前世は浪速の食い倒れおばはんだったに違いない……そう毎日実感しながら、今わたしは大阪で、イカ焼き、タコ焼き、ネギ焼き、お好み焼き……と、焼きを入れまくっている。
浜っ子が、大阪で何をしているかって? わたしはこの夏、娘達を引き連れ、大阪弁留学にやって来ているのだ。イタリア料理好きがイタリア語を学ぶように、わたしは大阪食い倒れを全うするために、大阪弁を学ぶ必要性を感じたのである。
しかし、40を過ぎての外国語習得は歩みがのろい。「むっちゃ」「めっちゃ」「ごっつう」なんて高度の比較級を理解する余裕のある脳細胞など残っちゃいない。
というわけで、将来あるハーフの娘達に夢を託し、やつらに大阪弁べらべ~らになってもらおうと、大阪の知人宅にホームステイしながら、小学校体験入学をすることにしたのだ。
大阪の夏は暑い。
1歩進むと、わきの下がびじょー。3歩進むと、前髪から汗の雨が降り、前方確認不能になる。やわなシアトルっ子には歩行不能な状況である。
体験入学初日、くらくらしながら集団登校集合地に集うと、そこには真っ黒に日焼けした浪速キッズが群がっていた。
「ドッカラキタン」
「ドコスンデンネン」
「ムッチャデカイヤン」
浪速キッズに囲まれ、意味不明な言葉を浴びせられ、ちびりそうになっていた娘達。
「ヨッシャイクデー」
班長の掛け声で歩き出す浪速キッズ。暑さなんてなんのその。浪速キッズは暴走族のごとく、恐ろしい速さで学校へ向かって突進していくのである。
「ま、まって~」
その後を、ランドセルの重さにも耐えられず、へなへなと追い掛けていく娘達。
日本はアメリカに負けてはいない! と母は浪速キッズ・パワーに明るい日本の将来を見たのであった。
体験入学も2週間が経ち、へなちょこシアトル・シスターズも、集団登校暴走族のメンバーとして、ぶいぶい言わせるようになってきた。
「はみでて歩いたらあかんで~」
と、最後尾から絶叫しながら、集団登校暴走族のお役に立っている。
さあ、学校でのでき具合はどうだろか。教育熱心なお母さまは、食い倒れ行脚をお休みし、炎天下、ナイアガラの滝のような汗を放出しながら、1年1組さんの授業をのぞきに行った。
娘その2が、元気いっぱい手を上げている。
「でかした。でかした」
安心して帰ろうとすると、娘の声が。
「せんせ、わからへ~ん」
「せんせ、できへ~ん」だと。
流ちょうに大阪弁を操るお子さまに成長した……と思えばいいのか。……思うことにして、イカ焼き食いに行こう……。
暑い大阪の夏はまだつづく……。
 
(2008年8月)

第37回「Goシーホークス!」

皆の衆よ、耳をかっぽじって聞くがよい。短いノースウエストの夏は幕を閉じてしまった。短パンを履く足には鳥肌。ぶるぶる震えながらデッキで飲むビールはまずい。日はだんだん短くなっている。ああ、またやって来るぞー。長くて暗い雨地獄の季節が!
皆の衆よ、さらに耳をかっぽじって聞くがよい。今年の冬は最低だ。なんて言ったって、我がシアトル・スーパーソニックスが、オクラホマ・シティーへ拉致されていってしまったのだ! 40年の伝統のソニックスが! シアトルに、もうNBAチームは存在しないのだ!
シアトルに引っ越して来てからというもの「なにやってんだボケー!」
「シュートも決められねえーのか、このおたんこなす!」とキー・アリーナで大声張り上げ、ソニックス観戦することを冬の生き甲斐にしてきた熱血ファンのわたしには、ショックのパーの出来事である。
ああ、いっそのこと熊になってしまいたい。春までぐーすか眠りこけて、ソニックスがいなくなったことに気付かないふりをして生きていきたい。しかし、熊へ帰化する手続きをどうしたらいいのかわからない。熊にも相手にされないわたし達人間は、地上でこの悲しみに耐えながら越冬しなくてはならないのだ。
どうしよう? こうしよう。みんなでシーホークスのファンになろう!
NFLのシーズンは、ちょうど9月にキックオフ。傷付いた心を癒すにはとってもグーなタイミングである。そのうえフットボール・ファンになることは、ショック療法としても最適である。
なんたってフットボール・ファンはアツい。まず化粧。熱血ファンは、チーム・カラーの青と緑を顔面に塗りたくり、獅子舞のようなヅラをかぶってゲームにやって来る。屋根のないスタジアムで、雨が降ろうが雪が降ろうがその格好で「うおおおおおおおお」と吠えている。フットボール・ファンは獣のようなやからが多いのだ。
家でゲーム観戦をする時も、テレビの前に仲間と集い、ビール片手に
「うおおおおおおおお」
「いけええええええええ」
「タッチダウーーーーーーーン!」
と絶叫し、「ぐえっ」と大音響のげっぷをするので有名である。まずはこれをマスターしよう。テレビの前に青&緑メイク+獅子舞ヅラで集い「うおおおおおおお」&「ぐえ」。「ぐえっ」とひねり出るげっぷと一緒にわたし達の悲しみもきっと消えていってくれるであろう。
「化ける」「叫ぶ」「飲む」そして「げっぷ」。これがフットボール・ファンの基本だ。これをシーズン開幕の9月のうちにマスターしておくと越冬がとってもしやすくなる。なぜなら10月には「化け物の祭典」ハロウィーンが控えている。青&緑に化けているうちに「ハロウィーンにはもっと化けまくってやる!」と「化け」願望が高まり、うきうきと10月を迎えられる。そしてハロウィーン・パーティーを開いて、どんちゃかやりながら「うおおおおお」「ぐえっ」っとやっていたら、あっという間に11月がやって来てくれるであろう。
11月はNBAシーズン開幕の時。しかしソニックスなき今、そんな事実にはぶりっとお尻を向け「Goシーホークス!」を繰り返そう。
「うおおおおおおおお」「ぐえっ」でシーホークスの活躍を見守っていれば、時は静かに過ぎていってくれるさ。本当にソニックスがいなくなってしまうなんて……うるうる。だけと苦しくったって、悲しくったって「うおおおおおお」「ぐえっ」で泣かないわ。
Goシーホークス!
「いけえええええええ」
「うおおおおおおおお」
「ぐえっ」
路頭に迷うソニックス・ファンよ、みんなもこれでソニックスなきシアトルを生きていこう! 青&緑メイク+獅子舞ヅラで、クエスト・フィールドで待ってるよ!
Goシーホークス! オクラホマのバカ野郎!
 
(2008年9月)

第38回「性教育USA」

とある平日の夜、わたしと娘その1は緊張してお出掛けしに行った。行き先は、「母と娘の性教育の夕べ」。数年前から娘その1を健康診断に連れていく度に
「もうあっちの話はしたか」
と医者に言われ続けていたが、
「あっちってどっち?」
と方向音痴なおばさんの振りをしてごまかしてきた。しかし、娘が10歳になると
「とっとと行かないと手遅れになるぞ!」
と医者が脅す。こーいうことは、ませた友達に適当に入れ知恵してもらって済ませたいものだが、アメリカでは親子で学びに行かねばならないんだと。面倒くさい。こっぱずかしい。しかし、行かないと医者に怒られる。
意を決してやってきた会場には、小学2、3年生にしか見えないような小娘達が、お母さんと一緒にうじゃうじゃと集まっていた。ジャイアントなボディーの娘その1をじろじろ見ては「あんたまだ何も知らないわけ?」と言いたげにガンをつけてくる。「ほっとけー」「おまえらこそ、こんな話を聞くには10年早いぞ!」とガンをつけ返してにらみを利かせていると、ステージに白髪のおばちゃんが現れた。
「ねぇ、ねぇ、みんなー、もうすぐあなた達の体に何が起きるか知ってる?」
と、おばちゃん先生は楽しそうに小娘達に話し掛ける。毎晩こうしてうぶな小娘達を耳年増にさせるのがこのおばちゃんの仕事である。
「毛が生えてくるー」
「どこに?」
「脇の下!」「あそこー!」「きゃー」
おばちゃんは黒板に一筆書きで人間らしき物体を描くと、そいつの局部にもじゃもじゃと毛を生やした。
「胸も膨らむわよねぇ」
と言って“UU”と豊満なたれちちも描き込んだ。
「男の子はどうなる?」
「胸毛が生える!」「きゃー」
「声変わりする!」「気持ち悪ーい」
小娘達はぴーぴーきゃーきゃー大興奮。
「ほかには?」
「えー、わかんなーい」
小娘達が男の裸を想像しながらあれこれ思いを巡らせていると、おばちゃんはくるっと後ろを向き、何やらごそごそ。にんまりしながら振り返るおばちゃんの股間が膨らんでいる……。
「男の子はね、こーなるのよー」
おばちゃんは、えんぴつをズボンの中におっ立てて自慢気に仁王立ち。「そ、そ、そこまでやる……??」。母びっくり。小娘達は、大笑い。
「それでねぇ、これがねぇ、あれとこーして、そーして、どーして……」。おばちゃんはしゃべる。あれもこれも、フルコース……。日本育ちのおぼこいわたしは頭がくらくらしてきた。
わたしらの時代には、「男の人が家にきたら部屋のドアは開けておきましょう」としか保健の先生は教えてくれなかったっけ。ドアを閉めて密会すると妊娠するらしい……、精子と卵子は密室で交じり合うらしい……、キスをしても妊娠するらしい……と、うら若き乙女のわたし達は信じていたもんだ。ああ、しかし、ここはアメリカ。
「そんなもんがあそこに入るの?」
「それって痛くないの?」
小娘達の質問におばちゃんは、行為を握手に例え、「強く握ったら痛いけど、優しく握ったら痛くないでしょー。優しくすればいいのよー」
だって。そしてコンドームを会場に配り
「病気にならないように、これを付けるのよ」
娘その1は、ふむふむと神妙にコンドームに指を入れたり出したりしている。母は、面食らって鼻血が出そうであった。
「すごいでしょー。小娘達にこんな話すんのよー」
後日、興奮してアメリカ人の友人に「性教育の夕べ」のネタを披露してやると
「そんなこと、うちの5歳の娘にももう話してあるわよー。“ママとパパがやってるとこ見せて”なんて言われちゃったわ、あはははは」
だって。恐るべしアメリカ。
うぶな大和撫子のわたしは、最近鼻血が止まらない……。
 
(2008年10月)

第39回「さらば、ブッシュよ」

長かった……
つらかった……
 
みんな、そう思ってない?ブッシュ政権!ころころ変わる日本の総理大臣もなんだが、8年もあんなおっさんに大統領をさせるなんて、何なんだ、この国はー! みんなもそう思ってなかった?
 
わたしは、このおっさんのしゃべる姿を見ることが、ずーっと耐えられなかった。知性のかけらも見当たらない顔は、サルにしか見えない。鼻を膨らまし、難しい言葉につっ掛 かりながらしゃべる情けない姿。記者の質問に答える時なんか、できの悪い子がしどろもどろに言い訳してるとしか思えないしゃべり方。くだらない冗談を言ってる時だけ、う れしそうにいきいきとした表情をするが、後は「僕、何しゃべってるんだかちっともわかんないんだもーん」と、スタッフの書いてくれた原稿を丸読みして、アホ丸出しな感じ。 授業中は下を向いて黙りこくり、休み時間だけはじけるタイプのバカ。ブッシュはそんなバカだと思う。
 
今日もまたおっさんは、テレビで不景気な世の中に関して語っている。
「アメリカは大丈夫さ、今はちょっと大変だけどねー」
庶民の皆さまの生活不安を他人事のように、鼻をふくらまし、見るに耐えないアホヅラで……。
「どっきりカメラでーす。本当は、こいつはおサルでーす」
と、赤いヘルメットを被った野呂圭介が出てきて、すべてなかったことにしてくれないか……。ブッシュをテレビで見る度に、わたしは祈ってしまう。
 
世の中には、親の七光りでラッキーして生きているうらやましい皆さんがいるけれど、ブッシュのおっさんは、その最高峰にいるお方である。
 
このおっさん、パパの出た名門男子校に通い(おっさん、チア・リーダーしてたんだって)、パパが優秀な成績で卒業したアイビー・リーグの名門、エール大学を出ている。パパのお陰でもぐりこんだのだろう。テキサスの州立ロー・スクールには落ちたし、空軍州兵の試験は合格最低点での入隊だったと記録に残っている。どう見ても、おつむは空っぽだ。
 
この8年間、「あんなのが大統領になれるんだから僕だって!」と世界中のぼんくら七光りに夢と希望を与えた点は褒めてあげよう。だけど、今アメリカは大恐慌に次ぐ経済危機 だぞー。酒代も肉代も切りつめなきゃいけないような世の中にしやがって!
 
このまま、後はよろしく!って、やり逃げは許さないぞ!
 
ジョージW・ブッシュ。
もうすぐ隠居する大統領。
元アル中。
飲酒運転で捕まったこともある男。
「僕、戦争行きたくないもん」と、パパの力でベトナム行きもうまく逃げて通った男。
フットボールをテレビ観戦していて、喉にプレッツェルをつまらせて失神した男。
アメリカ大統領制、始まって以来の、最高の支持率と不支持率、どちらも獲得した男。
テロ、戦争、金融危機……悪夢で盛りだくさんの8年間を作ってくれちゃった大統領。
 
「な~んちゃって!どっきりでしたー」
アメリカは今、野呂圭介がプラカードを持ってやって来てくれるのを、手ぐすね引いて待っている。この、しけたアメリカ経済が「なんちゃってー」であると言ってくれ! 何もかも、なかったことにしてくれ!そして仕掛け人(サル)だったブッシュを動物園に連れ戻してくれー。
 
2009年1月20日の昼まで、やつはホワイト・ハウスに居座るらしい。まだチャンスはある。アメリカを救えるのは新しい大統領ではなく野呂圭介だ。今、求められているのは 「Change」よりも何よりも「なんちゃって」だ。そう、マジに思わずにいられない、信じ難いご時勢。早く景気が良くなりますように……。 第39回「さらば、ブッシュよ」
 
(2008年11月)

第40回「飛行機のバカ」

明日は日本へ飛び立つぞ! という晩、わたしは、ドラッグストアに走った。機内持ち込みOKである、100ミリリットルのトラベル用ボトルをご購入になるため。
シャンプーやコンディショナーを詰め替える……なんて女々しいことをするようなわたしではない。シャンプーなんかは“お徳用サイズ”のまま、スーツケースに投げ込んである。
機内に持ち込みたい液体とは?
あれよ、あれ。
わたしは、台所の酒棚からお気に入りのバーボンを選ぶと、1滴もこぼしてたまるかと全神経を集中させ、ご購入したトラベル用ボトル3本に移し換えた。
なぜそんなことをするかって? それは、飛行機の中で今までのようにがばがば酒が飲めなくなってしまったからである。わたしの愛用しているU航空は、国際線まで酒代を取るようになったのだ。
1杯6ドル。ビール、赤ワイン、白ワイン、バーボン、ビール……を10時間繰り返すことで有名なわたしが、自腹で飲んでいたら破産するではないか! なのでセキュリティーをくぐり抜けられるトラベル用ボトル何本にも分けて、MYお酒をご持参するのだ。
全くせちがらい世の中である。
ガソリン代は大高騰し、飛行機代はバカ高くなった。そのうえ航空会社は、経営難とかでサービスをどんどん低下させていく。国内線の荷物を預けるのにも金が必要だし、今までだったら早いもの勝ちだった最前列の席や、通路側の席に座るのにも追加料金を取る。酒だけでなく、しみったれたスナック・セットまで有料にしてみたり。
「快適な空の旅はどこへいったー!」
「うおおおおおおおおお!」
と大空に向かって叫びたくなる。
荷物を預けるのに金を払いたくない連中は、こんな物どう見たって座席の下にも上にも入らねーだろー! という大荷物を、知らん振りして機内に持ち込んでくる。アメリカの国内線エコノミー席なんちゅうものは、もともと席からはみ出るほどのでぶでごった返している。自分のひじや尻の置き場もないくせに、大荷物まで持ってくる厚顔無恥な連中のたまり場。人間が快適に過ごせる場所ではない。
そんな悪条件の国内線エコノミー席で事件は起きた。その日わたしは、ワシントンDCからシアトル行きの飛行機に乗っていた。ロンドンで行われた友人の結婚式に出席した帰りのことである。
直行便なら8時間くらいのところを、ワシントンDC乗り換えで14時間の空の旅、プラス4時間の乗り継ぎ待ち……という、格安航空券ならではのハード・スケジュール。お尻のしびれにも耐え、あともうちょっとでシアトル! といったその時、わたしはかわいいいびきをかいて、通路側の席でお休みになっていた。
ぐーぐーぐーーーー……
すると突然激痛が!
「ぎゃああああ!」
目を開けると、どこかのバカが頭上の荷物入れを空けていた。ぎゅーぎゅーに押し込んで、やっと閉まっていた荷物入れを開けた瞬間に、絵画かなんかが飛び出してきたのだ。その角のとんがった所がわたしの目に激突したのである。
シアトルに降り立った時、わたしはお岩さんのような顔になっていた……。
でぶと荷物で混雑。酒は有料。
そのうえ危険と隣り合わせの空の旅。
「飛行機なんか大嫌いだー!」
「飛行機のバカー!」
東京の空に向かって吠えるわたし。
わたしは今、日本にいる。
数日後にはまた飛行機に乗って、シアトルに戻らねばならない。
不快な空の旅。今回は無傷でたどり着くことができるのだろうか?
年末年始、飛行機に乗る人も多いことでしょう。
安眠したい皆さんは、ヘルメット着用をお忘れなく。
Have a safe trip!
 
後日談:帰りの飛行機で、隣の席の男が免税で買ったバーボンを開けようとして怒られた。機内でMY酒を飲んではいけないらしい。知らなかった。よい大人のみなさんは真似をしないように。
 
(2008年12月)

第41回「A Year of Change」

「3、2、1……ハッピー・ニュー・イヤー!!」
と、シャンパンぐびぐびやりながら新年を迎えたら、2009年はもう次のカウント・ダウンが控えている。
「20、19、18……」そう。お正月からちょうど20日後の1月20日に向けて、アメリカ中がカウント・ダウン体制に入っているのだ。
「長かったブッシュ政権がやっと終わるんだよおおおおおお」
「もうサル親父のアホ面見なくて済むんだよおおおおおおお」
随分前から、ひとりカウント・ダウンを始めていたわたしは、いよいよ感が世の中に高まっていくにつれ興奮し、鼻水を大量放出しながらうれし泣きする不気味な酔っ払いになっている。
酔っ払って鼻水の1リットルや2リットル、流したくもなるだろうよ。だって、次の大統領はオバマだよ! 初の黒人大統領! 屈辱的な人種差別を受けていた歴史を乗り越えての大快挙。黒人の皆さんに至っては、3ガロンも4ガロンもとめどなく鼻水&うれし涙を噴出していることであろう。
黒人の皆さんは今、夢と希望に胸を膨らませている。ブッシュはブッシュで
「あんなアホ親父でも大統領になれるんだ」
と、出来の悪いアメリカン・キッズに違う意味で生きる勇気を与えたが、オバマは、
「一生懸命勉強すれば肌の色なんて関係なくビッグになれるんだ!」
と、まじめに生きる意義をマイノリティーの子供達に感じさせてくれた。
世界は今、「黒人」大統領誕生!で盛り上がってはいるが、わたしはオバマが「ハーフ」の大統領誕生!であることに大きな喜びを感じる。オバマのお母さんはアメリカ人だが、お父さんはケニア人。ハーフの子でもアメリカ大統領になれるのだ。ハーフのお子さまを抱え「まったくこのくそガキがー!」と日々翻弄されている皆さん! その「くそガキ」は数十年後にアメリカの大統領になれるかもしれないのだよ!
うちにもいる。ハーフのお子さまが。お母さんは大和撫子で、お父さんはクマのようだがれっきとしたアメリカ人だ。ちなみに大統領になる条件は、アメリカで生まれ、親のどっちかがアメリカ人であり、アメリカに14年以上継続して住んでいることらしい(&35歳以上ね)。
今思えば、娘その1出産の際、日本で産まずわざわざ臨月でアメリカに引っ越してきたのは賢い選択であった。娘その1はもうすぐ12歳。あと2年アメリカで暮らせば大統領になる資格をもらえるのだ。我が家にはそのほかにも政治家になる素質たっぷりのサル(娘その2。もうすぐ7歳)が控えている。こいつは約束を守らないのをとがめられ、5歳にして「約束はしたが、守るとは言っていない」と名言をはいたツワモノである。まるでセックス・スキャンダルの渦中で「オーラル・セックスはした。しかしそれはセックスではない」と開き直った某大統領並みのへりくつ上手である。こんなこまっしゃくれたガキどうしてくれよう……と心悩ましていたが、こいつも将来は大統領!?とオバマは夢を与えてくれた。
日本政府のハーフ対応に関しては、すでに一石投じているわたしですが(『デブで悪いか!』“ハーフは日本を救う!”読んでね)、日本政府は日本国籍をギブアップしそうなハーフのお子さまの成長にも気遣う時代がやってきたことに気付くべきだ。日本人をやめたハーフがアメリカ人としてアメリカ大統領になる日がやってくることを想定し、日本嫌いにならないようにゴマをすっておかないと痛い目に遭うぞー!
2009年お正月。わたしが麻生首相なら、アメリカ生まれのハーフのお子さまにお年玉を振る舞っているところだが、彼からは年賀状の1枚もやってきてはいない。ケチ! しかし、時代はハーフだ。日本語学校の先生よ、「ににんがご」でも温かく見守ってちょうだい。きっと日本に役立つ立派なハーフになる日が来ますから……。
(ところで、前号に書いた飛行機の中の「MY酒」は違法なんだってさ。良い大人の皆さんは真似しないようにね)
 
(2009年1月)

第42回「バイリンガルの苦悩」

「アイ ワントゥー キル!(I want to kill ! ぶっ殺したい!)」
そんな物騒なおたけびが聞こえたのは、とある平和な夕暮れ時のこと。振り向くと、サル(娘その2)がハサミを持って仁王立ち。「I want to kill !」「Kill !」と興奮して立っているではないか。
ハサミといえば、いまや機内持ち込みも不可能なデンジャラス扱いの凶器である。その凶器でわたしを殺そうというのか!
「早まるなー、お年玉使い込んでごめんー。返すからー。チョコレートも食べ放題でいいからー!」
母は命乞いに必死であった。スパルタ教育が裏目に出たか……いや、やっぱりお年玉の使い込みだろう。2万円は行き過ぎだわね。だけどママお金持ってないんだもん。金属バットは家にないから安心していたが、まさかハサミでやられるとは……。日ごろの悪ママ振りを反省しながらも逃走準備。しかし相手はかかって来ない。ふと見ると、サル娘は、にこにこ「キル」「キル」と言いながら雑誌のうさちゃんを切り取っている。
「はあ?」
「次は、キル ユー!」
と、ぞうさんやお馬さんもチョキチョキチョキ。……「キル」は殺すの「KILL」ではなくて「切る」の「キル」だったのだ。「ぶっ殺したい!」ではなく「チョキチョキしたい!」と言いたかったようである。命拾いをしてほっとしながらも、娘の語学力にがっくり。
「英語でしゃべってる時は、ぜーんぶ英語でしゃべらんかーい!」
スパルタ母ちゃんに戻ってカツを入れてやったのであった……。
英語と日本語との両刀使いに育てなければと、必死こいてバイリンガル教育をしているが、お子様達は、ルー大柴のようなちゃんぽん言語しかしゃべれない。どうせ変な日本語しかしゃべれないなら、いっそお笑いの道に行く英才教育でもしたほうが良いのではないかと思うことがある。
たとえばこんな時……。娘その1が「バッグが欲しい」と言い、サル(娘その2)も従えデパートで物色していた時のこと。娘その1が地味な真っ黒なバッグを欲しがるから
「そんなのババくさいじゃん」
と言うと、サルは、くんくんとバッグのにおいを嗅ぎ、真顔で「あーほんとだ、ババくちゃい!」と鼻をつまんだ。そこは日本のデパート。まわりの「ババ」達が、なんなのよ!とガンをつける中
「くちゃい、くちゃい、ババくちゃい。こんなババくちゃいバッグ買わないほうがいいよ」
と大騒ぎ。真剣にくさがるサル。
「どんなにおいがした?」
と聞いたら「納豆」だそうな。天然ボケ振りに思いっきり笑わせていただきました。
サルは「くさい」に弱いらしく
「なに、そんなうそくさいこと言ってんの!」
と叱りつけた時も、くんくんと自分の手や服のにおいを嗅ぎ、「どこからにおいがもれてうそがばれたんだろう……」と真剣に自分の「くさいうそ」の出所を探っていた。
日本語ってむずかしいよな、サル。
ああ、いったいこの子達をどうやってまともなハーフの日本人に育てりゃいいのだろう……頭を抱えて悩んでいると
「今日は空にクマがいっぱい出てますねえ」
窓を開け、お空を見上げて夫が言った。この男、アメリカ人ながら日本でみっちり日本語を学び、一時期は『中央公論』なんて漢字が多過ぎてわたしでも読めない雑誌を愛読していたほどの日本語上手だったやつ。なのに、長いアメリカ暮らしがやつの日本語もさび付かせていた……。
「ええ、どこどこ?」
娘達も空を見上げた。
「ほーら。あれは、にゅうどうクマだよー」  「へー」
感動する娘達。
「へーじゃねーだろが! あれは、入道雲って言うんだボケー!」
キレる母。
このままアメリカにいたら、ろくなハーフに育たない……早く日本に帰りたい……。
 
(2009年2月)

第43回「そんなバナナ」

「よいしょ、どっこいしょ」
今日もわたしは、車のトランクいっぱいにバナナを買ってお帰りだ。サルの大群がホームステイしているわけではない。わたしがひとりむしゃむしゃ食べるため。朝バナナダイエットがずいぶん前に日本ではやっていたことは聞いていた。
「はやりもんはやらん」
トレンドを追いかけるのが嫌いなわたしは“日本の八百屋からバナナが消えた!”なんてニュースに興味津々ながらも、知らんふりをしていた。しかし、正月に行った日本では、バナナはどこでも売られていた。
「朝バナナダイエットもすたれたようだな……」。下火になったもんを追いかける趣味なわけでもないが、あまのじゃくなわたしは、こうしてこっちで見る日本語ドラマのように、2クール以上遅れて朝バナナダイエットっちゅうものに手を出してみた。
【毎朝常温水とバナナを食べたいだけ】
基本はこれだけ。我慢できなかったら15分後になんでも食べていい、米もどんどん食べろとある。
「きゃ~。うそみた~い」
そんな極楽なダイエットがあっていいものだろうか。あっていいわけないと思うが、だまされたふりをしてやってしまうことにしたのだ。
それから我が家の朝ごはんは、テーブルの上にどーんとバナナが置かれるだけになった。なんて楽チン。水道ひねって水飲んで、バナナをむいてむしゃむしゃ食べるだけ。
「え~、またバナナ~」
バナナに飽きたお子様方は、自分で夕飯の残りをチンして食べるようになった。お子様方に自立心をも芽生えさせるバナナよ、おまえはお利口じゃ。母は満足だった。
たしかに朝食が毎朝バナナだけなのはつまらない。なので
「バナナ大食い競争~!」 
と、ひとりで大食いにチャレンジしたりしてみたが、バナナは3本以上食えたもんじゃない。 「バナナみじん切り大会!」
もやってみたが、バナナはみじん切りを拒み、ただべちゃべちゃになっただけ。
小細工はやめ、ただひたすらバナナを食べ続けて2週間。
「どう、やせた?」
友人達が聞きに来るが、わたしの姿を見ると
「あ、全然だめね」
と笑って去っていく。何がいけないのか。バナナを食べ始めてから、おもしろいほど出る、出る、出る。なもんだから、お腹すっきり! わたしの“大きいほう”はアフリカゾウ並みになったのだ。
で、わたしが何をするかって? おもしろいほど食べる、食べる、食べる。朝バナナを食べた後、昼ごはんまで我慢する根性はなく、10時頃にはラーメンを作ってしまう。そして正午にもう1杯食べたくなるのだ。
おやつなんて食べない渋い大人だったのに、「おやつもOK」とか言ってたなぁと、好きでもないクッキーなんかも食べてみちゃう。そして「夜ご飯は8時までに食べろ」とか言ってたなぁと、7時59分まで食べる、食べる、食べる。そして週末は大酒を飲んでいるのだ。
……これでやせたらバチが当たるだろう。インターネットでサーチをすると、朝バナナダイエットの失敗例がわんさか出てくる。しかし、わたしは見なかったことにして、この世界のどこかにいるバナナでやせた人のことを思い、  「待っててね。わたしもそのうちやせるから」 と、バナナをほおばる。
信じるものは救われる。
「わたしダイエット中なの。うふっ」
と、おにぎりをほおばるのは楽しい。もう少しだまされたふりをして大食いライフをエンジョイしよう。投げたらあかん! きっといつかは良いことがあるさ! あなたも一緒にバナナ食べませんか~?
 
(2009年3月)

第44回「 ダンス・ダンスUSA」

我が家の娘その1は12歳。日本だったらランドセル背負って子供料金でバスでも電車でも乗れてしまう、まだまだケツの青いお子さまである。しかし、ここアメリカでは、この年なのに学校でダンスがあるという。
「学校でダンス? そんなの何が珍しいの。日本でもやるじゃん夏に」って? 日本の「ダンス」は、老若男女が校庭で輪になって同じ身振りで踊るだけでしょ。町内会長さんが威張ってテントの中で見張ってるし、悪さのしようもない。しかし、アメリカのダンスは、ディスコみたいなのよ!(えっ、ディスコって死語? クラブ? まあ、そういういかがわしいやつよ!) さっきまで健全なる少年少女達が走り回って汗をかいていた体育館にDJがやってきて、真っ暗な中ネオンがぎらぎらしてて、耳をつんざく音楽鳴らして、ガキ共が踊りまくっていちゃいちゃするのよ! そんなものがミドル・スクールからあるんだって。何を考えてるんだ、アメリカの学校は! 学校が不純異性交遊の場を提供してどうする! そんなイベントに大事な娘を行かせてたまるか! ……とは、全然思わず、「わあ、見てみたい! おもしろそー」とわたしはダンスの監視おばさんに立候補し、「ママ来ないでよー」と嫌がる娘その1にくっついてダンスの現場に赴いたのであった。
ダンスは金曜の夜7時半に始まった。監視役は、先生達と親の合計10名。親分先生からの指示は、「ガキ共から$5徴収しろ。ダンス・フロアでいちゃいちゃし過ぎていたら、つんつんしろ。体育館を脱走し、どこかへしけこもうとする男女をつかまえろ。クッキーやジュースでハイになるガキ共を制止しろ」ということであった。「ラジャー」。使命に燃える監視ばばあ。つんつんするぞ、つんつん!と、人差し指立てて準備万端。すると静まり返った学校に嵐がやって来た。

「きゃあああああああ」
ガキ共だ。興奮する闘牛のように、ネオンきらきらの体育館に猛突進だ。こいつら、こんなにうれしそうに学校にやって来たことがあるのだろうか? ファッションがこれまたすごい。小僧達は学校で着ていた服と変わっちゃいないが、小娘達は、こんな格好で渋谷を歩いていたら補導されること間違いなし!のお墨付きファッション。おケツの割れ目見え見えのホット・パンツ、パンツ丸見えミニ・スカート、おっぱいぽろりんタンクトップ。そしてちんどん屋メーキャップに安物ジュエリーをじゃーらじゃら。
圧倒されていると「こんばんは~」と、聞き覚えのある声がする。しかし、そこに見覚えのある顔はない。真っ青なアイシャドウと、まっ黒ベトベトのマスカラに押しつぶされそうで見えない目。どぎついピンクの口紅を塗りたくった正体不明の人間がいる。

「誰、あんた」「ローズよ」「・・・・・・・」
ローズは、娘その1の幼稚園時代からの仲良し。いつもは清楚な、お品の良い子なのに……。
「だ、誰だかわからなかったわ」「うふふふ」
褒められたと勘違いして、自信満々でご入場。ローズよ、場末のキャバレーのホステスみたいだぞ、おまえ。
暗闇の中、踊りまくるガキ共。お母さまが監視ばばあなお陰で、娘その1はでかい体を縮こませ、友人達の間に隠れて地味に踊っていた。よろしいよろしい。ローズは……見ると、よその学校の男の子と腰をくっつけ、へそもくっつけ、ノリノリに踊っている。そしてスロー・ダンスが……。べったーと男に体を預けているローズ。監視ばばあの出番だ! つんつんつん。つんつんつん。
「おい、こらー離れろー!」
6年生でこれだよ、これ。アメリカの性問題の若年化はこうして学校があおるからじゃないの? 次のダンスは、ジャパニーズ・ダンスということで盆踊りにしてしまおうか。皆で一緒にドラえもん音頭だ! 健全でよろしいと思いますけど。誰か振り付けばばあに立候補してくれませんかあ?
 
(2009年4月)

第45回「 大根ゆびの苦悩」

日本へ旅すると、携帯電話が手放せない。公衆電話というものがすっかりレアになり、安いビジネスホテルなどでは、部屋に電話もなければロビーに公衆電話もない。なので、もはや旅人としてしか日本にお出掛けしないわたしも、日本ではプリペイドの携帯電話を使用している。 しかし、持ったら持ったで日本では、行くところどこでも“携帯電話禁止”と書いてある。「どういうこっちゃー!」と憤っていると、わたしの携帯電話がぶるぶると揺れた。「な、なんだ?」。見ると“メール受信”のお知らせが。なるほど。日本の皆さんは携帯電話でおしゃべりをせず、メールのやりとりをしているのである。
「日本着いた? 今晩、飲みに行こう(^_^)」

それは、友人からのメールであった。「行こう、行こう! 何時にどこ?」。早速お返事したいが、できないことに気が付いた。だって、わたし携帯メールが打てないんだもーん。
わたしは日本の携帯文明開化前にアメリカに引っ越しをし、携帯電話でメールなど打たなくて良い人生を歩んできた。そのうえわたしの“大根ゆび”は、電話番号を押すのにも不自由なほど太い。周りの日本人を見ると、携帯電話を片手で抱え、お父さん指を器用に動かし猛スピードでメールを打っている。携帯電話片手に同じポーズをまねしてみても、百貫でぶのわたしのお父さん指は、キーをいっぺんにふたつもみっつも押してしまい、人間の言葉に変換できない。「携帯メールなどしてくれるな。電話をかけてくれ!」。そう友人に伝えたいが、友人の携帯電話の番号もわからない。せめて「でんわくれ」と打ってみようと頑張るが、“で”はどう押すのか……“て”に濁点なんて離れ業はどうすりゃいいのだ……。ああああああああああ! なんだこのちっこいキーは! でぶ指用の携帯電話造りやがれー! うおおおおおおおお!
ぶち切れて携帯電話を放り投げそうになったが、ぐっと我慢し、わたしは若い子をナンパすることにした。「ねーねー悪いんだけど、わたしの友人に「電話くれ」ってメール打ってくれない?シアトルのおみやげあげるからさー」。わたしは、そうしてマリナーズのキーホルダーと引き換えに、携帯介護をしてもらい、どうにか友人と飲みに行くことができたのであった。
全く日本は住みにくい国になってしまった。「メールのほうが安いのよー」とうちの母親までが携帯メールを打っている。
日本の携帯文明に乗り遅れてしまったわたしは、携帯電話後進国のアメリカで気後れせず暮らしていたが、なんとこの国でも携帯メールがはやり出してしまった。
朝、近所の子供達を乗せて学校へ向かう車の中で、中学生の小娘達は携帯電話でテキスト・メッセージを送りまくっている。それをうらやましそうにのぞく小学生のサル娘とその母親(わたしね)。小娘達のメッセージは意味不明だ。

“NVM”“TTYL”“CUL”“K.”……「何それ?」“NVM”はNever Mind、“TTYL”はTalk To You Later、“CUL”はSee You Later、“K.”はOKだって。「訳わからねーぞー! くだらねーぞー! 電話はしゃべるためにあるんだぞー!」
携帯メールの打てないおばさんは、無駄なことに精を出す小娘共に説教している。
最近は、「R U free 2nite?(Are you free tonight?)」と、携帯メール・アレルギーのわたしの携帯電話にまで、アメリカ人のママ友からメールが来るようになってしまった。「ああ、暇だよ! だけど返信はできねーぞ。電話かけてこーい!」。受信されたメールに向かって叫ぶわたし。アメリカ人よ、大雑把で手先が不器用なのが君達の取り柄だったんじゃないのか! わたしはそんな君達が好きだったのに!
勝手に携帯メールを送ってくる皆さま、いい迷惑です。大根指いじめをやめて、まずは正々堂々りんりんとかかってきやがれ!
 
(2009年5月)

第46回「 ママの夜遊びUSA」

「明日は、マムズ・ナイトアウトだ! 亭主に子守させて全員集合!」
娘達の学校の仕切り屋ママさんからリマインダーEメールがやって来た。“マムズ・ナイトアウト”。それは、ママさんが集団で夜の街に繰り出し、日頃のうっぷんを晴らすべく大騒ぎして大酒を飲む夜。……そう、わたしは解釈している。そんな会が2、3カ月に1回あるのだが、もちろんわたしは皆勤賞。そして、いつでもどこにでも公共交通機関を駆使してやって来るのでも有名である。シアトルくんだりじゃ、バスを乗り継ぐしか術はない。車で行けば20分くらいで着くところを、バスだと乗り換えたり待ったりで1時間以上掛かる。それでもわたしはバスで行く。思いっ切り大酒飲むために。
今回のマムズ・ナイトアウトは、シアトルのブロードウェー地区にある、こじゃれたボーリング場&バーで開催された。「適当にやっとけ!」と子供達を置き去りに(うちの娘その1はもう留守番できるお年頃!)、わたしは家を出て、てくてくと歩き始めた。

春だというのに、激しく雨が降る夜だった。仕事帰りの車がびゅんびゅん通り過ぎる。その度 にバシャバシャと水しぶき攻撃に遭う。負けてたまるか! 傘でブロックしながら、のしのしと歩道を突進していく。風も強く、ムースで固めた髪も、飛んで行きそうな傘と一緒に逆立っている。しかし、歩き続けなければ。飲み会が待っている! 逆風と水しぶき攻撃を交わし、大通りへ到着した頃には全身びしょぬれ。しかし、構っちゃいられない。バス停まであとちょっと! 急げ! 「あ……」
すると黄色いバスが、バス停に誰もいないもんだから、猛スピードで通り過ぎていく。「ま、待てー」。大声は出るが、肥満体ではダッシュができぬ。あと10メートルというところでバスに逃げられた。次のバスは30分後……。大雨の中、ただひたすら立ち尽くしたわたし。
ぜーぜーぜー。つ、着いた……。家を出てから90分後。雨と汗で全身べちょべちょ、髪はボーボー。「めぐみ、遅かったわねー。何その格好」
きれいにおめかししたママさん達がわたしを指さして笑う。
「うるせー。ぜーぜーぜー。ビールよこせ」
ぐびぐびぐびと一気飲みし、「今晩は飲むぞー。うおおおお」。やっと私のマムズ・ナイトアウトの始まりだ。
わたし以外のママさん達はマムズ・ナイトアウトを、思いっ切りおしゃれして日頃のうっぷんをはらし、しゃべくる夜……と間違った解釈をしている。「おまえらもっと飲まねーかー!」。酒を振る舞ってやろうとしても、「わたし車だから」とカクテル1杯でひと晩持たそうと、後生大事にちびちびやりながら談笑している。愚か者めが! 思い切り飲めるのは歩いて来たお利口さんなわたしだけ。わたしはビール、マティーニ、マルガリータ、バーボンソーダ(ダブル)、そんでまたビールを飲み、途中ちょこっとボーリングもして、うおおおおと吠えながらストライクをきめ、ごきげんであった。
「おねえさんお勘定」
レシートをもらってカードで払い、そんじゃ次の店はどこ行こうとうだうだしていると、ウエートレスが戻って来て、わたしの手を取り言う。
「本当に、本当にどうもありがとう」
な、なんだ? 女に手を握られる趣味はない。うさんくさくレシートを見て、目玉が飛び出そうになった。チップを$6あげたつもりが、そこには$60と書いてあるではないか! 「そ、それは間違いで……」と言いたかったが、ウエートレスは幸せの絶頂で、わたしのことを女神様のように拝んでいる。
算数できないわたしが悪いんだ……。愚か者めが! ママさん達がわたしをあざけ笑っている。酔いもふっ飛び、むちゃくちゃしらふになって帰ったわたし。次のマムズ・ナイトアウトには計算機を持参するぞ、とバスに揺られて心に誓いながら。!
 
(2009年6月)

第47回「アフロ乱入事件」

「今度結婚することになったんだけど、おまえは来られないだろうから祝いのビデオレターでも送ってくれ」
会社時代の元同期、友人T(♂)からEメールがやって来た。某月某日、都内の有名中華料理店を借り切って、結婚式をするという。
「なんで来ないと決めつける!」

むっとしたわたし。だって、わたしはめでたい席へ招待されることを生きがいとしている。だって、めでたい席イコール大酒飲める席。飲んで暴れても「いやぁ、本当にわたしゃうれしいよ!」とひとこと言っておけば無礼講。酔っ払いに寛大なイベント、それが結婚式だ。なので結婚式とあれば、いつでもどこへでも飛んで行くのがわたしのモットーである。それも「有名中華料理店」ってのがポイント高いじゃないか! 「勝手に行っちゃうもんね」。そう決意すると、わたしの悪だくみが始まった。
「わかった。行けないからビデオ送るよ。幹事と相談するから連絡先教えて」。そうメールを返信すると、家族を呼び寄せ企画会議の始まり始まり。悪だくみビデオレターを家族の協力を得て制作するために。
シナリオはこうだ。ヒロインのわたしは正装し(ハロウィーンのアフロ・ヒッピー姿)、酔っ払ってソファーの上でいびきをかいて寝ている。その横で亭主が新郎に向かって「Tよ、結婚というのは忍耐ですよー」とかなんとか、くだらない語りを入れる。するとわたしは目を覚まして「ちょっと行ってくるわ」と起き上がり、ふらふら出て行こうとする。そこでサル娘が、「ママ、どこ行くのー!」と叫ぶ。わたしは振り向きもせずに、「ちょっと、行って来るよー!」と家を出る。「ママー……」ここでビデオは終わる。そしてパーティー会場で「なんなんだ、あのアフロ女は……」「どういうオチだよ全く……」と招待客の皆さんがけげんに思っているところに、シアトルにいるはずのアフロ・ヒッピー姿のわたしが登場するのだ。どう? おもしろいでしょ。
新婦はお品の良いお嬢さま。「あんな友達がいたなんて、サイテー!」と新婦ぶち切れ、新郎に一生恨まれるか、「わざわざシアトルからアフロのヅラでやって来て暴れてくれるなんて。あなたにはなんて素晴らしいお友達がいるの!」と新郎の株が上がるか。イチかバチかの乱入だ。
大安の土曜日。パーティーは、午後4時から開催された。中華料理店にはドレスアップした皆さまが続々と集まる。わたしは皆さまが入店するのを、お店に面した公園のベンチでマスクをして座って眺めるホームレスのおばさんの振りをしていた。

「今だ、来い!」。幹事からの連絡が携帯電話に入り、わたしは店に忍び込む。入口そばに秘密の小部屋が用意され、わたしはそこで出番を待った。うまそうな中華料理の匂いが小部屋に漂ってくる。エビ? カニ? ああ、早く食べたい!……だけどわたしは乱入女。よだれ垂らしてじーっと身を潜めている間に、主賓のあいさつ、乾杯、なんだかんだで1時間。パーティーは、滞りなく進んでいった。
「わはははは」と会場が笑い声に包まれる。やっと、わたしのビデオが流れ始めたようだ。招待客の皆さんは、わたしのアフロ姿に感銘を受けているご様子。笑え、笑え。このあともっと笑わせてやるぞ!
「ちょっと行って来るよー」。「ママー……」
ビデオがもうすぐ終わる。さあ、出番だ!
「うおおおおおおおおおおおおお」
ビール瓶を握りしめ乱入するアフロ・ヒッピー。「キャー」。新婦の友人のお嬢さまがたが会場後方に避難していく。
ぽかーん……。口を空けてたたずむ新郎新婦。司会者からマイクを奪い、勝手にスピーチを始めるアフロ・ヒッピー。乱入は、成功した。
Tよ、その後、夫婦は円満か? おまえの株は、上がったのか下がったのか? 風のうわさでは、いつ“アフロいじり”が乱入するかわからんとトラウマになり、家の警備を強化したとか。そう言われるとまた乱入したくなるじゃないか。
Tよ、嫁さん大切にしろよ! さもないとまた化けて出るぞー!
 
(2009年7月)

第48回「43の手習い」

「おらー、飯だー!」「座れー!」
お母さまの手作り愛情ご飯をテーブルに並べると、「けんかすんなよー!」。お母さまは、大急ぎで出掛けていく。
時は夕方の5時半。夏の終わりの太陽がまださんさんと輝いている。ああ、今ビールを飲んだらうまいだろうなあ。今出掛ければ、まだ酒場のハッピー・アワーにも間に合う。お安くガブガブ良い気分になれる。いつもなら、こんな時間に慌てて家を飛び出し出掛ける先は、わたしがこよなく愛す場所、そう、酒場。酒場でしかありえない。我が家から右に行けば、酒場がひしめく一帯にたどり着く。右に行きたい!右に! しかし、今日は左に行かねばならない。今宵わたしが向かうところは、酒場も何もないつまらぬ左方向。そっちにあるのは学校だ。わたしは今、夜の学校に通っているのだ。
勉強をするのは大嫌いだった。大学を卒業して、もう20年以上も経っているというのに、しょっちゅうテストを受けている最中の夢を見てはうなされている。これをパスしないと卒業できない! なのに頭は真っ白け。ああ、やばい。どうしよう。時間がない! きゃー!……っとびびり、いつもおねしょしそうになっている。目が覚めて、「ああ、良かった。わたしはもう学生ではないのだ」と、立派な中年に成長している自分にホッとするのであった。

ああ、それなのに。何でいまさら! 何が悲しくて、学校なんかに通わなくちゃならないんだー! どれもこれも、まわりの中年仲間が悪い。40を過ぎてからというもの、皆取りつかれたように「何か」を始めている。
「あがっちゃう前にさ、もうひとり産もうよ!」と、高齢出産に燃えるやつ。「一緒にハーフマラソンに出ようよ!」と走り始めるやつ。「一緒にトライアスロンに出ようよ!」と走って泳いで自転車に乗っちゃうやつ。冗談じゃない。妊娠も、運動も大嫌いだ。『デブで悪いか!』(まだ売ってるよ、買ってちょうだい!)なんて本を書いたわたしがナイスボディーになったら詐欺で告発されてしまう。皆の誘いを断るために、わたしも何か始めなければ! と焦り、何を思ったかわたしは妊娠も運動もしなくて済むってだけで、学問の道を選んでしまったのだ。大嫌いな勉強を……わたしってマゾだったのね……。
夜の学校というだけあって生徒の年齢はさまざま。国籍もいろいろ。もちろん日本人もいる。

「あんた何歳?」「げー! 23!?」
「何やってんの、こんなところで!」
「ご飯、ちゃんと食べれてんの?」
おばさんはアカデミックなことよりも、人の身の上のほうが気になってしょうがない。
20年以上振りの教室。よみがえる悪夢。国も時代も変われど、教室というところにはお決まりのキャラクターが結集するようである。社交性ゼロのオタッキー生徒。先生と個人授業でも受けているつもりでしゃべくる優等生。教室のうしろの席を陣取り、だんまりをつらぬき通すしぶちん生徒。わたしは……。
その昔のわたしは、先生の目を盗んで早弁したり、居眠りしたり、漫画読んだり、悪友に消しゴムを投げつけたりする内職命の劣等生で、授業に集中した覚えがない。立派な中年に成長したわたしは、まじめに勉強しよう!と教室に向かうのだが、昔の血が騒いでしまう。前の席に座るブラジル人のタトゥーがのぞくお尻に、えんぴつを差し込みたくなってしまう。まじめに集中している隣のイタリア人に臭い足をかがせてあげたくなってしまう。暴れたい! 叫びたい! 笑わせたい! それをぐっと我慢すること3時間。ストレスで円形脱毛症になってしまいそうである。そして、「オーマイガーッド! ノーーー!!」。あいかわらずテストを受けている最中の夢を見てはうなされている。
しかし、もう目が覚めてもホッとできないのだ。目が覚めてからのほうが恐ろしい。本物のテストが、あと数時間後にあるんだよー! お若い皆さん、酒でもメシでもおごるから、カンニングさせてね。
 
(2009年8月)

第49回「さらば太陽の季節!」

やばい。9月になってしまった。太陽が引っ込もうとしている。この夏、最高気温を更新しちゃって、「やればできるじゃねえか」と褒められたり、「やり過ぎだバカ!」とののしられたり、そのすぐ後にどーんと力抜いちゃって、「寒いんだバカ!」とまた怒鳴られたり、あいかわらずどこか抜けているシアトルの太陽が、1年分の仕事をこなした気でいるらしく、早々に隠居しようとしている。ああ、なんて軟弱なやつ! 誰かステロイドでも打ってくれ! 1年中カーッと照らせるパワーを与えてくれ! 今年もそんなことを思いながら夏の終わりを迎えている。悲しー。
みんなの夏はどうだった? 我が家は時代を先取りし、それはそれはトレンド最先端の暮らしをしていた。どんな暮らしか? それはね、人もうらやむ……うそ。それはね、思いっきりしけこんだ暮らしだよー! ちきしょー!
なんてったって時代はリセッション。金を使わない、しけこみ&ひきこもりがトレンドなのだ。我が家では、「欲しがりません、景気が回復するまでは!」を合言葉に、リセッション・ブート・キャンプを実施したのだ。

夏といったらBBQ。我が家では、太陽がちゃんと仕事をしてくれている日には、必ずBBQをする。デッキで肉を焼き、酒を飲む。それが夏のいちばんの楽しみだ。例年であれば、グリルは一面ギュ―ギューに牛肉で大盛況。モー食えん!と、家族一同うなりながら倒れて本物のウシと化していくまでひたすら食べる。しかしこの夏、グリルに牛さんの姿は見られず、鶏さんと豚さんが幅を利かせていた。「これがリセッションBBQだー!」と威張ってお客さまにも安い骨付き鶏肉をしゃぶらせていた。そして酒も……。
わたしの夏の楽しみは、夕方くらいからシャンパンをぐびぐびやることだ。しかしシャンパンなんぞはリセッション・ブート・キャンプでは認可されていないぜいたく品である。なので「リセッション・バブル」を開発した。1本3ドル以下という白ワインをギンギンに冷やし、ほーんのちょっと炭酸水を加え、ぐおおおおおおーっと顔が真っ赤になって血管が爆発しそうになるまでシェイクしまくり、一気に飲む。頭に血がのぼるので味覚もいかれ、「これはシャンパンだ」と言われりゃそんな味がしてくる錯乱ドリンクだ。やってみて。

そしてサマー・キャンプ。お子さま達は例年いろいろ週代わりのデー・キャンプに参加していたが、そんな金ももったいない。なのでこの夏は、我が家で「雑草抜きキャンプ」「芝刈りキャンプ」「床ふきキャンプ」など、種類豊富なお子さまブート・キャンプを開催してやった。
「児童虐待!」「どっか連れてけー」と強制労働に嫌気を差したお子さま方が暴動を起こしたので、「リセッション・バケーション」にも連れて行ってやった。カリフォルニア片道14時間の拷問ドライブ旅行。ガソリン代はちょっと掛かるが宿はただ。おまけにその宿には、お岩さんのような不気味なばあさん(義母)がいる。ひえー、きゃーっと、納涼効果もばっちりのお化け屋敷見学ができた。
この夏の一番の思い出は、「リセッション・ヘアカット」かな。美容院に行くなんてもったいない。なので家族でじゃんけんをして、お互いの髪を切り合うといった、家族の信頼関係を試すギャンブルに踏み切ったのだ。わたしの黒髪は、強制労働を恨む娘その1に、ざくざくと切られていった……。
我が家はどっぷりリセッション三昧をしていたのに、時代を無視し、日本豪遊夏の旅に出掛けていた幸せ者達が続々と帰って来ては、「何? そのザンギリ頭」とうるさい。ほっといてくれ。
天気はこれからどんどんしけこんでいくが、とっととリセッションとはおさらばしたいもんだ。神さま、景気回復よろしくねー! 髪さま、早く伸びてくれー! 
さらば太陽の季節。うなじが涼しいぜ。
 
(2009年9月)

第50回「ハチ騒動」

「とりゃー!」「死ねー!」
その朝もわたしは格闘していた。庭師に払う金などあったら、酒代に回したいけちんぼのわたしは、庭でボーボーの雑草、とげとげのブラックベリー退治を日課としていた。
その朝もいつものように額から汗を噴出しながらカマを振り回していると「チク」。腕が痛い。どうやらハチが、わたしのおいしそうな二の腕を刺したようである。
「なんだこのやろうー!」「うおーっ」と威嚇し「ちぇっ」と腕をさすりながら場所を変え、ハチのいないところでタンポポでもかわいく抜こう……と腰を下ろしたら、あら大変。全身が異様にかゆくなってきた。すっぱだかになって体中を引っ掻き回したい! だけどそんなことをして、通行人を喜ばしてやるのももったいない。わたしは、家に入りシャワーを浴びながら掻きまくることにした。
風呂場ですっぱだかになると、体中に湿疹が……。でぶの湿疹は気持ちが悪い。あまりの醜さにくらくらしてきた。これってもしかしてハチ毒アレルギー!? そう気が付いた時には顔が腫れ、息も詰まってきた。おおおおおお、こうして死んでいくって話を聞いたことがあるぞ。やばい! 緊急事態だ! 夫に電話すると、運転して病院へ行けという。「運転できる状況じゃねーんだバカ!」と怒鳴り、帰宅命令を出す。しかし、だんだん体の力が抜けていくので、慌てて911に電話。そして生まれて初めて救急車のお世話になることになったのである。

数分後、ピーポーピーポー。大きなサイレンの音は、我が家のドライブウェーで止まった。どどどどどっと人が駆け込んできてわたしの脈と血圧を測り、「やばいぞ、急げ」と、バンバン注射をしてくれた。TVでよく見る緊急医療現場ドラマのような状況におかれたわたしは、気絶しそうになりながらも悲劇のヒロイン気分に酔っていた。……しかし、悲劇のヒロインの居場所は悲惨であった。朝っぱらから救急隊員の皆さんをお呼びする予定などなかったので、玄関には臭い靴、脱ぎ散らかした靴下、そのうえなぜかブラジャーまでが散乱。そしてカウチの周りには、飲み掛けのワイン・グラスや空っぽの酒瓶の数々、枝豆の殻が。ハチに刺されて気を失う美女、というよりは飲み過ぎてぶっ倒れたアル中女……。あー、こんなことなら片付けておけば良かった! と気絶しそうになりながら反省したのでありました。
それでもドラマチックに救急車はピーポーピーポー出発していった。そして運ばれたERは、ドラマどおりの緊迫した空間。きゃあ、素敵! やっぱりわたしは悲劇のヒロインなのよねぇ……と感動していたら爆睡。5時間後、目を覚ますとわたしはERの一室で放ったらかしにされていた。慌ててやって来た夫の姿もない。トイレに行きたいのだが、ナースコール・ボタンもなく、鼻と腕から点滴されていて動けない。「おーい。目が覚めたぞー。便所行きてーぞー」と叫んでも、隣の部屋は患者が担ぎこまれたばかりで盛り上がっており、相手にしてもらえない。掃除のおばさんがゴミを取りに来てくれたので、「ナース呼んでくれー。ちびるぞー」とお願いして、やっと便所へ行けたのだった。

「もうなんともないから、帰る」
「あら、そう。じゃあ、バイバイ」

え? あんなにドラマチックに担ぎ込まれたのに、帰りはこんなに地味なの? 医者の話もないの? つまんなーい。ERを追い出されたわたしは、病院のロビーで夫の迎えを待たされた。そこはホテルのようなすかしたロビーで、皆がわたしのことをじろじろ見る。シャワー浴びたてのままぶっ倒れたので髪は激しく逆立っている。そういえばノーブラ&ノーパンで、Tシャツと短パンを急いで着ただけだった。そのうえ靴も履いていない。「なんだこの汚ねえ女!」。皆の視線が痛かった。
バカヤロー。わたしは生死をさまよいハチに勝った勇敢な中年女だぞー。悲劇のヒロインは、ガンをつけながら病院を去っていった。
みんなもハチには気を付けてね。
 
(2009年10月)

第51回「ドバドバわんわん」

ドバドバドバ。
今日も朝から雨。
わんわんわん。
ドバドバドバ。
わんドバわんドバ……。
お天気の悪い最近、我が家では朝から雨音と息子がハモってやかましい。
人間の息子に恵まれなかった我が家には、お犬さまの息子がいる。その名はジョジョ君。毎朝鏡の前で「髪型がきまらない」だの「ママがケチで服を買ってくれないから、わたしが学校でいちばんかっこ悪い」だの、我が家の人間の子供達のようなうるさいことをうだうだ言わず、裸一貫で生きているおりこうさん。「こんな不気味なもの人間の食べるものじゃない!」と、人間の子供達が悪態をついて残したご飯でも、しっぽを振ってきれいにたいらげる。「ママはでぶの酔っ払い」とか「ママの足はぞうきんにおならをかけて腐らせた臭いがする」とか余計なことも言わず、我が家でいちばんできのよろしいお子さまとして溺愛されている。
しかし、できの良い息子にも欠点が……。毎朝、人間の子供達が学校へ出掛けても、彼には行くところがないのだ。わたしは、ひと時の平和な時間をいびきをかいて過ごそうと2度寝するためにベッドに潜り込むのだが、「わんわんわん(散歩につれてけ!)」と騒ぐのだ。
「雨が降ってんだろ雨が!」。それでもわんわんわん。日本語がわからねーのか!と「レイン、ドバドバ、ノー、散歩、ノー!」と身振り手振りを駆使して説明してあげてもわんわんわん。この時ばかりは聞き分けが悪い。「いくらTV見てても良いからさー」「おーら、おやつだって食べ放題だぞ!」と人間の子をだますのによく効くせりふにも反応しない。
「二日酔いには散歩がいちばんだぞ、わんわん」「でぶには歩くのがいちばんだぞ、わんわん!」とわたしを挑発するのであった。
仕方がない。でぶは腰を上げ、レイン・コート&レイン・パンツを身に着け、長靴を履き、雨の中、外へ出る。行く先は「ジョジョのお便所」と我が家で呼ばれている近所の公園だ。
犬を飼い出してからというもの、わたしは芝生には転がらない。芝生には爆弾が転がっているからだ。犬が身構えると何かが出てくるでしょ。それをピックアップするのが犬の飼い主の責任。しかし、無責任な飼い主が知らん振りをして置き去りにしていったアイテムをよく目にする。それが「爆弾」だ。残念なことに芝生の上には爆弾が随分と転がっているのだ。
晴れた日にいちゃいちゃしている男女を見ると、「わあ、汚ねえ。あそこ爆弾集中地域なのに……」と、鼻をつまんで見てしまう。なのでわたしは公園で足元を警戒しながら歩く習慣がついている。しかし、雨の日は難しい。いろんなものがふにゃふにゃになっていて、なにがあれで、どれがそれだかわからない。
ジョジョ君がすっきりとした表情で「こと」を終えると、立派な飼い主のわたくしは、ぬかるみの中、腰をかがめてピックアップ準備態勢に入る。しかし、そういう時に限って息子は
「あ、あっちに僕の大好きなカモがいる!」
と、思い切りダッシュを決めてくれる。超ヘビー級のわたしもぐじょぐじょぬれた芝の上では踏ん張りが利かず、ジョジョにリーシュを引っ張られすってんころりん。腰痛持ちなのに、思いっ切り腰を打っちまったじゃないか! な、なんだ、冷たい雨の中だというのにお尻だけが温かい……。わたしのお尻の下には、息子の息子が……。
「キャーーーーーー」
雨とわたしの雄叫びが、見事にハモるのであった。
ドバドバドバ。
わんわんわん。
シアトルは、今日も雨。そして今日もわたしは爆弾の中を行かねばならぬ。ジョジョよ、あんたもメリーさんの羊みたいに人間の子供について学校行ってくれよー。雨降りの季節だけで良いからさー。
ドバドバ、わんわん。
キャー!!!!!
この季節、雨の公園はデンジャラス。近寄らないほうが身のためかもよ。
 
(2009年11月)

第52回「プレゼント合戦シーズン突入!」

「今年は財布がすっからかんなのでプレゼント合戦はやめましょう」
ホリデー・シーズンを前に、くそババア……いえ、義理の母に提案をしてみたが
「プレゼントは金額ではない。金がなくとも合戦可能。続行じゃあ!」
との返事が。あ~あ、今年のホリデー・シーズンも不吉な予感がしまくりだ。
プレゼントをあげるのは嫌いではない。プレゼントをもらうのも大好きだ。ある人からのプレゼントを除いては……。ある人とは、もちろん義母。彼女は、あげまくることを趣味とするプレゼントおたくなのだ。
人の誕生日、記念日なんかをよく覚えていて、必ずプレゼントを送ってくる。「そんなの良い趣味じゃない!」って思うでしょ? 欲しい物をもらえれば、そりゃうれしいさ。しかし、義母の「趣味」は、むちゃくちゃむちゃくちゃむちゃくちゃ悪いのだ。人が喜ぶ顔を想定して物を選ぶという、プレゼント買いの基本を無視し、「何なんだこれはー!」と人が絶叫し、顔をしかめ、苦悩する様子を覗き見して、うししっとほくそ笑むのが目的では!と疑うような、とんでもないものばかり送りつけてくる。
 
ここにありますフォト・アルバム。これは、わたしの40歳の誕生日のプレゼント。カバーはベルベットで、その色は限りなくドブ色に近いふかみどり。そしてカバーには、「このドブはおれさまの住処だぜい!」と威張りくさった醜い姿の立体カエルが付いている……。「40代からの醜い姿はここに納めるのがお似合いだ」との義母の愛を感じてしまい、もらって即刻リビング・ルームの片隅にぶん投げられ、カエル君は即死した。
こちらは、結婚15周年のお祝いにもらったワイン・グラス。シンプルなスタイルが大好きなわたしのために「これでもか!」の、どぎついデザインが施されている。見るだけでむかつく。そのうえ重いので、ワイン・グラスを持つだけで筋肉トレーニングになる。「でぶ、飲み過ぎに注意しろよ」と飲むたび義母の顔が目に浮かぶので、お客様専用グラスに任命し「どんどん割って」と頼んであるが、まだあと12個も健在で迷惑だ。
そこに転がっているガラス玉は、日本に住んでいたころ、カリフォルニアに里帰りした時に「来月の記念日に開けろ」と言われてもらった、大きなダンボールに入っていたもの。長い空の旅、大荷物でもう何も持てないっていうのに、無理やり機内持ち込み荷物にさせられた。ひーひー言いながら家に帰って開けてみたところ、何百枚ものシートで包まれて出てきたのがこれ。頭をかち割るくらいしか用途のない謎のガラス玉。
そのほか、娘達ですら「何これ、おえー」と言った銀のサラダボール(やけどを負ってもがいているようにしか見えない天使とリスとどんぐりが、でこぼこにデザインされている)、カラスの口から飛び出す楊枝入れ、アスベストのような粉がボロボロ出てくるつぼ、男子産み分け本(42歳の誕生日に!)、さび付いたやかん、でか過ぎる額(中からっぽ)、肥満クリニックの割引券、使い古しの鍋セット……。
 
わたし達のおめでたい日は「何なんだこれはー!」「ふざけんじゃねー!」とわたしの怒りが爆発する日になっている。遠距離から怨念をばらまき自己満足にひたる義母の姿がまぶたに浮かび、むなくそ悪くて大酒を飲んで暴れてしまう。礼など言う気にもならず放っておくと「おーら、このカードで礼のひとつも言ってこいや!」とサンキュー・カードのセットを送りつけてくる始末。プレゼントおたくは嫌がらせの天才である。
プレゼント合戦の頂点のクリスマスがやってくる。今年はどんな仕打ちを受けるのだろうか。いいや、今年こそ負けてたまるか! こっちも「おえー」「きゃー」「ひえー」と義母に喜んでもらえそうなリベンジ・グッズを選んでやるぞ! 勝利の酒を飲むのはわたしだ! 待ってろよ、ババア!
 
Happy Holidays! みなさん、良いお年を!
 
(2009年12月)

第53回「今年こそ……」

あーあ、またやっちゃった。去年の正月に誓った約束、守らないまま、また新しい年がやって来ちゃったわ。ああ、そう言えば、その前の年も。そのその前の年も。そのそのそのそのその前の年も……。
毎年初日の出に誓っていること、それは減量。14年前にシアトルへ引っ越して来て以来、じわじわと勝手にわたしのあごや、腕や、腹回りや、お尻にべったり繁殖していったぜい肉30パウンド。「不法滞在だ! 撤去しやがれ!」と揉み殺そうとしても、ぶにゅぶにゅとかっ達の悪い応答しかしない。「焼肉にして食ってやるぞ!」と脅してはいるが、包丁さばきに自信がないため食用化できずにいる。
日本に行く度に「でぶでぶでぶでぶ」と、皆に連呼される。その度に「ちきしょう。絶対やせてやる!」と闘志に燃え、ダイエット本を買い込みシアトルに戻って来るのだが、シータック空港の税関を抜けた辺りで気が緩む。お相撲さんのような税関のオネエチャンに「おかえりなさい」と言われると、「ああ、でぶの国に戻って来たんだ~」と安堵して、日本での屈辱をきれいさっぱり忘れてしまう。でぶモードぶっちぎりで暴飲暴食の暮らしを復活させてしまうのだ。
ついこの前日本に行った時も、泣きたくなるほどの屈辱を受けた。わたしは、昔勤めていた会社の同期達と、入社20周年を祝うパーティーに出席するため、わざわざシアトルから駆け付けた。90人が集まる同窓会のようなもの。同窓会と言えば、昔好きだった男と再会して、きゃー!心ときめき青春復活!みたいに盛り上がるはず……と、うきうきわくわく出掛けていった。
もう10年以上会っていない面々に会い、わたしは興奮していた。「わー!きゃー!K君じゃないの~」「わあ、N君も変わんないね~」なんて、かわいこぶってぎゃーぎゃー騒いでいると、「ひえ~、どうしたんだおまえ!」「どうやったらそんなでぶになれんだよー」と、男共がわたしに群がり、二の腕や腹をばんばんたたいて笑いまくるではないか。
同期の仲間達は、やせていた。日本でメタボが流行っていると聞いて安心していたのに。男も女も皆シックに黒やグレーのすっきりファッション。かっこいい。わたしは……。わたしは、この日のために!と選りすぐった蛍光黄緑色のシャツを着ていた。すかした麻布のクラブで、ほかの女達の2倍の幅を利かせ、輝き目立つ蛍光黄緑でぶ。「めでたい=派手な色」というアメリカおばさんファッション根性が知らぬうちに染み付いてしまっていたのだ。ああ、悲しい。
「わはははは」「すげえ変わりよう」。笑う笑う、みんなが笑う。「うるせー! てめーらは貧しくて食うに食えねーだけだろが! アメリカは潤ってるからなあ、毎日分厚いステーキ食えるんだよ、バーカ!」。
ちきしょう。心ときめく青春復活はどこへ……。叫んで暴れて大酒飲んで夜はふけていった。
「おい、この夏また同期会やれよ! ばっちりやせてくるからな、びっくりすんなよ!」。大見得切った捨てぜりふを残し、わたしは日本を後にした。
やせてやる!今度こそ!絶対!もう笑われないぞ!うおおおおおおおおお! やせるぞパワーをみなぎらせ、鼻息荒くシアトルの税関を出ようとすると、「おかえりなさい」。ああ、まただ。相撲のネエチャンがいる。「ああ、わたしはこの国では全然でぶじゃない。日本の感覚が狂ってるだけなのさ」。スーツケースをガラガラやっているうちに、さっきまでのやせるぞパワーは食欲に変わり、「ねえ、帰って来たんだけど食べ放題行かない?」なんて、早速食い倒れ友達に電話をしてしまうのである。
2010年。今年こそ、どうにか霜降り人間から脱皮したいんだけどなあ。でぶの国の居心地が良過ぎるんだよなあ。なんか良い方法はないのかなあ。一応、今年も新年の誓いは、「今年こそ!」だ! 今年こそやせたいぞー! 今年こそマジだぞー! そういうことで今年も皆さんよろしくね。
 
(2010年1月)

第54回「かぶり物恐怖症」

わたしは自由奔放に生きている。欲望のまま、やりたい放題。なので、束縛されるのが大嫌い。それは、わたしの体のパーツも同様で、皆思いっ切り自由を享受して生きている。ゆえに、わたし&わたしの体のパーツには弱点がある。わたし達は、かぶり物が苦手なのである。
まず、頭。わたしは仮装が大好きで、我が家にはロン毛ブロンド、アフロ、レゲエ……と、さまざまなヅラがある。これをかぶっておちゃらけるのが大好きなのだが、わたしのすくすくとでかくなった頭は、束縛されるのが大嫌い。ヅラをかぶると頭がキリキリと痛み出し、脳みそが噴火しそうになる。
「うおおおおおおお。やってられねーよー」。宴もたけなわな状況でヅラを脱ぎ飛ばし、絶叫せずにはいられない。自由を愛するわたしの頭は、かぶり物に耐えられないのである。
そして鼻。先日ハワイの海でシュノーケリングを試みた。マスクをかぶり、さっそうと海に入ったが、3秒後にはあっぷあっぷと陸に引き上げてしまった。なんなんだ、シュノーケリング!鼻を密封したマスクをかぶり、筒を使って口で息をしろだと~。そんな不自由なこと、人間のすることではない! わたしの鼻はいつでも思う存分新鮮な空気を吸っていたいのだ。鼻で息をしたら窒息しそうになっちまったじゃないか。「や~めた、やめた。こんなもん」と、マスクを投げ飛ばし、思いっ切り鼻で息をしながら陸で酒を飲んでいた。
そして自由を愛するわたし&わたしの体のパーツが理解できないスポーツ、ナンバー1はスキーである。足を犯罪者のように扱って、牢獄のようなブーツの中に押し込み、自由を束縛する。そのうえ、それをつるつる滑る板の上に乗せて雪山の上から滑って来いだって? わたしの足が何をした! 足の尊厳を無視した拷問に、なんで金を払わなくてはいけないんだ! わたしは、そんな足の虐待行為なんぞにかかわりたくない。なので、わたしは雪山に行っても非人道的なスキーなどせず、雪山をニコニコ滑り降りてくる残虐な人々をラウンジで眺めながら酒を飲んでいる。
靴下も履かず、ブラもめったに着けず、いつもゴムパンで化粧もしない体のパーツ愛護家のわたしではあるが、最近は、歯の皆さんに申し訳ないことをしている。なんと、この年にして、歯の矯正を始めたのだ。
日本にいたら八重歯や出っ歯は愛嬌で済む。わたしのちょいとゆがんだ歯並びだって、気になんかならなかった。しかし、アメリカ人は歯が命。真っ白できちんと整列した歯並びを自慢して、大きな口を開けて微笑むのがアメリカ人。オバマの歯を見よ! あれがアメリカの成功のシンボルなのだ。
「わたしも、ああなりたいなぁ」。娘その1が矯正中ということもあり、「わたしもいっちょやってみっか」と、思い立ってしまったのだ。わたしの体のパーツはどいつもこいつもかぶり物が苦手だってことを忘れて……。
「見た目はわからない」「食べる時だけ取れば良い」。そうそそのかされ、わたしは透明のべったり歯にかぶせるたぐいの矯正ギア装着を始めたのであった。
口の中がムズムズする。「しゃししゅしぇしょ」と、滑舌も悪い。取り外しも面倒くさい。口の中に指を突っ込み、ふんがふんがおえーっと、すごい形相になりながらギアを取り出し、食べ終わったら歯を磨き、またふんがふんがおえ~っと装着しなくてはならない。わたしは、いつでもどこでも食べる自由を束縛され、イライラぶりぶりが止まらない。
「うおおおおおおおお」「なんだこんなもーん」ひっぱがして叫ぶこと数十回。だけど、高い金払っちゃったし。歯並び良くしたいし。
くーっ。投げ飛ばした矯正ギアを拾い上げ、口の中におさめるわたし。あと6カ月だって。できるかなあ、できなさそうだなあ、だけどやらなきゃ元も子もないしなあ。歯の皆さん、ごめんよー。虐待に耐えて頑張れよー!
 
(2010年2月)

第55回「ティーンエージャー怪獣現る」

我が家の娘、娘その1こと、その昔「みるちゃんみるみる」という連載(www.youmaga.com/seattleite/miru/)でぶいぶい言わせていた巨大幼児が、このたび13歳になってしまった。「へえ、それがどうした」って? それは大変なことなのだよ! 13歳、それはティーンエージャーに変身する年。人生でいちばん手におえない、ぐれて暴れて親を悩ませる……と、世の親が恐れおののく年頃になってしまったのである。 「ティーンエージャーになったら終わりよ」 「あんたんちの子なんか、でかいから大変よ」 今まで何人の先輩ママさん達に言われ続けたことか。何が終わりで、何が大変なのかわからなかったが、とにかくティーンエージャーという怪物は、家の中にはいないほうがいい生き物らしいことは確かであった。 「ティーンエージャーに化けたら全寮制の学校に押し込もう……」 そうたくらんでいたが、全寮制の学校は金が掛かり過ぎた。そして追い出すあてもないまま、娘その1は、ティーンエージャーに化けてしまったのである。いつもニコニコ、おなかがいっぱいだったら人生幸せな小娘だったのに……惜しい方を亡くしてしまった。今、我が家に棲息しているティーンエージャー怪物に、昔の名残などみじんもありゃしない。 ティーンエージャー怪物は、寝起きが悪い。 「おはよう」 「……よう」 「え? なに?」 「……はよう」 「はっきり言わねーかー、聞こえねーぞー」 「ギャー!%&$#@!*」 ……ティーンエージャー怪物は、毎朝絶叫しないと目が覚めないようである。
ティーンエージャー怪物は、臭い。デオドラントをシュー。ヘアスプレーをシュー。香水をシュー。「げほげほげほ、おえー」。一緒に車に乗り込むのは危険である。ティーンエージャー怪獣の発する悪臭で鼻はもげ、失神しそうになる。
ティーンエージャー怪物は草食動物に変身する。「牛さんや鳥さんを殺して食べるなんて野蛮人! 焼肉もステーキも、この世の中からなくなればいいのよ!」
おまえはカルビばっか食ってここまで大きくなったんだけどねえ。都合の悪いことは何も覚えていない。
ティーンエージャー怪物は、時計が読めない。
「夜10時までには寝ろ」
と言っても夜中まで起きている。
「朝8時には起きろ!」
と言っても昼まで寝ている。幼稚園からやり直して、時計の読み方を復習する必要がある。
ティーンエージャー怪物は、説教好きである。
「そんなに食べたら太るよ」
「そんなにお酒飲んで頭悪くならないの?」
人の言うことはちっとも聞かないくせに、自分の言うことは世界一まともで、全世界が耳を傾けるべきだと思い込んでいる。
ティーンエージャー怪物は、勝手に人の剃刀を使う。そして体中の毛を剃りまくって知らん振りをする。おかげで「痛てー」。わたしが使う時には、刃が鈍くなり血だらけになる。
ティーンエージャー怪物は、泣くのが大好き。「わあああああああああ」「ぎゃあああああああ」「……あれ、なんで泣いてたんだっけ? まっ、いいか。もうちょっと泣こう。ぎゃあああああ」
部屋にこもっていつも泣いている。
平和な家庭を舞台に暴れまくるティーンエージャー怪物。弱点はなんだ? おこづかいアップ攻撃か? 携帯電話購入作戦か? ティーンエージャー怪物に効く餌ってなんなんだ! ああ、今日も……。
「ぎゃああああああ」「わあああああああ」
うるせー! 早くまともな人間になりやがれー! さもないとアラフォーが逆襲するからなあ!
  「うおおおおおおおお」
わが家は最近とってもにぎやかだ……。
 
(2010年3月)

第56回「バレーボール・ママ」

♪苦しくったって~悲しくたって~コートの中では平気なの~。……わたしは、名作「アタックNo.1」の主題歌を歌いながら、日の出前の薄暗いハイウェイをぶっ飛ばす。主人公、鮎原こずえのようにコートに向かわなくてはいけないのだ。こずえちゃんのようにぴちぴちブルマーを履いた選手としてではなく、割烹着姿の賄いおばさんとして。
娘その1が、ある日「わたしは青春をバレーボールに賭けるわ!」と宣言した。娘その1は、はっきり言ってアスリート仕様にできていない。ボールがぶつかれば泣くし、大きな声を出すのも恥ずかしがる。「おまえは誰の子だ?」とスポ根少女であったわたしには理解できない。けど、まあ、やりたいって言うならやらせてみようじゃないの。
そうとなったら、セレクト・チームのトライアウトを受けて、チームに所属するのがアメリカ流。学校のスポーツは、「みんなが平等にプレイ・タイムを持つのが大事」「勝ち負けなんてどうでも良い」と甘っちょろくてやってられないのだ。体だけはお母さまに似た娘その1は、170センチを超える巨体を買われ、某セレクト・チームのバレーボール少女になれた。
バレーボール少女は忙しい。平日2回、夜2時間に及ぶ練習に加え、週末はトーナメントがある。それも、その会場がカナダの国境に近かったり、オレゴンの州境に近かったり、牛さんや馬さんしか住んでいなさそうな所にあるのだ。そう、むちゃくちゃ遠いのである。なのでわたしは、前の晩の酒が抜け切れない体で♪苦しくったって~……とハンドルを握っている。だって相当苦しいんだもん。
日の出前のハイウェイをぶっ飛ばすクルマは重い。今日は、わたしが食料係。朝8時~夜8時近くまで試合を続ける少女12人分とコーチふたり、そして1日中苦楽を共にするご父兄の胃袋を満たす係なのである。クロワッサン、サンドイッチ、ホットドッグ、5合炊いたご飯が炊飯器ごと、鍋いっぱいのミートボール、パスタ、リンゴ、ミカン、バナナ、ブドウ、クラッカー、チーズ、セロリ・スティック、ミニ・キャロット、ジュース、チョコ・ミルク……。これでもかー!!!!という量の食料品が積み込まれているのだ。
重い車が現地に到着したら勝負だ! 「おらー行くぞー! 走れー!」。まずは場所取り。折り畳み式のテーブル、いす、毛布を抱えながら、重たい体をぶるんぶるんいわせて体育館へまっしぐら。同じような境遇のよそのチームの賄いおばさん達も体育館へ向かっている。負けてたまるか! 「おらおらどきやがれ~」。どすどすと我ら親子は突進して行く。体育館の通路にどれだけ広く場所を取れるかが、食料係の腕の見せどころ。12人のバレーボール少女がくつろげるスペースを確保しなくてはならないのだ。「あそこだー、行けー」「おまえそこに寝っ転がれー」。テーブルといすを置き、荷物と毛布と娘その1の体で、床スペースをキープする。「まあ、今日は良い場所ね」。続々とやって来るチームメイトのご父兄に褒められて、賄いおばさんの株が上がるのである。
試合は8時から始まるが、決まった昼休みはないので、試合の合間に食べ、休む。賄いおばさんは、試合が終わるごとに「ほら食え食え!」と少女達のエネルギーを補給するのだ。
朝4時にパスタとホットドッグを茹でた。5時に車へ大荷物を運び込んだ。疲れた。眠い。横になりたい。♪涙も汗も若いファイトでワンツーワンツーアタック!……と、鮎原こずえは言う。そうね、頑張らなきゃ。“消える魔球”も“Wアタック”もできないけど、わたしにはベーグルにクリーム・チーズを塗る使命があるのよ!
  ♪だけど、涙がでちゃう。おばさんなんだもん。
あー、早く帰って酒飲んで寝てーよー! バレーボール・ママは、青空に遠く叫ぶのであった……。
 
(2010年4月)

第57回「コンビニでぶ」

「げっ、なんじゃいこれ!」
毎朝起きると飛び出るひと言。わたしは今、日本に来ている。そして滞在中はいっつもこうだ。
「げっ! げっ! げっ!!!」
毎朝起きると、そこにはサプライズがあるのだ。
サプライズは、床に転がっている。サプライズは、見苦しい。それは、とんこつカップラーメンの空っぽカップだったり、食べかけの焼きそばパンだったり、ピリからチキンの揚げカスだったり、焼きサバおにぎりの包装紙だったり……臭いを放つばっちい残骸なのである。毎朝起きるとそんなものが床の上に転がっているのだ。
誰が食べたのか? 怪獣が遊びに来ていたのか? 片付けくらいしてけよ怪獣! 怪獣に飛び蹴りをしてやりたいところだが、怪獣が言う。
「俺じゃねえよ、お前だよ!」
「えっ? うっそー、まじー?」
わたしには、前の晩に居酒屋でみんなとわいわい飲んでいたことしか記憶がない。刑事に、「この、焼きサバおにぎりを食べたのは誰だ! 本当のことを言え!」と問い詰められても、「記憶にございません」と言うしかないのである。だって、本当に、そんなもん食べた記憶がないんだもん。
「じゃあ何なんだこれは!」
刑事はわたしの財布の中のレシートを見せつけるだろう。
“&月%日2時5分 焼きサバおにぎり125円、ピリからチキン250円……”
それは、近所のコンビニのレシートである。たしかにその時間、わたしは帰り道をふらふらと歩いていたはずだ。そしてぼんやりと思い出す。コンビニの明かりと「ありがとうございました~」のお兄さんの声。
わたしは酔っ払い。日本に帰ると毎晩酔っ払っている。そして異常な食欲を発揮するのだ。
日本の酔っ払いは行動的。酩酊しながら深夜の街を徘徊しているが、どうやらわたしは酔っ払って帰途に就きながら、24時間オープンのコンビニの明かりに引き込まれ、大量の食料を買い込んでは暴食し、床に就いているようなのである。全く記憶にはないのだけれど。日本には、酔っ払いの行く手を阻むようにコンビニが立ち並んでいる。そして日本国民総健康オタクなくせに、コンビニには酔っ払いが食べたくなるようなうまいものが24時間いつでも詰まっている。
近所のコンビニに行ってみた。ササニシキ使用明太子おにぎり、とろけるたまご&すき焼きおにぎり、とんこつラーメンおにぎり。……しらふでさえ、おにぎり売り場の前に立つだけでよだれたらたらなのだから、酔っ払ったわたしは興奮して絶叫しながら買いまくっているに違いなく、深夜のコンビニの有名客になっているようだ。「いつもありがとうございま~す」と、含み笑いの店員に話し掛けられてしまう。この店で買い物した記憶なんてないのだけれど。深夜のコンビニは、酔っ払いのワンダーランド。あ~もうシアトルになんか帰りたくない! 日本うま過ぎ! コンビニ万歳!
しかし、日本滞在が長引くほど、元々のアメリカでぶボディーがさらに肥大化していく。なぜだ? 毎日たくさん歩きまわっているのに! それは、「げっ! げっ! げっ!!!」の毎朝のコンビニ残骸サプライズのせい。記憶のない、焼きサバおにぎりが、期間限定濃厚しょう油とんこつラーメン大盛りが、深夜わたしの体内に勝手に侵入し、でぶに磨きをかけているのだ。アメリカでぶ×コンビニでぶ。おそろしいメタボの方程式。日本長期滞在は、わたしの健康によろしくないのである。
さあ今晩も飲み会だ。明日のサプライズは、具だくさん坦々ラーメンと1.5倍!明太子おにぎりではなく、冷奴とひじきサラダにしてみせるぞ! と心に誓い、夜の街へいざ出陣。5時間後のわたしは何を手に帰途に就くのであろうか。欲望のうずまく深夜のコンビニ。日本は毎日楽しいぞー!
 
(2010年5月)

第58回「今日もボキボキ」

そのうす暗い部屋には、男とわたししかいなかった。
「さあ、そこに横になって」
男は言った。わたしの心臓は緊張のあまり飛び出しそうに激しく鼓動していた。
「めぐみさん」
「はい……」
「よろしいですね」
「いや、待って。まだ心の準備が……」
しかし、男は待ってくれない。
「は~っ」
男の吐息が耳元で聞こえる。
「いきますよ」
「いや~ん、やめて~」
男は何も聞こえなかったふりをして、わたしを抱え込んだ。
「痛いの嫌よ~。やさしくして~」
悶えるわたし。
「力を抜いて。すぐ終わるから」
男は強引である。堪忍して体を預けたわたし。
「やさしくしてね」
男の手がわたしの腰を触る。手と足をひねりあげると、思いっ切りいった……。ボキボキボキ。そして続け様にわたしの首をつかむと、左にボキ。右にボキ。そして男はやさしく微笑んだ。
「はい、おしまい! 今日は調子が良いですよ~」
「やさしくしてって言ったのに~」
ゆっくりと体を起こしながら不機嫌なわたし。
「先生がだんなだったらぶっ飛ばしてるね、今頃」
「ひえ~、そんな~」
びびる先生。そう、「男」は先生。わたしのカイロプラクター。だんなにも触らせないマイボディーを週に1回は、ボキ、ボキ、ボキっと骨が鳴るまでいじってもらっている。ボキボキは大嫌いなので、いつも文句を言っているが、先生のボキボキがないと、もうわたしは生きていけない。だって腰痛持ちなんだも~ん。
腰痛との出合いは、電撃的であった。あれは、ある晴れた夏の日のこと。いつものようにカマを抱え、さっそうと庭の雑草取りに向かった矢先、稲妻が走ったようなとんでもない痛みと共に、わたしは四つんばいのまま動けなくなってしまったのだ。
「あはははは、ママお馬さんみたい~」
サル娘が笑いながら乗ろうとする。お馬さんは、げんこつパンチをしたかったが、ちょっとでも体を動かすと激痛が走った。芝生の上で四つんばいになったまま、お馬さんは途方に暮れたのであった。
出産の痛み<腰痛。そんな不等式が頭の中にでっかく記された。腰痛は本当につらいのだ。ギックリ勃発直後は、咳をするだけで激痛が走った。トイレに行きたくても便座に座る勇気がない。「パンツ脱がせて~」「パンツ履かせて~」。家族の介護なくては、トイレから生還できやしなかった。そんな腰痛持ちを救ってくれる正義の味方がカイロプラクター。
ボキ。「うっ……」
ボキボキ。「うううっ……」
必殺ボキボキの術で、腰痛を退治してくれるのである。人に体を触れられるのは大嫌いだ。エステなんか気持ち悪くて行ったことがない。だけど、カイロプラクターの先生には心を許す。だって、ボキボキやられた後は、腰のキレがすっきりさわやかなのである。
「あ、わたしひとりで歩けるわ」
車椅子暮らしのクララが突然歩けるようになってハイジと抱き合い喜んだように
「あ、わたしひとりでパンツ履けるわ」
と、体の動きがラクになり、履いたパンツを見せびらかして歩き回りたくなるほど、目を見張る兆候が見られるのだ。
うちにもカイロプラクターがいたらな~。無能な夫を横目に思う。再婚するならカイロプラクターと、わたしは心に決めている。ブラッド・ピットに求愛されても、わたしはカイロプラクターを取るぜ。ボキボキと毎朝毎晩ただでやってもらえば、雑草取りも、便器アップダウンももう怖くない! 天下無敵の余生が待っているのだ!
再婚がまだ決まらないので、今日もわたしは車をぶっ飛ばしボキボキやってもらいにお出掛けだ。  「やさしくね」
「はいはいはい」
もうボキボキなくては生きて行けない~。
 
(2010年6月)

第59回 「大根ひげ女」

やっとやっとやっとやっとシアトルに夏が来た~。空って青かったのね~。太陽ってまぶしかったのね~。
見よ! ワシントン湖畔では、冬眠から覚めた水着姿の若者がごろごろしている。先を越されてたまるか、ビタミンDを補給しに行かねば! 野郎共行くぞ、ついてこい!……と、ランニングに短パンという中年おっさんファッション(あ、わたしはおばさんだっけ)で、がきんちょ共を連れてお出掛けしようとすると、「ちょっと待った~」と悲鳴が。
 
「ママ、それじゃ……」

娘達がわたしの行く手を阻む。二の腕はぶよぶよ、足は大根だ。だから何だってんだ! そんなことは合点承知でお天道様とご対面しに行くんじゃないか!
「シアトルに住んでるとな、日照時間が短過ぎて体の中のビタミンDが足らなくなるんだぞ。だからでぶだってお肌を露出して、ビタミンDを補給しなきゃいけないんだ!」
「いや。でぶはガッテンしておりますが、そっちはどうかと……」
娘達が指さす先は、わたしの大根足。指の先をよーく見ると大根のひげがボーボー、いやわたしのすね毛が見事に成長している。「それ、剃らないと恥ずかしいから一緒に行かない」だってさ。
 
そうか、忘れていた。アメリカの女子というものは、すね毛を剃るんだったな。そういえば、わたしが留学生としてアメリカにやってくる前に「アメリカ通」女子に教えてもらったことは、「アメリカでは、げっぷはおならよりも下品」そして「すね毛は剃れ!」ということだった。
げっぷがおならよりも迫害されている! というのは、コーラを飲んでは、ぐえぐえっとカフェテリアでげっぷをかます少女達を見ていて大ウソであると判明したが、すね毛情報は正しかった。どいつもこいつもつるつるに足の毛を剃りあげていたのだ。すね毛は、もてない女のシンボルだという。彼氏がいれば、足をなでなでされるから、つるつるじゃないなんてありえない~ということらしかった。恐るべし、すね毛剃りまくりアメリカ女子! ワキ毛処理しか知らなかったうぶなわたしは、おののいたのであった。そしてもてないわたしも、もてもて女のふりをするために、足に剃刀を当てた。今も昔も大ざっぱなわたし。肉が切れ、血が噴き出す。それでも剃り続けた。これがアメリカ女子の生きる道~!っと。
 
しかし、わたしはもう中年女。それも、ここはシアトル。冷たい雨が降りまくりのお土地柄、人さまに肌を露出する機会が非常に少ない。夫はいるが、彼氏はいない。1年中つるつるでいる必要などないじゃない。そこいらのネエちゃん達だって、まだ夏の準備はできていないはずだ! 伸び放題の大根ひげを隠して、すかしているだけに違いない!
「うるさい。はい、ママ剃って」
ほとんど毛も生えていないくせに、剃りたがり屋のティーンエイジャー娘が剃刀を手渡す。
「ママだって女でしょ!」
うるせえ小娘め! ああ剃ってやるよ! すね毛でも頭でもどこでもよ~! 
さあ、ご覧ください! 中年女は、剃刀を手にいたしました。2010年初の剃刀の入刀でございます~。そして、中年女びっくり。まじまじと自分の大根足を見つめると、先端に毛むくじゃらな物体が見える。お父さん指がふさふさとした毛皮をまとっているではないか! わたしは、知らない間におっさん化していたのか、それともクマ化か。それもこれもシアトルの天気が悪いんだ! おまえが1年中良い感じだったら、わたしだってここまで自由奔放にボーボーさせてはいなかったぞ!
いて、いて、いて~。長い毛は、剃刀に引っ掛かる。そしてわたしの大根足は血だらけになるのであった。女子のみなさん、まとめ剃りはデンジャラスだからこまめにね。
 
さあ、出掛けるぞ! 足のお父さん指が素っ裸になって寒そうだけど、大根足も傷だらけだけど、短パン履いてお出掛けだ~! あなたも毛を剃ってビタミンD補給にレッツゴー!
 
(2010年7月)

第60回 「同窓会USA」

「同窓会だよ全員集合!」
そんなメッセージが、わたしの某ソーシャルサイトに書き込まれた。卒業以来誰ともコンタクトを取っていなかったのに。今まで1度も同窓会なんて呼ばれたことがなかったのに。こういうウェブサイトのおかげでいとも簡単に行方がばれてしまうのね。その同窓会は、留学生をしていたニューハンプシャー州、某高校の卒業26周年記念の会。25周年も20周年もやり忘れたので、26周年記念だってさ。とぼけたみんなの顔が思い浮かぶ。そういうのんきな所だったよね。
 
ニューハンプシャー。わたしのアメリカ初体験の地。そして、大酒飲みいじりめぐみ誕生の地。そりゃあ、もう1度行ってみたいわなぁ。ということで、スーツケースに日本酒一升ぶち込み、「ちょっと飲みに行ってくるわ」と、わたしは同窓会へ出掛けていった。
あれこれと26年前の出来事が思い出される。初めて飲んだビールの味。「なんだ、こんなの水じゃねえか!」とビール14缶(そこにあったの全部)をぐびぐび飲み干して、アメリカの若造共をびびらしたっけ。酔っ払って道路で大の字になって寝ていたこともある。目が覚めたら見知らぬ家の便所にいて、朝ご飯中の見知らぬ家族に電話を借りてホストマザーに迎えに来てもらったり……(よいこの留学生の皆さんはまねしないように)。そして今、わたしは、なつかしの大酒飲みいじりめぐみ誕生の聖地に再び足を踏み入れようとしているのだ~!
 
「きゃああああ~」「みんな~! わたしのこと覚えてる~? 日本からの留学生だっためぐみちゃんよ~」「日本酒持ってきたぞー! おらおらぐいーっと飲め飲め!」
大騒ぎするわたしに同級生は皆絶句。
「……めぐみって、すごくおとなしかったよねぇ」
ぼそっと見覚えのない男に言われた。そうだった。思い出した。あのころのわたしは、酒は飲んでも男子と口なんかきけない恥ずかしがり屋さんだったっけ。
「あはははは、あのころは男と口きいたら妊娠すると思ってたもんなあ。だけどもうぶりっとふたりもガキ生んでるし、アメリカ人のだんな尻に敷きまくって15年もシアトルに住んでんのよ。おとなしくなんてしてねえっちゅうの、おらもっと飲め!」「・・・・・・・・・・・・・」
記憶の中のかれんな留学生めぐみちゃんのイメージをぶちこわす女登場にボー然とする同級生
達。しかし、そういえば、やつらもなんか変。
「……で、そういうあなたはだ~れ??」
同窓会だから同級生がうじゃうじゃいるはずなのだが、見覚えのない連中が多いのである。卒業アルバムを広げ、名前と昔の顔をチェックする。
「えええええ、あんたこれ~??」
正体不明なほど皆成長、いや膨張しているのだ。どこの誰だかわからないほど皆、でぶでぶなのだ。ブイブイいわしていたチアリーダーだった連中も、立派なビールっ腹のおばさんに変貌しているではないか!
 
「え~!」(なにこのでぶ!?)
「え~!」(なにこのやかましい日本人は!?)
お互いにショックを隠せずにいたのであった。
同窓会……といえば、去年日本の会社の同期会に出掛け、「でぶでぶでぶ」といじめられた(第53回www.youmaga.com/seattleite/ijiri/2010_01.php参照)。しかし、ここではわたしの上をいくでぶがうじゃうじゃいるではないか! そのうえ、昔好きだったけどもちろん口などきいたことない男がやって来て「君は、ちっとも年をとらずに美しいねぇ」と褒めてくれるし!
「ばんざいニューハンプシャアアアア~~~!!」
屋外でのカラオケが始まってからというもの、マイクを握り締め、熱唱し続けていたわたし。
「もうおひらきにしようよ」
「うるせえ、わざわざシアトルからやって来たんだ。もっと歌わせろ!」
「めぐみがこんなになってしまったとは……」
元おとなしかった日本人留学生の歌声は、明け方までニューハンプシャーの田舎町に響きわたったのであった。
「同窓会ばんざああああい!」
 
(2010年8月)

第61回 「お葬式USA」

チーン。ご愁傷さまなことが起きてしまった。
 
「くそババア」の愛称で有名なわたしの義母のシモベとして尻に敷かれること60年。人生の万年名脇役で、何の台詞を発することも許されず、ただじっと、ばあさんの後ろを3歩下がって付いて回るのが得意だった義父。某フライドチキン屋の店頭にボーっとして立っているオッサン像とタメを張る身のこなしから、「カーネルじいさん」の名で、わたしの著作本に登場したこともある。その彼が、このたび天国へと旅立ってしまったのだ。長年、ばあさんに仕え、忍耐し続けてきた義父は、パーキンソン&心臓病&肺がんといったバラエティーに富む病とも我慢強くひとりで闘った。そして最期は、家族に囲まれ、一家の主としての威厳をもって立派に主役の座を務めて旅立っていった。
 
「何もしてくれるな」
それが、義父の遺言。葬式もいらぬ。墓もいらぬ。焼いて骨にして海にぱ~っとまいてくれ。これが、今まで何ひとつ自分の意見を言わなかった義父のリクエスト。
人が亡くなったら、生前付き合いのあった人達に即連絡し、お通夜で寿司食べてビール飲んで、亡き人のことを語り合う。葬儀で多くの参列者に見送られ、火葬場に向かう……のが、いわゆる「日本のお葬式」ではなかろうか。しかし、じいさんの「何もしてくれるな式」は、火葬場に、ばあさんと息子&嫁達が集合するだけの、むちゃくちゃシンプルなものだった。
 
しかも、日本だと通常、亡くなる→翌日には通夜→次の日は葬儀→すぐ荼毘にふす、と天国への最短コースを疾走できるが、こっちでは荼毘にふす許可をもらうのに時間が掛かる。飛行機に乗って駆け付け、最期を看取ったうちの亭主は、そのスケジュールがわからないもんで飛行機でいったん家に帰り、そしてまた1週間後にわたしらと一緒に飛行機で実家に戻った。アメリカン葬式は旅費も掛かる!
 
じいさん流「何もしてくれるな式」は、郊外の小さな火葬場で行われた。「ご愁傷さまです」と頭を下げるスーツ姿の担当者がいるわけでもなく、作業服のオッサンが、「こっちはいつでもいいっすから~」と、物置みたいに小さく殺風景な火葬の現場から顔を出す。そして、そこに足を踏み入れて、わたしは思わず、「うっそ~!!!」と大声を張り上げそうになった。
 
なんと! じいさんの眠るお棺が、段ボールでできているではないか! うちの亭主をつかまえ、「段ボールってのは、ないんじゃないの???」とコソコソ言うと、「環境に優しいんですよ」と当たり前のようにコソコソ返す。そりゃ、そうだろうけどさあ。段ボールって……。
じいさんと最後の別れをしたかったが、じいさんは、映画「おくりびと」のモックンのような納棺師に、きれいなお顔にしてもらっているわけでもなく、対面させてもらえなかった。作業服のオッサンが、油性マジックを突き出し、「さあどうぞ、最後にメッセージを書いてください」と言う。なので、みんなで段ボールお棺に寄せ書きをした。天国への旅立ちが、こんな物置みたいなところからでいいのかなあ……。本当に、お棺の中にじいさん眠っているのかなあ……。解せないわたし。
 
正体不明の段ボールお棺は、パン屋のオーブンみたいな炉に入れられ、作業服のオッサンが息子達を集め、「それでは皆で押しましょう!」と号令を掛け、ファイアーON!のスイッチが押された。ゴーッと発火の音。すると、「さあ、帰ろう」と、皆出ていくではないか!
「え~っ? こんだけ~?」
「こんだけ」
……こうして、じいさん流「何もしてくれるな式」は、滞りなく(?)執り行われたのであった。
じいさん、天国はどうよ? ちゃんと着いた? ばあさん、まだまだそっちには行かないだろうから、今のうちに自由を謳歌してね。
We miss you!!
 
(2010年9月)

第62回「お化けの祭典」

町中がオレンジ色に染まる10月。わたしのお尻のむずむずは、最高潮に達している。もうすぐ「化け」の祭典、ハロウィーンがやって来るからである。我が家では、ハロウィーンは正月よりもクリスマスよりも大事な「ホリデー」。一家総出で化け、気合を入れてお客様をもてなすのだ。
 
ハロウィーンに、化けぬことは許されぬ。我が家では、化ける準備をしないふとどき者は、わたしの独断により選ばれたコスチュームで、強制的に化けさせられる。地味で社交性に欠ける夫は、数年前にこの「強制化け」の痛い目に遭っている。わたしがバカ殿のようなメイク&ステテコ姿で立派な日本男児を演じていたのに、夫は「化けるのなんて恥ずかしい」とハロウィーン当日、何も用意していなかった。なので“スタイリストいじり”は、そんな恥ずかしがり屋さんにぴったりの衣装を選んで差し上げた。
 
我が家には、素人の家庭とは思えない数のカツラと仮装グッズが常備されている。
その中からブロンド・ロングヘアー・カツラと、ピンクのふりふりバレリーナ風コスチュームと、チョウチョの羽をよりすぐり、
「おまえは、歯の妖精、トゥース・フェアリーになれ!」と命じてやった。
おデブな体で ワキ毛&胸毛もあらわな妖精になった夫。その雄姿は、本人の許可なく出版までされちゃった(私の著書『デブで悪いか』まえがき参照)。そのおかげで、今や夫も自主的に化ける男に成長した。
ティーンエイジャーの娘その1もまた恥ずかしがり屋。かわいいものにしか化けたがらず、面白みに欠ける。そのうえ、
「お願いだから今年は化けて来ないで」
と毎年懇願される。わたしは、学校のハロウィーン・パーティーにも化けて乱入するので有名なお母さまなのである。
「わかった、わかった」
と娘思いのお母さまは約束はするのだが、パーティーの時間が近づくと、お尻のむずむずが止まらなくなり、結局出掛けてしまうんだな。去年はミュージカルで見た「Wicked」に魅せられて、顔を緑色に塗りたくり、魔女に化けて駆け付けた。
化けて運転をするのは至難の業である。頭が特大のわたしには、カツラがきつくてたまらない。そのうえ、大きなとんがり魔女ハットも被っているから、身長は2メ-トルを超えている。運転席で頭はつっかかるし、左右確認する度にブロンド魔女のロン毛が顔にべたりとはりつくし、信号待ちの間にご通行中の皆さんから異様な目で見られるし。
 
しかし魔女化け運転よりもつらいのは、お相撲さん運転である。ある年、わたしは20メートル近いさらしを体にぐるぐる巻き付け、夫のマフラーをふんどしに、お相撲さんに化けてみた。マジックで乳首&乳毛を書き、黒いスイミング・キャップにちょんまげを付け、どすこい、どすこいと学校へ向かってハンドルを握った。しかし、さらしがきつ過ぎて窒息しそうになったのだ。そのうえ、さらしを留めていた安全ピンがぶちぶちと開いて「非安全ピン」になり、わたしのもち肌に突き刺さっていった……。
 
ミイラに化けた年には、ぐるぐる巻きにし過ぎてトイレに行くことができず膀胱炎になりかけたっけ。化けるのは命掛けなのだ。皆、ハロウィーンには気合を入れて臨むようにね。
 
さあ、もうすぐハロウィーン。今年は、日本から仮装部隊(アホな友人約3名)もやって来る。やつらはツワモノで、化け姿でアメリカ入国審査を突破しようとしている。負けてはいられない。迎えるわたしも化けてたつぞ! クマ、サル、トド、波平さん、レディー・ガガ、浅田真央……。いろいろ候補はあるけれど、今年は何に化けようかなあ。さあ、あなたもじゃんじゃん化けて化けて化けまくろう! くれぐれもお化け運転には気を付けてね!
 
(2010年10月)

第63回「ばあさんのその後」

「もう2度と行かねえからな!」
これまで何度このセリフを発したことだろう。嫌なら行かなきゃ良いのに。ついつい、良い妻&母&嫁を演じて、家族みんなで出掛けてしまう義母の家。
 
ばあさんは、サンフランシスコの海沿いのゴージャスな家に、今はひとりで住んでいる。でかいキッチン、でかいダイニング、でかいリビングルーム、そのうえオーシャンビュー。わたしがこの家に住んだら毎日どんちゃかパーティーをやるに違いない。キャビネットにはシャンパン・グラスやワイン・グラス、皿なんかがこれでもか~っ!と、気合いっぱい詰め込まれ、宴会場としては最高の環境が整っている。
しかし、この家は「ミュージアム」。家具も皿もグラスもただの見世物。ワイン・セラーには鍵が掛かっているし、キッチンで蛇口をひねって水を飲もうとするだけで、背後からばあさんが現れて「触るな~」「あっちへ行け~」と追い返される。そしてばあさんは、使い捨て仕様のプラスチック皿やフォーク、コップを何度も洗っては再利用し、わたし達にはそれしか使わせない。
 
じいさんが逝ってしまったばかりだし、友達なんかいないし、いくらあの%*ババアでも、でかい家にひとりでいるのは寂しいだろう。「こんなもの、使わなけりゃ宝の持ち腐れだ」と改心し、「ミュージアム」を開放して温かくわたし達を受け入れてくれるに違いない……と期待していたが甘かった。
その週末、サンフランシスコ湾では、シアトルのシーフェアみたいなイベントが行われており、ばあさんの家は航空ショーを眺めるには絶好のロケーションだった。なので義弟家族も呼び、楽しいひと時を過ごそうということになっていた。ばあさんは「食べ物はケータリングしたから」と自慢し、「ほかには何もいらん」と何度も言った。「ケータリングなんて豪勢だこと!」と、わたしらはワインを買い込んで腹を空かせてごちそう到着を待っていた。
「ピンポーン」。しかし、届いたのはサンドイッチ盛り合わせ(Sサイズ)だけ。大人8人、子供6人いるのに足りるわけがないだろう! 酒宴にサンドイッチだけなんてありえないだろう! わたしは近所のデリに出向き、空腹客(特にわたし)が暴動を起こさぬよう、肉やチーズ、フルーツを買い込んだ。
そしたら、ばあさんぶちキレた~! 「そんなにたくさんどこのバカが食べるんじゃ! わたしは今後1カ月、残り物にうなされて生きていかなきゃならないじゃないか!」と。しかし、どこかのバカ共がすべてを平らげ、そのうえ率先して「どこかのバカ」になっていたのはばあさんで、むさぼるように食べまくっていた。そして、やっぱり! その宴でもばあさんはミュージアムの備品には手をつけさせず、何度も再利用されたプラスチック製食器を使用することをわたし達に強要した。
 
そして夜。「この部屋を使わせてやる」と連れて行かれたのは、じいさんが2年以上闘病し、息を引き取った部屋だった。病院のようなベッドといい、枕元の電気機器といい、何もかもじいさんがいた時のまま。ほかにも部屋があるのになんでここ! じいさんのことは大好きだったけど、化けて出てきそうで恐いよ~。じいさんのにおいがするよ~。緊張して一睡もできなかった。
 
「もう、確実に、絶対、2度と行かねえぞ!!」と、キレるわたし。「でも、ひとりでかわいそうですし」と、人の良い長男坊のわが亭主。
 
もうすぐホリデー・シーズン。ばあさんの「サンクスギビングに来い」「クリスマスも来い」攻撃は始まっている。
「招待するなら腹いっぱいメシ食わせろ!」
「ガラスのワイン・グラスでワイン飲ませろ!」
「ワイン・セラーを開放しろ!」
……交渉は難航している。
ばあさん健在なり。きっと、あと何年、いや何十年もこんなことやっていそうである。
 
(2010年11月)

第64回「サンタ代行の季節」

「このションベン垂らしサルが~!」
「うるさい厚化粧オンナ!」
とかなんとか、いつもなら姉妹けんかもたけなわな夕食前のひと時、何やら家はし~んと静まり返っている。見ると娘その1&その2は、ダイニング・テーブルで肩を寄せ合い、まじめな顔をして何か必死に書いている。
「お~! やっと勉学に目覚めてくれたか!」と、お茶の1杯でも入れてねぎらってやろうと勉強の様子をのぞいてみると、テーブルの上に広げられているのは教科書ではなく、おもちゃのカタログやファッション雑誌。あ~あ、またそんな季節になっちゃったのね~。
 
がきんちょ達が書いているのは、サンタさんへの手紙だ。それは、わたしのサンタ代行業開始のゴングとなるのであった。親になって13年。毎年がきんちょ達の欲しい物を、サンタのふりして提供し続けている。それは、汗と涙と財布のひもとの格闘の歴史である。
 
まだ、がきんちょ達が字を書けなかったころ、やつらはショッピング・モールで写真撮影用にポーズを取っているサンタさんを見つけると、長い列を無視して突進して行き「今年はバービーが欲しいぞ、よろしく」とかなんとか直談判しに行っていた。サンタ代行母さんも後を追い、「今のガキ、何が欲しいって言ってた?」と事情聴取に出向いたものだ。
字が書けるようになると、欲しい物を延々と書きつづったリストを作成し、これまたモールのサンタさんに向かって突進して、「今年はこういうことでよろしく」とサンタさんの手に無理やりそのリストを握らせていた。そしてサンタ代行母さんは、「さっきのガキが渡したものをよこせ」とリストを押収に出向くのであった。
サンタさんへの手紙を書こうとしない年もあった。「早く書かないと、サンタさんノース・ポールを出発しちゃうよ!」と脅しても「大丈夫。テレパシーで気持ちは伝えた」と言う。サンタ代行母さんにテレパシー解読能力はない。その年は、算数セットや辞典かなんかをあげたんだっけか。がきんちょ達は、以降テレパシーを使わなくなり、毎年サンタさんへ手紙を書いている。
 
ここ数年不景気な折、いちばん欲しい物をもらえていないがきんちょ達は、年老いたサンタが若者のトレンドを理解していないのでは……と心配し、手紙の書き方にも工夫を凝らすようになった。おもちゃのカタログを切り取り、「これです!→」と大きな字で書いたり、「商品番号0959。オンラインで今なら送料無料!」「返品できるようにレシートも付けてね」とも。サンタ代行は、欲望の炸裂したがきんちょ達の手紙を回収すると、「お兄さんがジャスティン・ビーバー」とか「本物のカピバラさん」とかいう願いは即行却下し、そのほかのブツの調達に走る。そしてこっそりサンタ専用ラッピング・ペーパーで包装し、ガレージに隠して、クリスマスまで知らんフリをする。
 
そしてクリスマス・イブ。サンタ代行は、決まって泥酔している。それでも夜中に目を覚まし、お仕事をしなくてはならない。暖炉には、サンタさんへクッキーとミルク、トナカイさんにニンジンが置いてある。サンタ代行はオエオエな状態ながらクッキーを食べ、ニンジンをかじりミルクを飲む。そして、ガレージに隠しておいたプレゼントに、サンタからの手紙を添えて暖炉の前に置くのであった。うしししし……とほくそ笑みながら。
「今年もずっと良い子だったなんてうそをつくな」「お母さんの言うことを聞いてけんかをするな!」「野菜を食べろ!便所は流せ!靴下を脱ぎ散らかすな~!!」
と、親の言うことを聞かぬがきんちょ達に、サンタの名を借り説教しまくりだ。
 
そしてクリスマスの朝。娘その2は辺りを見渡し「なんでばれてんだ? サンタさんはどこで見ているのだろう……」と不思議そうにし、娘その1は、にやにやと笑うのである。
そんなサンタ代行の季節がまたやって来た。面倒くさいが頑張ろう。
 
(2010年12月)

第65回「ゴロゴロ寝正月2011」

なんかまた勝手にやって来ましたね~新年が。もう2011年? 早いなあ。さあ、正月。今ごろ、おせちつまんで、おとそ飲んで、かくし芸大会見て、日本の正月フルコースを満喫している幸せ者もたくさんいることでしょう。うらやましい! アメリカの正月はつまらない。ニュー・イヤーのカウントダウンで盛り上がったと思ったら、そんだけ~。正月はホリデー・シーズン終焉の印。クリスマス休暇のおまけ。単独の魅力に欠け、どうにも影が薄過ぎる祝日である。そんな存在感のない正月を、シアトルで手厚くもてなして、正しくお迎えしたいとわたしは常々思っていた。
 
正しい正月の過ごし方。それは、食って飲んでこたつでゴロゴロ。「食って飲んで」は長い人生外したことはない。しかし、「こたつでゴロゴロ」は、アメリカではかなわぬ夢であった。毎年「あ~あ、正月くらいこたつでゴロゴロ酒飲んでいたいな~」と思いながらも、汚いカーペットに転がっていただけ。しかし今年の正月は、その念願のこたつで堂々とゴロゴロが全うできるのである。苦節14年。我が家にやっとこたつがやって来たのだ!
 
C家が日本に引っ越すと聞いた時からツバを付けていたC家のこたつ。ほかにも欲しい家族がいたそうだが、ツバを吐きまくり引き継ぎに成功。憧れのこたつをお迎えするために、我が家のゲスト・ルームを撤廃し、こたつ部屋に改造した。我が家に足を踏み入れた皆さんに即自慢できるように、玄関の隣にしつらわれたこたつ部屋のドアを観音開きにし、家宝として大事にしている。今年の正月はそこでゴロゴロしながら正月気分を満喫できるのである。なんたる幸せ!
 
こたつ登場に、家族は興奮している。「やっぱりこたつにはみかんでしょう」。亭主はお盆にみかんを載せてこたつにお供え(?)。わたしは、「こたつには1升瓶だろ」と、みかんを追い出し、ぐいのみ&1升瓶をどーんと供えては、「う~ん、絵になるね~」と、ニタニタしている。こたつとの同居が初めてなガキんちょ共は、こたつとどう向かい合っていけば良いのか悩んでいた。サル娘は、パンツを脱いで下半身素っ裸ですましてこたつに入っていたので「おもらしお尻乾燥機じゃねーんだよ!」と、くさいお尻には出ていってもらった。「こたつでTVは最高~」と娘その1もこたつに潜り込む。こいつのお尻は問題ないだろう……と安心していたら、むわあああああああ。くせ~!! バレーボール少女の汗と涙と足のにおいがポカポカこたつの中で炸裂しているのである。即退場! そして我が家のお坊ちゃまジョジョ君も。猫ならこたつで丸くなってりゃ絵になるが、まねっこしてちゃあ芸がない。「下手に潜り込んでやけどして、Hot Dogになっても笑われる」……と、ない知恵絞ってこたつとの距離感を考えたようである。人間さまと同じように、こたつ周りの座布団にゴロっと転がり、「どう、僕とこたつってお似合いでしょ?」と自慢気にポーズを取っていた。しかし、これまたくさい。スーッとすかしっ屁をこくんだな。……どいつもこいつもこたつとかかわるとくさくなるので、やつらを追い出し、こたつは私の独占使用とした。
 
ああ、こたつ。素晴らしいこたつ。わたしは、こたつにハマっている。仕事もこたつ。食事もこたつ。ちょっと仕事しちゃゴロ~ッ。おなかいっぱいになっちゃゴロ~ッ。酔っ払っちゃゴロ~ッ。今やもう、こたつを中心とした半径2メートル以内の世界しか眼中になし。それ以外は無駄だ無駄! でかい家なんかいらない。便所とこたつがあればどうにかなるような勇気がわく(あ、冷蔵庫は必要! こたつに入ってるとすぐ喉が渇くから冷えたビールがうまいのである)。
新年のごあいさつも、こうしてこたつから。明けましておめでとう~。こたつで1杯いかがですか~。こたつで泊まっていけるよ~。だらだらゴロゴロ、今年もよろしくどうぞ。
 
(2011年1月)

第66回「熱血! ナマ・フットボール・ファン」

「いけいけいけ~」
日曜、わが家では一家の主がビールをぐびぐび、TVを見て大声を上げている。典型的なアメリカ男子の姿、秋&冬の日曜と言えばNFLフットボール観戦だ。一家の主がお楽しみの間、シュフは、子供を連れてお買い物に。「あなた~、ビール足りてる~?」と出先から電話を掛けてくる。それは、うちの主夫。「ぐえっ」とげっぷをぶちかまし、TVに向かって吠えているのはわたし。それがわが家の典型的な姿である。
 
わたしはシーホークスの大ファンだ。数年前まではNBAスーパー・ソニックスの熱狂的ファンでもあった。しかし、スーパー・ソニックスがお亡くなりになり(オクラホマに行ってしまった~)、寂しさを紛らわすためフットボールへの熱が高騰している。シアトルにはMLSサウンダーズも登場したけれど、やっぱり男と男が激しくぶつかりあうフットボールのほうが良いんだなあ。わたしの夢はフットボール選手と結婚することだったし、フットボール選手の息子が生まれてるはずだったし。夢かなわなかった中年女が週に1回くらいげっぷかましてフットボール観戦して何が悪いか~!と、わたしはいばりくさって、いつもTV観戦をしている。
 
そんな「お宅」フットボール派のわたしにこの冬、生まれて初めての「ナマ」フットボール観戦の機会がやって来た。わたしは念願のクエスト・フィールド・デビューを果たしたのである!
 
フットボール・ファンは熱い。髪や体をチーム・カラーで染め、ハロウイーンのような奇抜なファッションで集う。わたしも負けちゃいられない。顔面左半分をブルー、右半分をグリーンにペイントし、髪の毛にはブルー&グリーンのスプレーを。グリーンとブルーのネックレスもじゃらじゃら下げて出掛けていった。クエスト・フィールドには奇抜な連中がうじゃうじゃ。全身ゴリラのかぶりもの男、グリーン&ブルーのモヒカン男、よいねえ、よいねえ。変な仲間がいっぱい。
早々に席に着いて興奮していると、周りの客が続々とやって来た。「え……、うそ……」。わたし、フリーズ。忘れていた……。変な仲間はデブ仲間でもあることを。「ちょっとすんませんよ~」とやって来る連中がデブ、デブ、デブ、デブ……それも着膨れしているデブ! ど、どうやってみんなで座るんだよ~!!!
 
しかし心配はいらなかった。な~るほど。デブファンは座らずに立ったまま応援するのだ。そして立ち位置にも暗黙の了解があった。デブ1、出る。デブ2、引っ込む。デブ3、出る。デブ4、引っ込む……と、肉厚の体をうまいことスライドさせて、互い違いに立つのである。賢いなあ、おまえら! デブ14のわたしは引っ込み立ち。
 
そして試合は始まった。入場した時にもらったタオルを振りかざし、吠える。
うおおおおおおおおおお
ぐおおおおおおおおおお
6万人の大合唱。これだ! これをわたしはしたかったんだよ~。大感動! しかし、寒い。膝より下の感覚はない。鼻水が垂れてくるが、鼻がどこにあるかも、もうわからない。
 
いつもTVの前で好きなだけビールを飲み、好きなだけ便所に行っていたわたし。しかし、真冬のシアトル。気温は氷点下の屋外。この状況でビールを飲んだら即行便所だ。それも、わたしはデブ14。肉厚な皆さんに囲まれ列のど真ん中に立っているから、身動きが取れない。ビールはいかん。水分は控えよう……とホットドッグで暖を取った。
 
シーホークスは勝った。しかしとにかくむちゃくちゃ寒くてそれどころではなかった。ナマ・フットボール・ファンよ、わたしはあなた方を尊敬します。雨の日も雪の日も、奇抜なファッションで3時間以上もじっと立ち尽くし応援するあなた方を。皮下脂肪がなきゃやってられないよね。
 
2月。スーパーボウルをフィナーレにフットボール・シーズンが終わる。肉厚のみなさん、秋になったらまた会おう! 氷点下でもビールを飲めるように根性と膀胱を鍛え直しておくからね!
 
(2011年2月)

第67回「いじり家のひな祭り」

♪明かりをつけましょぼんぼりに~……3月といえば桃の節句、ひな祭り。ひな人形を飾ってちらし寿司やケーキを食べて、女の子の健やかな成長を祈ってお祝いする日。
 
♪明かりを勝手につけてろぼんぼりに~……しかし、わが家のひな祭りにかわいい女の子達の姿はない。歌を歌う声には年輪が感じられ、ろれつも回っていない感じ。
 
「おら~、飲め~、食え~!!!」。
そこにいるのは、一升瓶を握りしめる大女を中心とした、とっくの昔に女の子を卒業してしまった皆さん。わいわいガヤガヤ結集し、飲む、食べる、飲む、食べる。わが家のひな祭りは、平均年齢40歳を超える大和なでしこ達の健やかな成長(増量?)を祈ってどんちゃか祝う場なのである。
 
わたし達は好きで何年もアメリカに住んでいるわけではない。たいがいが亭主の都合。日本での仕事を辞め、友人と離れ、新しい生活を余儀なくされてきた。だから、日本に未練たらたら。「多め硬め濃いめのとんこつラーメンチャーシュー大盛り! 餃子も付けて食べまくりた~い!」「コンビニでおでんと肉まんとおにぎり買って夜道で食べまくりた~い!」「あ~、日本に帰りた~い!!!!!」という思いを抱えて暮らしている。
 
わたし達は偉いのである。行列のできるラーメン屋や進化するコンビニおにぎり(ねぎ塩ブタカルビ味なんてあるんだってよ!)を捨て、慣れぬ異国の地で育児をし、または働き、家族のためにふんばってきた。頑張り屋さんで辛抱強くてしっかり者の自分達を、たまにはねぎらおうじゃないか! 愛くるしいわたし達にぴったりのひな祭りに大和なでしこ達だけでうまいもんを持ち寄り、食べて飲んで、はじけようじゃないか!と、始まったのがわが家のひな祭りである。
その、大和なでしこ大集合の宴のルールは厳しい。男子&がきんちょ禁制。クルマ社会ゆえ、日ごろ飲み歩くこともできないうっぷんを晴らして思う存分飲めるように、車での参加は禁止。子守りも送り迎えも亭主にさせろ!ということである。どうやら品行方正な大和なでしこの皆さんは、日ごろ亭主に送り迎えをさせて夜遊びをなさっていないようなのである。そんな自由を束縛されて生きてきたなんて、わたしには想像もできない! 
 
わたしは大きな声で言いたい。そこいらの大和なでしこの皆さん、もっと羽を伸ばすことを覚えよう! わたしは週末の
度に亭主に送迎させて飲み会に遠征しているぞ。その間のがきんちょ達の相手ももちろん亭主。「わたしが家庭を守ってるから、お前は会社に行けるんだろが!」と、毎日威張っているので、へのかっぱだもんね。貴女方も言ってやんなさい! 「いじりんちの亭主に比べりゃ、あんた何百倍楽してきたと思ってんのよ!」「わたしの言うこと聞かないと、いじりにちくってあんたひどい目に遭うわよ」ってガツーンといくのよガツーンと。どうだね? 夜遊びできそう? どんどんわたしを引き合いに出して貴女も羽を広げるのだ! 1年に1回くらい暴れてみせろ~。わたしは1年に200回は暴れてるぞ~!
 
さあ、今年のひな祭りには、屋外焼肉ステーションもオープンだよ。いつも室内焼肉をしては火災報知機を鳴らす近所のお騒がせ者だったけど、屋根のあるデッキにテーブルといすを屋台風に並べて、焼肉専用コーナーを設けたのだ。こたつもあるから雑魚寝もOK。今年のひな祭りはパワーアップだ! 飲むぞ~、食べるぞ~、暴れるぞ~!
「あの家に行く度にうちの妻が野獣化していく……」「ヒナマツリッテ ジョセイガ アバレルヒダッタノネ……」。日本人&アメリカ人の亭主達が今年もびびっていることであろう。びびれ~、びびりながらちゃんと迎えに来いよ~。男子達も子供の日に盛り上がったらどうだい? 迎えには行ってやらないがな。
 
(2011年3月)

第68回 「焼き奉行とレシピ」

わたしは「焼き」を入れるのが大好きだ。おんどりゃ~、気合入れろ~。ファイヤー!! と、カツを入れながら焼肉、焼きそば、お好み焼き……、何でも焼いて食べるのが。
 
先日は素手で焼きそばを炒めるという技を披露し、賞賛を浴びたりもした。火とのアツい戦いが好きなのである(理性のある方は真似しないように)。そしてわたしは肉食系女子。肉はいつも炭で焼く。新聞紙と炭とマッチを手に火をおこすのだ。面倒くさいが、なかなか言うことを聞かぬ炭にオレンジ色の火が回った時の快感といったらたまらない。天下を取った武士気分。高笑いをしながらビールをぷはーっと飲み干し、肉を焼く。じゅーじゅーいう肉を眺めながら、こんがり香ばしい匂いを肴に、さらにビールを飲む。そういう「焼き」が大好きだ。
 
そんな「焼き奉行」のわたしに焼けないものなどない。イノシシでも熊でもかかってきやがれ!と威張っておったら、「じゃあ、これ焼いて」と娘達が言う。「あ~、焼いてやろうじゃねえか。何の肉じゃい!」「お肉じゃないの。ケーキ」「ケーキ?」「焼けるでしょ」「焼けるに決まってんだろう。ママは焼きの名人じゃ!」と、大威張りで引き受けたのが「ふっくらいちごのスポンジケーキ」。こういうやさしい味のケーキはアメリカじゃ売っていない。久しぶりに食べてもみたい。「よっしゃ、期待して待っとれ!」と、オーブンでふっくらケーキを焼いてみることにした。
 
そしてショッキングな事実に直面。なんと!「レシピ」なんてものがある? その通りに作らなくてはならないだと! なに、それ~?? わたしは気合で料理をする。野生のカンで適当に。レシピなんてものに束縛されて料理なんかしないのである。……しかし、約束しちゃったもんなあ、ふっくらケーキ。娘達のためにレシピっちゅうものの相手をしてやるか。わたしは心を入れ替え、レシピを伴うケーキ焼きに挑んだ。
 
しかし、まあ、レシピというものには、理不尽なことが書いてあるもんだなあ。「卵白を角が立つまで泡立てる」だって。あんなでれでれした卵の白身なんかにそんな芸があるわけない。それも電動泡立て器なんて武器を使って、親の敵みたいにかき混ぜろって。そんな卵を虐待するようなことをしたくはないぞ。わたしは古風な料理人。昔ながらの料理道具しか使わない。木のへらで白身に気合を入れてやる! 
 
しかし、混ぜても混ぜても白身はでれでれのまま。「まあ、いいさ、角なんか立たなくたって」「まあるい卵に角を立たすなんて無理があるよな」わたしはでれでれ白身の個性を生かすことにし、ツンツンなんてさせないことにした。心ある料理人のやさしい計らい。問題はないだろう。
 
次は「薄力粉」……「薄い力の粉?」何それ? そんな情けない名前の粉なんか使いたくない!わざわざ買うのもばからしい。粉なんてどれも同じだろうに。小麦粉でいい、小麦粉で! なんじゃらエッセンスを「ティースプーンに半分」だと? そんなしみったれた量じゃ入れる意味がないだろうに。いくならいけ~、ど~んといけ!
 
オーブンにぶち込むこと40分。焼きの名人が改善してあげた最強のレシピで、名人流のスーパーふかふかなケーキが焼き上がろうとしていた。ふかふかとした幸せいっぱいの甘い匂いが台所に漂っている。「じゃ~ん!」オーブンを開けると……れれれ? ケーキの生地は40分前の状態のままである。焼き色はついているが、ふかふかしていない。「わたしのスポンジケーキは個性的だからゆっくりふくらみたいのに違いない」やさしい親心でもうちょっとオーブンで温めてあげることにした。50分経過。……こんがりしたがぺったんこ。60分経過。……黒くなったがぺったんこ。
 
「……お~い! 大きなクッキーが焼けたよ~」レシピなんかに従った己が悪いのじゃ。次は野生のカンでふかふかケーキを焼いてみせるぞ。娘達よ、待っておいで!
(2011年4月)

第69回 「トモダチ作戦」

あなた、ともだちいる? 何人いる? 大事にしてる? 大人になって好きな人ができて、守る家族ができて、昔のともだちから離れていっちゃって、それでも自分は豊かに暮らして幸せだから、ともだちなんかいなくたっていい。なんて思っちゃったりしていない?
 
わたしは、3.11の東日本大震災以来、ともだちって大事だなあって思っている。大人になったって家族ができたって、やっぱりともだちは大事だと。
 
祖国日本の信じられない惨状を知り「これから日本はどうなってしまうんだろう」と絶望的な気分で呆然としていた時に、「お~い、おまえら大丈夫か~!」とやって来てくれた人達がいたよね。世界中の国から物資や支援部隊が日本に続々と送られてきた。130以上の国や地域が援助を申し出てくれたって。20の国や地域が緊急救助隊や医療支援チームを率いて日本にやって来てくれたって。貧しい国のみなさんも「日本にはお世話になったから」って義援金を送ってくれたり。すごいな、日本。世界にともだちがたくさんいるじゃないか! 「すごい!すごい!ともだちすごい!」って興奮したよ。お手上げ状態の大惨事。ひとりで何でもやらなきゃいけないのかと、夢も希望も持てない時に「俺達に任せてくれ!」って、やって来た世界中のともだち。特に米軍の働きっぷりには感動した。拍手喝采スタンディング・オベーション級の援助をしてくれた。「物資がないなら届けるぜ!」。そのスピード、頼もしさ。そして今回の支援活動のコード・ネームがまた素敵。“Operation Tomodachi”、その名は、「トモダチ作戦」だ。「ありがとう」「何を言うんだ!おれたち、トモダチじゃないか!」こういうセリフをさらっと言えちゃう、ガンガン行動で示せちゃうアメリカ人、好きだなあ。
 
困った時に手を差し伸べてくれるのが本当のともだち。国という大きな組織だって、ひとりひとりが助け合って存在してる。周りを無視して傲慢ぶりぶり己の経済成長至上だけでは生きていけないのだ、人も国も。ともだちってすごーく大事。わたしは今回そう学んだよ。
 
そして3.11は、周りの人々の本性を見せてくれもしたね。「家族は大丈夫か」と手を握り締めてくれる、いつもは無愛想だったおじさん。日本に何の縁もないのに先頭に立って募金活動をしてくれたアメリカ人達。「あなた達って、ナイスだったのね!」と感動した。
 
反対に日本人でも「関係ないし」「めんどくさいことしたくないし」と知らん振りの人。醜いです。恥ずかしいです。あなた方ってそんな人達だったのね、がっかりです。
 
人って協力しなきゃ生きていけないんだよ!ひとりで人生の荒波は渡れないんだよ! 思い出そうよ、若かったころ。お金もないし将来も見えていない宙ぶらりんのろくでなしだったけど、ともだちが困っていたら当たり前のように助け合っていたころ。Give and TakeじゃなくGive and Giveでも、ともだちのためなら頑張れたあのころを!! 大人の世の中も国際社会も同じなんだよ。「米2万トン送ったら、どんな見返りがあるのか」なんて考えないで行動してくれてるんだから。“国際社会”というのは“ともだちネットワーク”なんだよ。
 
だからわたしOperation Tomodachi OXOX(www.gofeisty.com/tomodachi)ってサイト始めました。日本の復興には時間が掛かるから、米軍の「トモダチ作戦」部隊が撤退してからも、良いともだち関係を末永く築いていくために、日本の復興支援情報を英語と日本語で発信していくことを始めました。
 
被災していないわたし達でも、3.11以来落ち込んだり悩んだり。そんな時でもともだちと話せば、何か一緒に行動すれば元気が出るよ。ともだちって良いよ。たくさんいなくたっていいんだよ。あなたもあなたの「トモダチ作戦」始めよう!
(2011年5月)

第70回 「食べられぬ女」

「ぎゅるるるるる」
昼下がりのオフィス。腹時計がランチ・タイムの到来を告げる。最近わたしは時々出勤してのお仕事もしている。ランチ・タイムには、周りのみなさんと一緒にご飯を食べに行きたい。しかし、わたしはデスクでひとりメシ。寂しい~。だけど仕方がないのじゃ。だって、わたしの口の中がとんでもないことになってしまっているんだもん。
 
その昔(第54回)暴露したように、私は歯の矯正を試みた。アメリカ人は歯が命。アメリカで余生を過ごすなら、歯並びぐらいびしっとさせておこうと思ってしまったのだ。そして「6カ月だけ」「飲み食いする時は外してOK」という、透明な形をした某矯正デバイスを試みた。しかし「飲み食いする時は、外してOK」というのが、私にとってはいけなかった。
人生の99%を飲み食いに費やすわたし。ということは、その矯正ギアはほとんどわたしの口の中に収まっていなかった。「6カ月だけ」のはずが1年と4カ月になり、そしてとうとう医者はギブアップ。「タダにしといてやるから、こっちにしやがれ」と、わたしの歯にがんじがらめのワイヤー矯正ギアを取り付けてしまったのだ。ドラッグやアル中のハリウッド・スターが、高級なリハビリテーション施設を出たり入ったりでは効果がないから、悪の及ばぬ牢獄にぶちこんでやりました~っていうような、この世の終わり的な状態だ。
 
ワイヤー牢獄に閉じ込められた歯を使って食べるのは拷問だ。「あ~腹減った!」と、どんぶり飯をかきこもうとしよう。いつものようにがぼがぼ詰め込み、噛み噛みしようとすると、ワイヤーが唇の裏に当たり、擦り切れ流血する。ゆえにおちょぼ口でちびりちびりと食べねばならぬ。ちびちびはうまくない。そのうえ、食べれてもワイヤーの間に食べ物が引っ掛かる。ひじき、ホウレン草、ご飯粒……。「今日も大漁じゃの~」と、食後に鏡を見ると、不気味なほどの量の食べ物が、びた~っと引っ掛かっているのだ。
 
歯を磨くのも「ぐるぐるぺ」では済まない。「ぐるぐるおえ~」と、まずは食べ物を吐き出す。洗面台で「おえ~」とやると流しが詰まるので、台所のディスポーザー前で「おえ~」としなくてはならない。その後「ぐるぐるぺ」を何回も繰り返し、ワイヤーの間をつんつんする特別小型ブラシで頑固な物を取り……を食べる度にやらねばならぬ。面倒くさい! 「ナッツは食べるな、ピザのクラストも、ポテトチップも、とうもろこしも。肉や魚は細かく切れ。がぶっと食らいつき系は全面禁止!」と医者は言う。
 
……もう食べるのが楽しくないのだ。大漁ワイヤーの口でニタ~ッと笑うとデートの相手はひいてしまうし、「ぐるぐるおえ~」と仕事場の便所で歯を磨くのも不気味がられる。だからわたしは、公共の場で固形物を食べるのをやめた。ランチ・タイムは、ひとりデスクでヨーグルトをすするのだ。がきんちょ共が離乳食だったころを思い出し、矯正ギアに引っ掛からない物をちびりちびりとひとりで食べるのだ。情けない!むなしい! 寂しい~!!
 
アメリカ人の歯並びの良い白い歯を目指そうなんて思ったわたしが浅はかだった。わたしは日本人だ! 歯並びなんかどうでもいい国の人じゃないか! アメリカにかぶれてどうすんじゃ! せんべいバリバリしたい! とうもろこしにかぶりつきたい! 大口あけて骨付きリブにしゃぶりつきたいんだよ~!!
 
「ふふふ~、大変でしょ~」。もうすぐ矯正ギア卒業の娘その1が、矯正ギア新米の母をせせら笑う。ほっとけ! ちきしょー。あとどんだけこんな不自由な食生活をしなきゃならないのか。この夏の我が家のBBQはどうなるのだ。わたしは肉の香りを肴に酒を飲むだけ~?
 
歯のみなさん、今度こそは品行方正にしてちょうだい。そして刑期を短くしてもらってちょうだい。このままではわたし、やせちゃいそう~。
(2011年6月)

第71回 「卒業」

「なんだあ、そりゃあ!」
「ありえねえだろ~!」
 
週末のショッピング・モール。わたしは、いまだかつて足を踏み入れたことのないド派手なオネエチャン服屋の店内にいた。つるされている服はどれもキンキンキラキラ。どれもこれも体にびた~っとくっつくボディコン(きゃ~古い~!)&超ミニばかり。そんな店の中で腕を組み、仁王立ちでにらみを利かすおっさん風おばさんのわたし、浮いております、目立っております、皆さん避けて通ります。なんでそんなところにいるのだ、おっさん風! それは、そのおっさん風おばさんにはティーンエージャーの娘がいるからなのでした。
 
さっきからそのティーンエージャーの娘その1は、試着室でひとりファッションショー中。
 
「ママ、これは~?」
 
自慢気にお目当ての超ミニ・ドレスを着ては、買って!買って!買って~!攻撃に出る。しかし、おっさん風に「そんなもん腹巻きにしか見えねえだろが!」「おまえは娼婦か!」とののしられ、試着大会が延々と続いているのであった。なんのための試着大会かというと、娘その1のミドル・スクールの卒業式のため。どうやら卒業式にはドレスがいるらしい。で、連れてこられたのが、このキンキンキラキラ露出狂の店なのである。
 
たかが14歳。日本で言うと中学3年生になったばっかの年頃。日本の中学校の卒業式と言えば、いつもと同じ制服にいつもと同じすっぴんフェイス。簡単だよなあ。金も掛からず素晴らしい。なのに、娘その1を始めとする仲間の小娘達は、露出しまくり腹巻きドレスを着て卒業式に臨むという。「体の線がきれいに出る超ミニがトレンドなのよ~」と言う。そんでもって卒業式の後にはクルーズ・ボートに乗り込み、ワシントン湖で船上パーティー。先生も同伴の公式パーティーだと。たかが中学卒業しただけで、おまえら何さまのつもりじゃ~! おっさん風は納得がいかない。
 
まったく何かが狂っている。アメリカのミドル・スクールはやり過ぎだ~! 日本だったらまだランドセル背負って良い子ちゃんしている時から、学校で夜遅くまでチーク・タイム付きのダンス・パーティーなんかやってるしよー。ピアスしてマニキュアして化粧して香水プンプンさせて学校行ってOKだしよー。
 
卒業式はマスカラお化けのボディコン超ミニ? ミドル・スクールでそんなにやりまくったら、あんたら高校で何すんの? 人生長いんだぞ! 先を急ぐな! おっさん風は説教を垂れたい。
 
子供が成長するのは早いものである。ついこの前までおもらし常習犯のはな垂れ小娘だったのに。むちゃくちゃ恥ずかしがり屋で目立つのが嫌いで、人前でしゃべるのも苦手な子だったのに。いまや娘その1、身長175センチ。態度もでかいが体もでかい。そのうえ、わたしに似てケツもでかくて足も太い。それでもピチピチの超ミニ腹巻きドレスを着たいんだな? 大きなステージの上で大勢の人を前にして、そんな格好で堂々と卒業証書をもらえるというんだな? いい度胸してるじゃねえか。腹巻き一丁やらしてみるか。
 
そうしておっさん風は、キンキンキラキラのゴールド腹巻きドレスを買ってやった。腹巻きドレスは成長の証ということにしてやった。人の目を気にせず、自分に自信を持ち、堂々と胸を張って卒業証書をもらう娘その1を見てみたい。人間は中身で勝負だ。腹巻き着てても心は錦だ! よくわからんがそういうことだ!
 
「ママ、靴はやっぱりハイヒールじゃないとね」
「えええ~でか過ぎねえか、おまえ~!」
 
腹巻き&ハイヒール……。こうして2メートル近いでかさの卒業生ができ上がった。
 
娘その1よ、卒業おめでとう! 大きく羽ばたけよ! 人の足、踏むなよ!
(2011年7月)

第72回 「明るい老後」

「ママ~、シラケてるよ~」
娘達がわたしを取り囲んで喜んでいる。わたしはシラケてはいない。日本語の下手くそな娘達の意味するところは、
「ママ、白髪あるよ~」だ。
「ママ、抜いてあげる~」
うれしそうにわたしの頭をいじくろうとする。
「抜くな~、抜くと増えるんだ~」
「じゃあ切ってあげる~」
今度はハサミを手にしてわたしの頭を狙い撃つ。
 
今日も仲良し幸せ家族……しかし、白髪の目立つ年になっちまうなんて……。胃袋は快調で10代のころと同じ食欲なのに。肝臓も絶好調で10代のころと同じ酒量対応可能なのに(良い子のみなさんは、お酒は21歳を過ぎてからね!)
どんなに暴飲暴食に自信があっても、実年齢は「アラフォー」よりも「アラフィー」のほうに接近している。信じられない。このわたしが……。おいおいおい! 老い?老い?老い??? きゃ~老後のことも考えなきゃ~……と最近思うのであります。
 
わたしには、若いころからの夢がある。東京の下町で飲み屋のママになる夢だ。巨大ドラム缶ボディーに着物をまとったわたしが「いらっしゃい~」とお客さまをお迎えする会員制の「バーいじり」。
 
ボトルを入れたら、まずはママお清めの一気飲み。ボトル・キープなど、せこいことはさせずにどーんと飲みきりを強要。お客さまはママのうんちくにまみれ、説教に怯える。
 
……といった見事なビジネス・プランを、うら若き乙女のころにすでに立ててある。共同経営者は、学生時代からの暴飲暴食の友、M子だ。独身キャリアウーマンをしながらソムリエの資格も取ってわたしの帰りを待ってくれている。しかし、そのM子が最近言う。
 
「日本は地震が怖いから老後は海外にしようと思うんだけど」
 
ええ~。老後は東京の下町で飲んだくれるのを楽しみにしていたのに~。シアトルに留学していたこともあるM子は、老後はシアトルが良いと言う。わたしはこのまま老後もシアトルに住み続けるの~? ふむ。一生シアトルに住むなんて考えたこともなかった。しかし共同経営者がそうお望みなのなら仕方がない。ふたりの夢のため、シアトルでの老後の人生のロケハンでもしてみるか。M子とはじける老後生活、さてどんなところにしようかな。
 
老後は運転などしたくない。ふらふらお散歩しながら買い食いできるところがいい。とりあえず行きつけのスーパーの付近を歩いてみる。すると、介護付き住居「空室あり」のポスターを発見! せっかくなので見学させてもらうことにした。
 
中はとってもきれいで、広いコミュニティー・スペースにはカード・ゲームに興じる老人のみなさまの集団がいる。大学時代の楽しかった寮生活を彷彿させる光景だ。いいじゃん、いいじゃん! ここでM子とルームメートになるってのも!50年振りに門限破りでお仕置きされちゃったりして。第3の青春をM子とここで! きゃ~楽しそう!
 
M子よ、老後の棲家見つけたぞ! いつでもシアトルにやって来い! これでシアトルの老後の住居は安心だ。あとは店の場所を探さなきゃ。るんるんと明るい老後に向け準備を進めていると、
 
「あの……あなたのそのプランの中でわたしは、どうなっているのでしょうか?」
 
ぬぼーっとした男が話し掛ける。あ~忘れていた。わたしには亭主がいたんだっけか。
 
「え~あなた、誰でしたっけ~?」
 
痴呆が始まった振りをして知らんぷり。
 
みなさん老後の準備は大丈夫? シアトルでわたし達と一緒にはじけよう! 
 
「バーいじり」もよろしくね。
(2011年8月)

第73回 「さらば、ボス」

真っ黒に日焼けした肌を見せびらかすように真っ白な開襟シャツを着て、微笑む姿は松崎しげる。仕事の合間にきれいなオネエチャンを連れて、イタリアンだのフレンチだのを高級ワインで流し込み、夜の闇に消えていく元祖チョイ悪親父、それがわたしのボスだった。職場はバブルの波に乗った広告会社。ロケだ撮影だ編集だと24時間働き、飲み、遊び、職場の仲間はいつも一緒で仲良し家族のようだった。
 
ボスは、もてた。携帯電話などない時代、色恋ざたも社内電話で堂々と繰り広げられていた。わたしとひとつ年上の先輩は、耳をダンボにしてボスの電話のやりとりを盗み聞きし、知っちゃいけないことをたくさん知っていた。
 
「わたしたちが奥さんにばらしたら家庭崩壊だよね」
「お葬式なんか女がぞろぞろやって来るのかね」
「すごい修羅場になりそうだよね」
 
そんな会話をしていた20数年前。その先輩から連絡が入った。ボスが亡くなったと。
 
わたしは、お葬式には行けなかった。式は予想が外れ、修羅場になることなく、昔のチームメンバーも集まって、みんなでにぎやかにボスの天国への旅立ちを見届けたと、先輩が教えてくれた。わたしは夏に東京へ戻った際に、ボスのご自宅へ線香をあげに伺った。何をするのもいつも一緒だった先輩と一緒に。
 
ボスはフレームの中でワイングラスを抱えて笑っていた。年を取ってもかっこいいおじさんで、会社を退職後はソムリエの学校に通い、ワイン・バーを経営していた。料理も上手でパスタやポトフなんかもおいしい店だった。わたしはそこに出没する度に泥酔するまで飲み、胃が破裂する寸前まで食べ、ボスに
「いじり! とっとと帰りやがれ!」
と言われるのを常にしていた。なので今日は飲もうと思った。よく冷えたシャンパンをどーんとテーブルに置き
「今日は飲みましょう! “とっとと帰りやがれ!”とボスに言われるまで」        
とポーンとボトルを開けた。先輩とわたしと、今までほとんど口をきいたことがないボスの奥さんとの女子3人飲み。
 
奥さんは、「闘病生活はハネムーンみたいだったのよ。いつも一緒にいられて良かった」と言った。そしてちょっと泣いた。ボスのことを本当に愛していたんだなあと、わたしも先輩ももらい泣きをした。そしてボスの過去の話になった。
「ひえ~」
わたしと先輩はのけぞった。知っちゃいけないことをたくさん知ってしまっていたわたしたちの秘密の過去を、奥さんは自らひも解き出したのだ。奥さんは、知っていたのだ! 何もかも!
 
「ここで土下座させたことだってあんのよ~」
「はあ……」
「病院にまで見舞いに来た女がいてね~」
「ほお……」
 
小さく華奢な奥さんは、あっという間にほろ酔い気分で饒舌になってくる。
「その女は営業部の……いや、あの、その……もう1杯!」
余計なことを言いそうになるのを、ガボガボ飲んでごまかすわたしたち。
 
「まったく先に死ぬなんて許せない!」
「そうだ、そうだ、許せねえぞ~!」
 
何本もワインを開け、調子づく女子3人。気が付けば、もう深夜。
 
「おら、おまえら、とっとと帰りやがれ!」
 
天国のボスの声が聞こえた気がした。
 
ボス、良いお弔いになりましたでしょうか? 「また遊びに来て!」って奥さんに言われちゃいましたが、また伺ってしゃべくりまくっていいのでしょうか? そっちでもあまり羽目を外さぬように。奥さんには、なんでもバレちゃいますからね!
 
ボス!仕事も遊びも教えてくれてありがとう!

R.I.P!
(2011年9月)

文・ いじりめぐみ MegumiIjiri ツイッター:@ijiriya
身長177センチ(ホント)。体重45キロ(ウソ)。前世は東京でCMプランナー。後世はシアトルでベンチャー・ママ。世の中をいじる!がモットーのクリエイティブ・ハウス「IJIRIYA USA」社長。ウェブサイト「Go Feisty!( www.gofeisty.com)」主宰。著書に『デカくて悪いか!』、『デブで悪いか!』(角川文庫)などがある。