シアトルの生活情報&おすすめ観光情報

マニアック・ミュージック・レビュー・イン・アメリカ

ロゴ

第1回 ピート・ロック

はじめまして、TSKです。このコーナーでは、ブラック・ミュージックを中心に、マニアックな洋楽話を展開していきます。今回紹介するのは、ソウル・ヒップホップの代表格である、ピート・ロックです。

15年以上前、ヘヴィ・D&ザ・ボーイズという“ポップ&クリーン”をモットーとしたラップ・グループがデビューしました。リーダーのヘヴィ・D※1はジャマイカ出身で、ブラック・アメリカンの多いラップ・シーンでは異色の存在。8歳からラップを始め、ラップの韻の踏み方、喋りの流暢さでは他のMCと一線を画します。たまたま彼らの3枚目のアルバム「PeacefulJourney」(1989)を中古で買ったところすっかり気に入り、クレジットを見たらピート・ロックの名前があったという訳です。

ピート・ロックはジャマイカ出身。父もジャマイカのDJで、大量のレコードを持っていたそう。ヘヴィ・Dとは従兄弟に当たり、彼のキャリアはヘヴィ・Dのアルバムでプロデューサーとして起用されたことで始まりました。「ソウル・ブラザー」のニックネームで親しまれ、彼の音楽は’60~’70年代のソウル・ミュージック、アシッド・ジャズのレコードをふんだんに使った深みのあるサウンド。’90年代の東海岸の音を決定づけたとも言われています。

昔のサウンドを使って新しいサウンドを作る、つまり、レコードから音源を拾い、その上にラップを乗せるという、ヒップホップの本来の楽しみ方を一貫して追求。現在はネプチューンズ※2に代表されるように、キーボードひとつで作った音楽がヒップホップとされ、彼のような音楽はオールド・スクール(昔のヒップホップ)と言われます。どうしてそういう方向へ行っちゃったんだろうと悲しくもありますが、彼が未だに現役で活躍していることにほっとします。

少し前に「They Reminisce Over You(TROY)」がリバイバルされ、話題を呼んだこともあったようですが、ピート・ロックは基本的にアンダーグラウンドを生きていると言えるでしょう。「SoulSurvivor2」(2004)など、最近のアルバムはソウル色が強く出ていますが、根底にあるのはジャズのように感じます。ジャケットのデザインがマイルス・デイビスの「Tutu」(1986)をもじっていて、そういうところも格好良く、とても好きです。

この記事は私、TSKの認識を元にした記事です。もし誤りがありましたらメールでお知らせください。また、ご意見・ご感想もお待ちしています。


※1: 一時期モータウン傘下、アップタウン・レコードの社長にまで昇り詰める。現在は創立期と同じ、アンドレ・ハレルが社長。ヘヴィ・D自身は現在、MCAレコードの取締役。プロデューサーとしてはソウル・フォー・リアルの作品があり、とても気に入っている。スロー・テンポのR&Bで、優しい曲調。
※2:2003年を代表するプロデューサー・ユニット。NERDというヒップホップ・グループのメンバーでもある。デビュー時は「ノレないビート」と言われていたそうだが、Jay-Zに起用され大ブレイク。3年先までスケジュールが埋まっているという。近年、アベイシングエイプのNigoとのコラボでファッション・ブランドを設立し、日本で話題に。


第2回 プレミア

前回はピート・ロックでしたが、今回は私の好きなもうひとりのDJ、プレミアについて紹介します。

現在のヒップホップのキーワードは「インパクト強、セクシーな歌手の参加」に尽きるのではないでしょうか。その方向で進んでいった結果、キーワード「ジャズ」は消えました。’90年代は「ジャズ」もそうですが、「シンプル」を基盤としたヒップホップの動きがありました。その動きとして、挙げなければならない人が、ニューヨークはブルックリン、ギャング・スター(GangStarr)のプレミアです。

彼のプロデューサー業の始まりは’80年代後半。当時、大学の同級生だったGuruとコンビを組み、ギャング・スターを結成。前回のピート・ロックで私はヒップホップに開眼しましたが、彼のCDと同時に買ったのが、ギャング・スターのサード・アルバム「TheDaily Operation」(1992)でした。ピート・ロックの曲の特徴が音の豊かさによるものなら、ギャング・スターは「必要最小限の音」によるもの。そのアルバムが出た1992年は、まだ“ジャズ・ラップ”と呼ばれる東海岸特有のものが多くある頃で、その呼称はギャング・スターから始まったそうです。

プレミアの曲は、フロアで踊るために必要な音、どんなサビの音がBGMに栄えるか、そういう最小限の音による構成で、最大の効果を上げようとしています。ヘヴィ・D&ザ・ボーイズの「BlueFunk」(1992)にプレミアがプロデューサーとして加わった時、日本の雑誌による彼の紹介は「鬼のようにヒップホップ・サウンドを追求する職人」でしたが、その紹介文に偽りはありません。’90年前半の彼のサウンドの特徴として、ミニマムなだけに、足りない音の部分は客に想像させる。そうすることで足りない部分を補完し、大きな効果を上げているように思います。本人がそれを意図していたかはわかりませんが、当時高校生だった私には衝撃的でした。

’94年、ヒップホップがひとつのピーク段階に達し、R&B、ダンス、さまざまなジャンルの音楽がそれに影響されます。一方、他人の曲に関する著作権が厳しくなって、他人の曲を使って再構成する“サンプリング”がしにくくなり、お金を持たないDJは別の方法を考えなければならなくなりました。プレミアもサンプリングを得意としていましたが、機材を変えて新しく挑んだのが、ノトーリアス・ビー・アイ・ジー(TheNotorious B.I.G.)の「Unberievable」(1994)です。サンプル曲を細切れにして、誰の曲かわからなくし、それを再構成する。その手法は当時とても評価されたようです(現シーンでは、詰めの甘い、わかりやすい使われ方がされてしまっていますが……)。プレミアはプロデューサーとしての力量がそれまで以上に買われ、アンダーグラウンドだけでなく、メジャーなところではジャネット・ジャクソン、メアリー・J・ブライジ、ジェイ・Z、ディアンジェロなどに曲を提供、もしくはリミックスの担当もするようになりました。

個人的には、プレミアの’94年以前※1が、「シンプル」というキーワードでは最高のものだったと思います。もちろん、他の専門誌では別の代表作もたくさん挙がりますが、それは「シンプル」というより、別のキーワードであると思います。彼はアフリカンな曲も作ったし、’96年以降、一時期東洋的な音源をサンプルとして使っています。それは雑誌では「ハードコア」と分類され、あまり表に出てきませんでしたが、2000年以降のメジャーな歌手の音楽に影響があると思います。’90年後半のプレミアは、そういう流れの中のひとりだったのではないでしょうか。2000年前後になって、ドクター・ドレ※2、エミネムらが「インパクト強」の影響を与え、ヒップホップが変化しましたが、プレミアのサウンドもドレ同様に“硬質なビート”の追求が顕著になります。

ギャング・スターがヒット曲「Moment of Truth」(1998)を発表し、日本へライブに来た時が、私にとって彼の初ライブでした。プレミアが思っていたよりも小柄な人で、ふたつのターン・テーブルを駆使し、クールな外見とは裏腹に熱く叫んでいた姿は今も忘れられません。彼ももう30代後半。ヒップホップに関して、どのプロデューサーよりも仕事量の多い人であるのは間違いはありません。


※1:ヘヴィ・D&ザ・ボーイズ「Here Comes The Heavster」(1992)、ギャング・スター「Flip The Script」(1992)、ナス「Memory Lane (Sittin’ In Da Park)」(1994)の3枚が秀逸。

第3回 リミックスの視点

最近、4年間探し続けていた曲を見つけることができました。中学生の頃から今まで、ラジオなどを通して良いなと思っても、アーティスト名がわからないことが多くて、ずっと頭の片隅に曲が残っている……。そういったことが多いのですが、何かのきっかけで見つけ出した時の喜びは大きいものです。

今回見つけ出した曲は、前回のギャング・スターのMC、グールーのソロ・プロジェクト「Jazzmatazz」シリーズのもの。ヒップホップとジャズを彼の視点で融合させたアルバム第2弾「Jazzmatazz2」(1995年) からのシングル、「Watch What You Say(featuring チャカ・カーン)」のリミックスです。このリミックスを聴いたのは、私が日本の大学に在学していた時のことでした。神戸という土地柄か、ラジオでマニアックな曲がかかることが多く、その中の1曲が、これ。何より驚いたのは、オリジナルの曲からこれほど飛躍して、別の曲にできるものなのか、と。全く曲を変えてしまった訳ではなく、オリジナルの曲を踏襲しつつ、フロア指向のダンス・ミュージックに仕上げる。オリジナルより良くなっている、そう思ったのです。

ヒップホップやR&B はオリジナルの曲が出るとすぐに、曲を変化させたリミックス・バージョンが作られる向きがあります。リリック(歌詞)は同じなのに、曲調が変わることで雰囲気が変わってしまうという面白さがあり、大概はシングル版のCDに収められています。問題は、シングル版のCDは新着が出るとすぐに市場から消えてしまうことです。誰かの別のニュー・シングルが出ると、それに取って代わって店から消えてしまう……。今回のCDも、その内のひとつだと思い(当時、同シングルが発売された1995年から既に何年か経っていた)、余り本気で探さなかったのです。もうひとつの理由は、誰の作ったリミックスかわからなかったこと。シングルとして出回っているのか、それともクラブ・ミュージックのひとつとして(つまり、グールーのクレジットではなく)市場に出ているのか、それすらもわからなかったのです。

しかし最近になってやっと、そういったフロア指向のリミックスを専門に作るDJ の存在を知り、もしやと思ってネットで検索したところ、やっとそのリミックスに突き当たりました。彼の名はC・J・マッキントッシュ。UKのDJです。白人ならではの、ダンス・ミュージック色が濃いリミックスを作るDJとして知られています。彼はリミックス専門のDJらしく、シングル版のレコードはたくさん出回っているのですが、彼のソロ・プロジェクトのアルバムというのはなさそうです。ブルックリン発のヒップホップを、ロンドンで加工する。その発想が面白いです。

彼はディアンジェロの「Brown Sugar」のリミックスなど、ブラック・ミュージックを上手いこと、軽快なダンス・チューンに持っていく才能のある人です。彼による「WatchWhat You Say」のリミックスは、同シングル版2曲目に「CJ Mix/radio edit」として収録されています。オリジナルと比べて聴くと、リミックスの面白さがわかっていただけると思います。私はネット・オークションのebey(イーベイ)で購入しました。

次回は同シングル版5曲目をプロデュースしているバックワイルドが所属する、NY はサウス・ブロンクスのDJ集団、DITC(Diggin’InThe Crates)について書こうと思います。

第4回 DITC

’90年代、NY はサウス・ブロンクスにて、DITCというヒップホップ・グループが生まれました。メンバーは8人(現7人)、前回で少し触れたバックワイルド(DJ)、ファット・ジョー(MC)、ロード・フィネス(MC/DJ)、OC(MC)、ショウビズ(DJ)、AG(MC)、ダイアモンド・D(MC/DJ)、そしてビッグ・L(MC)。DITCはDiggin’In The Cratesの略で、日本語にすると「レコード箱を漁る」。開店前からレコード・ショップに並ぶ、彼らの姿から取られたものだそうです。つまり、彼らはレコードから音源を探す、オールド・スクールの人達です。

DITCはとても際立ったグループであるにもかかわらず、現在のヒップホップの流れとは違う音楽を作っているため、なかなか表に出て来ません。彼らは同じ音楽の流れを汲んだ者達が集まった“クルー”。基本的にソロでアルバムを出し、DITC名義のアルバムはほとんどありません。’99年にビッグ・Lが銃撃を受け他界し、2000年に初めて、DITC名義の「追悼」アルバムが出されました。

ファット・ジョーは最近人気なので、知っている方も多いと思います。プエルトリコ系のラッパーとして成功した彼のデビューは’90年代前半。2000年に入って、メジャーで花開いた感のある人です。ちなみに、最近ダイエット宣言をしたそうです。

ロード・フィネスは、’90年前後にファンク&ソウルの色が濃いアルバムを2枚、’95年にはR&Bに色を変えたアルバムを出し、日本でも人気の高い人です。’98年に日本企画版で、ピート・ロック、ビズ・マーキーと並んで、ブルー・ノートの曲を思いおもいに選曲してDJを行う「Diggin’On Blue」のシリーズに加わっています。彼の’92年のアルバム「Return Of The Funky Man」はファンク&ソウルの彼の解釈であり、今も昔も、このような作品を見ません。アメリカではこういうのは売れないのか、と以前アメリカの子供に聴かせてみたことがありますが、ノリノリでした。こういうのがメジャーで売れたら良いのになと思います。

そもそもDITC自体が、その渋い路線からして、アメリカよりも日本で人気のあるグループだと思います。私はロード・フィネスの大ファンで、いつか彼のアルバム・ジャケットのデザインをしたいというのが、何かしら現在の自分に関わっているような気がします。ヒップホップ豊作の年である’94~’95年に、DITCメンバー達のソロ・アルバムがたくさん出ましたが、それが彼ら個々の音楽スタイルをさらに際立たせました。

第2回でご紹介したプレミアもDITCに縁が深く、’80年代後半より、コラボ、プロデュースを積極的に行っています。映画「8マイル」にて、エミネムがMCファイトを行う時に、ショウビズ&AGの「NextLevel (Nyte Time Mix)」が掛かっていましたが、それはプレミアのプロデュースです。私自身、’95年当時のヒップホップ・シーンを知りません。でも、彼らの影響力は大きかったのだろうということが推測できます。

この前見たMTV で、LL Cool JとJay-Zが自分達の曲に、10年前のOC の音源をさも当たり前のように使用していたのが私は嫌でしたが、メジャーになったアーティストは、結構そういうことをしてしまう一面があります。

最近そのOCがニュー・アルバムを、ロード・フィネスがリミックス集を出したということで、早く聴いてみたいです。

第5回 C+Cミュージック・ファクトリー

ハウスとはダンス・ミュージックの分派で、クラブ・ミュージックの元祖に当たるそうです。

’90年代、ハウスを代表するグループがありました。それが、C+Cミュージック・ファクトリーです。グループの核は、アイデア担当のロバート・クライビルス(Robert Clivilles)、キーボード担当のデビッド・コール(David Cole)。彼らふたりは’80年代より活動を開始。最初の頃は売れなくて大変だったそうですが、無名の新人達をグループに従え、’91年に入っての、C+Cミュージック・ファクトリー名義の最初のアルバム「Gonna Make You Sweat(Everybody Dance Now)」が大ヒットします。

デビッド・コールは、ゴスペルをダンスに持ってきた第一人者だと思います。ダンス・ミュージックに相性良くゴスペルを絡み合わせた、迫力あるアメリカでこそのスタイルです。彼らのフォロワーが当時たくさんいたことは間違いありません。

マライア・キャリーの初期のヒット曲「Emotions」。誰しも一度は聴いたと思います。これは彼らのプロデュースで、アルバム自体も彼女のスローな曲の中に、彼らのアップテンポな曲をいくつか入れることで、とても良いアクセントになっています。ほかにも、’93年にグラミー賞を総嘗めにした、ホイットニー・ヒューストン「The Bodyguard」からの曲「I’m Every Woman」も彼らのプロデュース、と言えば、当時の重要なプロデューサー・チームであったことがわかるでしょうか。ソウルやR&Bの有名どころは、彼らに曲を頼むのが「トレンド」だったのです。当時私は高校生でしたが、このまま行くと、ハウスは彼らの色で染まるだろう、と感じました。

ところが、キーボードのデビッド・コールが’95年に、髄膜炎で他界したのです。American Music Awardsでは「音楽界の財産を失った」と、追悼が行われました。本当に仕事が増えて、これからという矢先だったのではないかと私は記憶しています。しばらくは、ロバート・クライビルスのみのC+Cミュージック・ファクトリーで活動していましたが、長くは続きませんでした。それからダンス・ミュージックの流れが変わって行くのです。

私はデビッド・コールのサウンドにのめり込んでいたので、それ以降のダンス・ミュージックに興味が持てず、ヒップホップに走りました。ピート・ロックの音楽に出合ったのは、その頃です。いつの頃からか、クラブ・ミュージックというカテゴリーが店頭に現れ始め、ジャンルも細分化しました。最近になって、ニューヨークのBlue Sixなど、ディープ・ハウス(Deep House)という新しい流れができてきましたので、ダンス・ミュージックをまた聴き始めています。いえ、もう「ダンス」とは呼べないのかもしれませんね。

第6回 DJクラッシュ

昨年10月、「寂」のリリース記念に、DJクラッシュ(以下クラッシュ)がシアトルで凱旋ライブを決行。大盛り上がりのアンコールで、ジョン・レノンの「イマジン」を彼のアレンジで演奏し、そのライブは幕を閉じました。来る6月10日、Showboxでの公演のため、シアトルに再び彼が現れます。

クラッシュは1987年にGO、MUROと共に「クラッシュ・ポッセ」を結成。1992年の解散後にソロとなり、日本で初めてターン・テーブルを楽器として操るDJとなります。ちなみに、MUROは第4回で紹介したDITCと共演し、1999年にシングル「The Vinyl Athletes(真ッ黒ニナル果テ)」をリリース。普段なかなか目にしない“ヒップホップの聖地”、ニューヨークはサウス・ブロンクスの風景をビデオで観ることができました。彼はクラッシュと共に、日本のヒップホップを代表するひとりです。

クラッシュの音楽は、アブストラクト・ヒップホップの範疇に入ると思います。いろいろな音、例えば街の騒音、人の声、ドアを開ける音、そういった効果音をつなぎ合わせて構築していくもので、フランスのDJカムが代表的。クラッシュの新作「寂」は日本の音をサンプルとしてたくさん使ったため、アメリカでは特別な存在に映ったことでしょう。

今も昔もアメリカのシーンは、インパクトがあってなんぼという風潮があり、エミネムや50セントが売れるのは必然的と言えます。彼らの音楽も実際クオリティーが高く、素晴らしい。それは、サウンド・プロダクションに、20年近くシーンを先導している人物がいるからです。しかし玄人寄り、「渋い」サウンドを好んで聴く人達も多いからこそ、アンダーグラウンドが存在する訳で、クラッシュがウケる要因となっています。

ヒップホップとひと口に言っても幅広く、正直クラッシュをヒップホップと呼んでいいのかはよくわかりません。ターンテーブルを楽器として使う「ターンテーブリスト」は、ほかにDJロジックがいますが、彼は完全にジャズの世界。現在のシーンと照らし合わせることがそもそも間違っている気もしますが、どこかで区切りを入れなければならないとして、一応クラッシュは日本での「ヒップホップの長」と捉えられています。

最近来日したばかりのピート・ロックは、MCを介入しないインスト※1のみのアルバムを1枚、今年の1月に出しています。ヒップホップでアルバムが1枚丸ごとインストというのは、おそらく彼がアメリカ初。作品として素晴らしくとも、アメリカでは受け入れられないのか、イギリスのBBEレーベルよりリリースしています。ヨーロッパのスタイルに傾いている、ということでしょう。

そういう訳で、ヒップホップと言えど、現シーンのものだけではありません。同じ地域でも、1980年代と現在とでは、ヒップホップの意味合いが相当変わってきています。自由な雰囲気だった1980年代に対し、1990年代はショーン・パフィ・コムズ※2のころから、ビジネスの色が濃くなり出したと言われています。

1983年に「Wild Style」という、ヒップホップの教典のような映画が日本に上陸し、クラッシュはそれを観てクラッシュ・ポッセを結成したそう。そのころを知っている人にとって、現在のシーンはどう映るのだろう。そう考えると彼はかなりのオールド・スクールで、しかも日本人。海外で高く評価される理由は、そこにもあるのかもしれない。

※1:「Music Instruments」の略。「楽器だけで演奏された楽曲」という意味。
※2:アップタウン・レコードのA&R から独立、バッド・ボーイ・エンターテインメントを設立、メアリー・J・ブライジやノトーリアスBIGを売り出す。また、ヒップホップにR&Bを初めて取り入れる。1999年に銃器所持などで捕まった後は、かつての勢いを失っているように見える。

第7回 ジル・スコット

ジル・スコット。フィラデルフィア出身で、今や所属レーベルのヒドゥン・ビーチの看板であり、ニュー・クラシック・ソウル(別名:ネオ・ソウル、またはオーガニック・ソウル)と呼ばれるジャンルのトップに位置するアーティストです。

クラシック・ソウルの始まりは、1995年にグラミー賞を獲得したディアンジェロとされています。それから、その流れに加わったものが雨後の竹の子のように現れは消え、現在はその流れが下火となっています。ザ・ルーツのクエストラヴや、エリカ・バドゥの元交際相手として知られるコモンもその流れにありますが、あまり最近はニュー・クラシック・ソウルとしては活動的ではありませんね。

そんな中で、スターバックスの店頭にもCDが並んでいるのが、ジル・スコット。デビュー当時は、エリカ・バドゥの模倣と捉えられ、賛否両論あった人物です。実際、私が以前一緒に住んでいたアフリカン・アメリカンの子も、エリカは好きでもジルは嫌いでしたね。しかしデビュー・アルバム「Who Is Jill Scott?」(2000年)で、グラミーにノミネートされています。最終的には大衆に評価されたわけです。

南部出身のエリカ・バドゥのデビューは、1995年。リアルタイムではわからないので判断しかねますが、彼女のデビューは今までなかったスタイルとして、衝撃だったのだと思います。その延長線上にいたのがジル・スコットで、スタイルは確かに似ていますが、センスの良さはジルの方が上だと感じます。

ヒドゥン・ビーチのA&R、そして彼女のエグゼクティブ・プロデューサーでもある、ジャジー・ジェフ。その昔、ジャジー・ジェフ&ザ・フレッシュ・プリンスとして、ウィル・スミスとコンビを組んでいた人です。なるほどな、と作品の良い理由がうなずけます。この人の作品は、近年になってとても渋くなり、ソウルやヒップホップは山程ありますが、ジルの作品ほど“ジャジー”を徹底した曲は今まで聴いたことがない。徹底した結果が、2005年度のグラミー受賞。ニュー・クラシック・ソウルは今のシーンの流れではありませんが、それがとても評価されています。これが本物というものでしょう。

セカンド・アルバム「Beautiful Human」(2004年)の先行シングル、「Golden」がMTVで流れていると、普通にソウルと感じますが、同じフレーズ “Living my life like it’s golden”を繰り返し唱えるところは、ヒップホップが存在するからこそ出て来た発想でしょう。最後に機械的な声が入る効果などは、ブラック・ストリートやマイケル・ジャクソンの音楽を担当していたテディ・ライリーの手法で、それを使うところが「今までシーンを見て来た人」のなせる技だと感じます。

6番目の曲「Cross My Mind」が欲しいがために、このアルバムを買ったのですが、ラップではない“語り”をサウンドに乗せる手法がとても彼女の場合しっくりきていて、聴いていて飽きません。ほかにも、R&B のスタイルから一変、ミュージカル風に編曲される曲など、“狂ってる”と言うとおかしいかもしれませんが、センスが良いからこそできる芸当。しかも、音処理の仕方が、どの家のステレオで聞いても効果があるように、なるべくシンプルにしてあるような気がするんですよ。これは2000年に入ってからの変化でしょう。こういうところに、エミネムのプロデューサー、ドクター・ドレの影響が感じられるんですよね。まあとにかく、このCDはホント良かった。ハズレの曲がないので、買う価値ありです。

奥方が、ひと回り年上で同じくニュー・クラシック・ソウルの、アンジー・ストーン。彼女、キャリアは長いのですが、結局評価され始めたのはディアンジェロとの結婚後ではないでしょうか。

第8回 ジャジー・ジェフ

前回もジャジー・ジェフについて触れましたが、彼の2002年のソロ作でBBEレーベルからのリリース、「TheMagnificent」を先月初めて、全編を通して聴きました。曲のスタイルは、ウィル・スミスと組んでいた10年前から変わっていない気がします。たぶん以前はウィル・スミスの才能や、ラップの上手さを全面に出して、ビートの渋さを二の次にしていたのでは……。ソロになること、ウィル以外(ジル・スコット)と仕事をすることで、彼自身に備わっていた特徴が浮き彫りになったのでしょう。

同アルバムからの曲「Musik Lounge」のバックの口笛は、日本のMONDO GROSSOのアルバム「Born Free」で使われていましたが、このアルバム自体が誰かのカバー・アルバムだそうで、そのオリジナル・アルバムは聴いたことがありません。私の両親がそのオリジナルを聴いたそうですから、かなり古いのでしょう。現在主流の打ち込みビート(サンプル曲を使用しない手法)はそういった醍醐味がないので、あまり考えたり思い出したりする必要がなくつまらないですが、キッズ達はそもそものネタ曲を知らないので、それでいいんですよね。現在はそういったシーンだと思いますが、また変わってくるだろうと期待しています。

サンプリングは、何でも有名な曲を使えば良いということはありませんが、使い古された定番のネタというのもあります。LL CoolJやNAS、スリック・リックの声の一部や、そしてBlue Noteレーベルの曲を使うものも多い。使う人によって全然違うものができます。

オリジナル曲をそのまま使うことを「大ネタ使い」と言います。15年前のアイス・キューブやランDMCがそうで、最近ではカニエ・ウエストがチャカ・カーンの曲をまんま使ってヒットしましたが、あれは嫌だったなあ。オリジナルのほうがよっぽどいい。私は、全くオリジナル曲をイメージさせない使い方が好きですが、それにはセンスが必要で、誰でもできることではないのです。

ジャジー・ジェフも、ア・トライブ・コールド・クエストのヒット曲そのまんまという「大ネタ」の傾向がありますが、意外性に裏打ちされ、またジャジーな曲を創るという一貫性があり、心地良いことには変わりありません。もしかすると、2005年の今だから良いというのもあるでしょう。今だからこそ新鮮、そしてやはり、使い方が上手いのだと思います。ディアンジェロが登場した時も、ジル・スコットのデビューも、「今だからこそソウル」の類いですね。ファッションの変遷とも近いものがあります。

次回まで彼の話を持ち込んでもいられませんので、今書いときます。2004年末、同じくBBE からの彼のミックスCD「Hip HopForever II」もついでに聴きました。3曲目Smif-N-Wessunの「Bucktown」は私も好きな曲ですが、この曲を途中から、そして低音から始めることで雰囲気が変わり、またスクラッチを挿入し、彼流のスタイルになっています。そもそもシンプルな曲ですので、ホーンの高音を抑えてしまうと、後は低音しか残りません。低音に味のある彼には、もってこいの曲だったと思います。

彼のウェブサイトは、ダサかっこ良くておもしろい。「え~曲がシブいのにこれ?」という感じ。ヒドゥン・ビーチのビジネスなサイトとは一線を引き、より個人のアーティスト性を見せたい思いが感じられます。

第9回 マイケル・ジャクソン

幼稚園の頃でしょうか、マイケル・ジャクソンの「Thriller」がテレビで放映され、まだ小さかったのでビデオ・クリップというものがわからず、怖くて夜眠れなかった記憶があります。実際ビデオ・クリップの普遍的なスタイルが確立したのは、スリラーが最初だということを聞いたことがあります。あの作品が世界で売れた理由は、音楽・ダンス・映像といったたくさんの点で画期的だったからでしょう。

小学校に入って、お次は「BAD」のビデオ・クリップ。この2曲のビデオ・クリップは、ドリフでパロディをやっていたこともあり、今でもくっきりと覚えています。またアルバム「BAD」の「SmoothCriminal」という曲は、ある日、車中のラジオで流れていたのを聴いたのですが、これが生まれて初めて好きになった曲。毎日のように口ずさんだものでした、もちろん英語なので適当に歌っていたのですが……。

アルバム「BAD」のビデオ・クリップ集「Moonwalker」を観たのはそれから随分後のことですが、このアルバムの曲「SmoothCriminal」のビデオ・クリップが凄い。黒いスーツ姿のダンサー達が、白いスーツでキメたマイケルと一緒に、マイケル・ダンスをするんです。

93年のアメリカン・ミュージック・アウォードで、4作目のアルバム「Dangerous」をリリースしたマイケルが、アルバム中の曲「Dangerous」でダンスを披露したのですが、この時は皆が黒いスーツに赤い手袋。これは「SmoothCriminal」からの踏襲で、マイケルの一番かっこいいスタイルだと思います。翌年にヒップホップの波が押し寄せた事を思うと、考えさせられるものがあります。93年当時にしても、あれだけ完璧なダンスを披露したマイケルのステージを後目に、MCハマーの荒削りなダンス、フレッシュ・プリンス(現在ウィル・スミス)やスヌープ・ドギー・ドッグ(現在はスヌープ・ドッグとして活動中)は喋りながらウロチョロするだけ……何だかな~って思った記憶があります。

ところで、「Dangerous」のメイン・プロデューサーであったテディ・ライリーは80年代後半に「ニュー・ジャック・スウィング」という新しいダンス・ミュージックのスタイルを確立した人物で、そのころにGUYというボーカル・グループを結成、「Dangerous」発売の翌年にはグループ、「ブラックストリート」を結成、ヒップホップの地盤にて大活躍しました。彼による作品は数限りなくあり、R&B界のベイビーフェイスのような感じとでも言いましょうか。彼の数限りない作品の中でも、ニュー・エディションのメンバーでホイットニー・ヒューストンの旦那である、ボビー・ブラウンの92年作品「Bobby」が特に印象的。ここで注目すべきなのが、ライリーが、ブラックストリートのファースト・アルバムのようなアンダーグラウンド寄りの作品を残しつつも、常にメジャー・シーンにおいて活躍し続けた点でしょう。

マイケルがリリースした作品群においては、マイケル本人の手腕も見事。「相手の良い部分を引き出し、それに自分の色を加える」というのが、マイケルの一番の才能ではないでしょうか。スキャンダルは絶えないんですが、本業のほうはいつも素晴らしいので、作品を作り続けて欲しい。マイケルの妹ジャネット・ジャクソンもあのスーパー・ボールの不祥事により、せっかくの新作「DamitaJo」の売れ行きが芳しくなかったように思えましたが、いざ聴いてみると、とても良かった。ジャケットのトータル的なデザインも、がっかりさせられることはない。彼女のお抱えプロデューサーであるジャム&ルイスもまた作品の多い人達で、いつも良い仕事をしています。ジャクソン兄妹の話になってしまいましたが、2人共センスが良いし、これからも頑張って欲しいですね。

第10回 Kyoto Jazz Massive

最近、クラブ・ジャズまたはフューチャー・ジャズといったジャンルを良く聴いていて、Kyoto
Jazz Massive(以下KJM)を始め、日本のクラブ・ジャズを聴き漁っています。

90年代は、クラブ・ミュージック全般を聴きたかったものの、あまりお店では詳しいジャンル分けがされてなくて、どれが良いのかわからなかったんですよね。今ほどに試聴のシステムも整っていなかったし、ネットで視聴するにもその環境がなかったし。電話線じゃね(笑)。ヒップホップなら中古で100円でもたまに良いものが売られていますが、クラブ・ミュージックは中古ではなかなか知ってるものが出てくれない。新譜だけしかなくて値段が高く、買う気がしなかったという理由もあります。

クラブ・ジャズがいいと思う理由。まず、ジャケットのデザインに惹かれます。仮にヒップホップなら本人が表にドカンと載ってなきゃいけないというルールがあり(LLCool J の所属するDef Jamレーベルなど)、どうしてもどれも似た感じ、またはアクの強いデザインになります。その点、テクノやクラブ・ミュージックは清潔感があったり、デザインを遊べたりして、自由な感じです。

このところ、日本に住む弟がクラブ・ミュージック関連の音楽をたくさん送ってくれて、好きだったけれど知らなかったジャンルが充実してきています。MastersAt WorkやBlue Sixなどのハウスは少しわかるのですが、クラブ・ジャズとなると……U.F.O.(United FutureOrganization)とかMondo Grossoとか?(これは違うかな?)。U.F.O.は綺麗過ぎて良くわかんないんですよね。でも現在までの最新作は良かったので、機会があれば買いたいです(日本盤なので高くて買わず、そのままだけど)。

で、ここ数年クラブ・ジャズを聴いて思ったのですが、「日本勢が強い」。というか良いです、好きです。「日本人だから好みが同調するのかな?」とも思いますが、ドイツのJazzanovaなども好きですけど、ジャズなのかどうかというと「?」な感じです。なんてこと言ってたら、「アシッド・ジャズやその他もろもろどうなるの!」って話ですけど。
クラブ・ジャズは、ジャズとは銘打っても、いろいろなジャンル──ジャズやソウルやボサノバその他──に精通したDJがそれらをジャズ調にミックスさせた、といった感じなのでしょうか。KJMはイギリスのアシッド・ジャズの影響下、兄弟で結成したそうです。よく他人の曲のリミックスを担当し、数年前にはKJM名義で海外のアーティストから提供された楽曲によるコンピレーション・アルバム「forKJM」をリリース。あれを聴いてると「ジャズをピアノとベースのみとか、トランペットを使うとか、そういった決まり事なく現代の機材で作ったら、こんな感じになるんだろうな」と感じたり、クラブ・ジャズと言われるのも納得できます。

「凄いなあ」と思うのは、クラブ・ミュージック全般に言えますが、イギリスを始め皆ワールドワイドな活動をしていることです。イギリスのDJの曲を日本でミックスしたり、その逆があったり。どういった経路でそうなるんだろう? 英語はどうしてるんだろう? KJMにおいては、ヨーロッパのクラブ・ミュージックのMix盤にどこでも彼らの名前を見ることができます。

先述のMondo Grossoこと大沢伸一さんは、94年のアルバム「Born Free」までKJMと共同でアルバム制作をしていたそうです。それ以降、どちらかと言うとブラック・ミュージック路線に入るのですが、ちょっと前に出した新作「NextWave」は、何かクラブ・ミュージックとして“やっちゃいけないことを全部やっちゃいました”みたいな感じでびっくりしました(好きな人ごめんなさい)。「既存の概念を壊したかったのかな」と思いましたが、「BornFree」の清潔感はKJMあってのものだったんだなあ、とも感じました。
僕が好きなのはそのKJMとJazztronikというグループで、Jazztronikは日本にいた時は、名前も聞いたことなかったなあ。リーダーの野崎良太さんは僕と大して歳も違わないのに、「凄い曲作るなあ……」と感動しました。ほかでああいった曲を聴いたこともなかったし。この2グループは共同でDJツアーへ出ているようで、先輩・後輩みたいな感じなのかな~。

東京や京都に住んでいたら、もっとクラブで聴けていたのかなあ……、シアトルに来てくれないかなあ(昔KJMは来たそうです)……と思ったりします。

第11回 Bahamadia

東海岸アンダーグラウンド・ヒップホップに、Bahamadia(バハマディア)という女性MCがいます。日本ではコアなファンに人気があるものの、西海岸ではほとんど知られていないようです。西の流れがファンクを基調としたDr.Dre(ドクター・ドレー)やSnoop Dogg(スヌープ・ドッグ)に染まってしまったのが理由のようです。

彼女の語り口は抑揚のない、念仏のような単調なもの。そこに派手好きなアメリカ人との好みの違いがあるように思いますが、僕に言わせていただくと、シンプル極まりなく、ジャジーです。

ジャジーと言えば、ロサンゼルス出身で4人組MC(珍しい!)の、The Pharcyde(ファーサイド)というグループがあります。彼らはいかにもなジャズ・ヒップホップで、東のスタイル。日本では人気がありますが、西では名前も聞きません。’92年のドクター・ドレーのデビュー作「The Chronic」は、西のヒップホップの流れをファンクに統一してしまったと言われています。ファーサイドの傑作「Bizarre Ride II」も’92年。……重なっちゃったんですね。渋くて良い曲が多いのに、少し不憫な気もします。

話は戻りまして。2~3年前にワシントン州オリンピアのEvergreen Universityで、なぜかバハマディアのライブがあり、嬉々として向かった日本人がひとり……私です。アメリカへ来て初めてのライブでした。その当時は、まだ彼女のセカンド・ミニアルバムを聴いてなくて、その場で聴いて鳥肌が立ちましたね。

とにかく語り口も音楽も渋い。セカンド・ミニアルバムに関しては、東海岸アンダーグラウンドでは名の知れた、DJ Revolutionがプロデューサー。ちなみにファーストは、MMR第2回のプレミアのプロデュースによるものでした。

プロデューサーによる功績も大きいでしょうが、彼女自身のこだわりも大きいと思います。トータルとして、アルバムに彼女の色が見えるからです。これは少しアンダーグラウンド過ぎるのですが、男性ひとりと彼女によるStatus Quoというプロジェクトがあるのですが、そのジャケットの写真は、2人がお店でレコードを漁っているもの。つまりは自分で曲から選んでいく姿勢なのです。

前述のライブに関しては、結構な人が集まっていましたが、皆彼女を知ってたんかなあ? 学生が校内でやるから何となく見に来たって雰囲気が……もったいない!

’96年にソロ・デビュー。現在40代だと思うのですが、女性アンダーグラウンドMCなんてそうそういませんし、MTVでかかるようなヒップホップではないので、一般的にも面白いと思いますよ。

第12回 L.L.Cool J

LL Cool J のキャリアの長さと人気の高さはすごい。デビューは’84年辺りなのに、あの若々しさは何でしょうか。浮き沈みの激しいヒップホップ界で、彼はデビュー当時からリスぺクトされていました。

アルバムを出すたびにプロデューサーを変えるため、彼のスタイルっていうのが僕にはあまり良くわかりません。しかし時代の波に乗った人選で曲を作っているお陰でワンパターンにならず、20年以上のキャリアを築いています。

僕が彼のアルバムを初めて聴いたのは、4作目’89年の「Mama Said Knock You Out(邦題「Knock You Out」)」でした。プロデューサーはマーリー・マール(Marley Marl)。ピート・ロックのDJの師匠に当たる人だそうで、ヒップホップにおけるサンプリングの概念を発明した人物と言われています。

LLの4作目は、3作目までの風潮からイメチェンをする重要な起点だったと指摘されています。曲調はとにかく渋い。今ともまったく違いますよ。MMR第4回のDITCのメンバー、ロード・フィネス(Lord Finesse)の「Funky Technician」と、じつは似ているんですが、当時のアンダーグラウンドの音だったのかも知れません。ほかにも、東のギャングスタ・ラップ創始者と言われるスクーリーD(Schoolly D)、彼ともスタイルが近い気がします。

’95年作品「Mr.Smith」はボーイズ II メンが参加したりと、聴き易くて良かった。プロデューサーは、当時飛ぶ鳥も落とす勢いだったPoke & Tone for TrackMasters(トラック・マスターズ)。皆彼らに曲を依頼していました。’95年当時の彼らの音はとてもキャッチーで、「洗練されたヒップホップ」でした。しかし2000年前後になると「洗練され過ぎる」。削ぎ落とし過ぎて、妙にあっさりした曲が増えました。プレミアのビートにも近いところがあります。

2000年を過ぎると、彼らの名前はぱたっと見なくなり、変わってティンバランド()やネプチューンズが台頭しました。LLの現最新作「The DEFinition」には、その2組のプロデューサーが関わりましたが、現在のシーンの中でも風変わりで新鮮。売れるだろうなと思いましたが、もう数年前とは相当雰囲気が変わっています。器用な人なのでしょうが、僕は前述のアルバム辺りが好きですね~。

しかしオールド・スクールでありながら、今も変わらない人気と仕事量をキープしているのは、L.L.Cool J以外に思い浮かびません。ラジオ・MTVでも頻繁に掛かりますし、今も若い子達に人気ですね。

’98年、故アリーヤの2作目辺りから現れた、ミッシー・エリオットなどを手掛けるプロデューサー。

最終回 ブラック・ミュージック

あけましておめでとうございます。昨年の1月から始まりましたMMRは、今回で最後となります。最終回は私の好きなジャンル、ブラック・ミュージックについて書かせていただきます。

ニューヨークでのテロ事件前後に、「Riko Style」という、ニューヨークのホットなブラック・ミュージックを配信するFM番組が日本にありました。当時そこで掛けられた曲は、Jay-Z、ミッシー・エリオット、ビートナッツ、コフィー・ブラウン、レイ・J、エリック・ベネイ、ミュージック・ソウルチャイルドなど。ミッシー・エリオットやビートナッツを聴いて「少し音楽の方向が変わってきているな」と感じました。

同番組の最終回で、DJを務めるRikoさんが「ヒップホップでもR&Bでも、あまり力まずに自然に聴いていただけたら……。別にそれらしいカッコをする必要もないし、私もごくごく普通のカッコだし」といった話をされていたのが印象的でした。ジャンル同士で関連があり、ジャズやソウル、R&Bがあるから、ヒップホップもハウスも楽しめる。そんな感じで、いろいろな曲を試しに聴いてみて、自分の好きなものを新しく見つけていただけたらな、と思います。

最近、ジャッキー・ブラウンのパム・グリアが主演した大昔の映画「コフィー」のサウンドトラックを買いました。曲はすべてソウルの大御所、ロイ・エアーズ(本人も出演)によるもので、彼の曲はヒップホップでよく使われました。ほかにもジャズの面で、エリカ・バドゥと共演したロン・カーター教授、ディアンジェロと共演したロイ・ハーグローブなど、横の繋がりがわかるとブラック・ミュージックはもっとおもしろくなります。

読んでくださった皆様、1年間どうもありがとうございました。

TSK
兵庫県出身。父がジャズのマニアで、幼少より洋楽に親しむ。好きな音楽は、マイケル・ジャクソンとスティービー・ワンダー。アメリカのデザインと音楽の世界にいつか携わろうと、日本の大学を卒業後に渡米。現在、シアトル近郊で留学中。