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【私の転機】シアトル日本人長老教会 牧師 中西 覚さん

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シアトルやポートランドで活躍する方々に人生の転機についてインタビュー

シアトル日本人長老教会の日本人牧師は、なんと元日本のサラリーマン。大学時代まで「神様などいない」と思っていた中西覚牧師に異色の経歴とこれまでの転機を伺いました。(2016年4月)

シアトル日本人長老教会 牧師 中西 覚さん
中西 覚(なかにし・さとる)
1974年神奈川県横浜市生まれ。関東学院大学中退。98年Judson University卒業後、日本オラクル株式会社、日本デルファイ・オートモーティブ・システムズの営業職を経て、2005年カナダの神学校Regent College入学。09年5月に卒業し、7月より現職。毎週日曜には日本語で礼拝を行う(第一日曜除く)。シアトル日本人長老教会

無神論者の両親の元、キリスト教に縁無く育ちました。英語が大好きで留学に興味はありましたが勇気がなく、日本の大学に進学。
 
大学はキリスト教系で校内にアメリカ人宣教師がおり、英会話を目当てに宣教師のサークルに入会しました。初めてクリスチャンと出会い、ありもしない神の存在を本気で信じる人がいることにショックで…。当時の僕は授業が面白くなく、遊びほうけて「このままでいいの?」と葛藤する日々。自分は真剣に悩んでいるのに、いもしない神様を信じ、歌を歌って満ち足りた顔をしている彼らを、腹立たしく思っていました。
 
そんな時、高校時代の同級生が競技バイクの事故で亡くなります。バイクで活躍し、賞金を家に入れていた彼と比べて自分の中途半端さを恥じ、自分のやりたいことを自問して留学を決意しました。

– ホームレスの背に見た キリスト教の教え  
宣教師の手助けでシカゴの大学に進学。チャペルの時間を欠席したら落第するような厳しいキリスト教系大学で、ホストファミリーもクリスチャンでした。クリスチャンに囲まれて生活することで、彼らの考えがだんだん分かり、キリスト教に対する反感はいつしか消滅。何より皆が無条件に僕を愛してくれることに気付いたんです。
 
ある日、ホームレスに小銭をねだられ無視しました。するとホームレスは「I still love you」と言い去ったんです。ホームレスにキリスト教の基本的な教え「人間は神に背いたにも関わらず、神はまだ私たちを愛してくださる」を見た気がしました。同時に洗脳された!とも。日本に帰ればこんな気持ちも消えると思ったのですが、一時帰国すると、アメリカから離れたからこそ、もっとクリスチャンとして歩まなければとの思いが沸き、何かが僕の中で変わったことを実感。この一件が転機で、洗礼を受けました。

– 脱サラを決意した ホストファミリーの一言 
大学卒業後は、日本で就職。やりがいはありましたが、いつしか、自分の代わりはいくらでもいる、なんのために働くのか?本当の自分の使命とは?と思い詰め、牧師になろうと思い始めたんです。

日本の教会で外国人牧師の通訳などを務めるうち、周りから「将来は牧師だね」と言われるようになっていました。牧師なんて無理と決めつけていたけれど、本心はうれしかったんです。でも仕事を手放す決心ができない。そんな時、ホストファミリーと数年ぶりに会いました。将来を相談すると「あなたが牧師になることを大学1年の時から祈っていた」と言うのです。その一言で、神学校に入ることを決断できました。

日本の教会で外国人牧師の通訳などを務めるうち、周りから「将来は牧師だね」と言われるようになっていました。牧師なんて無理と決めつけていたけれど、本心はうれしかったんです。でも仕事を手放す決心ができない。そんな時、ホストファミリーと数年ぶりに会いました。将来を相談すると「あなたが牧師になることを大学1年の時から祈っていた」と言うのです。その一言で、神学校に入ることを決断できました。

大学生やサラリーマン時代の葛藤を経て、神学校に辿り着いたから、これが自分の生きる道だと確信が持て、勉強は大変でしたが楽しかったです。卒業前、シアトルでのカンファレンスにて今の教会と出会い、現在に至ります。
 
僕は聖人君子より人間味のある牧師でいたいです。間違いも、葛藤も失敗もし、礼拝で泣き、笑うことも。その姿を通じ、すごいのは中西ではなくて神だと思ってほしいんです。日曜の礼拝は誰でも参加できます。僕を通じて少しでも神の愛を感じ、そこから、生きる事に意味があると誰もが希望を持ってくれたらうれしいです。

シアトル日本人長老教会 牧師 中西 覚さん
▲ 野尻湖で母校の宣教師から受けた洗礼。ホストファミリーもシカゴから駆けつけて見守ってくれました
 
*情報は2016年4月現在のものです