シアトルやポートランドで活躍する方々に人生の転機についてインタビュー
■ 2025年3月、在ポートランド総領事事務所に新しく等々力研(とどりき けん)総領事が着任しました。これまで長きにわたって中国に携わってきた等々力総領事のこれまでと、ポートランドでのこれからについて伺いました。(2025年6月)

ー外務省に入省するまでの経緯を教えてください。
昔から、いろんな人、特に外国の人と話してみたい気持ちがありました。でも、英語はみんなが勉強していることから、英語以外の言語も学ぼうと考え、大学では中国語を専攻しました。話者の多い言語が話せれば、より多くの人と話ができると思ったからです。大学卒業後は、中国との関係を考え始めている大手製造業に入社しました。ですが、私企業で利潤を追求する仕事はあまり向いていないと感じるようになりました。そこで、在学中にも挑戦した外務省試験を受け、1989年に外務省に入省しました。今から考えるとこれが、転機でしょうね。
– 長く中国に関わるお仕事をされてきた等々力総領事ですが、入省当時と現在では、中国はどんなところが変わったと思いますか?
1990年、私が研修で中国の山東大学に通った頃は、中国銀行で外貨を外貨兌換券(だかんけん)(FEC:人民元と等価)に交換し、それをさらに人民元に交換して使っていました。当時は物価も安く、3食を食べてビールを飲んでも食費は1日10元(日本円で約300円)くらいだったと記憶しています。その後、兌換券の制度はなくなり、次に中国勤務となった2005年には小切手を持って銀行で人民元に両替できるようになりましたが、書類を持参し、銀行の窓口で長く並ばされた後、備え付けのペンで書類を書き直さなければならないこともありました。ですが、2017年に北京に赴任した際には毎回銀行に行かずとも、スマホアプリで両替ができ、キャシュレスで支払いができるようになっていました。オンラインストア、フードデリバリー、タクシーもキャッシュレス化が進み、偽札が流通する余地がなくなりました。こうした面も含め、現在の中国は、少なくともハード面では今のアメリカとあまり変わらないように思います。
ー 現地で生活しないと分からない実態ですね。
2017年の中国で、地下道で物を売ったり、物乞いをする人たちまでもがWeChat PayやAlipay(共に中国のオンライン決済システム)のアカウントを持ち、誰もが二次元コードで簡単に決済できるほどまでキャッシュレス化が普及しているとは、当時、日本ではあまり報道されていませんでしたから驚きました。また、北京は大気汚染が深刻だと日本の報道で見聞きして心配し、日本から大量にマスクを持って行ったのですが、それほどでもなかったことから、使い切れずに、その後のコロナ禍に役に立ったこともありました。日本における中国関連の報道は、必ずしも全てを反映していないと思いました。逆に、中国にはいまだに福島県産の農産物に対して非常に敏感な方がいますけれど、福島県産の農産物で健康被害が起こったことはないですし、今も、福島で生活している人がたくさんいるわけです。どこの国でも、自国で報道を見る人と、実際に現地で暮らす人々の間には乖離はあるもので、自分の目で確かめることの大切さはつくづく感じています。
ー これまでのお仕事で印象に残っていることはありますか?
一つは上海総領事館に配属されたばかりの1992年に、戦後初めて(当時の)天皇皇后両陛下の中国ご訪問があったことです。駆け出しでしたから、下見や行事の手伝いをはじめ、遊軍的にさまざまなことをしました。先輩から外交官として皇室の訪問の仕事に携わることができるのは50年に1回くらいと言われたのですが、幸運だったかもしれません。また、もう一つは北京の大使館勤務時の2008年に、中国初の夏のオリンピックが開催された時のことです。領事部で邦人援護のために現地に待機していた時に、偶然にも柔道の内柴正人選手が日本第一号の金メダルを獲得した瞬間をこの目で見ることができたことは貴重な思い出です。
ー さて、3月にポートランドに着任されました。街の印象と今後の抱負を教えてください。
アメリカへの赴任は今回が初めてです。これまでアメリカは車がないと不便だと聞いていましたが、ポートランド市内は公共交通がかなり発達し、移動には便利な街ですね。また、今住んでいるところには犬を飼っている人が多いですね。私も日本から子犬を連れてきたのですが、何匹も散歩させている人、大型犬を連れている人などさまざまな人に出会います。在外公館の仕事としては、やはり邦人援護と日系企業の支援を一番に。そこをしっかり行った上で、管轄地域と日本との交流を深めていきたいです。オレゴンには日系人や日本語学習者も多くいますから。先日、日本語で授業を行っているインターナショナルスクールを視察した際、子どもたちが『世界に一つだけの花』を歌ってくれたのにはびっくりしました。日本と関わりのある人々との交流をさらに深め、日米の草の根的な活動を広げ、サポートすることで、日米関係をさらに豊かなものにしていきたいと思っております。

▲2025年3月、ポートランドのキース・ウィルソン市長(右)に着任の挨拶での一コマ。これからますますの日本とポートランド間の友好を願いました。