シアトルやポートランドで活躍する方々に人生の転機についてインタビュー
■ ポートランド日本庭園のギフトショップの輸入代行を行ったり、オレゴン産のフルーツ・ピューレを日本のブルワリーに販売したり、オレゴンと日本をつなぐホクセイグループ。ユニークな事業に辿り着くまでの転機を社長の冨田昇太郎さんに伺いました。(2025年12月)

東京都生まれ、富山県育ち。慶應義塾大学法学部卒。三井物産、日本軽金属を経て、1999年ホクセイプロダクツ入社と同時に代表取締役就任。入社以来、日本各地やスウェーデンに社を進出させ、2016年にはポートランドにHokusei North Americaを設立。現在は法政大学大学院連携教授も務める。好きな食べ物は天ぷら。
https://hokusei-na.com/
– 学生時代の夢はなんでしたか?
父は富山県高岡市で鋳物やアルミ形材を扱うホクセイ金属という会社を経営していましたが、私は継ぐつもりがなく、大学では国際政治を専攻し、核抑止論などを学びました。国連でのボランティアを通じ、世界を平和にするのは国連だけではないことや、民間や経済にも世界を動かす力があると知り、総合商社に就職。ビジネスマンとしては失格かもしれませんが、当時から1円でも利益を多く取ることより、人と人をつなぐことや、自分がどのように社会に役立てるだろうかと考えてきました。
– なぜ、ご実家を継いだのですか?
20代の頃、無鉄砲にもMBAを取ろうとアメリカの大学院を受けたのですが不合格になり、経営コンサルタントの大前研一さんのビジネススクールに入りました。さまざまな経営者の話を聞くうちに、私も起業したくなったのですが、お金がありません。当時、父がホクセイ金属の子会社を作ったばかりで、その子会社を利用してベンチャー事業をしようと思い立ち、1999年、30歳で実家に帰ることにしました。
– 子会社の社長就任後はどのようなお仕事をされましたか?
父は「商材を三つ用意したから3年は持つ。あとはよろしく」と一切関知せず。しかし、デフレやクライアントの海外進出で三つとも2年と持たず、取引が消滅してしまいました。そんな中、細々と始めていたのが、錠剤のシートや粉薬の袋をアルミで作る事業です。富山は医薬品会社が多く、需要があるだろうとメーカーを一件一件回りました。仕事が取れず、何度東京に戻ろうと思ったことか。あの頃には戻りたくないですね。それでも、薬品関係の注文を少しずつ増やしていきました。
– そこからどのように海外に進出したのですか?
キティちゃん生誕35周年で転機が訪れたのです。日本各地の伝統工芸品とキティちゃんがコラボをし、弊社も風鈴や鏡などの制作に携わりました。そこでサンリオとご縁ができたので、高岡ご当地キティグッズを作ると飛ぶように売れたんです。すると、サンリオの方が「次は北欧はどうですか?」と言うんです。紆余曲折を経て、スウェーデンに会社を設立し、フィンランドでご当地キティを作ったのですが、全く売れず大失敗でした。フィンランドにはムーミンという強敵がいますから。でもせっかく会社を立ち上げたので、スウェーデン発の反射材を使ったキーホルダーを日本に輸出しました。夜が長い北欧では、歩行者がこれを身に着けることで死亡事故が減ったそうです。冬が長く暗い富山でキーホルダーを販売したり、スウェーデン発の氷上で滑らないシューズを北海道で販売したりするようになりました。
– ポートランド進出の経緯は?
北欧の仕事で、ローカルとローカルをつなげることが面白いと気付いたんです。富山県は江戸から明治にかけ、北前船の寄港地でした。現代の北前船として、地方と地方を結ぼうと思ったのです。そこで、高校時代の留学の思い出があるアメリカ、アメリカの中でも富山県と姉妹州であるオレゴンで起業することにしました。仕事を模索する中で出会ったのがポートランド日本庭園です。2017年、日本庭園がリニューアルでギフトショップを拡張するけれど、それを埋めるだけの商品がないという話を聞きました。最初は日本庭園のバイヤーさんの通訳だけをしていたのですが、今では日本庭園の購買部門の仕入れのほとんどは弊社が担っています。日本の伝統工芸品メーカーからは、日系の会社を介して輸出できるので安心感があり、日本庭園は各社とのコミュニケーションを任せられるので、相互に良い関係を築けています。現在、200社以上とお取引し、日本各地とポートランドを結ぶことができました。
– もう一つの果物の事業についても教えてください。
日本庭園のショップはアメリカから見れば輸入なので、アメリカの輸出にも貢献したかったのです。アメリカ国内で売れているけれど、まだ日本に届いてない商品を探した時、オレゴン産の果物のピューレがありました。果物は、ピューレ状にすれば2年ほど保存ができ、アメリカではクラフトビールの副原料やお菓子に使われます。日本であまり生産していないブラックベリーやブルーベリーなら、日本の農家の仕事を邪魔せず、新しい価値を提供できるわけです。7、8年前から日本のブルワリーにピューレの販売を始めました。
– これからの目標は?
今後は日本の大手ビールメーカー、さらに洋菓子やパンでも果物ピューレを使っていただけないかと模索しているところで、アメリカ大使館や農務省の支援も受けています。もし、日本のクラフトビールでベリー系のビールを見かけたら、ほぼ、弊社で手がけたオレゴン産のフルーツです。ぜひ探してみてください

▲2021年、当時のオレゴン州知事ケイト・ブラウン氏らが富山県を視察した際は、ホクセイグループの本社も訪問。冨田さんは果物ピューレの日本でのニーズなどを説明しました。
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(ライトハウス編集部)




