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今年の冬、高校時代の友人であるヒグチケイコさんのパフォーマンスを東京に見に行きました。ケイコさんは、東京を拠点にヨーロッパ、アメリカでも活躍する声のアーティスト。歌や曲、というよりも、響き、音といった、抽象的、あるいは実験的な印象を受けます。
毎回、違う演奏家達と共演。「こんな感じ? こんな感じでしてみる?」との掛け合い、いたずらっぽさ、束縛のないオープンさ。毎日の生活の中でなんの気なしに出ている音、そして、自分では出したくても出せないような奇怪(?)で懐かしい音を、楽器の即興と共にコラージュしていく。ところどころで彼女自身が使うトロンボーンも、吹くというよりは、それを通して音をさらにバイブレーションさせている、という具合。時には呪文のように、時には虫の息のように、彼女が奏でる音を聴いていると、こちらまで音で遊びたくなってくる。見ている側も、ミュージシャン同士の音での会話、彼らの顔の表情、両方を見張るようにしてしまう……。
ケイコさんは昔から歌が上手で、低めの声は耳にとても心地良く響き、どこまでも高い音が出ます。子供のころから歌うことが好きで、モノマネなんかも得意。声を使って仕事をしたいと聞いた時、誰もが納得したものです。シアトルで高校を卒業後、ボストンのバークリー・スクール・オブ・ミュージックに通い、帰国後もちょくちょく外国へ公演に出掛けます。「音階というのは存在するけれど、声にはそれを超えた無限の可能性がある。声は、誰もが持っているコミュニケーションのツール」と、彼女。
ひとりで音を出すのも自分の作品としておもしろいけれど、人と共演している時に生じる“不具合さ”もまた好きだそう。人とパフォーマンスをしていると、自分の思う通りにはなかなかいかない。自分がこう出しても、相手はそれを覆してくる。その“不可解さ”が、コントロールの効かないオープンなパフォーマンスになるのです。
彼女と話していると、毎日の私達の生活に重ねて見ることができるような気がします。こうしたい、ああしたいと、目標や目的を持って行動する私達。しかし、それは環境や周りの人々によって影響され時、“不具合”が生じます。その場その場で起こるハプニングを、いちいちコントロールしようとすればするほど、物事は困難になることが多々あるような……。その中で、どう転んでもなるようになる、と受け流している彼女。何事も真剣に、その反面、いつでも柔軟性のある陰と陽が重なり合った姿勢は、彼女の生き方そのものなのかもしれません。

よく共演されるチェロリスト、モリシゲヤスムネさん
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「声は、心と体のバランスに非常に深く関わっている」。パフォーマーの傍ら、プロのアーティストからアマチュアまでいろいろな方にボイス・トレーニングを教えているケイコさん。将来やりたいと考えていることは、セラピーとしての声のトレーニングを勉強すること、とおっしゃっていました。
写真家としても活躍する多才な彼女は、どこにいても何をしていても、パフォーマンスに繋がっていきます。写真を撮ったり、踊ったり、歌ったり。何でも、どう解放していくかがとても大事、とケイコさんは言います。この6月には、東京などで公演される演劇に声のパフォーマンスで出演します。
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