| キャリア・チェンジを目指し、アメリカに語学留学して日本へ帰国するはずが、あれよあれよと言う間に在米歴11年になってしまったフリーライター・秋野未知、37歳独身。仕事をこよなく愛しながらも、「やっぱり結婚もしたい」を合言葉に、出会いを求めて日々精進する彼女の痛快エッセイ!
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第31話 「褒めなきゃならないアメリカ人」
アメリカで暮らして何年経っても、未だに慣れないことのひとつに「相手を褒める」という行為がある。別に褒めるという行為自体は難しいことではないが、褒めなければならないポイントやタイミングが日本と微妙に異なるからだ。
日本でも相手を褒めることはよくある。中でもビジネスや近所付き合いにおいては格別である。上司や取引先など明らかな利害関係が存在する相手などに対しては、褒めまくると言ってもいい。私も日本でお勤めをしていた頃は、「いや〜、社長のゴルフの腕前はタイガー・ウッズも真っ青ですな。いや、恐れ入りました。ハッハッハッー!」と車海老のように体を前傾させながらお愛想笑いをする親父達の姿をよく目にしたものだ。また、PTAや近所付き合いでも「お宅の息子さんは優秀で羨ましいわ。うちの子にもお宅の爪の垢を煎じて飲ませたいほど」とか、「あら奥様。そのスカーフ、とてもお似合いですわね〜」などというやり取りは常に存在する。「ごまをする」という言葉もあるほど日本社会に根付いた行為である。でも、これは「この商談を何がなんでも決めたい」とか「隣近所から悪く言われて、住み難くなったら困る」など、基本的に何らかの利害関係が存在する場合に多く見られる行為であって、親しい女友達とか伴侶とか自分の親兄弟に対して日常生活の中で「ここで相手を褒めなければマズい」と感じることはほとんどないように思う。そう考えると、日本における相手を褒めるポイントは案外つかみやすいと言えるのではないだろうか。
それに比べて、アメリカにおける「ここでは相手を褒めるべき」というポイントは少々わかりにくい。アメリカ人は基本的に褒められ続けて育っている上に、「相手を褒める」のは慣習なので、ちょっとした挨拶の際でも妙に大袈裟に褒め合う。でも、この挨拶時の流れは誰が見てもわかりやすい。とりあえず何かを褒めればいいのだ。これは日本のPTAの集まりにも非常に似ている。褒めるのも褒められるのも苦手な私でさえ、別にその相手に何も目新しい変化が見られなくとも、"Wow,
you look great!"くらいは言うように心掛けている。いちいち面倒臭いなと思うことは多々あるが、“郷に入っては郷に従え”である。
私が「わかりにくいなあ」と思うのは、アメリカ人の彼や旦那や親友など「超身近な人達」に対する褒め方である。私は私なりに意識的に褒めているつもりだが、それでもアメリカ的には「褒め足りない」ことが最近よくわかってきた。私もほかの外国人の類に漏れず、渡米してからの数年間は会話の中での微妙な駆け引きが読めるほど英語も文化も理解できなかったので、こういうことをそれほど重要視していなかった。でも日本語と同様、英語にも“含み”がある。その含みやダブル・ミーニング(まったく別のふたつの意味)を持つ単語のボキャブラリーなどが増えてくると、今まで見えなかったものが多少見えてくるし、ちょっと皮肉を含んだジョークにも周囲と一緒に笑える回数が増えてくる。こうなると会話の中で「あっ、今のはAさんを褒めるところだったんだな」と何気に周囲から知らされることもあるし、メチャクチャ面白いけれども手痛いジョークを返されたことで、自分の発言が相手を少々ディフェンシブな気持ちにさせてしまったことに気付かされたりする。たまに、こういう微妙なラインに何も気づかなかった渡米当初の方が、アメリカ生活が楽だったなあと思うことさえある。
また、自分では相手に対する愛情で言ったこと、つまり相手を褒めたつもりでいても、それが必ずしも自分の意思と同様には受け取られないことも難しい点だ。例えば私がアメリカ人の男性と付き合う時、「あなたって本当に頭が良くて、素晴らしいわ」というような台詞を頻繁に言うべきなのはわかっていても、何だか嘘っぽく聞こえる気がして抵抗を感じてしまう。だから、何かを手伝ってもらったり、助けてもらった時に大袈裟にその功績を褒めまくるなど、自分なりの方法で相手をできるだけ褒めてきた。それでも、直接的な台詞を私が頻繁に言わないことでもめた経験は数え切れないほどあるのだ。
くだらない例で恐縮だが、私はアメリカ人の男性と初めて付き合った時、「なんで君は僕のことを全然褒めてくれないのか? 僕のことを本当に好きなのか?」と真剣に尋ねられて、「口に出して褒めないから愛情が少ないと思うなんて、この男、バカじゃないの?」と思った記憶がある。「言葉じゃなくて相手の心を読めよ。浅い奴だな」と、非常にがっかりしたのだが、その後に付き合ったアメリカ人の男性達も、言い方は多少異なるがみんな私に同じことを何度も尋ねたので、さすがに参ってしまった(笑)。とにかく私は褒め下手らしい。簡単に言えば、まず相手を褒める回数がアメリカ人に比べて断然少ないのだ。私としては、心のどこかで「言葉に出さなくても信頼があれば気持ちを汲んでもらえる」と思っている上に、大切なことを何度も口に出したら価値が薄れる気がするのだが、アメリカ人はなかなか他人の気持ちを「聞いてくれるけれど、読んではくれない」。友人から聞いたのだが、私の元カレの中には、あまりに私が相手を褒めなかったので(本人は褒めているつもりなのに)、今でも私を“愛情の薄い女”だと思っている奴もいるそうである。
「相手を少し落とすことで、自分が相手に対する愛情を周囲に表現する」という日本的なテクニックが「アメリカでは全然通じない」ことが、国際間の誤解を生む原因となる場合もある。これは日本の芸人やTVタレントがよく使っているが、一般人の私達は、これを照れ隠しとして使用することが多いように思う。ちょっとした相手の「笑っちゃう部分」や「おかしかった失敗」を友達の前で楽しく話してしまうのだ。言っている本人からすると「こんなことしちゃう彼って可愛いでしょ?」と結構ノロケているつもりでも、自分のことを話されたアメリカ人の中には火がついたように怒る人もいる。「なんで僕の恥ずかしい失敗を人前で言うんだ」とか「そんなプライベートなことを他人に言うなんて信じられない」などと、アメリカ人の彼や旦那を怒らせた日本人の女友達は私が知っているだけでも山ほどいる。私自身、アメリカ人の彼を怒らすたびに、「人の前では褒めることしか言っちゃいけないんだな」と毎回学ぶのだが、ほとぼりが冷めた頃にまた同じようなことを言ってしまったことが何度もある。
友人のK子から聞いた話だが、K子がアメリカ人の友達と複数で話している時に、ある「褒めミス事件」を起こしてしまったそうだ。アメリカ人のAさんが抱えている問題の本質が、誰がどう見ても明らかにAさん自身の行動に起因していた。でもほかの友人は「あなたは一生懸命やっているじゃない。偉いと思うわ。時間が経てばきっと何とかなるから大丈夫よ」と、解決策にならないことばかり言うので、K子が「その問題を本当に解決したいなら、あなた自身も現在の行動パターンを変えて、もう少し努力するべきだと思うわ」と真摯にアドバイスしたら、すっかりAさんを怒らせてしまったそうだ。Aさんは「それ、どういうこと? 私に問題があるって言ってるの?」と、ディフェンシブになり、K子の誠意よりも“指摘された”という行為ばかりが問題になった。後日、その場にいたほかのアメリカ人の友人から、K子は「友人でもパブリックで、その人の悪いところを指摘しちゃだめよ。あなたは良くやっているとか、偉いわとか褒めてあげないと……」とアドバイスをされたそうだ。K子は私達日本人の友達の前で「知らない人ならともかく、友達なのに褒めとかなきゃいけないなんて、納得いかないわ! 褒めてばかりじゃ問題が解決しないじゃない」と落ち込んでいたが、私もK子と同様の失敗をしたことがあるので気持ちは良くわかった。ちなみに、私はアメリカ人の友人のアドバイスを受けて、それ以後、そういう話題は相手と2人で話す時だけにするようになった。今、ふと思ったのだが、アメリカでは「指摘してはいけないこと」がパーソナル・レベルでたくさんあるから、「どんなに相手に問題があっても、とりあえず褒める」という文化が発達したのだろうか?
とにかく、この「相手を褒めるべきポイント」は、私のような正直者にとっては把握することがかなり難しい(笑)。きっと基本的には何でも褒めておけば安全なのだろう。でも、それでは真の友情や信頼、愛情が育ちにくいように思えてしまうのは、私だけだろうか。(な〜んて言っても、どの国も同じかな?)
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