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ノースウエストの海と魚(4)カキの話(前編)

アメリカ・ノースウエスト自然探訪
2009年12月号掲載 | 文・写真/小杉礼一郎

カキの食文化が花開く国……フランス、アメリカ、そして日本
この北西部がそれに深くかかわっているという。
カキの種霊と仕掛け人達から話を聞く“竜宮城”奇譚第2弾

隊長、またも竜宮城へ

「なに、カキの話を聞きたい?」。隊長に問われた海と魚の水先案内人Aさん、「俺もカキは門外漢だぞ……そうだな、よし、カキの大御所を紹介しよう。それとカキの種霊から話を聞けば良い。また“Moonbucks Cafe”だな。今夜迎えに行くよ」。ポンポン話を決め電話を切った。やれやれ。しばしカウチでまどろむ隊長。Zzz Zzz……。

夜、迎えに来たAさんの車には先客が乗っていた。父親の代からワシントン州でカキの養殖ひと筋のYさん(80代)と、この地でカキ生産の会社を興し、世界有数の企業に育てたMさん(70代)だ。ふたりは遠戚に当たるという。

海に向かった車は、いつしか“カメボート”に代わっていた。北米のカキ生産の立役者ふたりと話しているうちに、ボートはピュージェット湾の底にある“Moonbucks Cafe”のゲートへ。

「皆さん、ようこそ。隊長、お待ちしていましたわ」。あでやかにほほ笑むPrincess NoWe(ノウ姫)が出迎えてくれる。「やあやあ」「YさんもMさんも相変わらず元気そうね」「何言ってやがる。姫だってちっとも年を取らんじゃないか」「あはは、ここは竜宮城ですよ。でも、それもこれもカキさんのおかげね」。そんなおしゃべりをしながらラウンジに入っていくと、くだんのカキの種霊が静かに座っている……ように隊長には見えた。ひと言で表すならばホログラムのようにほのかに幽(かそけ)く佇んでいる。「カキさん、あなたの話を伺いに隊長はここにいらっしゃいました」とノウ姫。

寡黙なカキ

いかついゴツゴツした姿を想像していた隊長は、まったく裏切られた。まるでか弱い妖精のようなのだ。その姿も次第に変わっていき、それもとめどない。「初めまして、エコキャラバンの隊長です」と、あいさつしたものの、種霊はじっと動かず、オーロラのようにわずかに表情を揺らめかせただけだ。黙っているカキに代わってYさんが話し出す。「動物は“動く物”と書くけどね、カキはサンゴと同じ動かない動物です。生まれてすぐに2枚の貝殻ができ、幼生の2、3週間の間は波間の水中に漂った後、岩など硬い物に付き、ずっとその場所で成長します。筋肉は貝柱しかありません。それは動くためでなく、殻を堅く閉じ、水がなくても何週間も生きるためです。英語で“As close as an oyster”って言うでしょ。カキの種霊は寡黙で口が固いのです」。うなずくように微かに揺らめく種霊。

さらにMさんが続ける。「カキの種族はね、氷点下の海から熱帯の海まで300種類以上いて、もう1億年も海中に棲んでいるんです。動かなくても環境の変化に耐えられるようになっていてね、殻も細くなったり丸くなったり、周囲の環境に合わせて形ができていきます。だからふたつとして同じ形のカキになりません。それを「強い」と言うのなら、きっと強い動物なのでしょう」。隊長が見ていると、妖精のようなカキの種霊は、微妙にゆーっくりと姿を変えていく。それが雄か雌かもわからない。

次はノウ姫が続ける。「カキは雌雄が分かれていません。産卵の時期(6月~9月)が来たら、水温や栄養状態によってそれぞれの個体が雌になったり雄になったりして繁殖します。ねえ、カキさん、隊長は海のことはあまりご存知ないのです。あなた方の食べ物のことを話してあげて」とカキを促す。

「姫がおっしゃるのなら」と寡黙のシンボル、カキはおもむろに口を開く。「私らには“餌”は要りません。欲しいのはきれいな水と良い環境だけです」。それだけ言うと再び黙り込むカキ。それには慣れた様子でYさんが続ける。「カキは海水中の植物プランクトンを取り込んで食べているんだ。そのためにひとつのカキだけで、1日に吸い込んでは吐く海水の量は200~300リットルにもなる。カキを代表とする貝類は、海岸に備わった自然の海水ろ過システムとも言えるね」。カキが少しずつ話すようになった。「そうです。きれいな水さえあれば、外洋、内海、汽水※1であれ、私達は棲むことができます。ある程度の水は私ら貝類がろ過しますが、限界を超えて水が悪くなれば棲むことができませんし、そういう水を吸ってきたカキを人間が食べると大変です」「なるほど、日本でカキ養殖などの水産組合の人達が沿岸の川の上流で植林活動をするのは、良い植物プランクトンの海を保つためか。その点ここ北西部は背後の森林が豊かで良いね」と隊長。

リシア・パーク
▲北西部にあるカキ養殖の主要な産地のひとつフッド・カナル。I-101沿いのマウント・ウォーカー・ビュー・ポイントより
リシア・パーク
▲ダボブ湾に面するクロスィン(Quilcene)の海岸にはカキのハッチェリーがあり、岩場には天然のカキが張り付いている。外洋から200キロも内陸の内海だが、水がきれいだ。カキの浄化作用もあるのだろうか
リシア・パーク
▲左上のふたつの小さい貝殻がネイティブ種である「オリンピア」、左下ふたつは日本から導入されたマガキ(=Pacific Oyster)。真ん中はクラムの貝殻にくっ付いた幼生から成長したもの。右は同じく細長く延びたマガキ。このサイズは3~4年生だろうか
リシア・パーク
▲フッド・カナルの北端にあるダボブ湾。引き潮の時、遠くまで干潟になる海岸は、カキの地まき養殖に最適な地形だ。09年の夏は暑かったので北西部の紅葉はひときわ鮮やかだった


カキの来た道

「1億年の私達の歴史にヒトがかかわってくるのは、この1万年ほどでね」。カキがようやく話し始めた。「各大陸の沿岸のあちこちに人類が棲み始めたころ、もっとも手近で口にできた動物たんぱくは貝だったろうね。世界各地の貝塚から出土する貝やカキの殻がそれを物語っている。それにアサリは砂に潜るけど、我々は動かないから捕りやすい。でもそれだけじゃないな。カキはおいしくて、栄養があって体に良い食べ物だとヒトはすぐ知ったんだ」。それを受けてMさん、「だから、岩礁など自然の採取場だけにとどまらず、ヨーロッパでは紀元前からカキの養殖が行われてきたんだね。日本では中世から、新大陸アメリカでも入植者の定住/増加と共にカキの養殖が行われてきた。そしていろんなことすべてが大きく動いたのが20世紀だね」。続けてYさんが言う。「日本のマガキがここまで世界の海と食卓を席巻するとは思わなかったな」「マガキの持つ強さは、雑種強勢なのかな?」「それだけじゃないよな」……話の弾むふたりの大御所を、ノウ姫がやんわりと取り成す。「どうぞ隊長にわかるように話してあげてくださいな」「そうだね」とYさんが語った話はざっとこうだった。

マガキの強さ

アメリカの東海岸へは、当初ヨーロッパの人々が入って来た。当然カキを食す文化と共にだ。幸い東海岸にはイースタン・オイスター(バージニカ種)が生息している。これを捕り、食べ、次いで養殖も行うようになった。19世紀、西部開拓が始まり沿岸部にも入植者達が住むようになる。西海岸には小さめのウエスタン・オイスター(オリンピア種)があった。人々は当初、細々とこれを取って食べていたが、小さいのでもっぱらシチューに入れていた。

20世紀に入りゴールド・ラッシュのころから、まずカリフォルニアでカキの需要がドンと増えた。西海岸のカキ(=オリンピア種)は捕りつくされ、みるみる枯渇した。急きょ東海岸からイースタン・オイスターを導入したがうまくいかない。1920年ごろからYさんの父親らによって、日本からマガキ(ジャイガス種)を導入※2したが最初のそれは全滅。ところが、彼らがその屍骸の殻をワシントン州北部、ベーリンハム南の海岸、サミッシュ・ベイに撒いたところ、翌春に成長したカキがあった。カキ殻に付着していた小さな子カキが生きていたのだ。

いろんな紆余曲折はあったが、マガキは戦前、ジャパニーズ・オイスターという名の下、西海岸で養殖され、消費も増えた。あの戦争があり、マガキの呼び名はパシフィック・オイスターに変わったが、西海岸のカキと言えばマガキがすっかり定着した。

戦争中は中断されていた日本から西海岸への種カキの輸出は、戦後再開されたが、終戦当時はそれまでの主な出荷地だった宮城県も広島も戦禍で輸出どころではなく、急きょ九州熊本のマガキが送られることになった。現在では高級カキとされるクマモト・オイスターだ。※3
「日本のマガキが世界を席巻する話はまだまだ続くんだが、まあこの辺にしておこうかい」とYさんは話を切り上げた。 (次号に続く)

※1 河口や海岸の湖のように海水と淡水が混じり合った塩分の少ない水。
※2 仙台から20センチ×30センチ×1メートルの大きさの箱25個を輸入した。カキを捕ってすぐに木箱に入れ、木材専用船の甲板に載せムシロを掛け、航海中も海水を掛けながら運んだという。
※3 1948(昭和23)年以降、6年間で熊本から2,787箱の種カキが送られ、ワシントン州のピュージェット・サウンドとウイラパ・ベイに撒かれた。収獲されたカキは小粒だが、丸々とし、色、味、香りも良かったので“ウエスタン・ジェム”の市場名で好評を博した。1960年には種カキが自給できるようになる。現在は“クマモト”“クモォ”のブランドでカキの絶品と称される。ちなみに後年、本家熊本のカキは病気で絶滅した。

1935年設立当初のシェイクスピア・フェスティバルのメイン劇場
▲オリンピア、クマモト、マガキ(フッド・カナル)。並べると、大きさ、形の違いがよくわかる。もっとも「クマモト」はマガキの一種だ
現在のメイン劇場
▲北西部の海岸沿いには各所でカキを売るスタンドがある。これはワシントン州の主要漁港であるウエストポート近くのベイ・シティーで


Information

■ワシントン州魚類野生生物局の貝類とカキに関する公式ウェブサイト
収穫季節、ライセンスの取得方法、規則、Q&Aなどを掲載。
Washington State Department of Fish and Wildlife
http://wdfw.wa.gov/fish/shelfish/beachreg/faqs.htm

■ワシントン・シー・グラント
ワシントン州の海洋研究、教育、広報活動を行っている公的機関のリポート。ワシントン州のカキの養殖についてわかりやすく解説している。
Washington Sea Grant
www.wsg.washington.edu/mas/pdfs/smallscaleoysterlr.pdf

■広島県水産海洋技術センター
日本のカキの代表的産地である広島県の広報ウェブサイト。日本と世界のカキの生態を、写真とイラストでわかりやすく解説している。
http://www2.ocn.ne.jp/~hfes/kaki01/biology.html

Reiichiro Kosugi
1954年、富山県生まれ。学生時代から世界中の山に登り、1977年には日本山岳協会K2登山隊に参加。商社勤務を経て1988年よりオレゴン州在住。アメリカ北西部の自然を紹介する「エコ・キャラバン」を主宰。北米の国立公園や自然公園を中心とするエコ・ツアーや、トレイル・ウォーク、キャンプを基本とするネイチャー・ツアーを提唱している。