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水の回廊インサイド・パッセージ

アメリカ・ノースウエスト自然探訪2006年01月号掲載 | 文・写真/小杉礼一郎

天然の大きな回廊が米北西部の南と北へ通じている。
南へは「緑の回廊」がカスケード・シェラネバダ山脈に沿って、
そして北へは「水の回廊インサイド・パッセージ」が延びている。

水の中のアメリカ

旅先で雨に降られるのは恨めしいものだが、「その風土には雨がよく似合う」という土地もある。西海岸からアラスカへ向かう途上の景色を人に話す時にそのことを思う。と同時にこの景観をどう伝えたものかと考えるたび「水の中のアメリカ」というフレーズが隊長の頭に浮かんでくる。モンスーン・アジアの風景を歌うユーミンの曲を収めた「水の中のアジア」という絶妙のネーミングのアルバム名からの連想だ。その「水中的美国」からさらに連想される場所はアメリカの北と南の端の2カ所。ひとつはアメリカ南東辺のフロリダ半島で、南の海とスコールの情景だ。もうひとつが北西辺、今回紹介する東南アラスカのフィヨルドと氷河の景色である。

フェリー・ボート
▲黄色と紺がアラスカ州のステイト・カラー。このフェリー・ボートで88台の車両と700人余りの船客を運ぶ
ガスティーノ海峡
▲街のすぐ背後に険しい山が迫っている。ガスティーノ海峡に面した港街はアラスカ州の州都ジュノー(Juneau)。停泊している大型の船はクルーズ船
ランゲル・ナロウズ
▲インサイド・パッセージ一番の難所ランゲル・ナロウズ(Wrangell Narrows)。水路の真中に岩が屹立(きつりつ)している


パンハンドル

北米の地図でアラスカ州を見ると、アラスカ本土から東南へ細長くカナダに張り付いたような部分がある。州の形を鍋に見立て、東南アラスカをその取っ手になぞらえて別名「パンハンドル」とも呼ぶ。この一帯は入り組んだフィヨルドと無数の島々から成り、地形と海岸線は複雑極まりない。1万年以上の昔からクリンギット、ハイダ、ティムシャン族などの先住民が豊かに、静かに暮らしてきた。そこではトーテムポールに象徴される森の文化とも言うべき高度な文化も伝承されている。

この有史来の理想郷が破られたのは18世紀からのロシアの侵入によってである。1825年に、当時この一帯を領有していたロシアとイギリスは領土の境を定める条約を交わした。「海岸から10リーグ(leagues)=約30マイルまでをロシア領とする」と、地勢とは裏腹にとてもシンプルな取り決めだ。そのロシアは1867年にアラスカをアメリカに720万ドルで売り渡す。

下って1903年、アメリカ・カナダ合同の測量隊が踏査し、国境の山すべてに登って現在の米加国境を定めた。地図で見ると東南アラスカの北約1/3はまっすぐな海岸線ゆえ、アメリカ領は外海(太平洋)から約30マイル幅と細く、鍋の取っ手のようにくびれている。南の約2/3の海岸線は氷河が消えた後にできたフィヨルドが複雑に入り組んだ地勢のため、外海から約100マイルのラインが米加国境となっている。

苔蒸す太古の森は岸辺まで生い茂り、背後に急峻な峰々がそびえ、長大な氷河が下ってきている。アラスカを深く愛した動物写真家の故星野道夫はその美しいエッセイの中で東南アラスカをこう紹介している。「……初めてこの土地を旅する者は、アラスカのイメージをすっかり塗りかえることになるだろう」(『長い旅の途上』)

水の回廊

「インサイド・パッセージ」はこのパンハンドルの内海を抜ける海路である。だが、この呼び方が表す範囲はまだ米加でも統一されていないようだ。カナダ側は東南アラスカのさらに南のバンクーバー島とクイーン・シャーロット島の間の海域を「インサイド・パッセージ」と称し、クルーズ船観光のコースとして紹介している。アメリカ(アラスカ)側は東南アラスカの南部2/3、ケチカンからスキャグウェイまでのフィヨルドと島嶼(とうしょ)が複雑に入り組んだ地域(海域?)を指している。内海で、狭く広く両岸が迫り、フィヨルドの迷路を結ぶような航路はまさしく「インサイド・パッセージ」という呼称がぴったりだ。いずれにしても、その2つの海域を通るこの「水の回廊」には、北西部からアラスカへと続く水上の「奥の細道」のような響きがある。

メンデンホール氷河
▲ジュノーの街の北にあるメンデンホール氷河(Mendenhall Glacier)。街に近いこともあり、観光客のみならず、世界中の氷河研究者が訪れる
ジュノーの街
▲ジュノーの街、フィヨルドの港街には坂が多い。道幅が狭いせいもあってか、なぜか日本の街並みを連想させる雰囲気がある


森と氷河、街と風土

クルーズ船観光には世界三大人気デスティネーションがある(そうだ)。陽光きらめく地中海、南国風情のカリブ海、そして墨絵の世界の東南アラスカである。「初めにクルーズ船で通ったら、次は自分の足で訪ねてください」と地元アラスカの人達は言う。海域にある数千の島は無人島が多い。日本列島の南を洗う黒潮は太平洋を横切り、最後はこの島々に突き当たって北と南に分かれる。この暖流のため、高緯度ながら気候は温暖で湿潤である。だからフィヨルド地帯特有の急峻な山が岸辺からすぐに立ち上がっているが、この辺りの森林はオリンピック半島と同じような温帯雨林となっている。ツガやトウヒの大木の林はアメリカ最大のトンガス国有林(Tongas National Forest)に含まれている。南には鬱蒼とした太古の森のミスティ・フィヨルド国定公園(Misty Fiords National Monument)があり、北には山と氷河のグレーシャー・ベイ国立公園(Glacier Bay National Park)、ランゲル-セント・エライアス国立公園(Wrangell-St. Elias National Park)がある。その温暖氷河の規模は地球上で最大級のもので、共に世界遺産に指定されている。

インサイド・パッセージのもうひとつの大きな魅力は、それぞれに趣のある美しい街─港街が点在していることである。クロンダイク・ゴールドラッシュに沸いた街スキャグウェイ。天界のような静けさと佇まいのへインズ。アラスカの州都ジュノーは坂の多い街。ロシア領時代の風景が残る美しい街シトカ。トーテム文化を現在に伝えるケチカンはアラスカ最南端に位置する。このインサイド・パッセージは春から秋が旅行の季節。夏は特に全米とヨーロッパからの観光客がクルーズ船で多数訪れ、主だった港街、すなわち各観光地は人で賑わう。

海を、車で、歩く

隊長はこのインサイド・パッセージを秋にアラスカ州営フェリーに乗って旅したことがある。濃い霧がたなびく穏やかな海を進むとクジラの群れが波間に跳ね、イルカやシャチが船とつるんで泳いでいく。霧のベールの中から現れる深い針葉樹の雨林。やがて船はしっとりと雨にけぶる港に入っていく。まるで、幽玄の世界の果てをたどるとぽつん……、ぽつんと人間界が現れ消えていくような、経験したことのない、そんな幻想的な旅景色だった。

道が切れ切れのこの「水の回廊」の旅に、あえて「船+車」のキャラバン・スタイルが有効なこともよくわかった。船にミニバンを乗せていたので船が港に寄るたびに車を出して街外れ、島の深く、山の上まで訪ねた。林道に車を停め、島の高みまで登ると、通って来た海峡が天然色の鳥瞰図で見える。

クルーズ船の旅だと、寄港して船から歩ける範囲か、バスが用意された観光地へしか行けない。だが、車が使えるとあたかも鳥になったように行動範囲が広がる。だからインサイド・パッセージを立体的な回廊のイメージで眺めながら通り来ることができたのだと思う。

余談になるが……

「クルーズ船とは違うインサイド・パッセージの旅を創りたい」。旅から戻ったら会う人ごとにそんな話をした。人の縁ができ、目下その旅を2006年5月に実行すべく企画を進めている。ゆったりと日程を取り、フェリーを使う。島々で船を下り、自然の中を歩ける島に泊まり、地元の人達と触れ合う機会を持つ。バンで回る少人数のそんな初夏のインサイド・パッセージの旅ができたら、水の回廊キャラバンの続報を書くつもりだ。これが2006年の隊長の夢である。皆さん本年もよろしく。

Information【ウェブサイト】
■アラスカ・ステイト・フェリー
「マリン・ハイウェイ」と呼ばれるアラスカ州営フェリーの公式サイト。南端はワシントン州ベリングハムから北はアンカレッジ(ウィッティア港)まで。さらにアリューシャン列島まで航路がある。
ウェブサイト:www.dot.state.ak.us/amhs/

■アラスカ観光協会
アラスカ州の観光に関する公式ウェブサイト(日本語)。
ウェブサイト:www.alaska-japan.com

■国立公園局
・ グレーシャー・ベイ国立公園
氷河観光としては世界トップレベルの景観を誇る。世界遺産。
ウェブサイト:www.nps.gov/glba/

・ ランゲル-セント・エライアス国立公園
4,000メートル級の山系と氷河から成る公園。
ウェブサイト:www.nps.gov/wrst/index.htm

・トンガス国有林
ミスティ・フィヨルド国定公園を含むアメリカ最大の国有林。
ウェブサイト:www.fs.fed.us/r10/tongass

Reiichiro Kosugi
1954年、富山県生まれ。学生時代から世界中の山に登り、1977年には日本山岳協会K2登山隊に参加。商社勤務を経て1988年よりオレゴン州在住。アメリカ北西部の自然を紹介する「エコ・キャラバン」を主宰。北米の国立公園や自然公園を中心とするエコ・ツアーや、トレイル・ウォーク、キャンプを基本とするネイチャー・ツアーを提唱している。ウェブサイト:http://c2c-1.rocketbeach.com/ ̄photocaravan