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北西航路

アメリカ・ノースウエスト自然探訪
2007年05月号掲載 | 文・写真/小杉礼一郎

北西航路は“Top of the World”と呼ばれる極北の海路。これぞ究極の「ノースウエスト」である。
暑い夏に向け、極寒の地の涼をどうぞ。

北西航路地図

北西航路を求めて

まずお断りしておきたい。これまでの自然探訪記は隊長が実際に訪れた土地を紹介してきた。今回の北西航路はそうではない。北西航路とは、大西洋から北極海沿いのカナダ群島地帯を抜け、太平洋に至る航路のことである。行ったことも見たこともあるにはあるが、それは文字通り、この場所のほんの“へり”に立ち、眺め、片足ずつ計2歩を踏み入れただけだった。だが……たぶんそれだからこそ、ずっとこの「世界の果て」は隊長を引き付けてやまない。募る思いでその周辺の北極圏を歩いた時の写真や体験と共に、書籍とウェブサイトで探訪したそれを、今月は書こうと思う。

中世のヨーロッパでは、冷蔵庫もない時代、飼料を貯蔵することも家畜を越冬させることもできず、秋に堵殺し塩漬けした家畜の肉は、春には口にするに耐えないにおいを放った。肉の味を調える香辛料は生活必需品だった。中国のこしょうは、唯一の通商路、シルクロードを運ばれてくる間にその価格は何十倍にも跳ね上がり、金と同じ価格で取り引きされた。シェイクスピアの時代、日本では戦国時代のころの話である。

当時、ようやく大型木造船を建造する技術と大洋を渡る航海術ができ上がり、欧州を中心に、いわゆる帆船による大航海時代が始まる。アジアとヨーロッパの海の通商路としては、アフリカ南端喜望峰を通る東回り航路(インド航路)ができたが、2年の航海日数と海難の危険が伴った。それでも、船いっぱいの荷物を極東から積んで戻れば巨利を得ることができる。次に、大西洋からアメリカ大陸南端を回り、太平洋へ抜ける西回り航路も取られるようになった。

東、西、いずれのルートも先発のスペイン、ポルトガルが主要航路を押さえている。後れを取ったイギリスとオランダは、なんとしても極東への第3の航路を見つけたかった。第3の航路、それは北周りでアジアへ向かうルートである。※1両国は国家事業として、航路を探すための探検隊をしばしば派遣した。それらはすべて(ほとんどすべてである)多くの犠牲者を出し、失敗する。それでも、地図の空白部分は少しずつ埋められていった。ハドソン湾の発見(1609年)、バフィン島の発見(1616年)、ベーリング海峡の発見(1728年)、そうした北西航路の探検史上最大の悲劇は、1845年にイギリス海軍が送ったジョン・フランクリン卿探検隊だった。2艘の帆船と水兵ほか総勢129名は、北極海で氷に閉ざされ越冬を余儀なくされる。船を捨て南を目指した一行は、全員が餓えと寒さの悲惨な状況の中で次々と死んでいった。その消息がわかったのは彼らが出航して14年後のことである。20世紀に入り、ノルウェーのロアール・アムンセンが北西航路の通過に初めて成功した。※2

流水
▲夏が終わると、流氷が北の海を覆い始める。これは1年氷と呼ばれ、次の夏までに消えてしまう
サンドック
▲大気中の氷の結晶により太陽光が屈折し、太陽の左右に出現したサンドッグ(幻日)と呼ばれる光。条件がそろえば上下左右で13の光が出現することも
クジラの類骨で作られたアーチ
▲北米大陸最北端の街、バローの海岸には、クジラの顎骨で造られたアーチがある。背後の海が北極海。北西航路はこの沖を通り、ベーリング海峡へと続く
ジャコウウシ
▲北極圏のツンドラに棲むジャコウウシ。アラスカ州のジャコウウシは乱獲により19世紀末には絶滅したが、戦前にグリーンランドより移入されている


想像を超える自然の力

北西航路の環境と我々の住む低中緯度との共通点は、重力と空気があるということくらい。そのほかは、我々の身の回りとは全く異なる世界。月や火星の景色のほうがまだ身近に感じられる……というのは言い過ぎだが、一面は当たっている。

まず、当たり前だけれども北西航路は海の上にある。が、そこは1年の3分の2以上は氷に覆われ、陸地へと続く大氷原である。しかもその陸地は、永久凍土(ツンドラ)で砂礫と氷の荒野である。樹木限界ははるか南であり、わずかな植物すらない荒涼とした景観が広がっている。夏は沈まぬ太陽が空をぐるぐる回り、冬は太陽が出ない。地磁気の北極点が近いのでコンパスは使いものにならない。その極磁点自体が年々移動している。電子機器も磁気嵐で狂う。だから方位を知ることが難しい。夏は日照があるため霧と雲が一帯を覆い海も陸地も閉ざされる。雲の合間を垣間見ても、目印になるような高い山もなく現在地を把握できない。そもそも現在の地図ですら間違いがあり、当てにはならない。霧のない冬はどうかというと、海は氷に覆われて船は身動きできない。地図も海図もない時代の探検者達がこの土地、海にどんな旅を強いられて来たか想像を絶するものがある。地勢上のことばかりではなく、極寒のこの地には食糧となる生き物が極端に少ない。

そんな極北の地はまた、我々には未知の自然現象を見せてくれる。それは夜空の一大ページェント「オーロラ」だけではない。空気中の水分が小さな氷の粒となってキラキラと大気が輝く「ダイヤモンド・ダスト」、幻の太陽が本物の太陽の周りに現れる「サンドッグ」、光の柱が天空に伸びる「サン・ピラー」と「ライト・ピラー」、氷原上の水面が上空の雲に黒く映る「水空」、その逆に地平線上に横たわる氷が上空の雲を白く輝かせる「氷映」などだ。

数少ない生き物も、“Top of the World”の環境へ適応している。たとえばフクロウ類は夜行性なのだが、北極圏に棲む巨大なシロフクロウは昼間でも狩りをする。なぜなら夏の北極圏に夜は来ないからである。そして狩りをする動物も狩られる側の動物も、そのほとんどは保護色、白の衣をまとっている。極アジサシを始めとする鳥類、カリブー、クジラなどの動物は、餌を求め、極寒の冬をやり過ごすための渡りの習性がある。

北極圏冬景色
▲北極圏(陸地)の冬景色。時刻は正午だ


“Top of the World”の人達

人類はすごい。この不毛の世界にも人は住んでいる。氷河期の終わる1万2千年前、ユーラシア大陸から人が移ってきた。そして、紀元前8世紀ごろ、グリーンランドからカナダ北東部にかけて「ドーセット文化」を形成し、この文化は2千年続く。やがて十世紀ごろにアラスカ州で興った「トゥーレ文化」※3は、北極圏全域(ロシア北西、アラスカ州、カナダ、グリーンランドまで)に広まった。驚くことはこの人口希薄で広大な北極圏に住む彼らが、いくつかの方言には分かれるがほぼ同じ言語を使うということである。この文化は現在の「イヌイット文化」に続いている。

近代から現代はそのイヌイット文化が存亡の危機に瀕している。南から持ち込まれた病気、欧米諸国によるクジラと毛皮動物の乱獲・絶滅。持ち込まれる物質文明と、それに吸い出されていく若者達。石油資源の発見による経済社会環境の激変。彼らを襲う波は激しくなるばかりだ。近未来の最大の問題は、止まるめどの立たない地球温暖化により、彼らの存続の根本である北極圏の氷が消失していくという脅威である。

北西部と北西航路

北西部、つまりノースウエスト(Pacific Northwest)は、アメリカでは我々の住むオレゴン、ワシントン両州を含む米北西部を指す。しかし、今回ここで述べている北西航路の“北西”とは、ヨーロッパ(つまり近世・近代における世界の中心)から見た方角である。

では日本にとって“北西”とは何を意味するか。日本列島は北東から南西へ弓状に延びる。日本には昔から地域としても意識としても見事に「北西部」というものがなかった。日本列島の北西に位置するのは日本海、その彼方には中国の東北地方(旧満州)がある。欧米の歴史上、ノースウエストは探険、開拓、進出する土地であった。日本も明治以降、北西の方角へ進出した。その結末についてはご存知の通りである。北西は日本にとって、いわば鬼門の方角である。日本人の深層意識において北西の方角についての意識が希薄であるのは、そんな背景が作用しているのではなかろうか。

北西航路探険の300年間、もし、ヨーロッパからの探検者、とりわけイギリスが西欧文明至上の考え方に固執しておらねば、幾百の人命は失われずに済んだであろう。そして300年間の努力は数十年に短縮できたはずだ。その探険の方法とは、米西部開拓時代のルイス&クラーク探検隊のように、精鋭の少人数が紙と鉛筆、天測器だけを持って、イヌイットと同じものを食べ、道案内をすべて現地の人々にゆだねるスタイルである。※4地球の中低緯度(=南)の地域では、人から人への無理押しは効いた。古今東西の人類、そうやって滅ぼされた国、民族を挙げるに十指では足りない。歴史はそれを繰り返している。しかし、この極寒の地で人は自然の力に立ち向かう術はなかったのである。

地球の温暖化は加速度的に進んでいる。米国立大気研究センター(NCAR)によると、2040年の夏には北極海の氷は消失するという。最近、それが大きなビジネス・チャンスとして注目を集めている。その理由のひとつは、北極海の氷の下にある石油・ガス田ほか地下資源が発掘可能になること。もうひとつは、北西航路・北東航路の商業利用が可能になり、ヨーロッパ~アジア間の航海日数が大幅に短縮され、世界の物流に大変革をもたらすということ。カナダとデンマークは目下、グリーンランド西岸の帰属を巡って争っている。海底資源と領土内航路(その利用には当該国の許可が必要)として、領有を双方が主張しているのである。これに対し、米国は北西航路が国際航路だと50年代から主張し、EUと日本もそれに同調している。

あと数年の内に、北西航路は世界の通商路として利用される可能性が出てきた。そのころには氷だけではない、自然と人間の多くの有形無形のものが消えていくのであろう。我々はまた、北西航路探険期と同じ轍を踏まねば良いが……。

※1 北西航路と北東航路が探られた。北東航路とはヨーロッパから北極海を東へ、ロシアの北岸沿いにベーリング海峡を太平洋へ抜けるルートである。
※2 1903~1906年、アムンセンは喫水3メートル、47トンの小艇、ヨーア号で、6人の乗組員と共に大西洋からベーリング海峡までの北西航路を初通過。アムンセンは南極点到達、両極点到達、飛行船による北極海初横断を行った最初の人物でもある。
※3 トゥーレ文化では、陸と氷上で犬ぞりを用い、アザラシ、カリブーを狩る。海ではウミアクと呼ばれるカヤックで、サケやクジラを捕る。集団で高度な狩りを行う誇り高き彼らは、自らを「人民」(=イヌイット)と呼んだ。
※4 1806年に英国のウィリアム・スコアズビーが、犬ぞりやトナカイぞりを利用して北緯81度まで到達しているが、その探検スタイルは大英帝国の国家威信にはそぐわなかったようだ。また、1974年~1976年には植村直己が、グリーンランドからアラスカまでの1万2,000キロ(北西航路の主要部をほぼカバーする)を犬ぞりを使い単独横断している。

Information

■極北の夢
ノンフィクション作家、バリー・ロペスのルポタージュ。彼は通算4年にわたり北極圏を旅行し、さまざまな角度からその地を眺め、体験した。自然事象、風土、人間への深い洞察をもって、この極寒の地とスピリチュアルなレベルまでに交感し得た著者の敬虔な姿勢が伝わってくる。
Arctic Dreams
訳:石田善彦 出版社:草思社(1993年)

■アクロス・ザ・トップ・オブ・ザ・ワールド
~北西航路の探求~

ジェームス・デルガドによる、中世(16世紀)から現代に至る北西航路の探険史をつづった力作。探険の背景を始め、自然、人文関係の解説が加わる。探険当時の地図や絵、さらに現代の地図と写真が豊富に挿入されている。
Across the top of the world –
The Quest for the Northwest Passage
出版社:チェックマーク・ブックス(1999年)

Reiichiro Kosugi
1954年、富山県生まれ。学生時代から世界中の山に登り、1977年には日本山岳協会K2登山隊に参加。商社勤務を経て1988年よりオレゴン州在住。アメリカ北西部の自然を紹介する「エコ・キャラバン」を主宰。北米の国立公園や自然公園を中心とするエコ・ツアーや、トレイル・ウォーク、キャンプを基本とするネイチャー・ツアーを提唱している。ウェブサイトをリメイク中。近日公開予定。