前回はピート・ロックでしたが、今回は私の好きなもうひとりのDJ、プレミアについて紹介します。 現在のヒップホップのキーワードは「インパクト強、セクシーな歌手の参加」に尽きるのではないでしょうか。その方向で進んでいった結果、キーワード「ジャズ」は消えました。’90年代は「ジャズ」もそうですが、「シンプル」を基盤としたヒップホップの動きがありました。その動きとして、挙げなければならない人が、ニューヨークはブルックリン、ギャング・スター(GangStarr)のプレミアです。 彼のプロデューサー業の始まりは’80年代後半。当時、大学の同級生だったGuruとコンビを組み、ギャング・スターを結成。前回のピート・ロックで私はヒップホップに開眼しましたが、彼のCDと同時に買ったのが、ギャング・スターのサード・アルバム「TheDaily Operation」(1992)でした。ピート・ロックの曲の特徴が音の豊かさによるものなら、ギャング・スターは「必要最小限の音」によるもの。そのアルバムが出た1992年は、まだ“ジャズ・ラップ”と呼ばれる東海岸特有のものが多くある頃で、その呼称はギャング・スターから始まったそうです。 プレミアの曲は、フロアで踊るために必要な音、どんなサビの音がBGMに栄えるか、そういう最小限の音による構成で、最大の効果を上げようとしています。ヘヴィ・D&ザ・ボーイズの「BlueFunk」(1992)にプレミアがプロデューサーとして加わった時、日本の雑誌による彼の紹介は「鬼のようにヒップホップ・サウンドを追求する職人」でしたが、その紹介文に偽りはありません。’90年前半の彼のサウンドの特徴として、ミニマムなだけに、足りない音の部分は客に想像させる。そうすることで足りない部分を補完し、大きな効果を上げているように思います。本人がそれを意図していたかはわかりませんが、当時高校生だった私には衝撃的でした。 ’94年、ヒップホップがひとつのピーク段階に達し、R&B、ダンス、さまざまなジャンルの音楽がそれに影響されます。一方、他人の曲に関する著作権が厳しくなって、他人の曲を使って再構成する“サンプリング”がしにくくなり、お金を持たないDJは別の方法を考えなければならなくなりました。プレミアもサンプリングを得意としていましたが、機材を変えて新しく挑んだのが、ノトーリアス・ビー・アイ・ジー(TheNotorious B.I.G.)の「Unberievable」(1994)です。サンプル曲を細切れにして、誰の曲かわからなくし、それを再構成する。その手法は当時とても評価されたようです(現シーンでは、詰めの甘い、わかりやすい使われ方がされてしまっていますが……)。プレミアはプロデューサーとしての力量がそれまで以上に買われ、アンダーグラウンドだけでなく、メジャーなところではジャネット・ジャクソン、メアリー・J・ブライジ、ジェイ・Z、ディアンジェロなどに曲を提供、もしくはリミックスの担当もするようになりました。 個人的には、プレミアの’94年以前※1が、「シンプル」というキーワードでは最高のものだったと思います。もちろん、他の専門誌では別の代表作もたくさん挙がりますが、それは「シンプル」というより、別のキーワードであると思います。彼はアフリカンな曲も作ったし、’96年以降、一時期東洋的な音源をサンプルとして使っています。それは雑誌では「ハードコア」と分類され、あまり表に出てきませんでしたが、2000年以降のメジャーな歌手の音楽に影響があると思います。’90年後半のプレミアは、そういう流れの中のひとりだったのではないでしょうか。2000年前後になって、ドクター・ドレ※2、エミネムらが「インパクト強」の影響を与え、ヒップホップが変化しましたが、プレミアのサウンドもドレ同様に“硬質なビート”の追求が顕著になります。 ギャング・スターがヒット曲「Moment of Truth」(1998)を発表し、日本へライブに来た時が、私にとって彼の初ライブでした。プレミアが思っていたよりも小柄な人で、ふたつのターン・テーブルを駆使し、クールな外見とは裏腹に熱く叫んでいた姿は今も忘れられません。彼ももう30代後半。ヒップホップに関して、どのプロデューサーよりも仕事量の多い人であるのは間違いはありません。
※1:ヘヴィ・D&ザ・ボーイズ「Here Comes The Heavster」(1992)、ギャング・スター「Flip The Script」(1992)、ナス「Memory Lane (Sittin’ In Da Park)」(1994)の3枚が秀逸。 |
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