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【私の転機】ポートランド日本人商工会 事務局長 藤本サリーさん

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シアトルやポートランドで活躍する方々に人生の転機についてインタビュー

ポートランド日本人商工会で昨年2月から事務局長を務める藤本サリーさん。令和らしく、新しい商工会を目指し、「忙しいけれど今の仕事が楽しい」と話す藤本さんに、これまでの転機を伺いました。(2024年3月)

ポートランド日本人商工会 事務局長 藤本サリーさん
藤本サリー(ふじもと・さりー)

滋賀県出身。早稲田大学法学部卒業。1987年、ロサンゼルスに移住。貿易会社での経理、製造業の翻訳通訳派遣・労務管理、オフィスマネージャー、会計・財務マネージャーなどを経て、2018年にポートランドへ。2023年2月より現職。6歳の女の子と、4歳の双子の男の子の祖母でもある。好きな食べ物は内臓系以外なら何でも。
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– 渡米の経緯を教えてください。
大学時代に知り合った留学生との結婚を機にLAに引っ越しました。でも、アメリカも(当時の)レーガン大統領も好きでなく、その上、英語は通じないし、最初の1年くらいは友達がいませんでした。図書館で友達の作り方を書いた本を読むと「まず、誰かにとっての友達になりなさい」とあったんです。ものすごい勇気を出してESLで声をかけたら友達ができました。そして2回目も成功。自分から待っていたらダメで、オープンに声をかけないといけないんですよね。自身の行動でそれに気付けたのは一つの転機でした。

– 今、商工会を率いる藤本さんからは想像できませんね。
子どもの頃は体が悪かったこともあり体育はいつも見学。一人で本の世界に没頭する、人見知りで引っ込み思案な子どもだったんです。また、進学校で大学受験に失敗し、浪人生になった挫折も転機でした。LAでも最初は一人で海を眺めていたし。今では誰も信じてくれませんが、アメリカに来て一年経ち、一人も友達がなくこのままでは駄目だと必死に意図して自分を変えていきました。

– LAでは大きな会の代表をされたとも聞きました
LAでは、食べ歩きや料理教室をする会を約10年間英語で主宰しました。とあるフレンチのシェフが始めた会で、面白そうと思いつつ、日にちが合わずに1回も参加したことがなかったんです。ある時、その会がなくなることになり、ギリギリまで悩んだ末、会が消滅する2時間前に「私が継ぐ」と立候補しました。すると、翌朝、知らないアメリカ人会員から「ありがとう」「私も手伝う」と大量のメールが来たんです。これも転機ですね。それまでアメリカ人の友達は数人しかいませんでしたから。勇気が要ったけど、一歩踏み出すと全く違う景色が待っていました。ここは、自分から手を挙げる人を応援してくれる国で、英語がネイティブでない無名の日本人のおばちゃんがいきなり出てきても、知らない人たちがたくさん応援してくれてうれしかったです。友達のいない寂しさは十分知っているし、私も友達が欲しかったから、初めて来た人には特にケアしました。すると1度来た人が次には友達を連れてきて、会員は多い時で1800人ほどになりました。

– これまでお仕事では、どのようなことをされてきたのですか?
日本では司法試験を目指していたのですが、うまくいかずに外資系企業へ就職。渡米後は補習校の教員、貿易会社の経理、日系自動車工場への通訳や翻訳者の派遣などの仕事をしていました。日系企業だけでは英語が上達しないため、米系企業にも清水の舞台から飛び降りるつもりで転職。いくつかの会社の中でもプロパティー・マネージャー職の仕事範囲は広く、社がビバリーヒルズに保有する無声映画時代からの古い映画館を歴史的建造物にすべく市に働きかけ、市の委員会と市議会で可決後修復作業チームを主導したのは良い思い出です。これまで、会計、総務、人事、保険、不動産管理、翻訳・通訳、役所との交渉など、理系の仕事以外なら大体やったと思います。

– どのような経緯でオレゴンに来たのでしょう?
会社を辞め、フリーで働こうと考えていた2018年、次男夫婦が「ポートランドに引っ越すから一緒に住まない?」と呼んでくれたんです。孫の世話をして家事を助けながらフリーランスで翻訳をしていました。数年後、次男一家は他州で暮らすことになり、私はLAに帰りました。でも、ようやく友達ができ始めていたし、自然はきれいだし、後ろ髪を引かれる思いはあったんです。そこでLAとポートランド、両方で仕事を探し始め、今の仕事に出会い、また戻ってこられたというわけです。

– 現在のお仕事はいかがですか?
最初に仕事内容を提示された時は、あまりに幅広く、自分に務まるか非常に不安でした。でも、実際に始めた今、この仕事との出会いにとても感謝しています。これまで離婚後の生活のため、その時々で目の前に出てきた仕事を必死でこなして、一つの場所に定着できませんでした。事務局長となり、「これはやったことがある」「この分野は知っている」「スピーチ?あの時のイベントを思えばできるはず」と、ローリングストーンだった私の経験が全て生きています。還暦を過ぎ、ようやく天職に出会えるとは思いもしませんでした。選んでくださった理事会の皆さまには感謝の気持ちしかありません。

– 今後の商工会としての目標は?
決済手段の電子化など令和風に少しずつアップデートしていきます。コロナ禍を経て人々の意識に変化が出たこともあり、補習校も商工会も時代に合わせた運営が望まれています。また、運営スタッフは女性ばかりで、一生懸命仕事をしてくれます。私も子どもを抱えて働く母親だったので、スタッフたちが家庭のことをしつつ、仕事を続けられる環境を用意してあげたいですね。今はこのメンバーと働くのがとても楽しいです。

ポートランド日本人商工会 事務局長 藤本サリーさん
▲「スタッフは子どものように大事。現在の仕事は、皆のお父ちゃんになった気分です」と話す藤本さん。日系人墓地清掃にも商工会としてボランティア参加しています。
 
*情報は2024年3月現在のものです

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