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【私の転機】株式会社プレンティーUSA 代表取締役社長 米田 純さん

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シアトルやポートランドで活躍する方々に人生の転機についてインタビュー

今春、ベルビューにオープンした、らーめん山頭火。CEOの米田さんは、 東北楽天ゴールデン・イーグルスの元球団代表です。球界からアメリカでラーメン店を開くまでの転機を伺いました。(2014年6月)

株式会社プレンティーUSA 代表取締役社長 米田 純さん
米田 純(よねだ・じゅん)
86年、株式会社西武百貨店に入社。2003年、楽天株式会社に入社。04年、楽天球団準備室を経て、株式会社楽天野球団取締役チーム統括本部長兼球団代表就任。12年、山頭火の海外事業開発を行う株式会社プレンティー執行役員就任。13年、株式会社プレンティーUSAを設立。14年3月楽天野球団取締役退任。同年、山頭火ベルビュー店開店。

子どもの頃は野球少年で、大学まで続けました。西武のスポーツ用品店で働きたくて西武百貨店に入社しましたが、紳士服の部署へ配属され、4年目に販促やプロモーションの部署へ。以来、マーケティング一筋です。営業分析で数字に携わったことは、事業を始めた今、役立っています。
 
野球との付き合いは常にあり、仕事の傍ら、少年野球や大学チームのコーチしたこともありましたし、仕事でも、西武ライオンズを使ったプロモーションやイベントは全部引き受けていました。
 
西武は好きでしたが、01年からそごうとの合併話が出てモチベーションが下がったこと、熱望していたライオンズへの異動が叶わなかったこともあり、03年、楽天に転職。西武と同じ小売りの業態にITが組み合わさった同社には、創業当時から注目していたんです。

– まさかのプロ野球参入と 新しい出会い 
入社してすぐに野球部を作りましたが、転職時はプロ野球の話なんて全くなかったんです。そこに降って湧いたような楽天のプロ野球参入の話。転機が来たなと思いましたね。「社内で野球と言えば米田。野球経験も長いので準備室の立ち上げを」と社長室から辞令を受けました。
 
そこからが大変です。球場もなければ、選手、監督もいない。全てゼロからのスタートでしたが、晴れて04年11月に東北楽天ゴールデン・イーグルスのプロ野球新規参入が決定し、それから約8年間チームに携わりました。
 
山頭火社長の菊田さんは、チーム代表と地元企業の社長という立場で06年頃に出会ったんです。山頭火は04年にアメリカ1号店を出し、積極的に海外進出を始めていた頃。西武時代からのなじみの店が海外展開しているとあり、興味がありましたね。菊田さんとはそれから親しくなり、いつか一緒に仕事をしようと話すようになりました。

また、自分の子どもが成長する中で、今後の日本の若者や経済のことを考えるようになり、海外へ新しい道筋を作りたいと思うようになりました。日本が海外で勝負できるものの1つが食です。外食ビジネスは、今まで携わってきた一般消費者向けビジネスでもあるので、自分にもできる可能性を感じました。2年ほど前から菊田さんと海外の食文化事情を見て回るようになり、その可能性は確信に変わっていったんです。

– 野球とラーメンの共通点 山頭火の今後  
周りの人はラーメン屋を始めたことに驚きますが、野球もラーメン屋も同じです。野球はプレーを見せる選手と、それに魅了されるお客さんがいます。山頭火は、おいしいラーメンを作るスタッフと、それを食べるお客さんがいます。僕は代表として、選手(=スタッフ)を獲得・育成し、良いパフォーマンスのために何ができるか考える。現場を支える意味では野球界でやってきたことと似ています。
 
3年で世界に6、7店の出店が目標です。シアトル2号店はもちろん、ヨーロッパ、アフリカ、南米にも進出したいです。どの国でも1杯のラーメンでお客さんに幸せになってもらいたいですね。

株式会社プレンティーUSA 代表取締役社長 米田 純さん
▲ 09年、ブラウン監督の就任会見(右が米田さん)。前年度にチーム設立4年でCSで2位となった
 
*情報は2014年6月現在のものです