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【私の転機】Great Rice共同経営者 ヒルマン・理恵さん

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シアトルやポートランドで活躍する方々に人生の転機についてインタビュー

山形県のふるさと納税の返礼品として、人気ナンバーワンを誇るサンエイファームのお米。そのおいしいお米のアメリカへの輸入を手がけるのがヒルマン理恵さんです。転機を伺いました。(2022年6月)

Great Rice共同経営者 ヒルマン・理恵さん
ヒルマン・理恵(ひるまん・りえ)

愛知県名古屋市出身。1996年、留学のため渡米。卒業後、結婚。1999年、シアトルのStarbucks本社に就職し、ストアデザイナーとしてTsutaya Shibuya店のデザインなどを手がける。2児の出産・子育てを機に退職。2021年3月、山形県のサンエイファームの米を輸入販売するGreat Riceを創業。好きな食べ物はステーキ。https://greatriceus.com

プロゴルファーを目指していた20代前半、これが最後と挑んだプロテストを数打差で突破できず、引きこもってしまいました。将来に悩んでいた時、偶然目にしたチラシを機に留学を決意。お金を貯めてシアトルに来ました。英語を学んだ後、CADを専攻したのは、日本で建設業を営む父の力になりたいと思ったからです。ところが、卒業目前に、友人から「日本語がペラペラのアメリカ人がいる」と、後に夫となるルークを紹介され、出会って1カ月で結婚を決めてしまいました。

ルークは山形県で9代、約400年続く米農家の工藤さんの家で4年もホームステイをして、学業の傍ら、農作業を手伝っていたとか。私の両親に結婚の挨拶をした後「僕の日本の両親にも挨拶してほしい」と言われて工藤さん宅へ。以来、家族ぐるみのお付き合いが始まり、たびたび日本で工藤さんのおいしいお米をいただくようになりました。

– 娘と兄がくれたビジネスのきっかけ
卒業後はStarbucksに店舗デザイナーとして就職。その後、娘2人の子育てを機に退職しました。私が子どもの頃、両親は多忙で、家ではいつも兄と二人きり。その反動からか、私は子どもと一緒にいたかったんです。

2017年、次女が日本の芸能界を目指したいと言うので、サポートのために長女と3人で日本に引っ越しました。そして19年「これでダメならシアトルに帰って、また家族4人で暮らそう」と次女を最後のオーディションに送り出すと、なんと合格したんです。彼女は事務所の宿舎に入り、思いがけず14歳で巣立ってしまいました。

そして、その数カ月後、兄が50歳で亡くなりました。身近な2人が目の前から急にいなくなり、落ち込んで、また引きこもってしまって…。

でも、会社経営者として志半ばで逝った兄を思うと、私は残りの人生で何かしなければと徐々に思うようになりました。喪失感が転機になったんです。私が社会にできることを考え、工藤さんのお米をアメリカで販売しようと思い付きました。工藤さんの営むサンエイファームのお米は日本で非常に人気があり、リピーターが多いのです。山形県の気候と土壌に合わせた品種で、県のふるさと納税の返礼品としてもダントツの人気。娘と日本で暮らした間、さまざまなお米を食べ比べましたが、やっぱりサンエイファームが味も香りも一番で、アメリカで食べられたらどんなにいいかと思っていたんです。工藤さんは過去にシンガポール進出が上手くいかず、海外での販売を諦めていたので、この提案に大喜びで、そこから起業まではあっという間。長女が大学でイキイキと学ぶ姿や、次女がステージで活躍する姿に励まされ、今年、開業できました。

– 工藤さんのお米をアメリカで伝えたい
Starbucksで働いてた時、ハワード・シュルツが社員に向けて「事業を始めた頃、周囲から『こんなに高いコーヒー、誰も買わない』と言われたけれど、こんなにおいしいコーヒーが売れないわけがないと信じていた」と言っていました。同じように、工藤さんも、夫も私も、こんなにおいしいお米が売れないわけがないと信じています。山形県の雪解け水で育ったお米のおいしさが、アメリカで広まるといいなと思っています。

Great Rice共同経営者 ヒルマン・理恵さん
▲昨年、久々に家族水入らずの時間を過ごした理恵さん(左から2番目)。ルークさん(左)はお米について学ぶため、近々山形へ行く予定です。
 
*情報は2022年6月現在のものです

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