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ワシントン州と日本(コラム)

グレーター・シアトル貿易開発連合・副会長 サム・キャプラン氏がワシントン州と日本との関係、日本との経済的な関わりを親しみやすく、そして分かりやすく届けます。(2003年)

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シアトルにおける日本文化について

(2003年5月)

シアトルと日本の結び付きは、絹や木材の貿易が始まった1890年代にまでさかのぼりますが、この国際的なつながりは輸出入だけでなく、芸術、庭園、教育のほか、さまざまな文化にまで及んでいます。

シアトルにある「歴史産業博物館(MOHAI)」では近頃、シアトルにおける最初の近代画家であるTanaka Yasushi氏の作品を入手しました。MOHAIの説明によれば、彼は日本で生まれて1904年にシアトルへ渡り、シアトル公共図書館の本を利用して絵画を学んだということです。そしてシアトルで成功を収めた彼は1920年にパリに移住し、その結果、彼の名声が日本で伝えられることになりました。

芸術面での結び付きは今日まで続いています。「シアトル美術館」の日本コレクションは全米トップ5のひとつとされ、日本国外では最も素晴らしい作品のうちに入ると言われています。その広範囲にわたる所蔵品の顕著な例には、墨絵や書道、仏像、金属細工や民族的な織物などが挙げられます。

また、美しい山々やこの地域周辺にある湖や川など、屋外の芸術もシアトルが持つ最高の宝のひとつでしょう。自然美が作り出す静けさは、日本庭園に取り入れられていますが、ここシアトルにある日本庭園は最高級の庭園のひとつです。「シアトル日本庭園」は「ルース・庭園」社が発行する『ジャパニーズ・ガーデン・ジャーナル』誌が選んだ日本国外の300庭園のうちのトップ10の中に挙げられています。

それから“打撃の芸術”というのも見逃せません。そう、シアトルでは過去3年間、バットを使った芸術家・イチローを見られるという、うれしいチャンスに恵まれているのです。またその喜びは当地に好景気をもたらすという形でも現れています。イチローをはじめとするシアトル・マリナーズの日本人選手による経済効果は、過去5年間で約1億ドルと見積もられています。

シアトルの重要性を表すほかの例もあります。「兵庫経済文化センター」がシアトルにあることは、日本の文化と芸術の結び付きの象徴とも言えます。同センターの役割は行政・商業、そして文化面での強い関係を継続して育成することで、ここではさまざまなプログラムも実施されています。

また、同センターの仕事が円滑に進むようになってきているのは、日本文化と芸術がシアトルの日常生活に反映されているからでしょう。つまり美術館や劇場、レストランや庭園、そして野球といった形で私達の身近にあるからなのです。1904年のTanaka氏から2003年のイチローまで、シアトルと日本の文化的なつながりは、数々のヒットを放ち続けているのです。

シアトル周辺と日本をつなぐ姉妹都市関係

(2003年8月)

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シアトル市と神戸市が姉妹都市関係を結んだのは、アイゼンハワーがアメリカの大統領だった1957年。その当時、シアトルにはモノレールやスペース・ニードルはなく、神戸にも山陽新幹線は走っていませんでした。

しかし日本がワシントン州の最大貿易相手国であり、19世紀から、長期にわたってお互いの関係を深めてきた事実をみれば、シアトル市が最初に姉妹都市関係を結んだ都市が日本の都市だったことは、単なる偶然ではないでしょう。シアトル市と神戸市の関係はとても独特なものです。

1995年に神戸市を襲った阪神・淡路大震災の際、シアトル市は神戸市救済のための特別部隊を結成しました。そして、2001年に同じようにシアトル市で地震が起きた時、シアトル市が一番先に受けた国際電話は、援助を申し出る神戸市からのものでした。

両都市には、港があること、イチロー選手がホームチームに所属するなど、いくつかの共通点があります。シアトル市で生物医学の研究が急発展する一方で、神戸市では「神戸医療産業都市」というプロジェクトを始め、生物医学に関する、独自の研究やビジネスの場の開発に重点がおかれています。さらに、シアトルにある「スウェディッシュ・メディカル・センタ-」は神戸市の医療組織と医療専門知識を交換するプログラムを実施しています。

姉妹都市関係に加えて、神戸市は1991年からシアトルに「神戸市貿易事務所」を置き、ビジネスや友好関係、神戸市とアメリカ各都市との国際交流などを促進しています。また同所は神戸市との交易に興味を示す企業・個人も援助しています。

シアトル港と神戸港の姉妹関係も、例えるなら両都市の姉妹関係が織りなすタペストリーを構成する1本の糸と見なせるでしょう。昨年7月には神戸市の矢田立郎市長率いる40名の一行がシアトル市を来訪、そして今年の初めには、グレッグ・ニッケルス市長率いるシアトル市からの派遣団が、姉妹都市関係締結45周年を祝うために神戸市を訪れました。

シアトル市と神戸市の姉妹都市関係は、もちろん数あるグレーター・シアトル圏で結ばれた日本の都市との姉妹都市関係のひとつにすぎません。実際に圏内にある8つの都市や港が同様の関係を結んでいます。

タコマ港は北九州港と姉妹港関係にありますが、それは1959年にタコマ市が北九州市と姉妹都市関係を締結したのに引き続いてのことです。そして今、タコマ市のウォーターフロントには1989年に北九州市から受け取ったステンレス製の記念碑が建っており、北九州港から出荷された多数の製品がワシントン州内の港を通じて取引されています。

ベルビュー市は1969年から大阪府八尾市と姉妹都市関係を結び、1971年にはベルビュー市に「八尾日本庭園」ができました。またケント市は、兵庫県柏原市と、レントン市は兵庫県西脇市と、タクウィラ市は徳島県井川町と姉妹都市関係にあります。

こういった姉妹都市や姉妹港は互いの交流を活発にし、貿易や文化的な結び付きを作ります。姉妹都市関係を結ぶことはビジネスを成立させる上で有益な方法でしょう。タクウィラ市とケント市の市長もこの2年間に派遣団をそれぞれの姉妹都市に送っています。このような活動をみると、グレーター・シアトル圏と日本はまるで幸せな大家族のようではありませんか?

ワシントン州と兵庫県の姉妹関係40年を記念する行事

(2003年9月)

このコーナーでは、ワシントン州と日本の間で結ばれた、多くの長期にわたる関係について学んできましたが、そのうちのひとつ『ワシントン州と兵庫県の姉妹都市関係』の40周年を記念する行事が先月、盛大に行われました。この慶事を祝うために、兵庫県からは井戸敏三知事を代表とする同県の企業と行政関係者200人がシアトルを訪れました。

州と県の関係ではアメリカ最古となるこの友好関係は、1963年、当時のワシントン州知事・アルバート・ロゼリーニにより、友好関係と相互理解を促進するために提案されました。この40年間、ビジネスや市民レベル、また文化・教育・スポーツ・芸術の面で交流を育み、事実、日本は現在ワシントン州の最大貿易相手国でもあります。

井戸知事は訪問中、ワシントン州のゲーリー・ロック知事と面会したり、シアトルで開かれた兵庫県への投資に関するセミナーの司会も務めました。そのビジネス・セミナーは兵庫県庁、阪神・淡路産業復興推進機構、日本貿易振興会の主催でシアトルのウェスティン・ホテルで開催され、地元の企業と兵庫県のトップ企業数社の交流の場となりました。井戸知事がセミナーの口火を切り、神戸港を始めとする兵庫県のビジネス上の利点を説明しました。また、関西電力株式会社と三ツ星貿易の代表者もプレゼンテーションを行いました。

グレーター・シアトル地域の企業が何社かの日本のトップ企業の代表者と個別に会う機会もありました。日本側の参加企業には住宅建設や建築素材の輸出入をする三ツ星貿易株式会社、魚油や魚類関係の製品を生産する日興油脂株式会社、環境に関係する製品を生産する明興産業株式会社、測定装置やセンサーを製造する株式会社ユニオン・エンジンニアリングなどの顔ぶれが揃いました。

もちろん、野球関連のビジネスも今回の視察の重要な旅程のひとつに組み込まれており、代表団は『神戸デー』として8月2日に行われたシアトル・マリナーズのゲームにも参加しました。
その試合では井戸知事が始球式を務め、マリナーズを勝利に導いた日本人選手、長谷川滋利投手やイチロー選手の活躍を観戦しました。

また代表団は滞在中に、シアトル・センターで行われた兵庫県立劇団によるパフォーマンスやポート・タウンゼンドでの国際親善バーベキューも楽しみました。

ビジネス・文化・食といったあらゆる側面から関係の断片が見られたこの週はまた、40年にもわたる関係をさらに続ける歴史の1ページとなりました。


▲ワシントン大学のミニー・ホールで行われた『兵庫県・ワシントン州共同声明調印式』

写真提供:Hyogo Business & Cultural Center

ワシントン州の日系企業

(2003年10月)

日本がワシントン州の最大貿易相手国だということは、以前にもお話ししましたが、 では、日本と毎年26億ドルの商取引をしている企業には、一体どんな所があるのでしょうか?

“国際ビジネス”“日本”というキーワードからは、いくつかの企業名がすぐに頭に浮かんでくるでしょう。『ボーイング』社や『マイクロソフト』社はもちろんですが、実は世界的に有名な企業は多数あるのです。『バローズ出版』が発行する『ワシントン州国際取引要覧(The Washington International Trade Directory)』によれば、そのほか600種以上のビジネスが日本と貿易関係にあるのです。

この『ワシントン州国際取引要覧』は、国際ビジネスを行っているワシントン州の会社が一覧表になっていて、国際市場と産業の種類とを照らし合わせて、調べることができます。また、小規模な製造業から専門的なソフトウェア業、シーフードの輸出を営む企業など、すべての分野の産業やビジネスが網羅されています。ソフトウェアやコンピューター関連企業を見ると、ワシントン州には『マイクロソフト』社以外に、少なくとも33の企業が日本と取引をしています。

これらのソフトウェア会社は、総計で毎年約50億ドル相当の製品を日本に輸出しています。例えば『リングイスツ・ソフトウェア(Linguist’s Software)』社は日本語フォント用のソフトウェアを開発していて、外国語フォント開発に関しては、アメリカ国内でも主要企業のひとつです。同社が1984年にシアトル北部のエドモンズに拠点を置いたことは、近代の“コンピューター時代の幕開け”を意味していたのです。

グレーター・シアトル圏に2,000社以上のソフトウェア会社があるということは、あらゆる種類のソフトウェアを開発するビジネスが存在するということでもあります。『アドバンスド・マリン・テクノロジー(Advanced Marine Technology)』社はコンピューターを使って、海洋電気を作り出しました。『パシフィック・ソフトウェア・パブリッシング(Pacific Software Publishing, Inc.)』社は、英語のソフトウェアの翻訳や日本語へのローカリゼーションをしていて、この会社のパートナーには『大塚商会』『日立』『三菱』『コクヨ』などがあります。

もちろんこれ以外にも、多様な業種が日本と関わりを持っています。『セージ・マニファクチュア・コーポレーション(Sage Manufacture Corporation)』は、フライ・フィッシングの道具のデザインや製造を行い、長年、釣り竿やリールの輸出をしています。しかし同社も、日本と関係のある漁業関連企業21社のうちの1社にすぎないのです。

また、逆にワシントン州から日本に上陸した卸売業や小売業もたくさんあります。グレーター・シアトル圏で最も成功した卸売店のひとつ『コスコ(Costco。日本名『コストコ』)』は、1999年5月にアメリカと同じスタイルの店を福岡にオープン、さらに2000年の12月に千葉県幕張に2号店をオープンさせました。ワイン・メーカーの『ホーグ・セラーズ(Hogue Cellars)』社はプレミアム・ワインを日本市場で販売しています。

もちろんワシントン州にある多くの会社が、日本からさまざまな製品を輸入したり、サービスを受け入れたりしていますが、この貿易関係の広がりや深さは驚くべきものです。『ワシントン州国際取引要覧』には、『AAAリキュデーティング(AAA Liquidating)』 社から『ザッポーネ・マニュファクチュアリング(Zappone Manufacturing)』社まで文字通り、A~Zのアルファベットで始まる企業名が連なっています。かつて有名野球選手ケーシー・スタンゲルが”You could look it up.”と言ったように、この本を使えばさまざまな企業を確認することができるでしょう。

グラフ

●文・グレーター・シアトル貿易開発連合・副会長 サム・キャプラン氏
Sam Kaplan Vice President, Trade Development Alliance of Greater Seattle

Trade Development Alliance of Greater Seattle
グレーター・シアトル貿易開発連合

貿易振興の活動を通じ、当地域を北米第一の貿易の窓口、並びに商業中心地にするために貢献している組織。キング郡やスノホミッシュ郡大都市圏、シアトル市、エベレット市、シアトル港湾局、タコマ港湾局、シアトル商工会議所、そして労働関係団体と公私に渡り提携関係を結んでいる。

ウェブサイト:www.seattletradealliance.com