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前田伸二さん(パイロット)|隻眼のパイロットが単独世界一周に挑戦

約20年前、事故により右目の視力を失い、日本でパイロットになる夢を断たれた前田伸二さん。その後、アメリカでパイロットの免許を取り、現在はシアトルで飛行教官として活躍しています。そんな前田さんが、2021年5月、プロペラ機で世界一周に出発。出発直前の前田さんにお話を伺いました。(2021年5月 / 写真 Yoshiyasu Fujii)

アメリカ、日本、世界に羽ばたけ!隻眼のパイロットが単独世界一周に挑戦

パイロット前田伸二さん

▲ パイロット前田伸二さん
まえだ・しんじ◎1979年生まれ。北海道出身。パイロットを目指していた大学生の時に交通事故で右目の視力を失う。大学卒業後に渡米し、エンブリー・リドル航空大学、航空安全危機管理修士課程を修了。2005年に双発計器飛行付自家用操縦士免許を取得し、17年に飛行教官となる。現在は、航空機製造会社に勤務しながら、夢を持つことや人を愛することの大切さを伝える講演活動「Aero Zypangu Project」に尽力している。

単独世界一周/アースラウンダー旅程

パイロット前田伸二さんの飛行/旅程

ーそもそも、前田さんが世界一周を目指したきっかけは?
前田さん(以下前田):東海岸のパイロット、エイドリアン・エイコーンが、2016年に1962年製の飛行機で世界一周に成功して度肝を抜かれました。この飛行機は当時の技術者の知恵と工夫が詰まっていて、部品を替えれば、今でも世界一周ができる機体なんです。航空関係者として、今昔の技術を継承して飛びたいと思いました。幸運にも、彼と同機種が入手でき、世界一周に向けて改良を始めました。でも、初めは周りの人に信じてもらえなくて。最初、世界を一周すると1000人以上に伝えた時、良い反応をくれた人は1割くらいでした。でも自分には味方が100人もいると思い、準備を始めました。

ーそのプランがどのように実現する運びになったのですか?
前田:19年、父が病気発覚から1カ月で急死しました。入院中の父に「お前が事故で瀕死になって、片目の視力も失ってパイロットの夢を断たれたとき、親として何もできなくて後悔している。入院して当時のお前の気持ちが少し分かった今、俺には希望がほしい」と言われ、アメリカで夢を実現した自分の経験を伝えるために世界を飛ぶと約束したんです。ここで覚悟が決まりました。そして父の死後、エイドリアンのサポートを得られたことで一気に準備が進みました。

ーパンデミックで前田さんの計画は変わりましたか?
前田:昨年5月の出発予定を1年延期しました。各国の状況が刻々と変化する中、当初とはルートも変わっています。一部の航路は未定のまま出発し、状況に応じて進路を決める予定です。また、コロナの自己検査キットや消毒道具を積むので、荷物が増えてしまいました。ただ、延期のおかげで北極に飛ぶエイドリアンと、アメリカからアイスランド(またはノルウェー)まで、編隊飛行ができることになったんです。さらに、日米の飛行士が古い同じ機体で編隊とは奇縁で酔狂だと、AOPA(世界最大のパイロット団体)が壮行会を開いてくれることになりました。もちろん「もっと延期したら?」との声はあります。でも、この1年で、当たり前のことや、当たり前に会えた人が、あっという間に消えてしまうことを経験しました。だからこそ、今、この瞬間にできることを精一杯やるべきと思い、出発することにしたんです。

ー今回のフライトは、どのようなところが難しいのでしょう?
前田:例えるならフルマラソンみたいなものでしょうか。旅客機の運航は、パイロットのみならず、大勢のスタッフで成り立っています。でも、私は、点検、天気の確認、給油、積荷のバランス、ルートの設定、管制官との交信、全てを1人で行います。そしてこの一つ一つに自分の命がかかっているわけです。

ー当初は行った先々で、講演をする予定でしたね?
前田:少なくとも日本では講演を行いたいですが、現時点では何とも言えません。でも、一度は死にかけた私が空を飛ぶことや、日米のパイロットが並んで飛ぶことで、少しでも誰かに勇気を与えられたらと思います。いずれは改めて報告会を開きますし、将来の講演でこの経験は伝えていきます。

ー最後に一言お願いします。
前田:準備は万全。今、非常に安定した気持ちで出発を待っています。では、行ってきます!

ビーチクラフト社製ボナンザ
ビーチクラフト社製ボナンザ
愛機ビーチクラフト社製ボナンザに乗る前田さん。

世界一周の様子は、こちらに逐一アップされます。
Facebook: www.facebook.com/aerozypangu
YouTube: https://bit.ly/3dmVJ6C

*情報は2021年5月現在のものです