シアトルの生活情報&おすすめ観光情報

「Inside Passage Tour」隊長の報告③

アメリカ・ノースウエスト自然探訪
2013年10月号掲載 | 文・写真/小杉礼一郎

海と深い森が東南アラスカの街々を孤絶している
人々の結びつきの濃密さが人口の希薄さを埋めている
みな話好きだ。それぞれに自分と家族の物語がある
米本土で失われていったものがそこには残っている

インサイド・パセージ▲どこまでも続くインサイド・パセージの静かな内海。フェリーのデッキから沿岸の山々を望む

ヤン

ヤン(Jan)一家はジュノーから船で4時間のガステイバス(グレイシャーベイへの入口)でBed and Breakfast(B&B)を営んでいる。彼に会うのが楽しみだった。こちらが2、3行のメールを送ると、ヤンから2、3ページ分の返事が返ってくる。隊長がジュノーからのフェリーの欠航で困っていると、彼から電話が入った。「俺がボートでジュノーへ行くからそれに乗っていきなよ」。聞いたことのない英語だが声に人間味がにじんでいる。こうして、ジュノーのふ頭でヤンと初めて会った。買い出し荷物満載の船に乗る。リンカネルを横切り、はえ縄漁をしている一隻の漁船に近づくと、ヤンは両手をメガホンにして大声で「サーモンを売ってくれ」と叫んだ。「チャムならある。何匹欲しい?」「2匹。いくらだ?」「20ドル」「OK」「船は止められない、寄せろ」というやり取りのあと、ヤンは巧みな操船で漁船の前に船を並べ、今夜の食材をゲットする。

家に着くとヤンはテキパキ夕食を作りながら話す。いわく「俺はポーランドでトラブルメーカーだった。国を追い出されたんだ」。彼の祖国は70年代から、民主化運動、ソ連の崩壊、EU加盟と激動の時代を経てきた。ドイツのレストランで働き、ヨーロッパを転々とした後、ハワイに来た。色んな仕事をし、潜水士になり、結婚し、ハワイからヨットに家財一切を積んで一家でアラスカのシトカへ渡って来て、その後、まだ未開で自由なこのガステイバスに住みついたそうだ。潜水夫の仕事は危険だが実入りも多く年収の大半はそれで稼いでいる。家族は6人。B&Bは、おしゃべりをするための趣味だという。彼はまるで商売っ気がなく面倒見がいい。宿代はガステイバス一安い。「高いと思われたくないから(B&Bでなく)ホステルとして案内している」。だが、実際は居心地のいいB&Bだ。

ヤンの話には興味が尽きない。憎めない素朴なポカもする。何より人間の魅力に溢れている。グレイシャーベイは真に素晴しい国立公園。このB&Bはまた訪れたい宿、ヤンはまた会いたい人である。

ボブ・サム

ボブは墓守。「時代を回転させた墓守である」と星野道夫のエッセイで紹介されている。そのシトカの墓地を隊長は訪れていた。一人の男がやって来て聞く「Are you Japanese?」。星野道夫の本を読んでここに来たのだと話すと、「私はボブ・サムだ」と言う。ここは彼の職場なのだ。

翌朝、彼の行きつけのカフェで話をした。日本のこと、いつか何か一緒に旅のコラボをやろうという話…。バリトンの渋い声、よくわかる英語。話のテンポはすごくゆっくりだが、やがて発せられる一言で芯をつかむ話術が見事だ。

午後には墓の掃除を手伝った。19で亡くなった日系女性の墓とボブのお祖父さんの墓を水洗いした。彼は20年もこの墓地を手入れしながらお祖父さんの墓はずっとほったらかしていたようだ。何人も分け隔てなく弔う気持ちを彼は持っている。「心のベースが自分のものなら宗教が何だって同じだ」と言う。墓掃除を終え、あちこちを蚊に刺されながらまた話をした。話は星野道夫に戻ってゆく。

そして「ミチィオ…」と

トウヒの木々の間に絞り出すような声でボブは低く叫び、そして続けた「I still miss him」。彼が感情をあらわにするのを2日目にして初めて見た。ボブはミチィオとのことを話す。

「晩年の2、3年間にアラスカと米北西部のあちこちを一緒に旅した」。「ポートランドのパウエルズブックスも、シトカのオールドハーバーブックスにも、ジュノーのオブザベイトリーブックスへもよく行った。ミチィオは本屋が大好きだった」。氷河の上で夏にオーロラを見たエピソードなど話は止まらない。星野が逝って17年、ボブの悲しみは続いている。あるいは2人の魂は今も通じ合っているようだ。

このインサイド・パセージの旅で星野道夫のエッセイに登場する場所を訪れ、作中人物とも会うことができた。隊長はまるで星野道夫自身とも会ったような気がしている。

忘れえぬ人々

このほかにも多くの人と会った。アラスカ本土では旧知の人たちとも偶然や必然に再会したりもした。新しい友もできた。それぞれのアラスカ・ストーリーはやはりとても興味深かった。大きく厳しい自然に向き合って暮らす人たち。その強さ、弱さは、人の絆を強くする。それがよくわかった。50日間は長かったが、本当にゆっくりと旅することができた。

インサイド・パセージの旅は狭あいな水路(犬の声が聞こえ、船と陸とでキャッチボールができるほどの)を船で通る旅。そこの家々の前庭裏庭を眺め、たたずまいや、住む人々の息づかいを感じながら行く旅である。 

 

グレイシャーベイ国立公園に一番近いB&Bのあるじ、ヤン
▲グレイシャーベイ国立公園に一番近いB&Bのあるじ、ヤン。帰宅途中に仕入れたチャムサーモン(白鮭)を焼く。ドイツのレストラン仕込みというだけあって実に手際よく料理を作る。そしておいしい
星野道夫をオマージュしたトーテムポール
▲シトカ郊外の公園に立つ星野道夫をオマージュしたトーテムポール。海に向かって、あるいはエッジカム山(Mt. Edgecome)を向いて、あるいは日本を向いている。手にしているのはカメラのレンズという設定
リトル・ノルウェイ・フェスティバル
▲ピータースバーグで毎年5月に行われるリトル・ノルウェイ・フェスティバル。ノルウェイの伝統衣装で正装した母娘
ジュノー 古本屋オブザベイトリーブックス(Observatory Books)のあるじ、デイィ(Dee)
▲ジュノーのフランクリン坂にある古本屋オブザベイトリーブックス(Observatory Books)のあるじ、デイィ(Dee)。星野道夫のエッセイ『海流』の舞台である


墓守りボブ・サム。クリンギット族の語り部かつリーダーとして長く伝わってきた神話を伝承
▲古い墓地の墓守りボブ・サム。クリンギット族の語り部かつリーダーとして長く伝わってきた神話を伝承する 
アラスカ 息子に釣りを教えている父
▲息子に釣りを教えている父。アラスカで釣りとハンティングはもう「州技」に近い。実際そういう環境にある。ジュノーの街から車でほんの5分足らずの海岸にて

Information

ワイルド・アラスカ・イン
グレーシャーベイ国立公園の玄関口ガステイバス(Gustavus)にあるヤンが経営しているB&B。
www.glacierbay.biz

■星野道夫
アラスカの自然を撮り続けた動物写真家・エッセイスト。インサイド・パセージが舞台の主なエッセイは『長い旅の途上』『旅をする木』『ノーザンライツ』
www.michio-hoshino.com

■ボブ・サム
クリンギット族の神話の語り部ボブ・サムのウェブサイト(日本語)
http://bobsam.jimdo.com
■オブザベイトリーブックス
ジュノーにあるデイィの古本屋
www.observatorybooks.com

(2013年10月)

Reiichiro Kosugi
54年、富山県生まれ。学生時代から世界中の山に登り、77年には日本山岳協会K2登山隊に参加。商社勤務を経て88年よりオレゴン州在住。アメリカ北西部の自然を紹介する「エコ・キャラバン」を主宰。国立公園や自然公園のエコ・ツアーや、トレイル・ウォーク、キャンプを基本とするネイチャー・ツアーを提唱する。