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合衆国大統領と自然(後編)

アメリカ・ノースウエスト自然探訪
2008年11月号掲載 | 文・写真/小杉礼一郎

すべてがダイナミックな時代であった20世紀、
北米の地は、自然も人々も大きく姿を変えた。
新しいリーダーと共に私達は次代へ大切なものをリレーできるだろうか。

国立公園の誕生・成長・完成

日本がまだ明治維新時の1872年。世界で初めての国立公園がイエローストーンに生まれた。ところが当時のアメリカにはまだ、国立公園に関する法律もなければ予算もなく、役所さえなかった。騎兵隊が園内に駐留し、密猟や盗掘を取り締まるような有り様だったが、それでもイエローストーンに続いてアメリカ各地で次々と国立公園が定められていった。※1

20世紀に入り、26代T・ルーズベルト政権の頃からは公園施設の整備が進み、次第に「国立公園」は体をなしてきた。現在では、世界で最も優れていると言われるアメリカの国立公園だが、制度として整うにはさらに長い年月を要した。

28代ウィルソン大統領時代の1916年にようやく国立公園法が制定され、国立公園局が発足する。翌年アラスカのデナリが“マッキンリー国立公園”として指定された。内務長官のフランク・レーンは初代の国立公園局長にステファン・マーサー※2を起用し、以後12年間、彼に国立公園組織の基礎作りを任せた。

アラスカ・パイプライン
▲北極圏の大地に延々と続くアラスカ・パイプライン
マッキンリー遠望
▲デナリ国立公園は、当初は25代大統領の名を冠した山名からマッキンリー国立公園と呼ばれていたが、カーター政権時代に改称された

F・ルーズベルトの功罪

20世紀に入り、アメリカは好むと好まざるとにかかわらず大国のひとつとなった。世界恐慌と第2次世界大戦という人類未曾有の混乱期に、合衆国国民からこの大国の舵取りを託されたのは、民主党の32代フランクリン・ルーズベルトである。26代セオドア・ルーズベルトのいとこにあたる彼は、米国史上ただひとり、4期13年※3を務めた例外的な大統領だ。そして世界史に名を残す巨魁でもある。

彼は後世にあまねく知られるニューディール政策(政府主導の需要喚起+雇用促進策)を進め、北西部ではオレゴン州にティンバーライン・ロッジを建て※4ワシントン州にはコロンビア川にグランド・クーリー・ダムを建設した。経済の波及効果としては、後者のほうがはるかに大きく、灌漑によって農業、果実栽培の生産は飛躍した。豊富な電力はアルミ精錬に向けられ、航空機産業の発展に貢献。すべては現在に続くワシントン州の産業発展を支える基盤となった。

ニューディール政策と同時にF・ルーズベルトが推し進めたものにCCC(Civilian Conservation Corps=市民保全部隊)がある。これは職を求める若者達への雇用創出策で、彼らを主体とした植林事業、治水事業、国立公園のキャンプ場やトレイルの整備などの環境保全活動である。1933年からの10年間に約600万人の青年がこの活動に従事。合衆国の自然を国民のために保全するという、実際に目に見える形で非常に大きな環境インフラを造り上げた。

一方で、彼は第2次世界大戦下に原子爆弾開発の「マンハッタン計画」を極秘に推し進めた。グランド・クーリー・ダム下流のハンフォードに核施設を造り、電力の一部で核燃料の生産と処理を行った。長崎に落とされた原爆は、この施設で製造されたものである。「人類の命運」を根本的に変えてしまったこの核処理施設は、冷戦の終了時まで稼動していた。その後は「負の遺産」=蓄積された放射性物資の汚染除去作業が現在も続けられているものの、施設の周辺とコロンビア川への汚染の拡散が問題となっている。

イエローストーン
▲1872年、世界初の国立公園となったイエローストーン
グランド・クーリー・ダム
▲グランド・クーリー・ダム。幅1.6キロ、高さ168メートルの世界最大級の重力式ダム。このダムによってできた広大な人造湖がレイク・ルーズベルト
プルドーベイ油田
▲北極海に面した北米大陸さいはてのプルドーベイ油田


ジミー・カーターの努力

アメリカ政府の自然保護政策の始まりは、セオドア・ルーズベルトからであるが、彼は共和党所属である。合衆国の自然と環境を巡って、民主党=保護派、共和党=開発派という図式になってきたのは、20世紀も終盤に近付いてからのことだ。

例えば、アラスカの北極圏野生生物保護区Arctic National Wildlife Refuge通称アンワー(ANWR)は、T・ルーズベルト(共和)が1903年に作った野生生物保護区制度をアイゼンハワー(共和)が北極圏に適用して、1960年に誕生した。1980年に39代カーター大統領(民主)は、将来の開発からそのもろく貴重な自然を守るべく、規模を2倍以上に拡張。その後は連邦議会も巻き込んで、40代レーガン大統領(共和)=開発派、42代クリントン大統領(民主)=保護派、43代W・ブッシュ大統領(共和)=開発派、と攻防が繰り返され今日に至っている。※5

カーター大統領は同じく1980年にアラスカの、それまで「マッキンリー国立公園」であったのを「デナリ国立公園」と改称し、かつ公園面積や周辺の保護区も含め、一挙に当初の3倍の面積に拡張した。

ここで自然世界遺産のことに少し触れる。アメリカは元来、アメリカが主導する国連の施策には熱心だが、自国以外が主導する国連施策には冷淡であった。ユネスコの世界遺産に対してもそうであったし、今現在もそうである。だからアメリカには地球上にふたつとない多様で素晴らしい自然があっても、世界遺産登録には(どこかの国とは正反対に)はなはだ不熱心である。※6だが、カーター政権だけは熱心であった。彼の大統領在職は1期4年間のみだったが、その間に7カ所の国立公園を世界遺産登録した。これは、アメリカの自然世界遺産の1/3に当たる。

カーター政権時代に、国定を含むアメリカの国立公園の全面積は2倍以上に増えた。

21世紀は

43代W・ブッシュ大統領は軍事、外交面に専心し、内政面はなおざりにしたと、もう言い切っていいだろう。石油の高騰を理由に、彼は再三にわたり野生生物保護区での原油採掘を画策してきたが、その都度世論と議会に阻まれてきた。

国立公園に関しては、スピーチでこそ前向きの発言をすれ、実際にはイラク戦費の捻出のために、国立公園予算は大きくカットされた。この影響で、かなりの施設の閉鎖や部門の廃止、サービスの低下があった。一方で「収入のために」国立公園内での個人、民間のエンジン機(スノーモービル、モーターボート、遊覧飛行機)の利用を認める方針が打ち出され、アメリカの国立公園に石油臭さが蔓延した。大統領が自然を守るのでなく、大統領から自然を守るあつれきに疲れ、この数年、経験も信念もある多くの国立公園局の職員達が慙愧の思いで職場を離れていった。

アメリカの自然は本当に素晴らしい。この地の人々にとって、いちばんの財産である。が、今や人間はそれを簡単に壊すだけの力も持っている。そして時代はますます混沌として、見通すことは難しい。どんなに困難であろうと、次の政権は、この地の自然と風土を守り後の世代へと残していって欲しい。そして自分達でも守っていきたいと隊長は思う。ひとりの大統領だけでなく、名もない草の根の先達がかつてそうしてきたように。

※1 キャラバン#49「世界で最初の国立公園 イエローストーン」参照。
※2 フランク・レーンの学友で実業家、自然保護主義者(当時49才)。
※3 第2次世界大戦終結直前、大統領在職中の1945年4月12日に脳溢血で死亡した。
※4 キャラバン #68-69 「建物すべてがミュージアム」参照。
※5 キャラバン#31「遠い自然 ── 北極圏野生生物保護区」参照。
※6 キャラバン#25「ノースウエストで世界遺産を語る」参照。

Information

■レイク・ルーズベルト国定レクリエーション地区
世界最大級のグランド・クーリー・ダムによってコロンビア川を堰き止めてできた長大な人造湖。このダム湖一帯が キャンプ、ウォーター・スポーツなど多目的なレクリエーション・エリアとなっている。ワシントン州東部。
Lake Roosevelt National Recreation Area
ウェブサイト:www.nps.gov/laro/

■ハンフォード・リーチ国定公園
コロンビア川中流域20万エーカーの広さを持つ自然公園。ワシントン州東部。
Hanford Reach National Monument
ウェブサイト:www.fws.gov/hanfordreach/

Reiichiro Kosugi
1954年、富山県生まれ。学生時代から世界中の山に登り、1977年には日本山岳協会K2登山隊に参加。商社勤務を経て1988年よりオレゴン州在住。アメリカ北西部の自然を紹介する「エコ・キャラバン」を主宰。北米の国立公園や自然公園を中心とするエコ・ツアーや、トレイル・ウォーク、キャンプを基本とするネイチャー・ツアーを提唱している。