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“貧乏・節約”シアトル留学日記

映画製作を夢見てアメリカの地を踏んだ私・TOKYO粥。“貧乏・節約”をモットーに過ごす、1留学生の留学ドタバタ・リポート

第1話 アメリカ上陸!

私はこの留学を、自分の力だけで実現したと思っている。……いや、もちろん、金銭面では両親が全面的にヘルプしてくれているけれど。だからこそ、余計な出費はなるべく抑えようと努力の日々日々日々なのだ。例えば、こっちの学校への留学手続き。私は2年前に渡米したが、その際、留学斡旋会社に頼めばラクチンなものを、それを利用せず辞書片手に自分でやったりした。とにかく、私は「貧乏留学、貧乏留学」と心に決めているのである。。

その甲斐(?)あってか、かなり悲惨なことに巻き込まれたりもした。と言うのも、私がこっちへ来た時はまだ「I am Japan」と言っていた程度の英語力だったから(情けない)。そんな私の最初の試練は 「……アメリカ到着!!……さぁて、寝床はドコだ?」(焦)。

ホスト・ファミリー? なんですかソレ? 学校へ行ったら、学校側が寮とかホテルとか用意してくれているのと違うの?

トランクと大きなリュックを引っさげて登場した、英語もままならない日本人を目の前にした時の、学校のアドバイザー達の慌てようと言ったら……。本当、今、思い出しても恥ずかしい。たぶんあの時アドバイザー達は、私にいろいろ質問していたと思う。
「家がないとはどういうことか?」
「ホスト・ファミリーの申し込みはしていないのか?」
「本当にうちの生徒なのか?(笑)」などなど。

なんせ「I am Japan」程度の英語知識。とりあえず、「Yes」「No」を交互に言ってその場をしのいだ。そしてすぐさま、ホスト・ファミリーの手配をしてもらい、アメリカ到着から4時間後、アドバイザー達が「とんでもない、日本人が来たなぁ」と思っているであろう中、私は悠々と、たった今決まったホスト・ファミリーの部屋で眠りに落ちていた。

今では誰もが口を揃えて言う。
「何も知らないからできたことだよね」と。その通り。私もそう思う。

最後に一句。

「あの時は何も知らなかったからできたこと。 その気になれば、I am Japanでも何とかなる(字余り)」

第2話 あんたぁ! どうしても、これだけは許せない

そもそもタイトルの「アリでしょ」には、ワケがある。せっかくの留学生活なのに日々節約。……っていうか、節約もアリでしょ? そして留学と言えば、誰もが少なからず期待する「ブロンド・ガイとの恋人生活」。それを見事に裏切ってくれたのが、髪の毛黒々の香港ボーイ。早い話、その人がその後1年半連れ添うことになる私の彼。

皆さんに「香港と日本ってこんなに文化が違うもの!?」と声を大にして言いたい。「アメリカ人の彼(彼女)と文化の違いに悩んでいます」という投稿をアメリカの日系メディアなどでよく見掛けるが、今まで「香港人との文化の違いに悩んでいます」というのがなかったのが、不思議なぐらい。今日は「どうしても、許せないこと」を1発、いや2発。

彼が、香港人のイメージすべてではないのだが、香港人、食にうるさい。中国4千年の歴史、アレ、あながち間違っていないアルヨ。普通、彼女が作った料理は「うまい、うまい」と食べるのが、日本人の間では常識である(……よね?)。しかし彼は、おいしくなかったら“食べない”。最初は「食えぇっ! つべこべ言わず、食えぇっ!」と言っていたが、かたくなに拒む彼を見て、最近は自分の腕を磨く方が早いなぁと感じる、今日この頃。

また、食事の時間をとても大事にする。たとえ友達、恋人が待っていようと、30分は待たせる。彼が食事をしていたばかりに、何度待ちぼうけを食らったことか。
それと、日本社会に慣れてしまった私には、「レディー・ファースト」ってのが気持ち悪くて仕方ない。「なんだ、ただのノロケか?」と思われたら仕方がないが、彼の口癖は「It’sup to you」。レストランにしろ、映画にしろ、「君の思い通りだよ」。人には「うれしいことでしょ」と言われるが、毎回コレだと「自分の意見はないのかぁ!?」と口論になる。何度、説明しても「別にオレ、悪いことしていないのに、何で怒られているのだ?」とまったく理解していない様子。だから、違うんだってぇ。

まぁ、なんだかんだ言っても、2人仲良くやっているのだが、その秘訣は?と聞かれたら、間違いなく、コレ「お粥」。彼が作るお粥は本当にうまい!(普段の半分の米量で済むのも、節約できて最高) なんだよ、食べ物に釣られていたのか?と言われそうだが、食にうるさい彼にこの彼女アリ、ってなもので。

「最近の ヒット料理 揚げ豆腐 だけど使うは 市販のめんつゆ」
(味にうるさくないの~!?)

第3話 楽しい(?)苦しい(?)夏旅行

前回登場した彼氏との、去年の夏の出来事。私達は「アムトラックでアメリカを回ろう!」とバック・パッカーを試みた。シアトル→カリフォルニア→ニューオリンズ→ニューヨーク→バッファロー→シカゴ→シアトルに戻るというプランで、もちろんテーマは「節約、貧乏」。ホテル? モーテル? なんのその。うちらには立派な“駅”って寝床があるじゃない! 食事はスーパーで買うドーナッツやフルーツなどの“お惣菜”があるじゃない!と“私”はやる気満々だった。

旅行も順調で、本当にさまざまな体験ができた。ニューオリンズでは、でっかいリュックを背負い、地図を片手にウロウロしていたら(どう見ても素人観光客)優しいおじさんが猛スピードで飛んできた。
「ここから先へは絶対行くな。行ったら最後、すべて盗られるぞ」
道を挟んだその先には、何十人もの怪しい人達が舌なめずりしながらこっちを見ていた……(焦)。
ニューヨークでは、節約して浮いたお金でブロードウェイ・ミュージカルのチケットを買った。
「せっかくブロードウェイを見るのだから、ちょっとキレイに」
と風呂場を探した。……ごめんなさい! 子供の遊び場・トイザラスのトイレで髪を洗ってしまいました。たぶん、監視カメラには、髪の毛の濡れた変な東洋人2人組が映っていたんだろうな……ヘヘ。
ビック・アップルの「駅野宿」が明けた2日目の朝、ベンチに座って寝たせいで少々首を痛めたが、すっきり目覚めた私の前には、かなり疲れた彼の姿があった。
「I couldn’t sleep at all」。
ついに彼の限界が来たらしい(笑)。風呂に入れないのが相当、辛いらしい。頭が相当、痒いらしい。ベッドでぐっすり眠りたいらしい。
「お願いだ。本当にお願いだ。安いモーテルで良いから泊らせてくれ」
こう泣かれた私は、しぶしぶモーテルに泊ることにした。

周りはこう言う。「あんた、本当に本当に彼に可哀想なことをしたよ」
私もそう思う。ちょっと心がキュンとなりましたもん。あんな必死にお願いしている彼を見て(笑)

「 “愛さえあればって”アレ嘘か(笑) 旅行では金の価値観 一番大事」

第4話 女優になった日

映画作りを夢見て1年。が、英語力に問題が“大あり”で、映画の“え”の字にも触れることができなかった私は、少々焦っていた。そんな私に、偶然にも運命のお友達ができた。映画制作会社勤務で、大学の映画の授業の講師をしているセド君だ。彼は、今でも私がリスペクトしている大切なお友達である。
「映画を作りたい! ケド……」と相談したら、「それなら一緒に作ろうよ!」と彼。
「でも、でも……、映画、作ったことがないし……。照明とかカメラとか、1回も触ったことがないよ」
と消極的に出る私に
「No problem!! 君と一緒に作れることを誇りに思うよ!」
と彼からのウレシイ言葉。惚れた!(あ、香港彼よ、ごめん)。そして、ずうずうしくも、私は彼らの映画作りに参加させてもらった。内容は……、じつは1年半たった今でも、正直どんな内容だったかよくわかっていない(焦)。とにかく、シリアスな感じの内容だった。それはさておき、参加初日「照明やカメラに触れるかな」と現場にウッキウキの気分で訪れたところ、そこには真剣に悩んでいるセド達が相談事をしていた。
「女優が必要なのだ……」と。

急遽、私が女優をやることになった。渡された台本の設定は男女のケンカのシーンだった。私は今でこそ、演劇・映画作りのクラスを取っていて、自分の映画のためなら半ケツだろうが、コーヒー屋にヒッピー姿で登場し、「ゲリラ」ダンスをしたりとか、40分間、延々マズイ飴を食べ続けるなどの経験をして度胸が付いている。が、当時の私の演技力と言ったら。演技は小学校の学芸会の犬のチロー役以来だったし。
台本を持ったまま20分間、恥ずかしながら、私は泣いた。本当に何をどうして良いか、わからなかったから。周りは全員アメリカ人。英語の発音ができないだけで笑われるのではないか?という恐れが私を喋らせなくした。しかし、セドは本当に最高の人だった。「大丈夫。できるよ。頑張れ!」と応援してくれ、私は嗚咽を漏らしながら(あぁ、情けない)セリフを喋った。

「 私って 案外 女優向きカモな そっちの道に 方向転換?(あぁ、勘違い) 」」

最終回 女優になった日・続編

前回は、「照明持ちができたり、カメラにちょっと触れられるかなぁ……」の淡い夢を抱いてセド君の自主映画製作に参加した私が、女優さんのドタキャンで急遽女優に、という「涙の女優初挑戦」の巻でした。今回はその続き。

私は意気揚々、女優になりきって表へ出た。深夜0時。人っ子ひとりいないシーンが必要だったため、大通りで車が通らないチャンスを見計らってはカメラを回し、私は演技をしていた。撮っていたのは、恋人とのけんかのシーン。若いカップルが、ここアメリカでけんかをする……。そんな状況は、そりゃ、英語の授業では習わないような“スラング”をバンバン発する訳で……。舞台はアメリカ。深夜、大通り、大声で熱演。この3拍子が揃えば……、結果は薄々見えてくる。
20分後。「ウィィィィィイイイーン」とサイレン。
「お前らか。ここら辺でけんかしているヤツらってのは……」
私達の8倍はある警官(大げさ)が2人登場。
「……えぇ、映画を撮っています」
か細い声で答える私達。
「本当か? お前は本当に大丈夫なのか?」
親切に声を掛けてくれているにも関わらず、私は脅されている気がして、持っているお金を渡しそうになる始末。説明をして最終的には
「ほぉ~。どれ、台本、見せてみろ。誰がドラキュラ役だ? ちょっと演技して見せろ!(それを見て、もうひとりの警官は大笑いしていた)」とチャカされて終わったのだった。でも、とにかく怖かったぁ……。

じつは『こんな留学もアリでしょ』は今回が最終回。私の留学生活は警察に捕まったり、単位を落としそうになったり、愛する彼氏はアメリカ人ではなく香港人だったり、貧乏・節約な生活だったりと、まあ、いろいろありました。日本で抱いていたブロンド・ガイとラクロスしたり(笑)、オープン・カーに乗るようなビバヒル(『ビハリーヒルズ青春白書』)な世界とは随分かけ離れていたけれど、“こんな留学もアリでしょ!”ってことでどうでしょう。
これまでこのコラムを読んでくれた皆さん、ありがとうございました。私はこれから就職活動に明け暮れます! では、また会う日まで。

「今見ても 警察官にドッキリする そして皆さん ありがとう」

Tokyo 粥
日本映画が大好きで、アメリカで日本ぽいコメディー映画を作ろうと高校卒業と同時に渡米。留学1年目はESLに時間を取られるものの、その後は嫌が上にも映画撮影の毎日。趣味は貧乏。古着屋を住処とし、ココ2年ぐらい服は新調していない(自信満々)